第六話
寒い。暗い。怖い。
ここは、どこ。
決着させてやる。そう心の中で反芻し、敵である龍を睨みつけた。
刀を持つ手が震えた。体力も魔力もかなり消耗している。もしかするととうに尽きかけているかもしれない。血を失えば、体力はもちろん、そこに含まれている魔力も同時に失われる。
だが俺は立っている。刀を握っている。龍を真っ直ぐに見据えている。
「……俺ならできる」
「うん、君なら大丈夫だよ! なんてったって君は強いからね!」
すぐ後ろから煩い声が聞こえる。
「耳障りだ。少し抑えろ」
「へえ、黙れとは言わないんだね。応援されて嬉しかった?」
こいつのこういう態度が本当に鬱陶しい。即刻振り返って切り捨ててやりたいところだが、その衝動を歯を喰いしばって何とか堪える。それに、これはこれなりに気丈に振る舞っているつもりなのだろう。いくらすぐに治癒魔法をかけたとはいえ、あれだけの怪我をした彼自身も相当消耗しているはずだ。頭上から降ってきた彼の身体には無数の透明な石が刺さり、着物の背中部分は焼け焦げ、裂傷から血が噴き出していた。本当に言葉通り、彼のものと比べればその時の俺の怪我など大したものではなかったのだ。いや、少し語弊がある。龍の砲撃で吹き飛ばされた鉄の塊による右肩の怪我に比べればだ。この身体も、肋骨が折れて肺臓が傷ついているし、それまでにもたくさんの血を流している。確かに治癒魔法で傷は塞がるが、所詮は応急処置だ。栄養を摂り、休息を取らなければ、失われた魔力は回復しない。
こいつもあいつも、つくづく我慢強い男だと、空いた左手で自らの胸を押さえた。
「馬鹿なこと言ってねえで、あれを殺す算段の一つでも立てたらどうだ」
「考えてるよ、考えてるけどね……っ!」
言い切るのが早いか、轟音と共に飛来した雷の球を横に跳んで避ける。転がっては即座に立ち上がり、第二第三の砲撃をかわす。間断なく降り注ぐ攻撃に会話すらままならない。
「ひとまず奥へ!」
「くそっ!」
建物の陰に隠れる夕を追いかけようとしたその時、すでに光の球の一つがすぐ目の前まで迫っていた。ここで避ければ奴に。そう思うや否や体が動いていた。刀身にありったけの魔力を注ぎ込み、力任せにそれを一刀両断しようとする。
「はあああああっ!」
覇気を絞り出すようにして何とか衝撃に耐える。尋常ではない痺れが腕に走るが、刀は離さなかった。いや、離せなかった。身体が全く言うことを聞かず、光の眩さに目を細めるしかできなかった。
光の球が完全に霧散すると途端に自由が戻り、すかさず手を振りながら叫んでいる夕の許へと飛び込んだ。ここからなら龍の姿は見えない。あの光の球は真っ直ぐにしか飛ばないようで、建物が崩れない限りひとまずは息がつける。
それにしてもどうもおかしい。いくら体内に溜め込める魔力量が多いとしても、これほどまでに強力な力の塊を連続して撃ち出せるものなのだろうか。他の魔物はすべて仕留めた。残りはこの龍だけのはずだ。そしてこの世界にはそれ以外の反応はない。
想像を絶するほどの魔力を誇る魔物なのか、それとも何か裏があるのか。そもそもあの砲撃は何なのか。魔力とは違う、身体の自由を奪ったあの異様な感覚の正体はいったい。
「おい、お前の、なんだ……せいでんき、とやらでなんとかできねえのか」
「ほんの少し逸らすくらいならできるかもしれないけど、跳ね返すのはさすがに無理かな。それに、アレは電気みたいだけど、それにしては動きが遅すぎる……電気? そうか!」
何かを得心したのか、夕は顔いっぱいに喜色を湛え、口端を吊り上げる。
「少しの間、奴の注意を引きつけて。できるよね、君なら!」
「は? おい待て! 何を……!」
返事を聞くよりも先に飛び出した夕に、龍の憎悪に燃えた視線が向けられる。
「あぁ、くそ! この大馬鹿野郎が!」
後で殴ると心に決め、深く息を吸い込みながら物陰を飛び出す。
〈火よ集え、ファイヤーボール!〉
注意を引けばいいのだろう。芸はないが、魔力の温存が先決だ。思考も何もいらない、ただ炎のみを思い浮かべるだけ。塔の周りに出現させた数個の火球で龍の目を眩ませる。瞬間、紅い眼同士、視線がかち合った。刀身を真っ直ぐその視線の先へと向け、届くはずもない言葉を小さく呟く。
「すぐ、楽にしてやる」
同時に火球を一斉に龍へと放つ。対する龍もすかさず光球を繰り出した。夕焼け空の中を紅白が入り混じる。そのうちのいくつかはぶつかって閃光を放ち、衝突を免れた球は互いに相対する術者へと迫る。紅葉は龍の砲撃を横に跳んで避け、刀で叩き切り、瓦礫に身を隠して逃れる。塔に巻き付いたままの龍は避けようとも防ごうともせず、火の球を黙したまま迎え入れる。いくつもの爆炎が咲き、塔の白色を焦がしたが、肝心の龍の方は大した損傷は受けていないようだ。苛立ちに唇を噛む。一対一の近接戦闘ならまだしも、やはり遠距離戦闘は苦手だ。
「遠距離といえば、あの陸とかいう奴が弓の使い手だったな」
弓以外にも、鉄砲や外つ国の大筒など、魔法を使えない者たちの知恵の産物もある。自分たちには魔法があるからと言わず、少しは習っておくべきだったか。と言っても、その努力を怠ったのは俺ではなくこいつなのだが。
そんなことを考えていたのも束の間、ついに隠れていた瓦礫の山が破壊され、その衝撃で身体が吹き飛ばされた。地面に降り立つとともに転進し、降り注ぐ砲撃と瓦礫の雨を潜り抜ける。
そうして逃げ続けてどれほどの時間が経っただろう。
汗を吸って皮膚に張り付いた衣が重い。全身の関節がぎしぎしと悲鳴を上げている。刀を握る掌が擦れて痛む。息をする度に漏れる喘鳴が、本当に自分のものなのかどうかさえ怪しくなってきた。
消耗戦はあまりに分が悪いが、龍の砲撃をどうにかしなければ近づくことすらままならない。そのうえ、もし仮に近づけたとしても、あの花の脅威も無視することはできない。
「あの馬鹿野郎……! とっととしやがれ……!」
その時、今までとは何かが違う、異様な音がした。羽虫の飛ぶような音と火の爆ぜる音、加えて地鳴りのような。見れば、茜色に染まった空の中に、一つの巨大な太陽が昇っていた。ついに奴が本気を出したのだ。
あんなものが、落とされれば。
背筋を流れる汗が、いやに冷たかった。
もはや避けられまい。下手に動くよりも防御を優先させるべきだ。二重三重に防御壁を展開させれば、たとえ破られてもあるいは。そう思い、その場に片膝をついて巨大な太陽を真っ直ぐに見据えた。刺すような光に視界が塗り潰される。しかしその目を閉じることなく、太陽へと右の手の平を突き出した。
そのとき。
「こら、目を焼いてしまうよ」
視界が覆われ、右手にも何かが絡みついた。そして、この声は。
「遅えよ、馬鹿野郎」
「一番の馬鹿は君だよね。僕がさっき飛び出したとき、君を裏切ろうとしてたとは思わなかったのかい」
「お前ごときに俺はやられねえよ。あといい加減離せ、気持ち悪い」
「……君も彼も、つくづく甘いね。そして馬鹿だ」
目を塞ぎ、右手に重ねられていた夕の手を引きはがすと、太陽のごとく視界を焼いていた眩い光が翳りはじめていた。やがて輝いていた光の球がみるみるうちに萎んでいき、核となっていたマナのみを残して消えた。龍も異変を察知したのか、低い唸りを牙の隙間から漏らす。
「この世界は、かなり細部まで再現されててね。どういうわけかは分からないけど電気が存在していたみたいだ。送電線も発電所もないのにね。それであの龍は電気を力にして……」
何を言っているのかさっぱり分からないということを俺の表情から読み取ったのか、夕は苦い笑みを浮かべ、要はあの砲撃を無力化できたんだよと言葉を締めくくった。
「おい、今俺のこと馬鹿にしただろ」
「えぇ……してないよ。ははっ、この馬鹿馬鹿うるさいやりとり、なんだか懐かしい、な……」
そのとき、夕の身体がぐらりと傾いだ。彼を支えようと腰に回した手が、生温いものに濡れる。その液体は、鉄の臭いがした。
「お前、これ……!」
「龍以外は全部いなくなったと思ってたんだけど、君が止めを刺してない魔物が、実はまだ残っててね。君は詰めも甘いんだから」
そうだ。龍の砲撃で吹き飛んだものもいたが、最期を見届けたわけではない。俺が別の魔物にかかずらっている間に逃げ延びていたのか。迂闊だった。
「今すぐ治癒魔法を――」
「待って」
低く鋭い声で制した夕は、俺の肩を借りて立ち上がり、脇腹に滴る血で自らの両手を染め、痛みに顔を顰めつつ微笑んだ。
「君の魔力は、まだ温存させておく方がいい。それに、ちょうどよかった」
ちょうどいいとはどういうことか。尋ねようとした声は湿った拍手の音に打ち消された。
〈日は落ちず仰げば燃える茜空爆炎纏う龍のたつまで〉
ゆっくりと、しかし力強く言の葉が紡がれる。そして再び手を打ち合わせた瞬間、眼前に巨大な火柱が立上った。少し離れたこちらまで届く熱が皮膚を焼く。渦巻きながら天高く伸びるそれは、まさしく炎の龍と呼ぶに相応しかった。
「僕たちの血液には、たくさんのマナが、含まれてて、体内にあるうちは、無意識に制限をかけちゃって使えないんだけど、外に出しさえすれば、自由に使えるから、それで……」
「もういい、喋るな」
「魔導師の、最終手段って、感じかな」
「黙れ!」
途切れ途切れの夕の声が、どんどん掠れていく。呼吸が速く、浅くなっていく。
「僕が、ここまで、お膳立てしたんだ。最後は、君の、その手で」
夕の両手が伸びてくる。
「決着を、付けろッ!」
刹那、視界がぐるりと回転した。夕に投げられたと気づいたときには、すでに地面がかなり遠くに見えた。みるみるうちに小さくなっていく夕を尻目に、火炎の龍に飲み込まれた敵を視界の中央に捉える。夕の放った火柱は龍の体表を焼いて花のことごとくを灰燼へと帰しており、龍は塔から力の供給が得られなくなったことに気付いたからか、単に炎に焼かれてのたうち回ったからか、ようやくその重い体を宙へと浮かせて、塔の周りを警戒するように旋回していた。
両者の炎のように赤い瞳が互いの距離を縮めていく。肉薄し、そして龍よりも高い地点へと到達する。龍を眼下に収めつつ抜刀し、今度は重力に頼って再接近する。
「だああああああああっ!」
覇気を刀身に乗せ、大きく開かれた赤い口めがけて刀を振り下ろす。ありったけの魔力を込めながら鼻頭に刃を突き刺し、牙を蹴って転進、握りしめた柄を支点に回転して龍の上顎に乗った。大量の鮮血が雨のように辺りに降り注ぐ。
雷鳴のような絶叫が耳朶を劈いた。頭を大きく振って落とそうとしてくるが、意地でも刀は離さない。やがて力を失っていった龍はその身をよじらせ、大量の血を撒き散らしながら高度を落としていく。ついに地上へと落下した龍を、周囲に落ちていた鉄骨を操って文字通り地面へと縫い付ける。もはや腕の一本すら動かせまい。
刀を抜き、必死にもがいている龍の頭を観察する。岩のようにごつごつとした白い鱗で覆われてはいるものの、零距離なら打撃を与えることは容易なはずだ。龍の急所など知りはしないが、眉間にもう一度この魔剣を突き刺せば全てが終わるだろう。
その時、世界に異変が起きた。夕焼けの空が、地平の彼方から崩れ始めたのだ。赤い空がひび割れていき、地面も大きく揺らぎだす。
「外への扉が開いた! ここはもうもたない、早く!」
夕の必死に叫ぶ声が聞こえる。見ると、地面にぽっかりと空いた大穴のそばで、脇腹を押さえた少年がしきりに手をこまねいている。
龍の上顎から飛び降り、夕の許へと歩み寄る。
「もうアレは動けない。ここの崩落に巻き込まれて終わりだよ。さあ」
「そうみたいだな」
龍を肩越しに見やりながら差し出された手を取る。
「それじゃあ、ここから飛び降りて……」
「だが、まだ決着は付けちゃいねえ」
そう言って俺は夕を穴の中へと突き落とした。驚愕の色を顔に張り付けた彼は、言葉を発する暇もなく暗闇の中へと消えた。
「すまねえな」
再び龍へと向き直る。一歩、また一歩と近づく度に、龍の抵抗が一段とその激しさを増す。しかし、龍の全身を縫いとめている鉄骨は深々と地面に突き刺さりびくともしない。鱗をよじ登り、突き出た口の上を眉間へと歩く。
猛獣のように唸る龍の目は、透明な液体で溢れていた。龍も泣くのかと、妙な感慨を覚えた。子供の身の丈ほどもあろうかというその目は、色こそ違えど、真珠のようなものだとさえ思った。赤く光る石がこの世にあったならば、このように美しいのだろう。
「終わりだ」
そう短く告げ、刀を振り上げる。持ち主の魔力に反応した刀身が淡く光を放つ。
そしてそれを振り下ろそうとした、刹那。
――待って!
自分の口から漏れた声に驚き、刀を下ろす。身体の芯が揺れ、視界が明滅する。体重を支え切れなくなり、ついに両膝をついた。全身から力が抜けていく。
「……まあ、いいけどよ」
呟いたきり、意識が暗転した。
「ありがとう」
そう「彼」に告げ、重い瞼をこじ開ける。目の前には、白い龍のごつごつとした鱗が見える。そっとその鱗に手を触れ、感触を確かめるように何度も撫で、そして額を合わせた。
気付けば、自らの頬にも涙が流れていた。
「ごめん、最初に気付いてやれなくて」
機会はいくらでもあった。しかしそれは彷彿とさせるだけで、それそのものであるとは思いもしなかった。
「白花」
最愛のひとの名を、そっと呼ぶ。風に乗って消えてしまうのが空しくて、二度三度と名前を呼ぶ。応える者がいなくとも、その名前を呼び続けた。
「忘れるなんて、俺には無理だったよ」
あとからあとから涙が出てくる。みっともなく嗚咽を漏らし、両目を鱗に押し付ける。
「俺は、白花の笑顔がもっと見たかった。一緒に飯を食って、一緒に市に行って、一緒におじい様にいたずらして、一緒に怒られて、一緒に寝て。ずっと、ずっと一緒にいたかった。笛だって練習して上手くなった。これからももっと上手くなる。なんなら琴だって笙だって琵琶だって。それに俺は、おれは……」
草花を愛で、顔を綻ばせていた妹。他人が苦手な俺を気遣ってくれた妹。剣術の稽古を興味深そうに眺めていた妹。
忘れられない。忘れられるはずがない。忘れようとすればするほど、かえって色濃くその笑顔が脳裏に焼き付いてく。当たり前だ。妹は俺の世界の全てだった。今さらそれ無しで生きることなど、できるはずもない。
あのときのようにどこぞの家に嫁に出していれば、あの笑顔は消えずに済んだのだろうか。たとえ俺の前でなくとも、同じ空の下であの笑顔は輝いていたのだろうか。俺の妹として、魔導師の娘として生まれなければ、ずっと、ちゃんと老いるまで生きていたのだろうか。
「……白花」
もう一度、名前を口にする。
「ごめん、な」
龍の白い額を撫で、閉じられた瞼の隙間から流れる液体をすくい取る。いつの間にか身を動かすことも、唸り声を上げることもしなくなっている。
「ごめん。ごめん……!」
揺れが大きくなってきた。地鳴りの音が近づいてくる。もう、それほど時間は残されていないのだろう。
歯を喰いしばって嗚咽を呑み込み、抜刀する。
どこからともなく、白い花が飛んできた。
純白のそれは、まるで雪のようで、とても、きれいだった。
そして、穢れを知らない真っ白な花を、貫いた。
泣かないで。
暗くて、寒くて、寂しかったけど。
最後は、温かかったよ。
だから、泣かないで。
お兄ちゃん。
頬を叩く水音が、森の中を埋め尽くしていた。
日は完全には落ちてはいないようだが、すでに辺りは薄暗く、夜目がきき始めるまで時間がかかりそうだ。
「決着は付けられたかい?」
背後から聞こえた声に振り返る。そこには、木の幹にもたれかかるようにして座っている夕の姿があった。多少顔色は良くなっているようだが、声音にいつもの煩さ、もとい元気さが感じられない。
その時、何かが袖口から落ちた。拾い上げてみると、それは粉々に砕けた瑪瑙の腕飾りであった。しばらくそれを眺めてから、先の彼の問いに答える。
「……ああ」
「そっか」
短いやりとりの後、雨音だけが森に反響した。
「あの魔物さ」
夕が静寂を破る。
「みすじが、死んだ人間の魂を利用して作るって言ってたけど、あれほどの魔物が作り出されるなんて、きっとその人は、誰かに強く強く想われてたんだろうね」
羨ましいなあと続ける彼には何も返さず、行くぞ、とだけ声をかけて馬を止めている森の入口へと歩き始めた。
みすじが屋敷で騒ぎを起こすのだと言っていた。そして、長年希求していた「光の塔」を出現させるとも。
こいつらの、いや、奴らの思い通りには、させない。
確かな決意を胸に、握り込んだ欠片の感触を確かめた。




