第32話 決断と責任
千秋が帰るや否や、双子には飛びつかれ、姉からは軽蔑の視線を向けられていた。
「アンタさ。私はともかく、日向ちゃんと雪乃ちゃんのことを第一に考えないのは控えめに言ってサイテーだからね」
「その点に関して……」
「なに? アンタは二人の許嫁かつ婚約者なわけで。それなのに他の女にノコノコついていくのは流石に自重しな?」
「それには返す言葉もないです」
「分かってるなら最初からしない」
「はい……」
千春がここまで怒るのには大きく二つの理由があった。
一つは千春が発言したように、桐谷に誘われて外出したこと。
もう一つは日向と雪乃を置いて出ていったこと。
比べるまでもなく、後者の方が千春の怒る原因であった。
「日向ちゃん。雪乃ちゃん。今日はコイツのこといくらでも好きなようにしていいからね」
「え」
千秋の反応を待つこともなく、双子姉妹は千秋の腕に組み付いて、声を揃えて言った。
「「じゃあまずは背中を流さないとね」」
息ピッタリな二人に千春は愉しそうに頷くばかりで止めようとはしない。
「いやいやいや! 俺ら、もう1ヶ月経ったら高2だぞ!?」
「でも、わたしは一緒に入りたいよ?」
「……私も同じく」
若干恥ずかしがってはいるが、今日は譲らないという強い覚悟が感じられる。
千春が裏で助言をして背中を押しているのは言うまでもなく、3対1の1の立場ではどうしようもない。
「今さらそれ気にするの? 日向ちゃんとは昨日も一緒に入ってるくせに」
「それはそうだけど! 俺の心身が持たないんだよ」
千秋だって、本心では日向や雪乃と一日中触れ合いたい。ただ、そんなことを繰り返していれば、どこかで綻びが生まれて同居していることが知られてしまうかもしれない。
そうならないようにできるだけ自制しているのに、大好きな相手からずっと求められたら我慢できるわけがない。
「そう言わずに。今日くらいは二人がしたいと思ったことはなんでも受け入れる覚悟でいなさいよ。元はと言えば、アンタが二人が寝ている内に外出したことが起因してるんだから」
千春が言うことに違いはない。千秋としても日向と雪乃から求められれば答えたいという気持ちはある。
それでも即断できないのは、やはり不安があるからだ。
「……ダメ?」
日向に上目遣いで言われてしまえば頷くしかない。
「……わかった。でも、加減はしてくれよ?」
それぞれの腕を拘束している二人にそう注意を促すと、二人は声を揃えて了承した。
日向と雪乃が千秋の手を引いて、真っ先に向かったのは宣言どおりお風呂場。
「わたし、追加のバスタオル持ってくるね」
「私は七くんと一緒に先に入ってるよ」
役割分担を素早く終え、日向はバスタオルを取りにお風呂場から出ていく。
先に入っておくと言った雪乃は、千秋がいることを気にせず、着ていた服を脱いでいく。
日焼け跡のない白く華奢な体を純白の下着が一部分だけを隠し、その小さすぎる胸元の丘を強調していた。
完全に視線を奪われていると、小さな丘を隠す下着を遮る手が現れて、雪乃の胸に夢中になっていたことに気がつく。
「七くんのえっち」
「仕方ないだろ。好きな人が見せつけてきたら」
「見せつけてないしっ!」
雪乃は顔を真っ赤にして、置いてあったバスタオルで顔を隠してしまった。
千秋はその隙に脱衣して、小さめのバスタオルを持って洗い場へと移動した。
二人が乱入してくる前に頭か体を洗ってしまおうかと思ったが、実行するより先に洗い場へ侵入者が来た。
「七くん。今日は私が背中流してあげる」
「はいはい。分かって、る?」
千秋が雪乃を見て一瞬戸惑ったのは、バスタオルの色が肌の色に似ていて、隠しもせずに入ってきたのかと思ったからだ。
「見すぎだってば」
ジト目で呟く雪乃から目をそらすと、視界の端で雪乃が頬を膨らませているのが見えた。
見惚れていたのは間違いないが、不快にさせたのなら一言謝ろうと思い立った千秋。
体を向けて瞬きを終えたときには、先に動いた雪乃に正面から抱きつかれていた。
「……怒ってるのか?」
「全然。寧ろ嬉しいくらい」
「なぜいきなりハグを?」
「せっかく選挙期間が終わったんだから、これまで溜めた分を消費しておかないと。ここ一週間ずっと我慢してたんだもん」
昨日一緒に寝たことに関してはツッコミをいれないことにした。
雪乃がこうやって甘えてくるのは、日向が見ていないときばかりだから。
「ありがとう。守ってくれて」
「俺は何も。動いたのは楠と長森だったし、その後の対応も千春姉たちが――」
「ううん。みんなはそうかもしれないけど、七くんは私の心を守ってくれてるんだよ」
精神安定剤としての役割はかなり重要である。体の無理はある程度は許容範囲だが、心というのはそうはいかない。
負荷をかけるとすぐに壊れてしまう。
それを知っている人ならば、どれほどその存在が大切なのか理解している。そう、千秋も雪乃も。
タオル越しとはいえ、触るのを躊躇っていた千秋だが、ようやく決心をつけて雪乃を腕の中に捕まえる。
「もっと、求めてもいいんだよ?」
理性を破壊に追い込むような言葉にうっかり乗ってしまいそうになったが、千秋は問答無用で雪乃の体を離した。
「むぅ。相変わらずガードが固い」
「そういうのは成人してから。今はまだダメ」
「七くんもちゃんと考えてくれてるんだ。将来のこと」
雪乃の妥協のラインには到達できていたようで、雪乃はバスタオルを手で支えながら浴槽に蓋をするシャッター式の風呂蓋を巻いて、空いているスペースに立て掛けた。
千秋がその間に風呂椅子を用意して、プラスチック製の桶を手にした。
千秋が桶でお湯を汲もうとしたところ、雪乃から静止の声がかかり、手を止めた。
「どうした?」
「今日は私がやるから、桶は貰うよ」
そう言って、雪乃は千秋が持っていた桶を譲り受けてお湯を汲む。
桶の底まで透き通ったお湯。
それを風呂椅子に向かって傾け、椅子を温めようとする。
お湯のほとんどが椅子に弾かれて床に跳ね、温度差により湯煙が立つ。それを数回繰り返し、雪乃は手を止めた。
「はい、座っていいよ」
湯煙が籠る中、雪乃が椅子に座るように促すので、千秋は仕方なく椅子に腰かけた。
曇ったガラスの一部に雪乃の顔が見えて、千秋は見張ることができるので、ちょっとだけ安心していた。
「なんでそんなワクワクした表情をしてるんだ」
「だって、七くんが久しぶりに甘々にさせてくれるんだもん」
雪乃は冷えた手を再び汲んだお湯で温めると、千秋の肩に触れる。
温かいお湯に触れたとはいえ、雪乃の指先は冷えていた。
「始めるよ?」
「任せた」
千秋の言葉を聞き取った雪乃は、慣れた手つきで千秋の髪を濡らし、シャンプーを使って頭の上に泡を作っていく。
「かゆいところはありませんか~?」
雪乃の問いに千秋は小さく頷く。
その直後、ポトッと大きめの泡が落ちて、雪乃の笑い声が聞こえた。
「動いちゃダメだよ」
「はいはい」
雑な返事でも雪乃から文句を言われることはない。多分、好きなように千秋に触れられるからだ。
しばらく好きにさせていたら、背後で雪乃がくしゃみをした。
「風邪引く前に終わらせるんだぞ?」
「はーい」
ちょっと残念そうな声色で雪乃は返事をして、桶に汲んであったお湯で手に残った泡を落とす。
手を洗ったことで白くなったお湯は流して、浴槽から新しくお湯を汲む。
「今から流すから、動かないでね」
小さめのバスタオルを退避させておいて、雪乃が流してくれるのを待っていると、「かけるよー」という合図の後にお湯をかけられた。優しく髪を撫でられながら数回お湯をかぶり、泡をしっかり落としてもらった。
洗い終わったはずだが、雪乃は何も話さず千秋の髪を撫でていた。
「……あの」
「どうしたの?」
「このままだとそろそろ風邪引くぞ」
「それは良くないね」
雪乃はお湯を汲んで千秋の体にかけて、終了を合図した。
雪乃はバスタオルを脱いでから、自身にもお湯をかけた。
千秋が分かってますと言わんばかりに即座に雪乃にも雪乃を映すガラスからも視線を外す。
「今度は七くんが洗う番だよ」
「分かってるよ」
椅子から立ち上がり、雪乃に背を向けたまま場所を入れ替わり、雪乃から桶を貰う。
白銀色のショートヘアには空気中の水分が付着していて、お風呂場を明るく照らす光を反射していた。
雪乃の髪は繊細なので、千秋が使うようなシャンプーを使うとすぐに傷んでしまう。そのため、普通の弱酸性のシャンプーよりも弱い酸性のものを使っている。
手にワンプッシュ分のシャンプーの液を取り、泡立ててから雪乃の髪に馴染ませていく。
雪乃はその間にボディーソープを使って体を洗っていて、ふと雪乃のことが気になってガラスへ視線を向けると、同じくガラス越しに千秋を見ていた雪乃と目が合う。
恥ずかしさよりも嬉しさが勝る雪乃はガラス越しに微笑みを向け、千秋にその気持ちを伝える。
自分にしか見せないその表情に、千秋は思わず目をそらして雪乃の髪を洗うのに集中した。
役割を入れ換えてから数分、千秋が雪乃の髪を洗い終わる頃に、バスタオルで前だけ隠した日向が洗い場に現れた。
「あっ、まだ終わってなかった?」
「もう終わるから、ちょっと待っててくれ」
「はーい」
日向が遅らせてきたのには理由がある。
それは、日向の長すぎる髪が一人で洗うには時間がかかってしまうからだ。
いつもは雪乃が手伝っているのだが、二人がかりでも結構大変なのだ。
たまに千春が力を貸してくれるが、やはりそれでも時間がかかる。
「じゃ、流すから目と口は閉じておけよ」
注意を促してからお湯をかけること十数回。髪の流れに逆らわないように丁寧に触れて、雪乃の髪に泡が残らないようにしっかりと洗った。
「次は日向の番だな」
「はい、日向。ここ座って」
雪乃はバスタオルを置いたまま、椅子から立ち、日向が座る椅子の前に位置する。ちょこんと椅子に腰かけた日向はその行動に一切の疑問を持たずにそこにいる。
スーパーロングの亜麻色髪は洗い場の床にふれるくらい長く、これを全てサラサラで艶のある状態に保っているのは凄いことである。
これをする理由が好きな人に見てもらえるようにするため、という一途な気持ちだけでやっているのだから、その好きな人というのはもっと気持ちに答えた方がいい。という気持ちを込めた視線を千秋へと向ける雪乃だが、当の本人はメロメロではあるものの、まだ気持ちに答えてはいない。
「七くんも手伝ってね」
「ああ。もちろん」
久しく日向の髪を洗うことはなかった。昨日を除けば十日くらい前に……。
(……今更思ったけど、結構な頻度で一緒にお風呂に入っているのでは?)
本当に今更なことに気づく千秋だったが、やらなければ終わらないため、今日も日向の髪を洗う。お湯は予め汲んでおいて、雪乃が使っていたのと同じシャンプーをワンプッシュして原液を手に乗せる。
泡立ちやすいシャンプーであるため、手の上で捏ねるだけでかなり泡立つ。
その泡を日向の髪に乗せていく。数回で泡がなくなるので、もうワンプッシュして原液を追加してまた泡立てては乗せる。
その工程を全員でやって、計6プッシュで全体的に泡を乗せることができる。
そこから、泡を髪で隠れている下の髪にも泡を分けていく。
だが、それには髪を持ち上げるか、かき分ける必要があり、持ち上げると片手が使えなくなってしまい、かき分けるとちゃんと洗えているのかが見えなくなってしまう。
ただ、日向は綺麗に洗ってほしいという気持ちが強いので、自ら髪を持ち上げて洗ってもらうのを待っている。
「雪乃、前側は任せた」
「はーい。じゃあ、七くんは後ろ側頼むね」
「言われなくとも」
二人で分担した方が早い。それに、日向の正面に立つと、日向の構ってモードが発動してしまうので、不用意にやると手がつけられなくなる。
昨日はそれでキスを受けながら髪を洗わなければならなくなり大変だった。
そういう理由があって、雪乃を日向の正面に配置したのに、日向がわざと髪をかきあげたりうなじを見せつけてきたりして誘惑してくる。
それに、日向を挟んで向かい側には体を隠しもしない雪乃が立って日向の髪を触っているので、なるべく上を向かないようにした。
日向の髪を洗うことに集中するも、日向の動き一つ一つにドキッとしてしまい、その度に集中力が削がれているのが分かってしまう。
完全に集中力が削られて、日向と雪乃が雑談しているのに気を取られていると、日向が突然何かを思い出したらしく、雪乃に手を止めてもらうために合図をした。
「ねえねえ七くん」
「なんだ?」
「さっきコートを片付けたんだけどね。何か思い当たる節はある?」
多分、日向が言いたいことは桐谷から貰ったチョコだろう。
ここは知らんぷりをするより素直に認める方がいい。なぜなら、相手は既にお怒りだから。
「チョコのことだろ?」
「え? 違うよ?」
「……え?」
チョコではないとすると、日向は一体何に怒っているのだろう。今更考えても手遅れだが。
「わたしとしてはチョコは全然問題ないよ。だって、それは七くんが良いと思われてる証拠だもん」
「じゃあ、なんで日向は怒ってるんだ?」
その答えはとても簡単なものだった。
「七くんの匂いが薄れてたから」
日向は千秋限定の匂いフェチであるため、好きな匂いがあまりしなかったことに怒っていた。
「というわけで、ダイレクトで堪能したいんだけど……」
「髪を洗ってからな。だから、今はダメ」
「はーい。お姉ちゃん、早く終わらせられる?」
「もちろん」
雪乃は日向の願いを叶えるために、千秋が担当していた後ろ側も手伝ってくれた。
日向の髪にシャンプーがしっかり染み込んでから日向の髪についた泡を残さず洗い流した。
綺麗になった髪を、頭を横に振って揺らして落ち着く位置に戻す。しかし、今度は千秋によって、体を洗うためにバスタオルで濡れた髪を包まれ頭の上で固定された。
「次は体洗うんだぞ」
「えー。髪の毛が洗い終わったら良いんじゃないの~?」
「ああ。だから……」
雪乃に浴槽に浸かるように合図して、雪乃がいたスペースに千秋は移動する。
無論、向き合うことはせず、背中を見せるようにだが。
「これで文句ないだろ」
「こっち向いてくれたら100点だったけど」
「それは俺の理性がもたないからダメ」
「……そういうことなら許してあげる。でも、いつかその箍を外した七くんも見せてね?」
今日のところはここで引き下がってくれた日向に安心感を抱きながら、ボディーソープの準備を始めた。




