第27話 俺は俺の選んだ道で――
本日の業務開始前、坂本さんはいつもと変わらない声で告げた。
「中島君。本日をもって、仮職員期間の最終日です」
それだけだった。
視線も、声色も、昨日と同じ。
背中を押すことも、慰めることもない。
机の上に置かれた書類の一行が、遅れて視界に入る。
【仮職員滞在期限:本日業務終了時】と書かれた書類一枚。
宛名はない。
だが――逃げ場もなかった。
「承知しました」
そう答えた自分の声は、思ったよりも落ち着いていた。
執務室には、いつもの音がある。
紙が擦れる音。
椅子が引かれる音。
遠くで鳴る呼び出し。
――世界は、何も変わっていない。
「次の方、入ってください」
最後の転生対応は、高齢の男性だった。
帽子を脱ぎ、丁寧に畳んで膝に置く。
その動作だけで、この人がどう生きてきたかが、少し分かる気がした。
「三つの願いは、決めてこられましたか」
坂本さんの定型の問いに、男は小さく頷いた。
「ええ。難しくはありませんでした」
声は穏やかで、迷いがない。
「一つ目。もう一度、働ける身体」
「二つ目。家族のいない人生でいい」
「三つ目。特別じゃなくていい」
言い終えたあと、男は帽子の端を揃えた。
それ以上、何も付け足さない。
後悔がないとは言わない。
だが、整理はついている。
選ぶべきものと、手放すものを、もう理解している人の姿だった。
男は誰とも目を合わせず、淡々とサインをし、扉の向こうへ消えていった。
――選ぶ人は、選ぶ。
その背中を見送りながら、俺はそう思った。
「中島君、こちらを」
坂本さんから渡されたのは、一枚の書類だった。
【進路選択申請書】と書かれた一枚。
机に置く。
ペンを取る。
椅子に座り、書類を見て行くと――空欄が、三つ。
【第一希望】
【第二希望】
【第三希望】
ペン先が紙に触れ、止まる。
――山本の声が、ふと頭をよぎる。
田舎で、パン屋をやりたいと言っていた。
――相園の顔も、浮かぶ。
特別でいたかった。
選ばないことで、自分を守っていた。
掲示板の文字も思い出す。
【仮職員滞在期限】と言う文字。
自然と指に力が入る。
だが、文字は書かれない。
――これは〝三つの願いを書くための紙じゃない〟。
第一希望だけを書き、一度ペンを置く。
……それで、十分だった。
そして紙を閉じる。
坂本さんは何も言わなかった。
ただ、書類を受け取る。
「業務終了までに、確定します」
それだけだ。
昼を過ぎ、夕方が近づく。
業務終了が……近づいてくる。
執務室の空気が、少しだけ重くなった。
「……中島」
谷崎さんが声をかけてきた。
「決めたか?」
俺は、少しだけ考えてから答えた。
「はい」
――理由は言わない。
――理屈も説明しない。
ただ、机の前に立ち、最後の書類に向き直る。
もう一度、ペンを取る。
――願いを書く必要はない。
選ぶのは、願いじゃない。
立ち位置だ。
書類の下段、備考欄に、〝一文だけ記入する〟。
……それで十分だった。
書類を提出する。
坂本さんは目を通し、微笑んで軽く頷く。
「承りました」
――それだけで、全てが終わった。
次の瞬間、いつもの声が響く。
「次の方、入ってください」
今日最後の転生者だ。
俺は立ち上がり、面接室の前に立つ。
扉を開ける。
中には、まだ何も決めていない誰かが座っている。
不安そうな顔。迷いを抱えたままの目。
――かつての俺と、同じだ。
書類を一枚、差し出す。
「では、三つの願いについて伺います」
その言葉は、もう揺れなかった。
異世界転生審査課は、今日も忙しい。
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