第41話 釣り合わない取引
「取引をしろ」と言い出した相手に千秋は一人長考した。
ここで彼の望む条件を飲むことはまずないにしろ、それが誰かに悪影響を及ぼすものであれば力ずくにでも止めるのが生徒会の仕事だ。
無論、力ずくは話し合いで相手が応じない場合の最終手段ではあるが。
「俺に取引を持ちかける理由はなんだ? 第一に、生徒会長とか副会長とかにするべきじゃないのか。俺にそこまで大きな権利はない」
「いいや、違う。一年の生徒会長や副会長の方が権利はないだろう? これまでに生徒会になったことのない奴らの集まりが個人で判断できるとは到底思えない」
「それで俺に取引を持ちかけたと。馬鹿馬鹿しいな」
「実力のない一年を生徒会長にする方が余程馬鹿馬鹿しいだろ?」
その発言に千秋はムッとしたが、ここで感情的になるのは彼の思う壺だ。
こういうときこそ冷静に行動しなければ果たすべき目的さえ果たせなくなる。
「……はぁ。取引の内容は?」
予想としては、裏で誰かからのサポート(というよりは口出し)を受けるようにしろ、とか、もう一度再選挙しろ、とかの生徒会関連だろう。
ただ、取引と言うのであれば、こちらに何かしらの不利益があるはずだ。だが、それが何なのか全く予想もつかない。
千秋の思考を遮るように相手が提示した条件は――
「南谷美琴を生徒会長にしろ」
なんとなく、千秋には相手が誰なのか予想がついた。
おそらく彼は楠が目撃していた南谷を生徒会長にするために選挙後から再選挙までの期間に活動していた男子生徒の一人だ。それも一年生ではなく上級生だ。
そこまでして南谷を生徒会長にさせたがる理由は一体何なのか甚だ疑問だ。どうせ彼は上級生であることは変わりないのだから、雪乃へ直接「前はこうだったから~」などの前置きでもして交渉すれば良いではないか。
(まあ、姿を見せずに取引を持ちかけているあたり答えだけど)
とにかく、生徒会長にのみ許された再選挙を行ってまでも決めた座を取引だからと譲ることはできない。
無理だと言うことは決まりとして、問題は交渉が決裂した後のペナルティで何をされるかだ。
「もし、俺が無理だと言ったら何をするつもりだ」
「ああ、そうだな。予め言っておく。先日から話題になっていることがあるだろう?」
「突然何の話ですか」
「お前も知っているだろ。桐谷会長が彼氏を作った、ってな」
七原学園では噂が広まるのが速い。
桐谷が混乱して告白をしたのはほんの数日前のことで、確かにその場に何人か生徒がいた。
その生徒たちが他の生徒へ広めていったのだろうが、あまりにも伝わるのが速い。
それも一部の誇張が含まれて。
だが、千秋は内心安堵していた。
現在千秋と桐谷は『恋の練習相手』という関係のため、周りから視線を集めるのは桐谷の練習にもなり都合が良い。
大して困ることを言ってこないことが分かった千秋は、逆にそれを悟られないよう一芝居打つ。
「それがどうかしたんですか」
千秋の上がり気味の声に彼は先程までとは打って変わって上機嫌で話し出す。
「公園の近くにあるカフェで桐谷会長とお前があのカップルパフェを食べてたっていう目撃情報があった。それに同じ日にカフェに桐谷会長の手を引く男子生徒がいたって言う奴もいたんだぞ」
「まさか、もう広めたんじゃ」
「いいや。これは良い交渉材料になると思ったからな。まだ言ってはないが、お前の答え次第ではどうなるかな」
ダメだ。まだ笑うな。
他の人から聞いている時点で彼が言いふらしても周りはもう知っているし、千秋が桐谷へ大胆な行動をしたのは周りの目を引くためであり、まんまと引っ掛かった人物がそのことも知らずに取引なんて言い始めたことがいかに愚かでも。
相手の発想がどれほど破綻していても、ここで笑ってしまえば、彼がペナルティを変えてしまうかもしれない。
「……でも、それでも、俺には生徒会長を変えることはできない。生徒会長は全校生徒が選んだリーダーだからこそ個人の交渉で変えることはできない」
それが規則だ。この学園にいる以上、それは遵守されなければならない。
ペナルティがほとんど意味を成さないからではなく、これは生徒会役員としての立場を優先したものであることは理解してほしい。
「つまり……交渉は決裂だ」
千秋は必死に口角が上がるのを抑えながら、そう宣言するやいなや一段上のステップへ足を上げた。
「後悔しても知らないからな」
彼はそう言い残すと、階段を駆け上がっていった。
そして次に聞こえてきたのは今朝電話越しに聞こえてきたあの怒鳴り声。
「いい加減自分のせいだってことを認めれば良いものを……」
彼、もとい南谷悠一は妹に再びお説教をされた姿で姿を見せた。
「全く。姿を消したと思ったら油を売っているなんて、どんな天才がいても予想なんてできませんわ。八前さんには本当に申し訳ありません。兄がしたことを忘れろとまでは言いませんが、大目に見てあげていただきたいのです」
「ま、まあ。南谷先輩も兄へ怒るのもほどほどにしておいてください」
「ほら見ろ美琴! 八前はこう言って――」
「八前さん。馬鹿は何発殴れば正気になると思います?」
「殴って治るものなんですか…?」
千秋は内心ちょっとだけ、南谷妹が生徒会長にならなくて良かったと思ったのだった。
南谷兄を妹に押し付けた後、千秋は当初の予定通り桐谷の助けに2年生の教室に訪れていた。
来慣れたこの教室も、この資料が完成すればもう来ることも少なくなるだろう。
「やっぱり来てくれた」
「なんですか『やっぱり』って」
「八前庶務だもん。これまでも私が困っているときには手を差しのべてくれたでしょ?」
その問いには、少なからず別れを感じた寂しさのような気持ちが乗っていた。
千秋は桐谷の隣の席を借りて、胸ポケットから黒色のボールペンを取り出す。
「そうですね。会長は困っているときは捨てられた子犬のような顔をしてましたから」
「え!? ほ、ホントに!?」
「冗談ですよ」
「もーっ、からかわないでよ!」
桐谷はコロコロ表情を変えるタイプであることは、近くで一週間も過ごせば分かる。
だが、今日の桐谷は表情の変化が少なかった。
それは手元にある、予め生徒会顧問の糸魚川先生と学園長の押印が押してある書類が原因ではないか、と千秋は勝手に想像していた。
それらは千秋が来るまでとっておいたかのように触れられてすらおらず、これで終わりという現実を押しやるかの如く、机の端へ寄せられていた。
「八前庶務はきっと、怖くないと思う」
「え?」
「自分が何者でもなくなるのが怖いの」
八前庶務には次があるから、なんて言葉が後に続くことはなかったが、桐谷が言いたいことを千秋は逸らすことなく受け止めた。
「俺も怖いですよ。始めてしまえば、いつか終わりが来ることも知ってますから」
「……そう、なんだ?」
「なんで疑問形なんですか」
「だ、だって肯定されるとは思ってなかったんだもん」
「俺のことなんだと思ってるんですか」
「えっ! そ、それは……(学年一つ下なのに頼りになって、困ったときには助けに来てくれる理想の彼氏みたいな人なのに、もう伴侶がいて、それなのに私に気があるみたいな言い回しをしてドキドキさせてくる悪い人……)」
「ボソボソと早口が重なって全然聞き取れなかったですけど、悪い人って最後言いましたよね!?」
桐谷は遠慮なくコクコク頷き、千秋が『悪い人』であることを肯定する。
初めの方はまだ褒めている内容だったが、残念ながら千秋は理解することは叶わなかった。
「と、とにかくっ、そのことはいいから八前庶務も手伝って!」
「分かってます。会長はこっちの書類をお願いします」
桐谷には生徒会長の記入のみしか受け付けない書類を任せ、千秋は残りの書類に手をつける。
この半年間で得たノウハウを活かし、積まれた書類を処理していく。
文章を確認しては確認者欄に記名して、また次の文章へ目を通す。これを繰り返すだけではあるが、たまにとんでもないことが書かれた文章もあるため、集中して挑まなければならない。
といったところに変な文章が現れる。
「うわ。また占い研究部だ」
「え、また? さっきもあったよ?」
「部員一人あたり1000円の部費の援助……その交渉は直接しに来るように言っていたはずなんだけどな」
「占いはあんまり学業に関係ないから、交渉しに来ても無理だって追い返さないといけないんだけどね」
七原学園の部活動は運動部と一部文化部を除いて生徒が集まって作り上げたものだ。そのため、占い研究部のような生徒たちによって出来た部活は基本的に学園からの支援を受けることはできない。
ただ、後から作られた部活でも、映像製作部は学園のPR動画を製作した実績から学園の支援を受けている。
「カルト的な人気が出るとか、何かしらの実績があるなら認められるかもしれないけど、占いは難しいよな」
「部員も少なくなってきてるみたいだし、もうすぐ廃部になるかも。ブームが過ぎちゃうとどうしてもね」
このような雑談を繰り広げながら、千秋は桐谷と書類の山の標高を下げていく。
しかし、書類が少なくなればなるほど雑談にできるような話題を消費していき、静かな間が生じる。
視界の端でチラッとこちらを確認しては目線を下に落とし、また上げ…の繰り返しをする人物が一人。
やはり桐谷にはまだ不安感があるようで、何か話題を出して気を散らせるしかない。
「会長はどうして生徒会役員なんてやろうと思ったんです?」
ちょっと前から気になっていたことを聞いてみた。本当は生徒会の話を避けるべきなのだろうが、仕事中はどうしても凝ったことを考えられない。
桐谷は書類にペンを走らせながら少しの間考えた後、「そうだなあ」と言葉を発した。
「私、誰かのサポートをする方が向いてるって思うの。困ってる人が必要にしてくれるのって本当に嬉しいんだ。きっと、八前庶務はこの気持ちが分かると思う」
「俺に? なんでまた」
「だって八前庶務、私が困ってるときは絶対に助けに来てくれるんだもん。困ってる人は見捨てられないんでしょ?」
別に誰でも助けるわけではない。
時に名前くらいしか知らない人でも、やっていることが正しいのなら同調するし、どれだけ仲の良い友人だとしても、反対意見を言うことだってある。
「そう見えるのは、会長がいつも正当な理由で困ってるからです。まあ、仕事量がおかしいのも問題なんですけど」
「あはは……確かに数日前までは地獄だったね。笑い事じゃないくらいには」
「本当に『数日前までは』ですよ。七瀬先輩が三年後期にも関わらず、ほぼ毎日顔を出してくれていたから1月の間はまだ楽でした」
「あれで楽な部類だとはあの時思わなかったよ」
瑞希は1月中旬の大学入試と推薦入学の試験以外はほとんど放課後の生徒会室に顔を出していた。2月になってからは、合格が決まって、大学近くのアパートを契約したり、実家の物の整理を行うために行けない日が多かった。
そこでようやく自分たちがどれほど楽だったのかを実感した。
「入試時期になっても来てくれた七瀬先輩には頭が上がりませんよ」
「そうだね。明日そのこともお礼を言っておかないと」
「そうですね。会長は明日行ければの話ですけど」
「だからこうやって放課後もやってるんじゃん! ……って八前庶務、もう終わったの!?」
「会長が喋って手が動いていない間にもやれば終わりますよ。では、最終確認はお願いします」
桐谷の机に高さ10センチメートルの書類の山を作ると、桐谷は持っていたペンを静かに置いた。
「は、八前庶務…? まさか先に一人で帰るなんてことないよね…?」
「もう少しの間は協力しますけど、それを過ぎたら帰ります」
桐谷からは本当に少しの間で終わりそうな量の書類を渡され、読み違えのないよう文章に目を通し、ミスをしないようにサインを記入していく。
たまに桐谷は不安そうな顔を千秋へ見せては書類に視線を落とす。
そんな彼女らしくない表情をされれば、気にかけないなどという選択肢は排除される。
「挙動不審になってます会長」
「ご、ごめん」
「謝らなくていいですけど、その書類は会長しかできないんですから、それだけは自分でやってくださいよ…?」
「頑張る……」
桐谷はペンを持ち直し、紙の上に黒い線を引いていく。
一枚、もう一枚とサインする桐谷が次に手を止めたのはすぐのことだった。
『生徒会長の任期満了並びに引継ぎ』
明朝体で堂々と書かれたその最後の書類にペンを持つ手が僅かに震えた。
「そう重く考える必要はないと思いますよ?」
「え…?」
困惑した桐谷はペンを机に落としたが、幸いペンはインク漏れを起こさず机の上にとどまった。
「あぶなかった……って、八前庶務が変なこと言うから」
「すみません。でも――」
千秋が理由をちゃんと話そうとしたと同時に、桐谷が口を開く。
「私、遠いところから来たから、知ってる人が学園にいなくて、それに今のクラスであまり喋ったことないし、生徒会から抜けちゃったら、また――」
また一人になる?
いいや。桐谷はそんなことになることはない。
彼女の人望がある人物が一人になるなんてことは、彼女がこの学園にいる間は考えられない。
クラスの人だって、桐谷がどれだけ頑張っているのかを理解しているし、生徒会から抜けたとしても、千秋や他の生徒会役員は彼女を頼ることだってあるはずだ。
だからそれは、きっと彼女の――
「杞憂ですね」
「きゆう…? きゆうって……杞憂?」
そうだ。杞憂だ。
「俺が思うに、クラスも生徒会も、今の関係よりかは遥かに良い関係ができると思います。だって会長のクラスの人たち、会長が忙しいことを知って話しかけにいかなかったっぽいですし」
「い、いやいや。そんなことないよ」
「生徒会だって、これから2年生だけになるんですから、先輩には質問がバシバシ行くと思いますよ? 特に一ノ瀬とか」
「心海ちゃんは……確かにそうかも。なんか、初めて先輩らしいところを見せられるって思うと、なんだか嬉しい」
しれっと一ノ瀬を下の名前で呼んでいたのは、一ノ瀬のコミュニケーション力の高さでもあるのだろう。
「それなら、次に繋げましょう。夢のある未来に」
桐谷はペンを取り、最後の書類に署名した。
桐谷の名前と雪乃の名前が並んだ書類を書類の山の一番上へと置くと、当初の山は完全に平らになり、第24回生徒会副会長及び臨時生徒会長の仕事は終わりを迎えた。
こうして第24回生徒会は正式に解散となり、次の生徒会へとバトンを繋げた。
「これで明日の打ち上げに参加できますね」
「うん……ありがとう、千秋くん」
突然の名前呼びに、千秋はドキリとする。
「なっ…、なんで急に名前呼びを…?」
「教えてあげないよ♪」
先ほどのドキリとした直後の、胸を刺すような痛みを一体なんだったのか、その原因は今も分からない。
そんな不自然な千秋の反応に気付くこともなく、桐谷は書類をまとめていた。
少しだけ嫌な予感がした千秋は、桐谷に別れを告げて足早に帰路についた。




