第31話 恋人ごっこの次は
千秋は桐谷のお願いを理解するのに数秒を要した。
恋の練習相手とは、一体どこまでを指すのか。その範囲によっては断る必要もある。
「ええと、つまりは…?」
「そ、その……今日みたいに二人で外に行ったり、二人でご飯食べたりしてほしい、って意味で! それ以上の事は――」
「それなら良いですよ。あ、でも、こっちの都合は優先させてもらいますけど」
「あ、う、うん。それは前提だから大丈夫。私からお願いしてるんだし、そのくらいは承知の上だよ」
桐谷の前向きすぎる意志が千秋にとって桐谷が将来彼氏と上手くいくのかを心配する理由になっていた。特に、早とちりしそうな点が。
「だから……ちゃんと教えてね、八前庶務?」
これは思った以上に大仕事を頼まれたかもしれないと今さら気づいた千秋にトドメを刺す桐谷だった。
今になって「やっぱりやめます」と言えるわけがない。それに、桐谷の恋愛の練習相手になることはかなりのメリットがある。
日向や雪乃との関係性を悟られにくくなることだ。千秋が桐谷と付き合っているという注目を集められれば、次第にこれまで近くにいた日向や雪乃との関係はただの友達程度のものにしか見られなくなるだろう。
それに、この学園では恋に関する噂が流れるのが早い。多少の誇張表現は仕方ないが、大きな宣伝として利用できる。
この点を踏まえた上で、千秋は短く肯定の意を示した。
桐谷は満面の笑みで感謝すると、千秋の手を引いて立ち上がらせた。
「もう暗くなっちゃったし、帰ろっか」
「家まで送りますよ」
「ボディーガードなんて初めてしてもらうかも」
嬉しそうに微笑み、桐谷は後ろ手を組んで千秋を待った。
千秋がボディーガードになって桐谷の家へと向かう道中、桐谷は解答を間違えた問題に再び向き合っていた。
「そうなると、九条さんの妹さん?」
「そうですね」
ようやく正解した桐谷だが、実は正解の前に追加でもう一回間違えていた。
なんというか、数撃ちゃ当たるという諺を体現していた。
「お似合いだね」
「なんですか急に」
「いや? 彼女持ちの八前庶務が私と一緒に居ても怒らないのかなって思っちゃって」
日向を優先するべきでは? と目で伝えてくる桐谷に対して、千秋は苦笑する。
「怒りますよ。でも、それは日向が俺のことをちゃんと見てくれてるって証拠ですから」
何気なく恥ずかしいことを言ったことを自覚して、千秋はすぐに訂正しようと桐谷へ向き直る。
「今のは――」
「ふふっ。そこまで想ってくれる彼氏さんがいるの、羨ましいなぁ」
星空の広がる夜空を見上げて、桐谷は淡い期待を口にした。
「もっと、私も上手くできたら良かったのに」
桐谷から漏れたその言葉は既に恋人という枠を外れ、自分の行動を見直しているようだった。
「……あ。私らしくないよね。こういうの」
千秋の驚いた顔を見たからなのだろう。
彼女が一瞬だけ驚いた顔をしたのは、きっと、見慣れない表情を見たから。
「正直に言えば、そうですね。俺が知っている会長はいつも前向きに物事を捉える人でしたから」
再選挙が終わってから、桐谷の様子は少し変わった気がしていた。
何かしらの心境変化があったのだろうという認識で深くは訊くつもりはなかったが、相手からその話題を出してきたということは、その判断を覆すときがきたことを意味している。
「なにか、あったんですか」
桐谷は小さく頷いた。
「私ね、私は生徒会長を降りたとき、私はどんな評価を受けて、次の生徒会長は誰と比べられるんだろうなって不安だった」
いわば恐怖でもあった。自分の努力は前任や後任に勝ることなく、『最悪の生徒会』と評される生徒会にしてしまった張本人として視線を集めることになる。
「だけど、そう思う度に『私は生徒会長じゃない』って言い聞かせてきた。そうやって副会長としての果たすべきことを今日までずっとしてきたの」
桐谷は実際は生徒会長ではない。立候補者なしによって臨時で瑞希が生徒会長になった後、受験を理由に学園側の判断によって桐谷が繰り上げで生徒会長になっていただけ。実に2ヶ月前から、事実上の生徒会長として、この学園を支えていた。
「それでも、今日の選挙でよく分かっちゃって。七瀬会長も八前元副会長も、私の手の届かないところで行動してたことが」
あの行動の速さは千秋が頼んだものではない。あれは千春が全て考えて、仲間を頼った結果だった。
「それに、九条さんは凄いね。1年生であそこまで調べて、みんなが楽しめるような企画を考えられるのも」
雪乃の公約、学園のイベントを見直し、大多数が楽しみにしているイベントを長く時間をつくり、それ以外を削ったり取り消したりする。
確かに、あれを1年生で考えるのは不可能ではあった。もっと学園のことを知る先輩が教えてくれなければ。
「それで思っちゃったの。前は七瀬会長で、次は九条さん。優秀な二人と比較される私は、どこまで行っても仮の生徒会長。いわば繋ぎの人物なの」
時間が経てばいずれ変わっていくのが生徒会役員だ。この学園では半年に一度生徒会役員が更新されるため、生徒会長に桐谷がならなくても、いつかは後任が就く。
そうであることによって、桐谷が行ってきたその立場はただの繋ぎでしかないと理解してしまった。それは、彼女が学園の思惑通りに動かされていた責任感の強い一人の生徒だったということになる。
だが、その認識は間違っていない。第一、生徒会は優先して駒になる集団を決めるようなものである。先生からの要求を実行するだけの機関であり、それを一般生徒にもさせて、苦情を正面から受けるのが仕事なのだ。
そんな傷つきに行くような仕事を引き受けさせられて弱ったのが桐谷で、彼女を完全に癒せなくとも、彼女の辛さに気づいた人の誰もが労うことくらいはするべきだと千秋は思っている。
「……先輩は頑張ってます。俺と黒岩書記を含めて三人しかいない生徒会を運用できたのは二人に負けないくらい会長が頑張ってきた証拠です。近くで見てきた俺が保証します」
「ふふっ。八前庶務は優しいね」
桐谷の言葉はそっくりそのままお返しだ。これだけの仕事をやりきった彼女の方がどれほど優しいことか。
それでも、今の彼女に甘い言葉は今は必要ないようで、桐谷に可愛く怒られた。
「でもね、ありがとう。八前庶務のおかげでちょっと安心した」
桐谷が足を止め、千秋は彼女がまだ何か引きずっているのかと思ったが、その場所を見ればすぐに分かった。
千秋は桐谷の家であるマンションを通りすぎていた。
「全く。私が止まらなかったら、一体どこに連れていかれちゃうことか」
「話込んでしまっただけです。会長の想像することはあり得ませんから」
「別に何も想像なんてしてないよ!?」
顔を赤くして反論する桐谷に千秋は笑う。
彼女は案外早く彼氏ができるかもしれない。
ただ、それは彼女が裏を見せるかどうかにかかっているけれど。
「ともかく。八前庶務は話に集中しすぎちゃうところは注意だよ。聞く内容でも取捨選択をしないと、本当に大切なときに見過ごしちゃうかもよ?」
エントランスの前まで戻った桐谷は「また明日」と言って顔の横で手を振った。
千秋は会釈をして踵を返す。手を振り返しても良かったのだろうが、それだけの勇気が千秋にはなかった。
「あっ、ま、待って八前庶務!」
千秋は桐谷を送り届けて仕事を果たし、自分も帰ろうとしたところで、エントランスから戻ってきた桐谷に呼び止められた。
「い、言い忘れてたことがあって」
「そんなに大切なことだったんですか?」
「たいへん大切なことでしたので」
たいへん大切なことなら聞く必要がある。
桐谷の必死さが見受けられないあたり生徒会関係の話ではないことは分かる。となると、プライベートな話なのだろう。
「今日渡したチョコはハート型だけど、それは気にしちゃダメだからね!」
桐谷はそう言い残して、今度こそエントランスへ入っていった。
日向に見せたら頬を膨らませること間違いないだろうが、こればかりは仕方がない。渡した後に「本気です」と言っていた気がするが、きっと覚え違いだ。
そういえば、チョコはしまう場所がなくコートのポケットに入れていた。溶けていないといいのだが。
丁寧に紙の小包を手にとってみて溶けていないことを確認する。
上からさわるとチョコの形はある程度分かるが、どうやってもハート型の形状とは思えないほど尖っている部分が多い。
家に帰りながら形状を確かめていると、だんだん形が分かってきた。
これはハート型ではなく、星形だと。小さい星形が、6個入れられている。
ならば、ハート型のチョコはどこに…?
考えられるのは二つ。家に置き忘れたか、渡す人を間違えたか。
どちらにせよ、最後まで気が抜けないところがいかにも桐谷らしいと感じる千秋なのであった。
桐谷は部屋に戻ってくるなり、ベッドにダイブした。
いつものように明日の事を考えるのではなく、頭の中には後輩の顔しか浮かんでいなかった。
連絡アプリの数日前の発信履歴を眺めていると、突然スマホが震えた。
「わっ…!? って、黒岩書記…?」
大体のことをメッセージだけで済ませる黒岩から電話がかかってくるのは珍しく、これまでも片手に収まるくらいにしか電話をしたことがなかった相手だ。
恐る恐る通話ボタンを押して電話に出ると、機械に通して電子化された声が聞こえてくる。
「もしもし。いきなりどうしたの?」
『結果について聞きたくてな』
「あ……うん。そうだよね」
桐谷の悩みを薄々察していた黒岩は、放課後に桐谷と少しだけ話をしていた。
今回の外出で、桐谷に本当に千秋のことを思っているのかを確認させるために。
黒岩はバイトを理由に抜け出したが、実際のところ黒岩の本日のシフトはどこにも入っていない。
二人きりにさせることによって、二人で関係性を見つめ合わせるきっかけを作り、後は桐谷が自分の気持ちに気がつくだけ。
その企みは実に功を奏した。
「黒岩書記の言う通りだったよ。それに、八前庶務には私が本気で想っても、絶対に勝てない人がもういるから。私はそこに入るべきじゃない」
『……そうか』
電話越しに伝わる声だけでは相手の心情や感情は読みきれない。
『でも、何かしらの成果は得たと』
「うん。八前庶務には、これからも仮想恋人として相手になってもらうことになったよ」
『は…? 八前には既に相手がいるんじゃないのか?』
「でも、結構すぐに決断してたような…?」
千秋がそうした理由は単純でありすぎるが故に、今の考察が捗る桐谷の頭脳では関係ないことまで考慮してしまい、答えに至ることはできなかった。
回りすぎる頭で断定することができなかったため、不透明のまますぐに考察を終了した桐谷はこの話題に一区切りつけて、ついでにチョコの感想を聞いてみることにした。
「まあいいや。それはまた今度会ったときに訊いてみる。それでさ、黒岩書記はチョコ食べた?」
『ああ。美味しかった』
「やった。黒岩書記が言うならバッチリだね」
褒められて嬉しくなった桐谷は、あと一言二言だけ交わして電話を切るつもりだったのだが、黒岩の言いづらそうな声が次に返ってきた。
『桐谷には一つだけ注意してほしいことがあるんだが』
「え、何かダメなことがあった!?」
『ダメではないんだが、誰にでもハート型のチョコを渡すのは危険だぞ。義理だとしても気をつけておいた方が良い』
「そうだね。気をつけるよ」
『もらったのが俺だから良かったが、八前の彼女が見たら怒ると思うぞ』
ふと、桐谷は何故黒岩がこんな話を始めたのかを考えていた。
(そういえば、どっちをどの袋に入れたんだっけ…?)
十分な時間がなく、急いで支度をして家を出たので、細かいところまでは気にしていなかった。睡眠不足もあり、集中力もかなり下がっていた。
そのため、少し前のこともしっかり覚えられていない。
『桐谷? 桐谷ー?』
通話を繋げたまま自分の行動を振り返る桐谷。
千秋と黒岩、どちらにどのチョコを渡したのか分からない。焦ってももう取り返しはつかない。
しばらく通話をしなかったので、黒岩は電話を切った。連絡アプリの通知でメッセージが一部だけ表示されるも、今の桐谷には何も届かない。
立て続けに着信したスマホはベッドで震動が吸収され、これも桐谷の気を引き付けることはできなかった。
その日を境に、桐谷は睡眠の重要さを理解し、1日6時間以上は寝るようになった。




