第34話 決断と責任+2
朝の支度を終えて、千秋は他の生徒よりも一時間早く学校へ向かっていた。今日は雪乃とたまたま会ったという呈で一緒に登校していた。
「緊張してる?」
「ものすごく。触って確かめてみる?」
「…てい」
「んにゃっ」
千秋はとてもやさしめに、本当に当てるだけの強さで雪乃へチョップをすると、雪乃は構ってもらえて嬉しそうな声を出した。
「外ではそういうの禁止」
「家でならいいんだ」
「それはもちろん」
「……えっち」
「先に仕掛けてきたのは雪乃からということは忘れないでほしいんだが?」
朝っぱらからどんな会話を繰り広げているんだ、と千秋は振り返って反省する。
誰もいないからこそ気兼ねなく話しているが、もし物陰に隠れて盗み聞きでもされていたら大変なことになる。
改めて周囲を見渡すが、誰も追ってきている気配はない。
それは当たり前と言えばそうなのだが。生徒に限っては登校時間の一時間も早い時刻で、バレて困る相手でこの時間に出歩く生徒はせいぜい生徒会役員と立候補者くらいしかいない。
悠長に歩きながら学校へ向かっていると、校門前に誰かが立っているのが分かる。
雪乃もそれを捉えたようで、背筋を伸ばしていた。
「七くん。あれって」
「特徴的過ぎてすぐに分かるな」
ここから先は気を抜けない時間だ。
一段と気を引き締めて歩みを進め、その人物へ近づく。
二人の存在に気がついたその人物は腕を組んで仁王立ちするポーズを変えずに二人の方へ顔を向けた。
「およ? 千秋くんに雪乃ちゃんだ。二人一緒なんて珍しい」
率直な感想を述べたのは、第25回生徒会の生徒会書記を務めることになっている一ノ瀬心海。
水色の髪は先端に向かうにつれて金色に変わるという特徴を持っているため、人間違いはしたことがない。
「おはようございます、一ノ瀬さん。八前さんとは先ほどお会いしたんです」
一ノ瀬は雪乃の説明を真剣に聞き終えると、想像していたこととは違ったらしく、興味無さげな反応を口にした。
「千秋くんがまた他の女の子に手を出してるのかと思った」
「『また』ってなんだよ。俺が一回でもそんなことしたか?」
一ノ瀬は少し考えた後、事実無根なことを言ったという自覚が生まれたらしく、渋々認めてくれた。
一つの疑問が消化されたので、千秋も気になっていたことを聞いてみることにした。
「それで、一ノ瀬はなんで校門前に?」
「……あ、そうだった!」
一ノ瀬は何かを忘れていたらしく、千秋に向かって手を合わせた。
千秋と雪乃が困惑していると、一ノ瀬は首を傾げて言う。
「鍵が閉まってて中に入れないんだよね」
一ノ瀬が言いたいのは、この校門が鍵がかかっていて入れないということだ。
防犯上施錠してあるのは当たり前なのだが。
一ノ瀬は来たら開くと思っていたらしいが、そんな最新鋭の装置はないので開かない。
「昨日糸魚川先生が言ってただろ。今日だけ裏門が開いてるから、そこから入るんだよ。どうせ行くところは一緒なんだから一ノ瀬も来い」
二人きりで登校できると喜んでいた雪乃には申し訳ないが、一ノ瀬を仲間に加えて残り少しの道のりを歩んだ。
「いやぁ。千秋くんが来てくれて助かったよ」
「一ノ瀬がちゃんと話を聞いてないからだろ」
「まあまあ。こうやって誰かが助けてくれるからオッケーってことで」
「全然オッケーじゃないけどな?」
一ノ瀬はどれだけ言っても変わらないパターンなので、これ以上の責めの言葉は言わないでおく。
というか、これ以上関わる姿を見せると雪乃の不満ゲージがマックスになってしまう。
学園の敷地の外を周り、裏門にたどり着くと、一ノ瀬は関心した声を出した。
「へぇ。学園にこんなところがあったなんて」
千秋は一ノ瀬の発言を独り言にして、今日だけ開いている裏門を押し開けて雪乃と一ノ瀬を学園内へ入れる。
正面玄関ではないため正門ほど綺麗に管理されてはいないが、いざというときの避難通路でもあるため道としての整備はされている。
除草剤などは撒いていないようで、道の端は雑草が生えていた。
「整備が行き届いてないのでしょうか?」
「ほとんどの生徒はここを使うことなく卒業するから、最低限の整備しかしてないんだろうな。雪乃が生徒会長になったら、気になるところに予算を割くのも良いと思うぞ」
「そういう足りないところを探すのも生徒会長としての役割になるの?」
「それは生徒会役員全員の役割かな。生徒会長は忙しいときが多いからさ」
桐谷ほどではないが、あれの半分くらいは忙しいときがある。本来5人の生徒会役員が3人にまで減っている状態だったから起きたのであって、普通あの忙しさにはならないから安心してほしい。
そう考えると、桐谷はかなり凄いことをしていたのではないだろうか。彼女の直近のテストでは学園内の順位を3位にキープしていた。あの忙しい中でどうやって勉強時間を確保していたのか知りたいくらいには凄いことをしていた。
ともかく、話を戻すと、3人は票開票を行う予定である部屋へと向かっていた。
その部屋というのが、学園長室。
票開票は学園長の前で行われるのだ。
「学園長室なんて、あたし入ったことないや」
「俺は一回あるな」
「私もです」
「え!? なんで入ってるの!?」
「いろいろあってな」
「他言無用の事情でしたので」
補足の必要はないかもしれないが、千秋と雪乃は同じタイミングで学園長室に入っている。日向と千春と一緒に。
理由は担任の家庭訪問で困ったから。一同に三名の先生が同じ家に来るのは周りから不審に思われるため、当時生徒会副会長だった千春がかなり強気で交渉するため、千秋と雪乃、日向は千春に連れて来ていた。
だから二人は一回ずつ訪れたことがある。
「まあ、他人に気軽に話せることじゃない理由だったんだよ」
そんなことを振り返っていると、職員玄関へたどり着いた。
「今の時間下駄箱のある校舎は開いてないから、来客用のスリッパを借りていくぞ」
「わかりました」
「はーい」
職員玄関から上がって、3人はスリッパ越しに少し冷えた感覚が伝わってくる廊下を歩いた。
そして、扉の隙間から光が漏れる学園長室の前に立ち、先だって入室時の挨拶を教えておく。
言葉だけでは足りないと思い、千秋は見本を見せるために先に扉の前に立つ。
「俺と同じようにやればいいから。ちゃんと見て、一人でできるようにな」
千秋は後は二人に託して、学園長室の扉をノックする。
「八前千秋、第24回生徒会庶務及び第25回生徒会会計、只今到着しました」
「入るといい」
1拍おいて中から聞こえてきた、衰えを感じさせないハッキリとした声は間違いなく学園長のもの。
「失礼します」
千秋が学園長室に入ると、既に第24回生徒会書記の黒岩賢也と第25回生徒会副会長の識宮真白の二人がいた。先に到着した二人は学園長室のかなりふかふかなソファーに腰かけていて、黒岩は姿勢よく座っており、識宮は小刻みに震えていた。
そして、学園長室の隅で、桐谷をビビらせていた生徒会顧問の糸魚川先生が腕を組んで生徒会役員を見張っていた。
千秋の入室から十数秒、学園長室に再びノックの音が響く。
「九条雪乃、第25回生徒会会長立候補、只今到着しました」
「入るといい」
学園長が言葉を発してから少し遅れて、ゆっくりと扉が開いていく。
「し、失礼します」
雪乃は視線で千秋にちゃんとできていたかを確認してくるので、千秋は小さく頷いておいた。
ここに来て緊張感が増した雪乃は、学園長室の壁に沿って千秋の近くまで移動してきた。千秋のもとに行ったのは本能的なものなので仕方ない。
雪乃が千秋と並んだ直後、また3回ノックが行われた。
「一ノ瀬心海、第25回生徒会書記、只今到着しました!」
「入るといい」
雪乃のように怯えることなく、一ノ瀬はすぐに扉を開けて学園長室に立ち入った。
「失礼します」
堂々としているのはとても良いことではあるが、もう少し緊張感はあっても良いと思う。いつか学園長が友達なくらいの勢いになりそうで少し不安になる千秋だった。
その後、第24回生徒会副会長兼会長代理の桐谷未来と第24回生徒会臨時会長の七瀬瑞希を加えて、全7人が集まった。
しかし、これで全員ではない。
雪乃と生徒会長の座を争った南谷美琴と、彼女の兄でもある、第24回生徒会会計の南谷悠一、さらには第25回生徒会庶務の御嶽和彦の姿がなかった。
「七原学園長。開票予定時刻になりましたが、どうしましょう?」
そう訊ねたのは、この場にいる唯一の3年生、七瀬瑞希だ。これまで2回の生徒会会長の実績を持つ瑞希こそできる余裕のある発言だった。
「ううむ……」
学園長が悩んでいると、いきなり桐谷のスマホが震えた。桐谷は慌ててスマホの震動を止めようとするが、スマホに表示されていた名前に動きを止める。
「あ、あの。南谷さんから電話が……」
「おお、それなら桐谷君、南谷君になぜ来ていないのか聞いてみてもらえるかな」
「は、はい!」
学園長からの指示を受け、桐谷は手の上にスマホを乗せ、学園長室にいる人に聞こえるように、スピーカーモードをオンにして、電話に出た。
「もしもし、美琴ちゃん?」
『桐谷さん、本当に申し訳ないのですけれど、私は開票に立ち会うことができそうにありませんわ』
「どうしてですか?」
『家庭内の事情ですわ』
桐谷はキョロキョロ周りを見渡して、これ以上深く聞くべきかを視線で問うが、これには瑞希が首を横に振ったことで解決する。
「……わかりました。もう皆集まってるから伝えておき――」
桐谷の発言に割り込むように、千秋たち第24回生徒会役員らにとっては懐かしい声がスマホ越しに聞こえてきた。
『皆いるってことは、俺の恋人候補の七瀬もいるってことか!?』
その声の正体は南谷悠一。生徒会発足後すぐに3年生は忙しくなることに気付いて職務を放棄した、第24回生徒会会計を務めるはずだった本人であり、南谷美琴の兄である。
要件を伝える電話に関係のないことを口にした南谷兄に、南谷妹がかなり怒った声色で「このバカ兄…」と唸っていた。
『貴方は黙ってくださいまし! 大体、元はと言えば貴方が生徒会の仕事を突然ほっぽり出して――』
電話の繋がる先では壮大な喧嘩が始まりそうになり、これ以上家庭的な問題を外に出さないようにするため、桐谷はそっと電話を切った。
「……だそうです」
「う、うむ。南谷君は不在ということにしておこう」
学園長の判断には学園長室の中の誰もが反対意見を示すことなく、南谷兄妹は不在として処理された。
残りは御嶽なのだが、思わぬ人からの証言があった。
「御嶽は昨日から風邪で休んでいる。つまりは欠席というわけだ」
糸魚川先生の発言に、隣にいた一ノ瀬が小さな声で「先生喋るんだ…?」と呟いたのを千秋は聞き逃さなかった。
なぜなら、千秋も同じことを考えていたから。
一ノ瀬に言い当てられたと思ったら、ただツッコミが出てしまっていただけだった。
「だから生徒会役員はこれで全員だ。票開票は数を間違えないように注意してやるように。私は見ているが協力はしない。困ったことがあれば七瀬に聞け。いけるな七瀬?」
「はい。任せてください」
瑞希は早速、腰あたりまで高さのあるテーブルに乗っている投票箱のロックを八桁の番号を合わせて解除する。
鍵を開けて、瑞希は動きを止めずに箱の中身が見えるように側面の蓋を開ける。
投票箱の中から一枚だけ投票用紙を手に取り、それを見せるように持った。
「やり方を説明するから、しっかり聞いておくようにね」
やり方を知っている桐谷、黒岩、千秋は既に慣れた手つきで開票を行い、識宮、一ノ瀬は瑞希から教わりながら一つずつ丁寧に開票を進めていく。
不正のないようにするため仕方ないが、雪乃は少し離れたところで開票を見守っていた。
とにかく動けなかったため、学園長の机の近くでじっとしていると、同じく開票を見守っていた学園長が雪乃に喋りかけた。
「緊張しておるね九条君」
「そう、ですね。あまり考えたくはないですけど、私が選ばれなかったら、ここまで力を貸してくれた人たちに向ける顔がないです」
「そう不安がるでない。もし生徒会長になれなくとも、そのときに得た経験を次の機会に活かせるかもしれんからの」
君にはまだ2年間も時間がある、と付け足した学園長に、雪乃は素直に頷くことはできなかった。
この機を逃せば、実質2年生は生徒会役員にはなれない。3年生後期は先生方からの反対を受け、更には志望校への勉強に囚われてしまう。
第24回生徒会会長の座に関しては誰も立候補しないことが問題になり、瑞希が先生方から頼まれて年末まで生徒会長の役職をしたため例外である。しかし、自分から名乗りを上げて決戦投票を行い、相手の1年生を蹴落としたにも関わらず、1週間も経たずにその役職を放棄した南谷兄は完全に問題視された。
現に、南谷妹が理解を得られなかった原因は兄の我儘許せなかったという点が大きい。何を言っても「あの南谷の妹だから」という思い込みがある以上、たとえ相手が1年生だとしても勝つのは厳しくなる。
実質これが最後の生徒会である南谷妹が不憫でならない。
「七瀬会長、俺の方は集計終わりました」
「私も終わったよ」
「俺もです」
黒岩に続いて桐谷と千秋が割り振られた分を終えたことを報告するも、まだ瑞希たちが終わっていない。
「早いね皆。こっちは3人がかりで四分の一をやってるのに。あ、二人とも焦っちゃダメだからね? 正しく集計するのが第一だよ」
桐谷が集計を終えた投票用紙を回収する間、黒岩と千秋は瑞希のサポートに入っていた。
時間があったため、八割方終わっていたのは非常に良く、残りの分も千秋たちが手を出すことなく終わった。




