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異世界転生審査課 ―死後の市役所で、仮職員になりました―  作者: 寿 明結未(ことぶき・あゆみ)


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第23話 掲示板に貼られる規定の紙

 相園との一件があっても、異世界転生審査課の景色は変わらない。

 書類は積まれ、転生者は来て、職員は淡々と処理する。

 変わったのは――俺の受け取り方だけだ。


 業務連絡を抱えて廊下を抜ける途中、掲示板の文字が視界に引っかかった。

 いつもなら通り過ぎるだけの、規定の紙。


【仮職員滞在期限の取り扱い】

【期限満了後の進路処理】


 貼り方が几帳面すぎて、かえって冷たい。

 誰かが丁寧に整えた結果、文面は余計に無機質になっている。


 俺は立ち止まらない。

 読む必要はない。もう頭に入っている。


 仮職員の滞在は最長三ヶ月。

 満了後は転生、あるいは現状の死を選択したものとして処理。

 ただし例外はあるのだと、坂本さんたちから教えてもらっている。


 宛名はない。中島ハルアキの名もどこにもない。

 それでも、その注意書きは俺だけを狙っているみたいに胸の奥へ落ちてくる。


 誰も俺には尋ねない。

 決めたのか、と。

 どうするつもりか、と。

 仮職員は〝聞かれない側〟だから。

 ただ、聞かれないままでも――期限だけは同じ速度で近づく。


 執務室に戻ると、いつも通りの音があった。

 紙が擦れる音。ペンが置かれる音。椅子が軋む音。

 そんな中、坂本さんが淡々と面接室へ入っていく。


「次の方、入ってください」


 呼ばれたのは、若い男性だった。

 肩の力が抜けている。

 目も、妙に落ち着いている。

 緊張していないわけじゃない。

 緊張を飼い慣らしている感じだ。


「では、三つの願いは決めてこられましたか」


 坂本さんが定型の問いを投げる。

 男は迷いなく頷いた。


「はい。決めてきました」

「順に伺います」

「一つ目。酒がうまい世界」

「……はい」

「二つ目。働かなくても、最低限暮らせる立場」

「……」

「三つ目。面倒な人間関係がないこと」


 言い終えて、男は肩を竦めた。

 まるで「これで十分だろ」とでも言うように。

 谷崎さんが小さく鼻を鳴らす。


「潔いなぁ」

「現世で揉まれたんでしょうね」

「悩むのって、贅沢なのかもねぇ」


 栗崎さんが軽く笑う。

 男は、俺たちの言葉に特別反応せず、ただ淡々とサインをした。


 この世界では、決める人は決める。

 願いは、口から滑り落ちるように出てくる。

 それが正しいのかは分からない。

 ただ、軽い。――迷いが軽い。


 俺は、その背中を見ながら思った。

 ――俺は、あの席に座ったら……何も言えない気がする。

 喉の奥がひくりと鳴って、思わず唾を飲み込んだ。


 面接が終わり、男が転生の扉へ向かう。

 笑顔でもない。泣き顔でもない。

 ただ、決めた人間の歩き方だった。


「中島君、次のファイルを」

「はい」


 返事をして、書類棚へ向かう。

 背表紙が整列している。

 俺はその中から、転生者のファイルを引き抜いた。


 開けば、また同じ欄が並ぶ。


【三つの願い】

【付与条件】

【ペナルティ有無】

【備考】


 定型文。定型欄。定型の人生。

 そう思ってしまう自分がいる。

 それは、慣れたからだ。

 慣れないとやっていけないからだ。


 心までは……慣れたくはないのに……。


 ページをめくるたび、願いの欄が目に入る。


 ――これは山本の願いだ。

 田舎でパン屋をやりたい。

 平穏で、ドラマのない生活。

 あのロビーで聞いた声が、ふと蘇る。


 ――これは相園の願いだ。

 自分が特別でいられる立場。

 誰かを見下せる場所。

 そのためなら、何でも曲げる。


 ――これは、無難な誰かの願いだ。

 家族が欲しい。

 健康でいたい。

 穏やかに暮らしたい。

 どれも、間違いじゃない。


 じゃあ、俺は。

 ――俺は、何を願う。


 ページの上で、指が止まる。

 何度も見慣れた欄なのに、今日は文字がやけに眩しい。

 願いの枠が、空っぽのままこちらを見てくる。


 ――三つ。

 三つも。

 俺は一つだって言葉にできないのに。


 ふいに、掲示板の文面が頭に戻る。

 宛名がない紙。

 俺に向けられていないはずの注意書き。

 それなのに、俺だけが勝手に刺さっている。


 仮職員だから、誰も俺には聞かない。

 だが、聞かれないということは、決めなくていい理由にはならなかった。

 問われない立場にいるのに、〝期限だけは平等に〟迫ってくる。

 それが、一番残酷だった。


 心臓の奥が、ぎゅっと縮む。

 焦りじゃない。恐怖とも違う。

「決めなきゃいけない」という事実だけが、冷たい塊になって落ちてくる。


 転生する。

 残る。

 そのままの死を受け入れる。


 どれだって、選べるようで選べない。

 選ぶたびに、捨てるものがある。


 山本を、捨てるのか。

 坂本さんたちを、捨てるのか。

 この仕事を、捨てるのか。

 あるいは、中島ハルアキとしての何かを、捨てるのか。


 ――捨てたくない。

 だけど、全部は抱えられない。

 両手は二つしかないのに、抱えるものは増えてしまった。


「中島君?」


 声がして顔を上げると、坂本さんがこちらを見ていた。

 いつも通りの目、いつも通りの声。


「大丈夫ですか」

「……はい。大丈夫です」


 それ以上は聞かず、坂本さんは視線をファイルへ戻した。

 嘘ではない。

 倒れるほどではない。

 泣くほどでもない。

 ただ、胸の中で静かに軋んでいるだけだ。


 坂本さんはそれ以上追及せず、視線をファイルへ戻した。

 この人は、必要以上に踏み込まない。

 優しさなのか、規則なのか。

 その境界線が分からない時もある。


 俺はファイルを閉じ、棚に戻す。

 背表紙が揃い、また一冊分の人生が「整頓」される。


 整頓された人生の列の前で、俺だけが立ち尽くしそうになる。

 だが、立ち止まれば次が詰まる。

 次の転生者は、もうこの建物のどこかで待っている。


 ――だから俺も、歩く。


 掲示板の紙は、きっと明日もそこにある。

 宛名のない注意書きは、誰にでも読める形で貼られ続ける。

 そして俺の期限は、誰にも聞かれず、誰にも特別視されず、ただ進む。


 仮職員の俺に、未来を選ぶ権利があるのかは分からない。

 だが、選ばなければならない時が来ることだけは、もう分かっていた。


 時計の針は、音もなく進む。

 この執務室に窓はない。

 それでも――時間だけは、外と同じ速さで進んでいく。


 決めるときが、もう訪れようとしていた。

 捨てなくてはならないモノを、整理するようにと言っているかのように……。

 それはとても、残酷だった――。

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