第16話 許すとは
「それじゃ許せないけど…?」
「なんで内容を変えないんだ。違う内容ならまだできることがあるかもしれないだろ」
日向は残念がっていて、このままだと埒が明かないと判断した千秋はできそうなことを例に挙げてみる。
「今できそうなことだと……例えば、抱き締めるとか」
「いつもしてるね」
確かにそうだ。今日も千秋が帰ってきたときに飛びついてきた日向を受け止めて少しだけだが抱き締めていた。
「なんか仕事を肩代わりするとか」
「それはわたしが嫌」
頑なに千秋に仕事もとい家事を割り振ろうとしないのは、日向が千秋の裏を知っているから。
完璧主義者というわけではなく、千秋にだけは絶対に家事の手伝いをさせようとしないのだ。
千秋が無理矢理にでもすれば一応止めはするが、やるなとは言わない。
「一緒に寝るとか」
「たまに寝てるね」
「俺の合意なしでな」
「でも、七くんは嫌じゃないでしょ?」
「……ノーコメントで」
「えへへ。ありがと」
日向は嬉しそうに笑い、グラタン皿の上に置いたままだったスプーンを手にする。
一掬いのグラタンを千秋の方へ向けて千秋の行動を待つ。
どうやら食べさせてくれるらしい。
「今日のところはこれで許してあげる」
「最大限の譲歩感謝します」
「次は絶対に従ってもらうからね」
「マジですか」
「マジです」
次からは気をつけないと社会的に死ぬリスクが高いことを理解しながら、千秋は日向の差し出すスプーンごと頬張った。
日向はそっとスプーンを抜いて、にこやかにする。
「美味しい?」
「これ以上のものはないくらいには」
「褒め上手な七くんにはもう一口あげましょう」
「ありがたくいただきます」
……
……
……
「はい、最後の一口どうぞ」
「遠慮なく、いただきます」
日向の前に置かれたグラタン皿に入っていたグラタンを残さず食べ終え、千秋はかなり満足していた。
途中から雪乃が復活していて、日向が千秋にグラタンを食べさせている光景を見てスプーンを加速させていた。
半分ほど残っていた雪乃のグラタンは、その半分しかない日向のグラタンを千秋が食べきるより先に雪乃の胃の中に消えていた。
「今度は七くんの番ね」
「ああ。そのくらいなら……え?」
「どうしたの七くん? 早くしないと冷めちゃうよ」
日向が持っているそのスプーンは、千秋が日向のグラタンを食べるときに使ったもの。
このままでは、間接的に口づけをすることになってしまう。
「いや、なんでそこに悩むのよ。アンタが食べたときから間接キスでしょうが」
「……うーん。言われてみれば確かに」
日向は悪戯がバレた子どものように楽しそうににへらと笑った。
日向の持つスプーンを素直に受け取り、残り二口ほどしかない量のグラタンを掬って日向へ向ける。
「あとちょっとしかないけど」
「いいよ。七くんがしてくれるっていう幸せで満たせるから」
「なにそれすごい」
「ふふん。七くんがいればわたしは満足だから」
胸を張って言う日向に千秋はスプーンを差し出すと、日向はその小さな口で頬張った。
日向が離れると、スプーンの上に乗っていたグラタンは姿を消していた。
「美味しい?」
「ちょっと甘くなったかも。七くんのせいかな」
「甘味料がいらなくなるな」
「そのくらいには甘いかも。不思議だね」
調子よく言う日向はもう千秋のことを許しているようで、見た目も中身もじぇらっていない。
「はい、これで最後」
再度小さな口がスプーンを頬張り、日向は自身のグラタン皿を持って立ち上がる。
何をするのかと思えば、キッチンに置いてあったフライパンから残っていた分のシチューをゴムベラで掻き出してグラタン皿に移していた。
綺麗にシチューを取ったフライパンを流し台に置き、水につけてからグラタン皿を持って戻ってきた。
「もうちょっとだけ……ダメ?」
「分かった。これだけだからな」
ぶっきらぼうに言い、千秋はシチューを掬ったスプーンを日向の口元へ近づけた。
二人のじゃれ合いを近くで見守っていた千春と雪乃は目配せをして席を立った。
洗い物を溜め込むと乾かす場所がなくなってしまうので、先に処理してしまおうという算段だ。
「それじゃ、雪乃ちゃんは拭く係ね。私はフライパンとお皿を洗うから」
「了解です」
雪乃は千秋の前に置いてあったグラタン皿も回収して、千春が立つ流し台へと運ぶ。
「日向は七くんと一緒にね」
「そういうこと言うと日向が甘えモードに入るだろ」
千秋に絶えず追加のシチューを食べさせられている日向は、最後の一掬いを食べきるまで喋ることができなかった。
「もー。わたし、これでも体重気にしてるんだよ?」
「今日も千春ちゃんからのチョコ食べてたもんね」
「あ、あれはお姉ちゃんが開けちゃうからでしょ!」
日向は弁解を試みるが、食べた事実が変わることはない。
「そうだったかな?」
キッチンから出てきた雪乃は日向の前のグラタン皿を回収しながらわざとらしく言う。
二人の間で小さな口論になりそうなところに、洗い物をしている千春が口を挟む。
「あの見張りをしてた人たちの隙を作るためだったんだから、私は良い判断だと思うけど。二人に何事もなくて良かったよ。怖くなかった?」
「七くんが私たちのために何かと手助けをしてくれるのはいつものことだから、あんまり怖くなかったな」
終わりよければ全てよし、という言葉があるけれど、道中の一つ一つの小さなことで躓かないようにすることも大切だと千秋自身は思っている。
何度も転んでしまえば、いつか立ち上がることができなくなってしまうから。
それに、言葉の元になった話があまり好きではないから、という理由も少なからず存在している。
「明日は私が頼れる友達を酷使して見張りを含めて南谷さんと関わりの深そうな人たちを全員監視しておくから。雪乃ちゃんは怯えず演説して大丈夫だからね」
「千春ちゃん、流石の人脈だね。現3年生の二大美女と言われるだけはある」
「そこじゃなくて元生徒会だからでしょ。日向が言うことも間違ってはないと思うけど」
千春は第23回生徒会副会長という経緯を持っている。
千秋が生徒会に入ったのは千春が入れと推したことが主な理由だった。
信任投票で生徒会に入った後は、千春のサポートを最大限に活かしていたのは紛れもない事実で、千春がいなければあの量の仕事を終えられるとは到底思えない。
「ふふっ。みんな明日は大忙しだね。さっさと寝て、英気を養っておくといいよ」
千春は洗い物を終えて手を拭くと、自室のある二階へと姿を消した。




