第38話 立場と責任+3
「っと、その前に。知識の共有をしておかないと。糸魚川先生は投票用紙が盗られていたことは知ってる?」
千春は事前知識を確認しようと、糸魚川先生に確認を取ってみる。
「…? いつの話だ」
「今回の再選挙のときですよ」
反応からして知らないであろう糸魚川先生に瑞希は質問に答えを返す。
「いや、知らないな。本当に盗まれたのか?」
「本当だってば」
瑞希が頷いてようやく信じた糸魚川先生。
日頃の行いだ、と言い訳を言う糸魚川先生に千春は不満を口にする。
「まあまあ。千春も糸魚川先生もその辺で。話が進みませんよ?」
「糸魚川先生が余計なこと言うからだよ」
「私に全ての責任を押し付けようとするな。お前にも非はあるだろう」
瑞希がもう一度宥めて、二人はようやく喧嘩腰ではなくなった。
「どこまで話したんだっけ?」
「まだ知識の共有をしようとした段階だよ……」
このペースだと丸1日かかってしまう気がして、瑞希は二人に話と関係ないことを話すことを一時的に制限するように見守ることにした。
瑞希は話をスムーズに進める進行役になり、千春たちの暴走を事前に防いでおく。
「投票用紙が盗られたことに関しては千春の方が知ってるでしょ?」
「そうだね。これは私から話すよ」
話者が瑞希から千春に移り、瑞希も知らない全容を千春は話す。
「まずは一週間前の水曜日。選挙の結果に不満のあった南谷さんが再選挙を要求したのは糸魚川先生も知ってると思うけど、その裏ではある人物が動いていたんだよ」
「なぜ人名を伏せる?」
千春はその質問を微笑みを返すだけで答えはせずに、糸魚川先生に選択肢を与える。
「良い事と悪い事だったら、どっちを先に聞きたい?」
「どっちでもいいが……良い事から聞こう」
糸魚川先生の選択に千春はうんうんと頷くと、机に両肘をついて口元を指先で隠す。
「この話は一人を対象とした話ではなくてね、複数人を指しているから、人名は言えなかったんだ。それで、良い事を選んだ先生にはこれを見てほしいな」
千春が手にしているのはスマホで、そこには千秋との会話を記録する写真が写っている。画面をスワイプして、もっと前の時間にやり取りをした写真へと向かっていく。
「ここがちょうど一週間前の連絡だね」
「なにこれ?」
「お前らはまともに連絡もできないのか?」
二人がそういう言ったのには理由がある。千春が見せた画面に、記録として残ったメッセージはほぼ全て暗号になっていた。時には言語が日本語からドイツ語やフランス語になっているとか、全て平仮名にした後にシーザー暗号を使用したり、モールス信号で英文を作っていたり。
まともな文章は一つを除いて存在しない。
「読めるのは最初の『相談したいことがある』ってところだけなんだけど…?」
「なんなんだこの会話文は……頭が痛いんだが」
他人に読ませる気のない暗号によるメッセージを千春は翻訳しながらスクリーンショット一枚分の説明をしたが、二人はもうついていけそうになかった。
「つまりは『雪乃が心配だから先だって行動したい』って感じ」
「はじめにそれだけ言ってくれればよかったのに……」
机に突っ伏した瑞希がそう愚痴るが、答えだけ聞いても面白くないと千春は思っているので、そんな考えには同意できない。
「それで、これの何が良い事なんだ」
「まだ全然内容話してないから、まだ先のところだけど?」
「……そうか。これからは解読しなくていいから、簡略にしたところだけ言ってくれ。内容が入ってこなくなる」
それは大問題だ。これから弟のことを存分に誉め称えようと準備をしているのに、このままでは興味をなくしてしまうのが先だ。千秋の素晴らしさを語るまでは集中してもらわないと困る。
仕方なく、千春は超簡略化した翻訳を伝えてゆき、なんとか飽きさせる前に話を終えられた。
「つまりは、千春の弟さんが雪乃さんのことを心配していたおかげで、大きな被害が出なかった、ってこと?」
「そういうこと。だから、良い事をしていたのは私の弟と、協力してくれた人たちだよ」
千春は糸魚川先生をじっと見つめ、「先生もそのうちの一人だよ」と言葉にする。
「私は違う。そのグループには相応しくない」
「そうかな?」
「少なくとも私はそう考えるな。私は何もしてやれなかった。生徒会顧問として、学園の一教師として」
それは違う。今回の再選挙で既に任命された生徒会役員が行動できたのは、その許可を出した糸魚川先生のおかげである。さらに、前梁を取り押さえた後も率先して動いていたのは先生だ。
そのことを知っている二人は揃って笑う。
「なんだお前ら。揃って笑って」
物事の正解は結果論でしか分からない。道中で何をした方が正解だったとか、これだけは確実に違うとか、そんなものは一切存在しない。
「いやいや。相変わらず先生が素直じゃないなって思っただけ」
「私もです」
「……馬鹿馬鹿しい」
顔を逸らした先生は、気恥ずかしさと嬉しさを感じられる表情をしていた。
二人で先生のことを面白おかしく観察していると、さすがにずっと見られているのが耐えられなくなったらしく、糸魚川先生は「さっさと次の悪い方に話題を移れ」と優しく怒った。
「悪い事を言う前に、またまた確認をしておこう」
千春はおもむろに隣に座る瑞希に指で指示を出した。単純に『立て』と命令するように人差し指を二度上に立てた。
「瑞希、学園生徒会選挙規則は覚えてる?」
「…? うん。全体の八割方は覚えてるけど。なんで?」
「第1章12節、はいどうぞ」
いきなり振られた口頭試問に瑞希は文句一つ言わずに、ただ落ち着いて指定された内容を口にする。
「『生徒会役員は選挙時の投票用紙の予備は全校生徒の2倍以上を保つこと』だけど、それがどうかしたの…?」
「確かにそんな内容だったね」
「お前が覚えていないのか」
「私はざっくりとした内容がどの章節にあるかは覚えてるよ。瑞希みたいに一言一句正確には覚えてないから」
「あの……もう座っても良い?」
瑞希は千秋たちと来た頃から、二人をできるだけ邪魔しないように椅子の端に座っていたせいで現在脚をつっている。
なので、できるだけ早く座りたいのだけれども、千春からはもう一問だけ問われる。
「じゃああと一つだけ。第2章2節はなんだっけ?」
「『生徒会役員は選挙活動中、生徒会立候補者による必要事項の確認を要請された場合、それに従わなければならない』だよ」
「そう。だけど今回は特例として――」
「私は特例と聞いていないぞ」
「私が勝手に判断したから当たり前じゃん」
「お前……」
呆れた反応をする糸魚川先生を見て、千春は少しだけ機嫌が良かった。
本当は提案したのは千秋で、本来責められるはずの千秋が自分の嘘によって掻き消すことができるなら、その罪を自分が背負っても気にはしない。
「まあまあ。話は最後まで聞いてこそ全容が分かるんだから。最後まで聞いてよ」
糸魚川先生は何も言わずに千春をジト目で見ていた。
言いたいなら早く喋ってほしいとでも思っているのだろう。
隣で瑞希が力なく椅子に座ったのを横目で見届けた千春は糸魚川先生の要望に応えて口を開く。
「投票用紙は前日までに両候補者から確認を終えていた。まあ、ブラック寄りのグレーな方法だね。それで、当日の朝に投票箱の中身を今回使った投票箱に移し替えて、投票用紙が入っていない投票箱をここに残しておいたの。学園生徒会選挙規則を半端に知って、予備があると勘違いした生徒をおびき寄せるために」
千秋が想定した結果とは少し異なり、おびき寄せられたのが南谷ではなく前梁だったのが、時間のない中考え出した作戦だったことを物語っている。
「実際に前梁って子が投票箱ごと盗もうと脚を運んできたところを私たちが待ち伏せていたんだけど」
「なぜお前らが待ち伏せていた?」
「だって、千秋たちは授業があったからね。前梁は授業が始まったすぐの人のいないタイミングを狙って来たんだよ。実際、前梁の今日の1限が遅刻になってるはずだから、確認すれば分かるでしょ?」
糸魚川先生は千春の説明に感心したのか眉をピクリと上げた。隣に座る瑞希は今一度千秋がどれほど考えていたのかを知ることになるだろう。
流石は私の弟だね。なんて本人がいるときには絶対に言えないけど、心ではそう思っている。
「で、私たちが対峙したときに、私が前梁のことを挑発したら、これまで上手くいかなかった反動が来たのか、投票箱を投げてきたんだよね。私は護身術を身につけてるから、瑞希の方に飛んでいかなくてよかったよ」
「千春ったら、投げられた投票箱を殴って叩き落としたんですよ。すごい音でしたし」
「それでこの有り様か」
ボコボコになった投票箱は生徒会室の端にポツンと一つ哀しく置き去られていた。
「正当防衛だよね」
「どこかだ。護身術を身につけているなら、飛んできた投票箱くらいキャッチできただろう。投票箱は学園の備品だぞ。そう容易く破壊されても困る」
「いいじゃん。今回から新しいのを使うようになったんだし」
「……はぁ。そういうわけじゃないんだが」
今日何度目か分からないため息をついた糸魚川先生に千春は許しを乞うてみる。
すると、糸魚川先生は短く笑って椅子に背を預けた。
「……今回はお前らの活躍を出しにして見逃してやる。怒りに身を任せた前梁が原因なのが大きいのもあるから、責任は彼女に負ってもらう。今回は事が大きくなりすぎたから、責任を全てなかったことにするのは無理だ。お前らも進学先がこんな巻き込まれで取り消されるのは可哀想だからな」
前梁を犠牲にすることにより、千春たちはそれ以上責任を問われることなくこの問題から解放された。
「とりあえず投票箱の成り行きは分かった。私の方で経緯は書いておくから、お前らは気にしなくていい」
「それはありがたいけど、この投票箱を捨てるまでは付き合わせてよ。こんな姿にしたのは私だしさ」
「好きにしろ」
素っ気ない態度を取る糸魚川先生に千春は小さく感謝を口にした。




