第30話 恋人ごっこは終わり
店を出た二人は街灯と商業施設の光を浴びながら、大通りを歩いていた。
寄り道せずに桐谷を家へ送り届けるはずだったが、桐谷からの要望で千秋は予定を少し変えていた。
「どこにいくのかくらい教えてくれませんか?」
「それは無理。着いてからのお楽しみだよ」
「あまり遠くまで行かないようにしてくださいよ。俺も帰るのに時間がかかりますから」
「大丈夫。もうすぐ着くから」
それから一つ通りを横断すると、かなり遊具の充実した公園があった。
桐谷は迷わずその公園に入っていくので、千秋もそれについていく。
公園はかなり広く、幼児から子ども向けの遊具が中心的に配置され、子どもにとっては退屈しない場所だろう。
「久しく来なかったなぁ」
桐谷は学園生向けのマンションに住んでいる。マンションの部屋を借りているのだから、このあたりに住んでいたとは思わなかった。
隣を歩く千秋は、彼女がどこか懐かしんでいるように感じた。
「会長は昔に来たことがあるんですか?」
「ああ、いや。ここには来たことはないよ。ただ、公園って久しぶりに来たなって思って」
ベンチを見つけて千秋に座ることを提案する桐谷。断る理由は少なからずあったが、どこか落ち着き過ぎている桐谷を放っておくことができなかった。
先に桐谷がベンチの真ん中に座り、千秋は桐谷の隣に腰かけると、彼女は一人分のスペースを空けた。
違和感のある桐谷を気にして、声をかけようとしたときだった。
「ダメだよ八前庶務」
先に遮った桐谷は静かに笑みを浮かべていた。
千秋は上体を真っ直ぐに戻して、桐谷から目をそらした。
「私じゃ、敵わないよ。八前庶務の彼女さんには」
「……会長は知っていたんですか。俺の彼女が誰なのか」
千秋の問いに、桐谷はゆっくり頭を横に振る。
「ううん。知らなかった。知ろうともしなかった。だけど、今日1日でよく分かったんだ」
今日1日。千秋を近くで見ようとしたから分かったこと、それは――
「私はその子には、絶対に勝てないんだよね?」
その質問の解答だ。
千秋が昨日、桐谷に言った『ライバルは多い』という挑戦的な一言が、桐谷の中で引っ掛かっていた。
千秋は普段から女子生徒とは交流をしようとしない。そして、学園内で付き合っているという噂や彼氏彼女ができたという噂が流れるのが常である七原学園で、生徒会役員でもある千秋が噂をされていないのにライバルが多いというのは不自然だった。
「どうしてそう思うんですか?」
質問に質問で返すな、と怒られることはなく、桐谷は淡々と結果へと至る理由を語った。
一つはパフェを食べさせ合ったとき。
千秋は無意識に桐谷の食べやすいように口の前でスプーンを止め、毎度桐谷が食べるのを待っていた。その慣れている動作を桐谷は気がついていた。
一つはここまで歩いてきた間のこと。
桐谷は歩幅が小さい代わりに足の回転が速い。その桐谷がゆっくり足を動かしても、千秋は桐谷から離れすぎないように自然な歩幅の調整を行っていた。それも、特に桐谷のことを注視していないときでもすぐに対応していた。
この二つの点以外はある程度仲の良い人でかつ親切な人であればほとんどのことはできそうなことだった。
「流石の観察眼ですね。俺もそこまで気が回りませんよ」
「今日の八前庶務はオフモードって感じでわかりやすかったかも。最近は特に気を張ってるみたいでピリピリしてたというか」
雪乃を巻き込む可能性のある行動は全てまでとはいかないが、ほぼ全てに対して警戒していたのは確かだった。
そのせいでかなりの疲労感が溜まっていたのは言うまでもない。
「大仕事が片付いてホッとしたんですよ」
「八前庶務は次の半年も大仕事になるかもしれないけどね」
「そういう冗談はやめてくださいよ。本当になったら会長を恨みますよ」
少し話が逸れて、千秋は「それはともかく」と話を軌道修正する。
「会長は俺の彼女に目星がついているようなので一応聞いておきます。間違って噂を広められるのは相手も嫌でしょうから」
「わかった。じゃあ答え合わせといこうか」
桐谷が気になっていたことは噂が流れなかった理由についてだった。
千秋は生徒会関係の必要な時以外で女子生徒と話す時間はまずなかった。それでも一人だけ気にしている人物がいたのは確かだった。
「八前庶務が気にかけていた相手――」
千秋は桐谷がもし日向か雪乃の名を口にしたなら、全て話してもいいと思っていた。不確かな情報のまま噂として広められるよりも、先に真実を口にして言わないように口止めする方が良いからだ。
だから、桐谷が出したその人物の名前にひたすら驚くことになった。
「一ノ瀬さん。あの人が八前庶務の彼女でしょ」
自信満々に言い放つ桐谷に千秋は思わず笑ってしまった。
あまりにもキメ顔で外したので、否定するより先に笑いが出てきた。
「え、違うの…?」
本心で彼女を当てにきていたらしい桐谷は、まさか自分の解答が間違っているとは思わなかったらしく、驚きで目を見開いていた。
「は、はは……どうして会長は俺の彼女が一ノ瀬だと思ったんです?」
「だって……」
桐谷が言うには、昨日の投票用紙を盗まれた際に千秋が一ノ瀬から聞いたと伝えていて、今日は選挙の準備も一ノ瀬を積極的に助けようとしていたと感じたとのこと。
つまりは、千秋の原動が一ノ瀬だと言いたいのだろう。
「目の付け所は悪くないですね」
それよりも大元、なぜ一ノ瀬がすぐに気がついたのか、なぜ一ノ瀬が見張りをしていたのかを考えれば、もう少し模範解答に近づくことができたはずだ。
「でも、違います」
呆気なく不正解を伝えられた桐谷は自分の考察のどこが間違っていたのかを振り返っていた。
その桐谷に対して、一つ正解を伝えておく。
「最初の質問の答え、会長が勝てないのは正解です」
それだけは譲れない。絶対勝利の運命を握って離さない人が既に千秋にはいるから。
その千秋を支える裏も知らず、桐谷は胸を撫で下ろしてベンチに背中を預けた。
「な~んだ。あれだけ言っておいて彼女がいないのかと思ったよ」
「誤解のないように言うと、彼女はいないですけどね」
「えっ?」
「もっと、大切な人なんですよ」
そう。彼女はいない。彼女という存在よりも、もう一つ二つ先の関係が正しい。
生涯をかけて支えると決めた人がいるだけだ。
「まあ、会長が答えた一ノ瀬は学級委員なので、会長が勘違いするのもわかります。確かに一ノ瀬は頼りになりますから」
一ノ瀬を頼るのにもかなりの準備が必要だった。
今では次期生徒会書記として立場を得ているため、選挙準備は生徒会役員が行うという点に引っ掛からないけれど、その抜け穴が使えるのかどうかはわからなかった。そのため、生徒会顧問の糸魚川先生に人手不足と抜け穴を武器に相談していた。
通常選挙では当たり前だが一ノ瀬たちは生徒会役員として認められていないため助っ人にはならなかったが、再選挙では見張りから選挙準備まで長いこと手伝ってもらった。
そうやって特例として手伝わせていたのも誤解の原因の一つだったのだろう。
だが、やはり根本的なところを捉えなければ、答えには至らないのも事実。
「ニアピンってこと?」
「的外れな人物ではなかったですね。当てずっぽうで答えるかと思いましたけど」
「一言余計だよっ!」
桐谷からツッコミが入れられたところで、千秋は腰を浮かして桐谷との隙間をなくす。
桐谷は心の距離を遠ざけるためにわざと空けた隙間を埋められないように気を張っていたのに、桐谷の隙をついて千秋が埋めてしまった。
「はぁ…。八前庶務が余計なこと言うから。緊張感もなくなっちゃったよ」
「それは良かったです。そっちの方が気楽じゃないですか?」
桐谷は少し間を空けてから小さく頷いた。
「八前庶務はさ」
小さく呟いたその言葉は静かな公園に溶けて最後まで聞くことができない。
「今、なんて…?」
桐谷がもう一度その言葉を言うことはない。
ただぎこちない微笑みを作るだけで、それ以上のことはしようとしない。
二人ともが何も話さず、話題をリセットするには丁度良い空白の時間が生まれた。
沈黙を破ったのは千秋だった。
「……もし、会長が好きだと言う人がいたら、会長はどうします?」
「悪くない人なら一旦お付き合いくらいはするかな」
「なら、既に彼氏がいるという条件を付け加えてみましょう。そうだったら、どうですか?」
「……八前庶務、趣味悪いよ」
そう言われるのは当たり前。男女を入れ替えれば、今の二人の立場になるからだ。
自分の行動がどう思われているのかを認識させるのは言うまでもなく悪趣味である。
「まあまあ。話はここからですから」
少し不機嫌になった桐谷は疑いの目で千秋を見る。
「第一、会長は俺のことをそこまで好きではないはずなので」
「えっ…?」
桐谷は千秋の発言に目を丸くした。
それは本気で好きだと思っていることを間違えられたからではなく、心の中を見透かされたと思ったからだ。
「だってそうでしょう? 俺でなくとも、同じことを黒岩書記がしたら、会長は黒岩書記にこころが動くはずですから」
「あ…!」
「だから、会長は俺のことを好きとまでは思っていないんです」
「……そっか。そうだったんだ」
桐谷のどこか安堵しているようにも感じるその表情は、本当に恋人にならなくて良かったと思っている証拠だった。
「ありがとう」
一言お礼を告げる桐谷に、千秋はこの人はいつでも礼儀を忘れない人だと感じた。決してその事を褒めたり匂わせたりはしないが。
「これで良かったんですか?」
「うん。これで恋人ごっこは終わり」
一つの事を終えて、桐谷はベンチから背を離して伸びをする。
恋とは呼べない関係はあまりにも不完全で、変わらぬ結果と少しばかりの希望を残していく。
「ねえ、八前庶務。現生徒会長として、最後に一つだけお願いしてもいい?」
なぜ最後なのか、そう考えるのは必然だった。明日の朝にはきっと選挙結果が出て、役員の引き継ぎが行われる。そこで桐谷は生徒会役員ではなくなるのだ。
千秋と桐谷を結んでいたのは、他でもない生徒会役員という共通点のみだ。それがなくなれば、接する機会が限りなく減るのは考えれば分かる。
「分かりました。でも、俺ができるくらいのことにしてくださいね」
「それはもちろんだよ」
こほん、と一息ついて、桐谷は千秋の前に立つ。
前屈みになって、桐谷は座っている千秋の手を取ると、それを両手で包み込んでわざとらしい微笑みを見せた。
「私の……恋の練習相手になってくれませんか?」




