第28話 ネクストバレンタインデー
日が落ちてから数十分。
千秋はある人からの電話を受けて、学園の正門前で待ち合わせをしていた。
先月や先々月よりか寒さは幾分マシにはなったものの、夜はまだ冷える。
コートに腕を通してきたのは良かったが、これでは夜になるにつれて寒く感じそうだった。
(千春姉が訝しんでたけど、別に俺は何も……)
要件を伝えられることなく電話で呼び出されたところに行くのは正直に言って危険ではあるが、相手が相手のため行かなくてはいけないのは事実だ。
「や、やっほ~…?」
慣れない挨拶で現れたこの人こそ、千秋を呼び出した本人だ。
一瞬誰か分からなかったのは、その服装にあった。厚手のジャケットにロングスカートという、普段見ることのない私服姿で登場した彼女は、小さな鞄一つだけ持った軽装だった。
「会長、呼ぶのはいいですけど、もう少し要件とか言ってくださいよ」
「えっ、八前庶務には伝えてなかったっけ…?」
「『には』ってどういう――」
千秋がその疑問を口にしきる前に、答えが出てきた。
「なんだ、八前も呼ばれていたのか」
「黒岩書記も呼ばれていたんですね」
千秋と桐谷とは異なり、黒岩は私服ではなく、部活終わりのようで体操服に上からジャージを着ていた。
教科書やノートを入れているであろう鞄と、部活動のための道具を入れた大きめのリュックサックを持っていて、かなり大荷物だった。
「早速ですが、黒岩書記と八前庶務には遅くなっちゃったけど、渡すものがあります」
桐谷は小さな鞄から小さな小包を二つ取り出して、千秋と黒岩に一つずつ手渡した。
「これは……チョコか」
「黒岩書記、大正解! なんと私の手作りです!」
「あの会長が!? 仕事に追われて暇のなさそうだったあの会長が!?」
「ちゃんと手作りだよ! 確かに忙しかったけど、八前庶務が思ってるほど私はできない子じゃないよ!?」
桐谷がよくできる子だということは前から知っていた。時間管理は基本的に完璧で、急に仕事を割り振られても、無理難題でなければこなせるくらいには有能だ。
「と、ともかく。バレンタインデーが忙しかったから、一週間遅れになっちゃったけど、パッピーバレンタイン♪」
「味わっていただこう」
「お返しは3倍作ってきますね」
チョコの貰って、他に何か用事があるのかと思っていた千秋だったが、これ以上桐谷が話題を広げようとしないあたり、用事は済んだらしい。
「すまないが、俺はこの後バイトがあるから、もう行かせてもらう」
「あ、うん。頑張ってね。急に呼んでごめんね」
「良いものを貰ったからな。嬉しいくらいだ」
チョコを大切そうに手で持って、黒岩は帰っていく。
残されたのは千秋と桐谷。
「えっと、俺もこの辺で――」
「八前庶務、ちょっとだけ付き合ってくれない…?」
あの会長が色目を使ったことに驚きを隠しきれなかった千秋を桐谷はくすくす笑って煽ってみせた。
「私だって女の子だもん。気になる人にはこのくらいするよ」
「本気、なんですね」
「あ、当たり前でしょ!」
はて、困った。家にはみんなが待っているから、そろそろ帰らないと待たせてしまうことになる。しかし、桐谷をこうしてしまった自分にも責任はあるため、それを真っ向から評価することも外せない。
「ちょっとだけでいいから、付き合って…?」
数秒考えて、千秋は桐谷に頷いた。
特に良い案が思い浮かんだというわけではないが、責任というものを背負う立場として、この場を退くことはできなかった。
「メッセージだけさせてください。すぐに終わるので」
「う、うん…!」
どうやら、桐谷は緊張しているらしい。
数秒の間で緊張が解けることはなく、メッセージを送信した画面を閉じた千秋は頭を抱える。
「会長。なにもしないなら俺、帰りますよ?」
「だ、だめっ」
珍しく素早い否定に、千秋は心構えをする。
桐谷はたまに一瞬ドキッとすることを言ってくる。そういうとき、大体は直前に素早い否定をするのだ。
「一緒に行きたいところがあるの」
普段からは考えられない弱々しい声で、そんな提案をしてきた彼女に、千秋はついていかないという選択肢はなかった。
そうして、桐谷と共に向かったのは、とあるカフェだった。
店前にメニュー表があり、それを覗き込んでみる。値段はそこそこするお店だが、その分内外装が綺麗だったり、メニューが豊富だったりした。
そして、大きく目を引くのはいくつか種類のあるパフェだ。全部で八種類。大きさこそ実物を見ないと分からないが、どれも美味しそうに見える。
「こ、これ食べたくて……」
桐谷が指差す先にはメニューとは別に、あるパフェについていろいろと書かれた看板が立てられている。
「これ、『カップル半額』ですけど」
「い、今の私たちなら、いけるかと思って……。そ、それに、前にここに来たときに周りの人たちはみんなシェアしてて…!」
「わかりましたから! お店の前で駄々こねないでください!」
桐谷は大きく手振りをするので、道行く人々の視線を集めていた。冷めた目で見られていた千秋は、流石に耐えられずに桐谷の手を引いてカフェの扉を開けた。
笑顔で接客する店員さんに席を案内され、二人組用のスペースへと向き合って座った。
「お決まりになりましたら、お呼びください」
「ひゃいっ!」
緊張し過ぎている桐谷を見て、店員さんは愉しそうに下がっていった。端から見れば確実にデートをするカップルに見えているのだろう。
「会長はもう少し落ち着いてください。平常心です。平常心」
「む、無理だよ~!」
告白の返事待ちの相手とこうやって二人で出歩いているのなら、それは仕方ないことではある。
「だって、今からずっと頼みたかったパフェを頼むんだもん!」
「……そうですか」
恋愛よりも好奇心と食欲が勝っていた。
千秋としてはそちらの方が嬉しいのだが、男としては複雑な気分だ。
「私はここで晩ご飯も済ませちゃうつもりだけど、八前庶務は?」
「そうですね……俺もそうします」
生徒会長代理だとしても、夜に女の子一人を歩いて帰らせるわけにはいかないことくらい、千秋は千春にしつけられていた。
というか、元々家かその近くまで送り届けるつもりだったため、さっきメッセージで外で食べてくると送信していたのだ。
今さら撤回する気もないし、店を探す手間が省けて都合が良かった。
「ここのランチメニューは美味しかったから、他のメニューも期待できるよ」
「へぇ、それは良い事聞きました」
立て掛けられたメニュー表を改めて開いてみる。
メインは洋食が多く、パスタやハンバーグ、エビフライなどが大きく取り上げられていた。
「八前庶務は何を頼むのか決めた?」
「俺は大丈夫です。会長もいいなら呼びますよ」
「ふふっ、それじゃあお願い」
すみませ~ん、と店員さんを呼ぶと、席を案内した店員さんが伝票を持って戻ってきた。
「ご注文はどうなさいますか?」
「エビフライ一つと」
「えっと、私はハンバーグ一つと……ぱ、パフェを一つ」
その注文では情報不足だ。パフェだけで八種類もあるのだから、確実に聞き返される。
「あ、その――」
「パフェはカップルパフェでよろしいですか?」
千秋が補足しようとするも、店員さんの方が一歩先に質問をした。
こくこく頷く桐谷。やはりそれを愉しそうに見守る店員さん。
最後にデザートを持ってくるタイミングだけ指定すると、店員さんは再び下がっていった。
「……。」
「……。」
この環境もあってか、二人になると何を話していいのか分からない。
周りのテーブルを見てみると、二人組のテーブルでは和気藹々としていた。
両者共に長らく話さないのはこのテーブルくらいだった。
「えっと…」
「その…あ」
桐谷は千秋と同じく何か喋りたかったようだったが、千秋に先を譲った。
他愛のない内容なのに優先していいのかと迷ったけれど、話さないよりかはずっといい。
「会長はよくこういうところに来るんですか?」
「ううん。頑張ったときだけってちゃんと決めてるよ。ここで言うのは良くないけど、外食ってちょっと高いから」
私一人のためにご飯を作らなくていいのは嬉しいけど。とボソッと呟いたことに千秋も同意しておく。設定上、千秋も一人暮らしをしているので、話が分かるような雰囲気を出しておくためだ。
「というか、会長は一人暮らしだったんですね。知りませんでした」
「確かに言ってこなかったね。学生向けのマンションなんだけど、セキュリティが高いし、学生だと普通のアパートよりちょっとだけ安くしてくれるから、ありがたいよ」
あることは知ってはいた。しかし、千秋には縁のない場所で、前を通ったことすらない。
評判は良いし、学園の生徒も十何人かはそこの部屋を借りているらしい。
「七瀬会長も同じマンションだったことには驚いたよ」
「世間は狭いですね」
「ホントにね。近くのスーパーが安くて、よく学園生に会うよ」
四方山話に興じることができた頃に、これまでの店員さんとは異なる店員さんがやってきた。
「エビフライとハンバーグです。デザートは食後にお持ちいたしますので、そのときはお呼びください」
それぞれの前にプレートを置いて、店員さんは下がっていった。
桐谷はすぐにカトラリーを用意して、慣れた手つきでハンバーグを小さく切り分けて口に運ぶ。
「ん~♡」
美味しいみたいだ。ついてきたご飯を矢継ぎ早に頬張り、リスのように頬を膨らませていた。
見ているだけではお腹は膨れないので、千秋も手を合わせてから箸を動かした。
先に食べ終わったのは桐谷だった。
桐谷は暇になり、食事中の千秋をじっと観察することにした。
もちろん、千秋がそれを気にしないわけがなく。
「……あの、会長?」
「?」
桐谷はわざとらしく首をかしげていた。
顔をじっと見詰めてくる相手に、千秋は困惑した。特に何も言わずに見てくる相手はどう反応してやればいいのか全くわからないからだ。
「そんなに見られると食べるのに集中できないんですが」
やはり何も返答はなく。
ふと思いつきで、千秋は箸でエビフライをひょいと持ち上げてみる。
面白いことに、桐谷の視線はすぐにエビフライに向いた。
千秋がエビフライを差し出してみると、桐谷はそれをぱくりと頬張った。
「食べたかっただけですか!」
「もぐもぐ」
今日知ったことは、桐谷は案外やりたい放題な女の子だった。普段からこういうことができない反動なのかもしれないが、千秋としては桐谷の行動はかなり意外だった。
桐谷の知らないところを見ていたら、1本丸々食べられていた。
「結構食べるんですね」
「ん!? むぐむぐ…!」
「食べるか話すかどっちかにしてください」
ハンバーグとその他野菜などの乗ったプレートとエビフライ1本を食べ終えた桐谷は、美味しいものは共有しないと、とハンバーグをシェアしなかった口でそう言った。
「ハンバーグは美味しすぎていつの間にか消えていたのですよ!」
「お腹の中にですよね?」
「それに関しては……ご馳走さまでした」
まあでも、こうやって笑い合えるならいいか、という甘い考えで今回は許したが、何度もされたら流石に一度は怒ってやろうと心の中で思う千秋。その怒るときが来ないことは言うまでもなく、千秋は食事を再開した。
といっても、そこまでの量は残っていなかったので、すぐに食べ終わってしまった。
カフェはだんだん人が増えていき、店員さんは大忙しだった。たまたま通りかかった店員さんを呼び止め、忙しいところ悪いとは思ったが、パフェを持ってきてもらうように頼んだ。
店員さんは嫌な顔一つせずに注文を聞き届けると、食べ終わった食器を持って戻っていった。
「ついに、来ちゃうんだ…!」
「そんなに楽しみにしていたんですね」
「八前庶務も驚くよ。あれは凄いんだから」
凄いと一口に言われても、何が凄いのかは想像がつかない。
話によると桐谷は食べたことがなさそうなので、味や食感が良いという話ではない気がする。
なら、何が凄いのか。見た目や匂いなのだろうか。看板に記されていたのは豊富なフルーツと華やかなトッピング。
いろいろな想像を膨らませていた千秋の前に、対面に座る桐谷が見えなくなるくらい高い壁がいきなり現れた。
「おまたせしました~、カップルパフェでございます♡ ごゆっくりどうぞ~♡」
「……??」
横にずれて桐谷を見ると、目を輝かせていた。
「あの、会長? これって…?」
「私がずっと頼みたかったパフェだよ!」
桐谷は何ら気にすることなく、身を乗り出して高さ約40センチの巨大パフェに刺さったスプーンを抜く。
「はむっ」
そのままスプーンについていたクリームを頬張り、すぐに表情が変わる。
「んま~♡」
美味しそうに食べる桐谷と対照的に、千秋は未だこれをパフェと認められずに固まっていた。




