第23話 生徒会再選挙+2
黒岩は生徒会役員たちを連れて、体育館のステージ上以外の照明器具を操作するスイッチのある部屋に入る。
ステージ横ではあるが、先ほど千秋たちが行った金属棒を上下させるスイッチのある部屋とはまた違った部屋だ。
どうしてこの部屋に来たのかと言うと、隠していたものを持ち出すため。
その中にいち早く誰かがいることに気がついた黒岩はその人物に丁寧に挨拶をする。
「お疲れ様です、八前元副会長」
そこにいたのは、第23回生徒会副会長の八前千春。
壁に背をつけ、腕を組んで立つ千春は生徒会役員たちを一瞥すると、壁から背を離す。
「お疲れ様。準備はできた感じだね」
「はい。先輩も協力感謝します」
「黒岩さんは剣道部部長になって和の心が強くなったかな。遜るのが上手くなった気がするよ」
「ありがとうございます」
千春はクスッと短く笑みを見せ、すぐに真剣な表情に戻る。立っていた場所の下、1平方メートルくらいの床下扉を開けるための鍵をブレザーから取り出して千秋に投げる。
「後は好きにするといいよ。私はするべきことをしただけだから」
「ありがとうございます、先輩」
千秋と千秋の隠し事は、誰にも知られていない。
学園内の二人の関係は姉弟ではなく、名字が同じだけで「もしかしたら遠い親戚かも?」くらいの関係と偽っている。
そして、日向と雪乃は千春と共に住んでいて、千秋は三人とは別のところで、親と共に住んでいることになっている。
それをする理由は日向と雪乃の行動を遮る人を極力減らすため。
もし、千秋が日向や雪乃と同じ家に住んでいることを知ったら、間違いなくそれについて深く聞いてくる人が存在する。
その単純でプライバシーの欠片もない行動に二人の大切な時間を無駄にさせるわけにはいかないと考えた千春が千秋に協力を要請(強制)していた。
千春の評判は学園で物凄く良い。
七瀬瑞希元生徒会長とコンビを組み、第23回生徒会を完璧にこなしたという功労は大きく、千春が言うことは誰もが信じてしまうくらいには信用されていた。無論、功労の大きさ故に第24回生徒会で誰も生徒会長に立候補しないという前例のない問題が起こった理由にもなった。
それにより生じた今回の生徒会の不備に対処することも、彼女にとっては生徒会としての仕事の一つであった。
「あ、そうだ。一つ言い忘れてた。前梁早苗には気をつけておくこと。今度は何をしてくるか分からないから」
千春が「今度は」とわざわざ言った理由が分かったのは、この場にいる半分程度だろう。
千秋は他の人が気付いていないことが分かったので、全員に気付かせるためにわざと千春に訊く。
「先輩、今度は、って言いましたけれど、何かあったんですか?」
「まあね。今日の1限前に生徒会室にある空の投票箱を狙ってたみたいだったよ。生徒会役員か生徒会立候補者しか確認はできないはずなのにね」
事情を知らない千秋以外は千春からの話を聞いて少しざわつく。
もちろん、千秋と千春が勝手に移動させていたため、他の生徒が知る由もない。
「ど、どういうこと…? 1限の前で空って、え…?」
「投票用紙が瞬間移動した、ってこと…?」
困惑する桐谷と斜め上の可能性を提示する一ノ瀬。
実際に瞬間移動できればどれほど楽になるかは図り知れたものではないが、投票用紙が瞬間移動することはない。
それとは別に、前梁という人物がそんなことをしていたのか、というざわつきもあった。
「あーはいはい。みんな静かに。立候補者が心配しちゃうでしょ」
千春にかかれば、現生徒会でも従わせることができる。ただし、あまりにも道を外れたことであれば、半分くらいの人は反対意見を示すだろう。
「この話は全部終わってから話すよ。だから、今は生徒会としての仕事をする。いい?」
道を外れたこと、なんて表現してみたけれど、千春は学園では正しいことをするつもりで動いているので、そうなることはないと考えてもいいくらいだ。
「ほら、そろそろ時間だし、みんな来るよ」
千春が指差す先には、体育館に入ってきていた少人数の集まりと、それを皮切りに後ろからぞろぞろと歩みを進める学園の生徒たちがいた。
「あ、どうしよう! まだ誰がどこのクラスを担当するか、決めてませんでした!」
桐谷が言うように、投票は学年問わず1から5組のどれか一つに担当者を一人決め、計5人が投票用紙をクラスごとの名簿に従って、一人一票手渡すことになっている。
当然、学園全員の名前と顔が一致している人はほぼいないため、クラスと番号と名前を正しく言うことができれば偽ることは可能だ。
体育館の出入口の一つである最後方の中央口の前で行い、生徒たちには出ていくときに投票をしてもらう方式になっている。
「なら、私が決めるから各々担当して。1組から5組まで順に、黒岩書記、桐谷副会長、識宮新副会長、一ノ瀬新書記、八前新会計で担当すること。時間がないから迅速に行動を開始して」
「はい。任せてください」
「わ、分かりました!」
「が、がんばります…!」
「ラジャーです」
「了解です」
千秋は鍵のかかった床下扉を千春から受け取った鍵で開け、そこに隠していた投票箱を取り出して中から100枚ずつの束を各クラスを担当する生徒会役員に手渡す。
渡す作業を終えた部屋には千春と千秋だけになり、千春は千秋の腕を強く引いて千秋の足を止めさせる。
「何か言い忘れ……」
「いいから。耳貸して」
二人は周りに聞こえないように声を最小限に抑えてやり取りする。
一般生徒はこの部屋に用事があることは確実にないため、そこまで警戒する必要はない。
しかし、念には念を入れる千春がそうするので、千秋も合わせるほかない。
「前梁早苗の狙いは雪乃ちゃんの演説の邪魔だと思う。最前列とその後ろくらいにいたら、確実に手を出してくるよ」
「分かった。俺の友達に警備してもらう」
「それは駄目。アンタの友達は日向ちゃんの護衛としてつけて。雪乃ちゃんの邪魔が出来ないことを理解して日向ちゃんに矛先が向く可能性はゼロじゃない」
「確かに、その線はあり得る。分かった。今まで通りに動いてもらう」
今後の計画を手短に立てたところで、千春は一歩離れて綺麗な投票箱を手にする。
人手不足のため、元生徒会役員の千春が設営を手伝うことは問題ないし、千春がいることで目を引く作戦でもあった。
「よし。あとはアンタと桐谷さんが自分で気をつければオッケーだね」
「なんで俺と会長が?」
「事件を解決した人が恨まれないとか、そんなことあるわけないでしょ。それも、昨日のうちに顔も見てるだろうし」
責任はいつでも降りかかってくるんだから、と経験してきた人は語る。
その説得力の高さは、たった二つしか変わらない歳とは思えないほどだった。
「ま、実際私がどこまで手が届くかは分からないけど、いつでも自分だけ安全だとは思わない方がいいとだけは言っておくから」
「助かる。千春姉がいれば何も怖くない」
「そういう慢心がいけないって言ってるんでしょうが。まったく……」
諦めたのか、千春はため息をついて投票箱の底面を片手で持って、空いた手で千秋に部屋から出ていくように催促する。
千秋は3クラス分の名簿と投票用紙の一束を持って出ていった。
そうしてまた一人になった千春は、我慢していた笑顔を壁に向かって披露した。
(にやけてなかったかな!? 真面目に話してるのに、千秋が冗談言って可愛すぎるのが悪いんだよ!?)
ちょっと口調が厳しい千春だが、実を言うと千秋のことが大好き。
数年前に約束をしてから、千春は自分の感情を抑えてまでも千秋には少し強めの口調を意識するようにしている。
千秋に対して優しくできないのは、主にこれが理由なのだ。もちろん、デメリットもあり、それは……
(ああーもう! こうなったら、帰ってから日向ちゃんと雪乃ちゃんを構い倒すくらいしないと収まらないじゃん…!)
……このように、日向と雪乃が犠牲にならなければならないことだろう。
どのくらいの犠牲なのかと訊かれれば、千春の気が済むまで、日向と雪乃は撫でられ続けたり、過度の甘やかしを受けたりするくらいだ。
全然問題ないように聞こえるが、それは前提を知らないから問題ないように聞こえるのだ。
千春の体力は物凄く多い。持久走でクラスで一番速く走り終わっても、まだ終わっていない友達に並走したり、駅伝部からスカウトが来たりするくらいには体力がある。それに、普段から感情を偽装しているからか、気が済むまでも凄く長い。
つまりは、スキンシップで日向と雪乃が先にバテてしまい、スキンシップの疲れと甘やかしで眠たいところを、またスキンシップで目覚めさせられるの繰り返しが起きる。
それに加えて、千春はショートスリーパーである。先に疲れで寝てしまい、日向と雪乃が熟睡できそうな時間に起きてスキンシップを再開することもある。
「あー。早く帰りたい……」
この時期の3年生は自由登校期間なので、授業はもちろん、登校する必要もない。
(いやでも、雪乃ちゃんが嫌な気持ちのときに絡みに行くのは私が嫌。つまりこの選挙演説、絶対に成功させなければ!!)
そうと決まれば動き始めるのは速い。
演説前に注目を集めると支障が出る可能性があるため、絶対に使わないであろう体育館の裏口からそっと出た。
ほとんどの人は千春がいた部屋と外が繋がる出入口があることすら知らない。
一応、災害時に使えるようにと設置されている出入口は、耐震化工事や補修工事を経たことにより、何年も前に使わないものになっていたのだが、使えないことはない。
両手で投票箱を抱え、今になって生徒会室から持ってきましたという振る舞いをして、体育館の玄関口にそれを置く。
「八前先輩だ!」
「え、マジで!?」
「善行積んでてよかったぁ…!」
体育館の入り口付近や下駄箱では千春に会えて感動する人や歓喜する人がたくさんいた。
「みんな私じゃなくて、選挙に注目してあげてね。今日まで二人とも頑張ってきてるんだし、ちゃんと聴いてあげてよ」
千春がそう言えば、周りの人たちは誰一人反対することなく反応を示し、もうすぐ始まる演説を聴くために体育館へと足を踏み入れる。
千春もそれに続いて体育館へと入り、瑞希を探す。前梁の監視をしているはずなので、前梁が前の方の場所を確保すると仮定すれば、もう居てもおかしくはない。
瑞希は日向や雪乃のように髪色が分かりやすく目立つわけでもなく、南谷のように目立つ髪型でもないため、探すには非常に困る。
黒髪ロングの女子を探しては照らし合わせること数十秒、千春の肩を叩く人がいた。
「千春っ」
「瑞希、遅かったね」
「聞いてよ千春。体育館前まで順調だったのに、すぐそこで見失っちゃったの!」
まさかと思い、体育館の前方を注視するも、瑞希より目立たない前梁を探すのは不可能に近かった。
同じ服、似通った髪型や髪色。おまけに変わらない背の高さに千春はうざったく感じる。
さらに、場所が決まればその場に座る人もいるため、既に前梁が座ってしまっていれば見つけることは不可能により近くなる。
「ごめんね千春…」
「いや、既にここにいることが分かっただけでもありがたい」
打つ手はあるが、それを実行できるだけの人と能力がない。
何も行動できずにいると、ふとステージ上の雪乃と目があった。
雪乃は数秒目を合わせると、パイプ椅子に座り直して、顔をほんの少しの間だけ正面から外れた方向に向けた。
(そこか)
雪乃が示してくれた位置を頼りに、千春は瑞希の手を引いて体育館の端を移動していく。
千春と瑞希が二人隣にいることが珍しく、発見した人たちは視線を奪われていく。
それは前梁も例外ではなく、ようやく顔が見えた。
(位置が分かればこっちのもの…!)
そう思った矢先、体育館の電気が消えた。
千春たちがいたあの部屋だけは電気がついていて、その前には人影がある。
背の高さから先生ではない。見るからに生徒であることは確かなのだが、その顔は分からない。
夜目が利く千春と瑞希はそれでもある程度は見えるのだが、ほぼ同じの人が集まる中からたった一人を捉え続けるのは難しい。
「千春、演説って今からだっけ…?」
「違う。誰かが勝手に電気を消したんだ」
ステージ上からは時計が見えない設計になっており、時間だと勘違いした雪乃は先攻で演説するために席を立つ。
今回は人手が足りていないために、照明は時間になったら自動でつくようになっている。
つまりは、ステージ上は真っ暗で、演台の前で一人、ポツンと取り残される――はずだった。
突如ステージ中央へ向けて、一筋の光が差した。白というよりは少し暖かい印象のある色だった。
雪のような白く銀色のように、光を受けて輝く雪乃。眩しさに一度目を閉じた彼女だったが、それも一つのアピールポイントにでもするかのように、微笑んで体育館にいる生徒を軒並み釘付けにした。
「皆さん、こんにちは。第25回生徒会長立候補、九条雪乃です。再びこの場で演説することになり、非常に光栄です」
一週間前の心情から大きく変わった雪乃は、誰の妨害が来ても止まるつもりはなかった。
「私は今から一週間前、皆さんにある制度を提案させていただきました。皆さん、覚えていますか?」
雪乃の問いに、体育館の中は少しざわつく。
千春の周りでは覚えてくれている人がちらほらいて、隣同士になった友達に確認するように喋っていた。そして、その声に紛れて、カチカチカチという、何かが動いている音がしたのを、千春は聞き逃さなかった。
千春が動くその前に、ある人物が既に行動をしていた。
「こんな物騒な物持ち込んで、何するつもりだったんですか」
長身で女性のような長い髪を襟首で一つにまとめた男子生徒が、前梁の物を掴んだその手首を強く掴んで持ち上げた。
薄暗い中、その外形を捉えた千春はすぐに瑞希を呼ぶ。
「っ…瑞希!」
「了解っ!」
千春と瑞希が駆けつけ、前梁を男子生徒と協力して取り押さえる。千春が前梁からその物騒な物を奪うと、前梁は床に膝をついた。
千春が握ったのは、刃が長く出たカッターだった。先程の音はこのカッターの刃を出した音だったようだ。
「そこの方、どうされました?」
ステージ上の演台から雪乃が心配して声をかける。
無論、雪乃はそこで何が起きていたのか全て見ていたので、誰が何をしたのか分かっている。
「第24回生徒会長、七瀬瑞希です。選挙演説を中断してくれませんか? トラブルが発生しました」
「第23回元生徒会副会長、八前千春です。同じく選挙演説の中断を申請します」
誰かとアイコンタクトを取ったように頷いた雪乃は、わざとマイクの電源を切って声が響かないようにする。
マイクの集音部をぽんぽんと叩いてみて音を拾っていないことを確かめる。最前列から数列程度にしか聞こえない声で演説の中断を報告し、雪乃はマイクを演台に置く。
もうすぐ当初の開始時刻に迫り、体育館には先生方がずらずらと入ってきたが、異様な雰囲気に戸惑いを隠せていない。
千秋は先生を一人捕まえて、今起きている事情を話す。
少しだけ嘘を盛って。
「今ですね、照明、マイクのトラブルで、あと、前方で口論が……」
千秋の話を聞くや否や、先生が数人がかりで前へ向かい、然るべき対処を行っていく。
(さて、ここまでは予想通りだな)
千秋が前方の様子を確認しに行くと、千春は現生徒会役員に対して、少し焦った様子を演じて何があったのかを話した。
「分かりました。先輩も身の安全は確保しておいてください」
端から見れば先輩と後輩の会話にしか見えないだろう。違和感なく会話を終え、事件に真っ先に対処した友人を労う。
「ありがとう楠、長森。おかげで未然に防げた」
「ああ。といっても、翔太がカッターの音を聞いてなかったら、オレは手すら出せなかった」
「でも、僕は佑斗がいないと気づくことしかできないから」
互いに謙遜し合う二人に、千秋は事件が起きたというのに、少し笑ってしまった。
これでも次期生徒会なのだから、しっかりしていないと悪い噂が立ってしまう。
「二人共無事そうでよかった」
「あ、そのことなんだけど佑斗が……」
長森は楠の手を取り、怪我の位置を見せてくる。カッターの刃の角が触れたようで、掌に長さ数ミリの切り傷ができていて、そこから血が出ていた。
「ごめん楠。俺が無理なことを言ったから」
「いやいや。雪乃さんが傷つくくらいなら、オレの手くらい安いもんさ。それに、この程度なら1日もすれば治る」
「……ありがとう。保健室の河瀬先生も来てたから、少し見てもらってくれ。絆創膏くらいは渡しておくから」
「こんくらい平気だって。どこまで心配性なんだよ」
そう言いながらも千秋が差し出した絆創膏を受け取り、長森と共に河瀬先生の元へ向かっていった。
友達の手を借りるのはこれで終わりにして、千秋はもう一人の助っ人に会いに行く。
先生に照明とライトのことを言っていたので、直すふりくらいはしておかないといけない。
予備のマイクを持ってステージに上がり、即興でマイクトラブルを演じた雪乃をチラッと見て、他の人に怪しまれる前にマイクを交換して演台から離れる。
語ることはなく、千秋はステージ横の部屋へと向かう。
ステージ下からそれを見届けた千春は、カッターを持ち込んだ前梁と対峙する。
「さてと、どれだけ邪魔をすれば気が済むのかな。一度は見過ごした身であるにも関わらず、それを反省せず二度目を行動に移したのは看過できないから」
「……。」
「千春が怒るところ初めて見たかも…?」
「流石に今回のは見過ごせないからね。やることにも限度はあるし、私にだって譲れないラインはあるよ」
千春と瑞希、そして数人の先生を含めた集団で前梁を囲み、前梁の言い訳くらいは聞いてあげようとしたのだが、黙り込んだ前梁に千春の堪忍袋の緒が切れたというわけだ。
一度はまだしも二度となれば、流石にうんざりもする。それに、二度目は本当に危険な物まで持ち込んでいたことが良くなかった。
「先生として大事にしたくないんだけどね、これに関しては先生ももう少し概要を知らないと、正当な判断ができないよ」
「なんで、なんで先生はそうやってまた何もしようとしないんですか! そういうことばかりだから、今期の生徒会も生徒会長なしで運営して、然るべき対処が遅れることになるんですよ! それなのに、なんで…!」
「千春……」
今は愚痴を言うときではない。そのくらい千春にも分かっていた。それでも、成長する気を一向に見せず、生徒会の仕事だからと怠惰な先生に一言言っておきたかった。
自分がいなくなったときに、次の人が同じことを思わないように。
「どちらにしても、私たちがどうにかできる話ではないのは分かってます。それでも、そういう考えを持つ生徒が少なからずいることは理解しておいてほしいです」
「それは理解しているつもりです。そうですけど、私一人で前梁さんをどうこうすることもできないんです。今回は大事になる前に対処してくれたことは感謝します」
それ以上のことは言うことなく、会話の余地がない前梁を連れて、先生は体育館から出ていった。
強制的に終わらされた会話に不快な気持ちが高まり、千春はその不満を誰にもぶつけることができずに大きなため息をついた。
「千春、大丈夫?」
「大丈夫。今のよりも嫌だったことなんて数えられないくらいあるから」
「苦労してきたんだね」
「うん。できれば瑞希にはこんな思いはしてほしくないくらいには、ね」
瑞希は千春の手を取り、壁際に千春を導く。
まだ照明の設定が終わってないことくらい瑞希も分かっているだろうに、こうやって手を引いてくれるのは親友だからだろう。
「ありがとう」
聞こえないくらい小さく呟いたその声に、瑞希は笑って手を繋ぎ続けた。




