第39話 休み時間
千秋たちは生徒会室を出た後、真っ直ぐに教室に戻っていた。ただ、歩く速度はとても遅く。
「……私、生徒会長になったんだ」
昨日まであれだけ心配していたことがついにその時を過ぎ、自分が夢心地なのだろう。
「そうだな。俺は雪乃が生徒会長で安心した」
「え、どうして?」
「だって、もし南谷先輩が生徒会長になったら、壁新聞部の部室で出くわしたのが気まずいだろ」
「確かに……それは嫌かも」
「雪乃は誰といても気まずくならないようにな」
「分かってます~」
そう言う雪乃はやはり上機嫌で、千秋に身を寄せてくる。
この状況でお手洗いなどを理由に教室の外に出た生徒に見つかればすぐに噂は広がってしまう。
なので、雪乃には「今はダメ」と距離を取り、気を確かにした雪乃の隣を歩く。
そこで1限が終わるチャイムが鳴り、千秋と雪乃は手を離す。
ここからはそうやって過ごさなければならないことは、どちらも理解しているから。
千秋は歩く速度を上げて新生徒会長と距離を取る。雪乃が視界の端から消え、千秋は一足先に階段を上ろうとした。そのときだった。
「あ、八前庶務」
階段を下から上がってきた桐谷と鉢合わせた。
体育終わりだからか、半袖半ズボンの体操服に長袖のジャージを上だけ身につけている。
桐谷はまだ呼び方の癖が残っているらしく、間違った役職名で呼んでくる。
「会長。俺はもう庶務じゃないですよ」
「それを言うなら八前庶務だって私のことを会長って呼ぶのはやめた方がいいよ」
「……そうですね」
自分はまだ生徒会役員であるから、役職名が異なっても生徒会というのは変わりないが、桐谷はそうではない。今の彼女はもう、ただの一般生徒なのだから。
「それで、八前庶務はなんでここに?」
桐谷は呼び方を改める気はないらしく、そのまま話を続ける。
「俺はさっきまで雪乃と糸魚川先生で三者面談だったよ。生徒会の仕事については俺に聞けって全部押し付けられた感じだけど」
「糸魚川先生ならやりかねないね~」
「私と糸魚川先生がどうかしましたか?」
「きゃあ!?」
千秋の後を追ってきた雪乃が千秋の後ろから現れて、桐谷は女の子らしい悲鳴を上げた。
「う、浮気じゃないよ! 今はたまたま会っただけで…!」
「…?」
「何の弁明をしてるんだ」
「だって、八前庶務は日向ちゃんと雪乃ちゃんとハーレムを作ってるんだし、私が入るのはダメだと思って……」
「学校では恋人として振る舞ってほしいってお願いしたんですが」
「でも本人の前では厳しいよっ!」
確かに本人の前では居心地が悪い。雪乃も目元が怖いのに笑っているし。
上級生がこんな顔をしていたら、もう目の前には立ちたくなくなる。
「分からなくもないですが、これも練習の一つだと思ってください。いつかは役に立つかもしれませんから……多分」
「本当かどうか怪しくなったんだけど!」
桐谷がツッコミを逐次してくれるので、千秋としても面白くてボケを入り交ぜてしまう。だが、それをし続けると、隣で笑う(?)雪乃の頬 が引き締まっていく。
「冗談はここまでにして。会長にはしてほしいことがあるんですよ」
「「どんなこと?」」
「……雪乃じゃなくて、桐谷前会長にです」
「……むっすー」
唇を小さく尖らせた雪乃に心の中で謝り、千秋は『してほしいこと』の内容を桐谷に語る。
「今日か明日、放課後に黒岩先輩を連れて生徒会室に来てほしいんです。できれば予定は黒岩先輩に合わせて下さい。少し話したいことがあるので」
流石に猶予が無さすぎるのは千秋も承知していた。無理難題がすぎるとすぐに断られると思いきや、桐谷は腕を組んで思考する。
「えっと、時間がかからないなら今日でも良いと思うけど……」
「なんで会長が黒岩先輩の予定を知ってるんですか」
「だって、今日は木曜日でしょ? 月・火・木・土の週四日は剣道部の部活があるんだよ」
「なんで知ってるのが当たり前みたいに言ってるんですか……」
「違うの?」
違うに決まってる。少なくともここにいる三人のうち二人は他人の予定なんて詳しく知らない。
「それで、時間はかかりそうなの?」
「いや、そこまでかからないと思います。多分断らないと思うので」
「…?」
よく分かっていない桐谷はどういう意味かを訊きたかったのだが、2限の始まる5分前を伝えるチャイムが鳴り、それをすることは適わない。
「速く着替えないと2限遅れちゃいますよ」
「そ、そうだね。八前庶務も九条さんも遅れないようにね」
動きやすい服を風に揺らして、桐谷は女子更衣室へと向かって走っていった。
千秋は雪乃ともう一度距離を取り、二人はそれぞれの教室へと戻っていく。
それが自分たちの決断であることを理解して。
教室に戻った千秋は、真っ先に楠と長森に詰め寄られていた。
楠の席が前で、長森の席が右隣。話しかけるには理想的な配置だ。
もう5分前だというのに、先生がまだ来ていないことをいいことに喋ることに夢中になっている。
「だからなにもなかったって」
「嘘だぁ~。男女が密室で二人きり……何も起きないはずがなく」
「糸魚川先生もいたから二人きりですらない。長森は糸魚川先生のプレッシャーを知らないから分からないかもしれないけどな」
「じゃあ……まさか千秋、お前は糸魚川先生も範囲内というのか!?」
「それはない。断じてない。誤解されると面倒なことを次々に口にするな」
二人はそれぞれの妄想を現実にしたいようだがそうはさせない。桐谷との偽カップリングのことは現実として広めてくれてもいいが、それ以外の変なことを広められるのは非常に困る。
面白半分で絡んでくる姉もいるし。
「全く。お前らは日向を見習え。休み時間でも勉強をしているじゃないか」
「「……。」」
少し離れた席に座る日向は手元に集中して予習をしている。
二人は日向の方を一秒くらい眺めると、何事もなかったように話を再開する。
「おいこら」
「オレたちには厳しいよなぁ」
「うんうん」
諦めている二人はこれ以上何を言っても聞かなそうなので、申し訳ないが無視することにした。
千秋が教科書を用意し始めると、二人は構ってもらえないことがわかったらしく、大人しく千秋と同じように用意を始めた。
四限まで授業を受けて、昼休みの時間になった。
普段なら日向が椅子を持ってきて、千秋、楠、長森の三つの机で四人が弁当箱を囲む……のだが。
「千秋、弁当箱は?」
千秋の机の上に弁当箱はない。
そこで日向の出番だ。
「はい。お弁当」
千秋の机に二つ弁当箱を置き、千秋の隣で持ってきた椅子に座る日向。
「女子の手作り弁当、だと…!?」
「千秋。僕、一生のお願い使うから、おかず交換しない?」
「俺からも頼む!」
「断る。というか、頼むなら俺じゃなくて日向にだろ。作ってくれたのは日向だし」
女子に飢えた男子二人は日向に向かって手を合わせて「「おかず交換してください!」」と声を揃えた。
「わたしは七くんに食べてもらいたいな…」
「「すみませんでした!」」
息ぴったりな二人に千秋は苦笑する。せっかく自分のために作ってくれたものなら、それを味わって食べるのがせめてものお返しだろう。
「じゃあ遠慮なく。いただきます」
手を合わせてから、お箸で卵焼きを持ち上げる。均一な黄金色に焼き跡がついた卵焼きは綺麗に巻かれており、砂糖、醤油、出汁の味付けが絶妙に合っている。『美味い』という言葉一つで片付けていいものではない。
ただ、男二人の前でこの卵焼きの素晴らしさを語るのは後々恨まれるかからかわれると思い、千秋はそれらの感想をぐっと飲み込んだ。
「すっごい美味い。毎日食べたいくらいには」
「褒めすぎだよ~」
日向は称賛を素直に受け取り、嬉しそうに、また恥ずかしそうにする。
「くそう……僕もお昼ごはん作って渡してくれる彼女がほしかった」
「それはオレも同意するわ。羨ましすぎる」
男たちの嘆きをよそに千秋はお箸を進める。
日向にも食べ始めるよう言っておいて、ようやくみんなでお昼ごはんを食べ始めた。
「オレたちに女子とおかず交換する勇気がないのが悔やまれる…!」
「僕らじゃ無理だ……千秋、安心して食べて」
男二人でおかずを交換し合っている様子を見ていると、なんだか申し訳なく思えてくる。
「あ、そうか。質問なんだけどさ、九条さんからすると、どんな男が惹かれるんだ?」
「わたしの意見になっちゃうけど、ギャップのある人だと好感度を得やすいかも。自分が知らなかった一面を見せてくれるんだーって感じなのかな」
なるほどなぁ、と感心しながら、千秋は黙々と食べ続ける。心做しか米がいつもより旨い。
「じゃあオレは惹かれるタイプってことか!」
「そうですね。楠さんは一見怖そうに見えますけど、仲間思いの優しい人です」
「おおっ! これはいける気がしてきた!」
「あとは女の子と話してみることですね」
「うーん。無理な気がしてきた」
「諦めるのが早い……」
かじった菓子パンを手に長森は楠にツッコミを入れる。
それとは対照的に、日向は「始めることが一番大変ですよ」と言葉で背中を押していた。
「ねぇ、九条さん。僕は九条さんからして、どんな印象なの?」
「そうですね……優しいイメージがそのままで、どこか幼さもある……母性的な人に好まれそうです」
「庇護欲のある人と相性が良さそう、ってことか?」
楠から発せられた堅難しい単語に日向は良く分かっていなさそうだった。
「でた。佑斗の地味に物知りなところ。どこでその知識を身に付けてるのさ」
「ラノベ小説、漫画、アニメ。あとはウィキページ。創作文化に触れると広い知識を得られるんだぞ。知らないとは言わせないぜ」
「うん。知ってた。そんなとこだろうとは思ってました」
菓子パンに再びかじりつく長森。楠は弁当箱の両縁を支えにして箸を置き、椅子の背もたれに上半身を預ける。
「オタク文化の良さを校内で語ると冷ややかな目で見られるのがまだまだ時代遅れだと思うくらいだぜ。もっと話せばいいのにさ」
「ほら、生徒会。困ってる生徒がいるよ?」
「堂々と話せば良いだろ。それで感化された他の生徒が同じことをすれば万々歳。違うか?」
「その堂々と話す勇気がないからなぁ」
諦めたように呟く長森に楠は頷いた。
生徒会はこういったものを風紀を乱す恐れがあると判断するため、推進することは認められない。主に糸魚川先生が、だが。
それに、今年は2年生だけで生徒会を回すことになるのだから、そういう個人的なことをするどころか、通常業務すらまともにできるかどうか怪しい。
千秋としては糸魚川先生にいろいろ期待もされているので、生徒会長よりも責任を背負っていると言っても過言ではない。
「でもさ、この学園にそんなに甘やかしたがりなお姉さんキャラいないじゃん」
「理想像がハッキリ伝わってくるな。あとはアレもあると……いや、なんでもないです」
楠の視線が日向の胸元へ行くのが見え、千秋は楠を睨み付けると楠はすぐに発言を取り消した。第一、そういう話は食事中にするべきではない。
「きっかけがあればお前らでも気にしてくれる相手くらいできるだろ。あとはその人を彼女にできるような立ち回りさえできてれば――」
「フラれた奴は黙っててくださーい」
フラれて彼女はいなくとも、既に運命を共にすると誓った相手がいるのだから気にしない。
「彼女作るアドバイスでもしてやろうかと思ったけど、今の言葉でやめた」
「えっ、困るよ~。佑斗には教えなくてもいいから僕にだけでも…!」
「な、なあ千秋…? 今の話ナシにならない?」
「ならないし、長森も巻き添えだ」
これには楠だけでなく長森を頭を抱えてしまう。
人のことをからかうと、こういうことになる可能性があることを学ぶ良い機会になっただろう。
それからはご飯を食べている間、楠と長森は慰め合いながらご飯を食べ進めていき、千秋と日向も静かにお弁当を食べた。
「ご馳走さまでした」
「お粗末さまです」
日向は千秋に柔らかな表情で微笑み、弁当箱を回収する。
「洗って返すよ?」
「ううん。七くんは忙しいんだから、わたしに任せて」
「ありがと。弁当美味しかった」
「また作ってあげるね」
一見仲の良いカップルのように見えるが、彼女ではない。
茶番劇を見せられていた二人からは恨めしそうな視線が送られてきた。
「それで彼氏彼女の関係じゃないのが僕には理解できないよ」
「ホントは付き合ってるんだろ」
「「残念ながら」」
息ぴったりな千秋と日向に、楠と長森は疑いの目で見てくる。
彼女ではなく婚約者か、と聞かれれば素直に頷くつもりだが、婚約者だとは考えてもいないだろう。
今日もその答えを導き出すことはできないまま、裏のある生活を続ける。




