第21話 生徒会再選挙
雪乃、千秋、千秋が一足先に学校に着き、生徒会として動く千秋と生徒会長立候補者として動く雪乃は行動を共にしていた。
「千春さん、どこいっちゃったんだろ」
「猫みたいに気まぐれな人だから、そのうち戻ってくるよ」
「それもそっか。千春さんだもんね」
そう自分に言い聞かせる雪乃だったが、心のどこかでは千春を心配していた。
その千春は夜中の語らいの通り、瑞希と共に学園内を回って注目を集めていた。
男女問わず視線が集まり、主に女子の歓声が響く廊下に、瑞希は久しぶりの感覚に少しだけ驚いていた。
「みんな朝から元気だねぇ」
「千春はそうでもないみたいだけど?」
「まあね。そっちは……ちょっと驚いてるね」
「正解。熱意が凄いから驚いたよ。私たちはもう生徒会じゃないのに」
「功績みたいなものでしょ。それだけみんな忘れられないんだよ」
喋りながら歩くだけで廊下の両端には生徒の列ができていて、心の中だけで大物俳優じゃないんだから、とツッコミを入れる千春。
とにかく、今は人を探すのが第一だ。
前梁早苗と他の協力者を見つけ、彼、彼女らの行動を監視する。
それが雪乃のためにできることだと千春を動かしていた。
何人かの協力者を見つけることはできたが、彼、彼女らは他の生徒と同じように千春と瑞希が並んでいるのに釘付けで、何か裏があるようなことをするようには見えなかったので一度見逃しておいた。
「生徒が減ってきたね」
「それもそうでしょ。私たちみたいに授業のない人は徘徊してても問題ないけど、生徒会を除くほぼ全ての生徒は授業があるんだし」
「そっか。みんな大変だね」
「私たちもここまでかな。今から来る人はそんなに多くないし」
「ん、分かった。次は再選挙のとき――」
「静かに」
瑞希の言葉を遮り、千春は瑞希の歩く先に手を伸ばす。
瑞希が疑問符を浮かべていたので、千春はドアが少しだけ開いた空き教室を指差す。
「中に人がいる」
「どうして分かるの? 匂いを嗅いだとか?」
「そう。バレないように行くよ」
千春と瑞希がそっと空き教室に近づき、教室内から聞こえてくる声に集中する。
「南谷さんはこの選挙に勝ちたいんでしょ? なら、私に協力してくださいよ」
上から提案を持ちかける女子生徒の声はどこかで聞いたことのある声だった。
だが、数ヶ月会っていない人の声は特徴がなければそう長く覚えていられない。
だが、南谷と呼ばれた人物はハッキリと覚えのある声を発した。
「私が勝っても、九条さんが勝っても、何が変わるのですの?」
「南谷さんは壁新聞部に挑戦状と責任を叩きつけたんですよ? 今更自分だけ逃げるなんて、おかしな話です。元々、私は南谷さんのことを信じて協力を提案したんです。それを裏切るんですか」
「私は、九条さんと真っ向から勝負がしたいですわ。勝っても負けても、それが皆さんの選択であるなら、私はそれを受け入れますわ」
「南谷さんは今のままじゃ勝てないことくらい分かっていますよね!? どうして勝とうとしないんですか! あなたはそんな人じゃなかったです!」
冷たく怒りを表す女子生徒の声は次第に弱々しくなり、最後に聞き取れないほど小さな声で何かを発した。
「前梁さん。あなたはどうしてそこまで勝ちに拘るのです?」
「……勝ちもできない人に教えるつもりはありません」
南谷と前梁の会話はこれ以上続く気配はなかった。
千春はいち早くそれを察知して、瑞希の手を引いて空き教室の前を離れた。
そして向かったのは、生徒会室。
誰もいない生徒会室にはポツンと銀箱が一つ机上に置かれていて、持っていこうと思えば誰でも持っていける状態になっていた。
「千春、なんで生徒会室に来たの…?」
「いいからいいから。ちょっと待ってて」
生徒会室の扉を開け放ち、千春と瑞希は扉からの死角に隠れておく。
すでに授業が始まっている時間ではあるが、一人分の足音が廊下から聞こえてくる。
その足音は生徒会室に入ると消えた。
「何しに来たの。前梁さん」
「!!」
持ち上げようとした投票箱を落とし、生徒会室に大きな音が響く。
「なんで、先輩方が……」
「いやぁ、頼まれちゃったんだよね。心配性の可愛い後輩に」
なんの躊躇もなく嘘をでっち上げる千春だが、瑞希は騙されて「そうなの!?」と驚きを示した。
そんな瑞希を気にすることもなく、千春は落ちた投票箱を拾い上げる。
「それで、前梁さんは何しにここに?」
「そ、それは……」
「まあ、私は全部知ってるから言わなくてもいいんだけど」
「えっ!?」
「その反応をするくらいは悪いことしてる自覚はあるんだ」
「あっ……それは……」
瑞希は話に置いていかれてあたふたしているが、千春もそこまで手の回る人ではない。
今はここで起きたことを詳細に知り、結論を千秋や雪乃に届けるのが優先だ。
「今度は投票箱ごと盗むなんて、中々な大事を引き起こすつもりかな。例えば、再選挙を遅らせるとか」
「……。」
「まあ、ここには投票用紙は一枚もないけど」
「えっ」
「これはダミーだからね」
千春は投票箱を軽く振り、中が何もないことを音で示す。
「本当の投票箱は体育館にあるよ。誰かが動かして、いつもと置く場所が違うみたいだけど」
「なんで先輩が分かるんですか」
「だって、動かしたのは私だから」
今から1時間前。先に登校していた千春と千秋は、もしものことを考えて罠を設置することにした。
それは本来昼休みの間に行う投票箱と投票用紙の移動。
普通であれば最終確認として生徒会役員立候補者は投票用紙の在処を確認できる。
ただ、現物を見せるルールが存在するため、生徒会室に昼休みまでは置いていくのが通例だった。
しかし、前日に投票用紙は盗まれたことになっているので、持っていないものを見せられるわけがないということと、先日にまでに双方の確認を済ましていたことを理由として千春の助言と千秋の独断により、今回だけは投票箱のみを置くという処理を行った。
ここにあるのは、昨日千秋が蹴り飛ばしたあの投票箱だ。凹ませた側面の応急処置は行われているが、向きを変えれば光の反射で凹ませた部分が分かる。
この箱の最後の仕事が投票用紙の運搬であればよかったが、残念ながら人を騙すという仕事になってしまった。
「今は誰にも教えるつもりはないけどね。たとえどれだけ私に好都合な条件を出しても、私の意思は変わらない。前梁さんが南谷さんに勝ちを求めるくらいには、ね」
なぜそれを知っているのか、と驚きを隠せない前梁は千春に低いトーンで問いかける。
「何が先輩をそこまで動かすんです」
「言ったでしょ。可愛い後輩が頼ってくれるんだもん。それだけで私の動く理由になる」
「私だって後輩です。なら、先輩は――」
「あのね。言っておくけど、自分を可愛いなんて思う人は大抵馬鹿か阿呆なのよ。他人から言われて初めて自覚する子こそ、可愛い子なの」
自分を可愛くないと評した千春に、前梁は少なからず怒りを覚えていた。
それを分かっていながら、千春は止まることを知らない。
「不特定多数に迷惑をかけるような行動をする人は論外だよね。そういうのは可愛いんじゃなくて、ただ面倒なだけ。そこを自覚する気持ちもない人って、本当に同じ人間なのか怪しいけどね。私は同じ種族として認識されたくはないけど」
我慢の限界に達した前梁は身を任せて投票箱を手にした。
空の投票箱は簡単に持ち上がり、睨み付けた相手である千春に向けて投げられる。
「千春!」
瑞希の声がした時には、千春は右足を一歩後退させ、拳を握り締めていた。
(これだから話の通じない奴は嫌いなんだ)
力の籠った一撃は投げられた投票箱に当たり、床の方向へ飛ぶ向きを変えた。
急激な負荷により金属面が凹む音と金属製の箱が無様に転がっていく音が生徒会室の外にまで響いた。
「ふぅ」
「千春、大丈夫!?」
「大丈夫大丈夫。そこまで痛くなかったから」
少し赤くなった右手がヒリヒリしたけれど、手だけで済んだことに千春は安堵していた。
(日向ちゃんと雪乃ちゃんが見たら絶対心配してくるだろうなぁ)
心配性の双子を頭に浮かべていると、今になって自分の行動を後悔した前梁が嗚咽を漏らしていた。
「大丈夫?」
「わ、私……なにを…?」
「間違った行動をしちゃっただけだよ。あ、私のことは気にしないでいいから」
一つの角が完全に潰れた投票箱を拾い上げ、千春はため息をつく。
他にも叩きつけたときに壊れた錠や金属製の棒が本体から離れていたので、それも全て回収する。
千春はじっと投票箱を観察するも、ここまで変形してしまったものを元に戻すのは難しく、捨てる以外の処理が思いつかない。
「前梁さんは授業に戻って。もう始業時間は過ぎてるよ」
「でも…」
「行って。ここにいるよりかはよっぽどいいから」
遠慮がちに扉まで移動すると、それから先はこのことに関わりたくなかったのか小走りで離れていった。
前梁の背が離れていくのを見送った千春は一息ついた。
「これでちょっとは暇になったかな」
「いやいやいや。千春はすぐ手の処置をしないと!」
「いいよそのくらい。ほらもう大丈夫」
赤みが引いた右手を瑞希に見せ、安心させようとするが、瑞希はそこまで単純ではない。
瑞希は千春の手をそっと握り、様々な角度から千春の手を観察していく。
やはり外傷は見られないのだが、千春は大丈夫だと言うと瑞希は一喝する。
「だめだよ! 後々痛くなったらよくないし、今できることはしておくべきだよ!」
「えぇ…? 本当になんともないのに」
「目には見えないだけでしょ。とにかく確認しに保健室まで行くよ」
普段では考えられない瑞希の強引さに違和感を持ちながら、千春は大人しく瑞希のしたいようにさせた。
瑞希によって保健室へ連れていかれて、河瀬先生という保健室の先生に診てもらったが、特に異常はないと言われた。
「ほらやっぱり」
「でも、診てもらって損はないでしょ」
「それはそう」
専門家やその道のプロからは素人には分からないところが見えているので、そういう人からの診断やアドバイスはかなりありがたい。
特に問題ないと言われたときの安心感は何もしないときとは比にならないほど大きい。
「でも驚いちゃったわ。二人が揃って来るなんて思いもしなかったもの」
「私はずっと来てましたけど、瑞希が忙しかったので」
「あら、そうなのね。彼氏とか?」
冗談半分で訊く河瀬先生に二人とも思わず笑ってしまう。残念ながら、彼氏と呼べる存在はいないので瑞希は否定する。
「違いますよ。引っ越し準備をしていただけです。というか、河瀬先生は私たちが告白を断ってたこと知ってますよね?」
「知ってるわ。学業を終えたからこそ、ついに始まったのかと思ったのだけど、理想の男は見つからなかったかしら」
「いたとしても付き合いませんよ。まだ私には役目がありますから」
責任感を孕んだ言葉を放つ瑞希に、流石に追求するなんてことは誰もしなかった。
元生徒会長の隠し事はまだまだ続いているのだから。
裏を知るのは、本人だけでいい。
もし、それを知ることになるのなら、生ぬるい覚悟では到底耐えられなくなる。
それでも知りたいのなら、それは自己責任としか言い様がない。
「そっか。先生は頑張ってる生徒の味方だからね。もし困ったらいつでも頼っていいんだよ?」
「お気遣い感謝します。でも、河瀬先生はまだまだ若いんですから、仕事がある内はそっちを優先してくださいね?」
「あら。現役の子に若いなんて言われるとは思わなかったわ」
瑞希の言葉はお世辞ではなかった。
左手薬指の銀色のリングが薄く輝いているくらいには歳を取っているが、顔立ちや話し方もまだまだ若さを感じられるくらいだ。
「って、河瀬先生、瑞希のこと優先することは否定しないんですか」
「ここの生徒のことも大切だけれど、先生としては気になっちゃったのよね」
「……ありがとうございます。いつか困ったら頼りにさせてください」
「ええ。いつでもいいからね」
それからすぐに体調不良者が保健室に訪れたため、千春と瑞希は邪魔にならないように保健室を後にした。




