第15話 ファイルは嘘を書かない
先日、一人の女性を異世界転生させた。
彼女は「これまでの生活に耐えられなかったんです」と言って、共に死んだ夫に恐怖しているかのような様子で、最低限のペナルティだけを受けて転生していった。
そのペナルティとなった内容は――。
【夫と違う異世界に行きたい】……というものだったけれど。
俺達は彼女の様子から、ファイルを読み解きながら……。
「これなら確かに……あの女性の一番の願いだった【違う異世界】は妥当ね」
「ええ……でも、これって本当なんですか?」
「ファイルは嘘を書きません。書けないんです。なので……事実しか載っていませんよ」
坂本さんの言葉に、俺達は眉を顰め、女性が今後の人生を幸せに暮らせるように祈るしかなかった――。
その二日後のことだった。
彼女の元夫……ということになるだろうか?
男性を異世界転生させるため、会議室で彼の話を聞くことになったのは。
ただ、第一声がやはり違った。
違ったんだ……。
「あの……すみません。妻のことでお伺いしたいのですが」
この言葉に、ファイルを持っていた手が一瞬震えた。
確かに人当たりの良さそうな男性。一見、普通の人だ。
妻を心配する優しい男性に、普通ならば見えるだろう。
――普通ならば。
だが、ファイルに書かれている内容はあまりにも……恐ろしいものだった。
「妻が、先にこちらへ来ていると聞きまして。私も、少し体調を崩してしまって……」
「それは災難でしたね。奥様のことは私どもにも個人情報をお渡しできない事情がございますので、お教えしかねます。申し訳ございません」
「ああ、そうだったんですね。こちらの世界に来てから妻に会っていないので心配だったのですが……妻は一体どこで何をしているのか……」
……一見して、妻を思う優しい夫のそれ。
だが、坂本さんが口にした通り〝ファイルは嘘を書かない〟のだ。
そこに書かれている内容は、どれも、口に出すのさえも胃に来る胸糞悪い内容ばかりで、彼がいかに【いい人の皮を被った……】存在かというのがよく分かる。
――会議室に漂う沈黙。
ファイルのページを開く音。
ペンでファイルのどこかに線を引く音。
そんな、言いようのない沈黙が……場を抑えていた。
だが、男性もその空気に耐えられなくなったのだろう。
彼は立ち上がって演説のように語り出した。
「妻には俺が必要なんです! アイツは何一つ自分で選ぶことも、決めることもできない奴なんです! 俺がいないと、俺のそばに置いてやらないと心配でっ!」
――ここで、矛盾が発生する。
男性は奥様が自分で何一つ選ぶことも、決めることもできない奴だと言った。
だが、奥様の方はすでに自分で、この夫から逃げるように転生済みだ。
自分で選べないということは一切ないし、決めきれないということも一切ない。
「落ち着いてください。こちらも市役所職員として、個人情報を出せないというのがあるのはご理解ください」
「そうでしたね……。申し訳ありません」
そう丁寧に頭を下げた男性。
でも、全身から余裕がないのも見て取れる。
まるで誰かを怒鳴りつけたい、怒鳴り倒して暴力行為に走りたい。
そういうオーラを感じ、谷崎さんが少し警戒をしている。
正直、男性の経歴を見ても、どうあがいても奥さんと同じ異世界に行くことは不可能……な気がするんだけれど。
俺もこの世界で市役所職員(仮)として働いてきたからよく分かる。
――この人は駄目だ。
一般人のふりをした、別物。
奥さんを心配している素振りを見せるけれど、それはきっと別物……。
人間、表の顔と裏の顔があるというのは知っているけれど、彼の場合は犯罪と紙一重だと思う。
書類を再度めくる音。
ペンで線を引く音。
誰かがペンを置く音。
長い沈黙が流れる中、男性は怒りを抑えているのか、手を震わせ唇を噛んでいた。
それだけで異常だというのに……気づいていないのだろうか?
いや、気づいていれば、こんな経歴やファイルの中身にはならないだろう。
ここで、坂本さんが口を開いた。
「確認させてください。奥様が〝自分で何も選べない〟とおっしゃいましたね」
「ええ、そうです」
「では――奥様が〝あなたの元を離れる〟という選択をした理由は、何だとお考えですか?」
男性は言葉を詰まらせた。
きっと、妻がすでに異世界転生したことを理解したんだろう。
けれど、男性の言い分は――。
「……それは、誰かに唆されたんでしょう」
「誰に?」
「それは……」
「唆すとは、我々にでしょうか? 市役所職員が、奥様を唆したと?」
「そうではありませんが……。妻は騙されやすいんです! きっと誰かに操られたに違いない! 自分を裏切るように躾けてはいません!」
「なるほど。では、奥様の〝意思〟は存在しないと?」
そう語れば男性は沈黙した。
そのうえで、栗崎さんが口を開き、ファイルを開いて彼に告げる。
「残念ですが、配偶者であっても転生先の指定・追跡は禁止されています」
「なぜです?」
「過去に〝執着による転生事故〟が多数発生したためです」
この言葉に、男性は苛立ち机を叩いた。
「事故? 俺が事故を起こすとでも?」
「いいえ。〝起こした〟例が、ファイルに記載されています。何のことかは、貴方が一番ご存知ですよね?」
男性は歯を食いしばって押し黙った。
手も震えてこちらを睨みつけ、今にも襲いかかってきそうな雰囲気だ。
でも、そこから先は栗崎さんでなく、田中さんが口を開いた。
事務的に、淡々と――。
「貴方は転生を希望できます。ただし――奥様のいる世界とは、完全に切り離されます」
男性が、初めて狼狽した。
もう、妻と同じ場所には転生できないのだと分かったからだ。
――この人は、最後まで自分の〝正しさ〟しか語らなかった。
それから先は、男性が雄叫びを上げて暴れ出したため、谷崎さんが羽交い締めにして止めて【異世界転生警備課】の人が駆けつけて連れて行かれた。
それからのことは聞いていない。
彼がどんな未来を選んだのか、俺は知らない。
知る必要も、なかったのだと思う。
「守る」という言葉が、いつから「縛る」に変わるのか。
それを決めるのは、本人ではないのだろう。
「ファイルは嘘をつかない……か」
「胸糞悪い一件だったな。ファイル、思わずグチャグチャにしちまった」
「駄目ですよ。大事な書類です」
「すまん、田中」
「でも、あの男性は異世界に行っちゃ駄目だと思いました……」
「あの男性、どうなったんでしょうか?」
そう俺と神田が告げると、皆さんは顔を背けてから小さく――。
「まぁ、転生できない場合も、人生あるってことだな」
谷崎さんの言葉に、俺達は少しだけ――逃げていった元妻である女性の未来を守れたんだろうかと。
そう思わざるを得ないファイルの内容だったので、ほっと安堵の息を吐いた。
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