第五話
ねえ、僕と手を組まないかい。
夕のその言葉は、いやに耳の奥に響いた。虚を突かれ、目を見開く。
「ほんとうのところはね、僕はどっちだっていいんだ。君が勝とうが、あの人が勝とうが」
こちらが沈黙しているのをいいことに、夕は言葉を続ける。
「どっちが勝っても僕の望みは果たされるんだ。だったら、今面白そうな方を選べばいい」
夕は俺の隣を抜けて、塔の方へと歩いていく。その足取りはゆっくりだったが、確かだった。
「虫のいい話だよね。散々君を傷つけて、利用して。でもね、人は自分の欲のためには他人のことなんて構ってられない。君なら分かるよね」
「どういう、つもりだ」
「なんとなく、なんとなくさ、あの人より君の方が、楽しめる気がするんだ」
すると突然、夕は頭を覆っていた被り物を首の後ろへと流し、塔に巻き付いている龍をしばらく眺め、そしてゆるりとこちらを振り返った。
「あの龍、僕と君とで、殺そうよ」
露わになったその顔は、笑っていた。しかしその目の奥には、冷たい熱を持った怒りがあった。そして何より、こうして眼を視ているのに、彼の過去が全く視えないことが不思議だった。近親者ではないだろうから、また何かのまやかしか。
「やっぱりあそこにいられるのは、心底むかつくんだよね」
夕は腰に佩いた短刀を抜き、切っ先を俺のそれと合わせる。
「もう隠す必要もないから種明かしするとね、僕の役目は、みすじが君の屋敷で騒ぎを起こすまで君を引き留めることだったんだ。今日、ついに光の塔を顕現させるんだよ。そのための時間稼ぎ。あの人がおいしいところを総取りするためには、君が邪魔だったんだって。ううん、結局は君の力が必要だから、邪魔だったからというよりつじつま合わせかな。最高の瞬間を演出するためのね」
さらりと告げられる真実に言葉が出ない。
光の塔は願いを叶えるもの。確かにそれは自分の希求していたものだ。しかし、それを顕現させるとは、いったい。
「とにかく、君は早くここから出なきゃならないし、僕はあそこにいる龍を殺したい。利害は一致してると思うけど、どう?」
答えあぐねていると、夕は短刀の切っ先を滑らせ、俺の刀を首筋に当てるよう動かした。
「自分勝手なことを言っている自覚はあるよ。散々君を苦しめたことも、君の心に一生残る傷をつけたことも承知している。だから、今ここで僕の首を刎ねたければ刎ねればいい。でも、もし君にその気があるのなら、今だけは僕と一緒に戦ってほしい。なに、所詮は僕のわがままだから、決めるのは君自身さ」
最後まで、その笑顔は崩れなかった。
瞼の裏で、胸の奥で、心の底で、炎が揺らめいた。これを許してはいけない。これらを許してはならない。こいつらにされたことは、今でも鮮明に残っている。刻み込まれている。冷たく暗い場所に閉じ込められ、死の恐怖と隣り合わせだったあの日々のことを、今でも。
紅黒い、血のような炎が、憎悪を糧にゆらゆらと勢いを増す。そうだ。俺はこいつらに利用されていたのだ。何年も前からずっと、ずっと。許せない、許さない、許したくない。
「……お前達のしたことを、俺は一生忘れない。忘れたとは言わせない」
刀を持つ手が震え、触れた刃が夕の白い肌に紅い筋を作る。このまま刀を押し切れば、憎い相手は一人消える。先ほどとは違い、すでに触れているのだ。もうあの静電気とかいうまやかしは通じない。簡単に、首を刎ねられる。
夕は黙したまま静かに目を閉じた。
「今さら何を言おうが、過去は変えられない。それこそ、俺があの光を手にしない限り」
この世界はこの子供が作ったと言っていた。ならばこの子供を殺せば、今すぐにでも出られるのではないか。今すぐここを出て、こいつらの目論見を全て壊して、俺が世界の光を手に入れるべきではないか。そうだ、それがいい。
「俺はお前達を……」
決めた。
「絶対に許さない!」
そして俺は、刀を薙ぎ払った。
静寂。狭い世界が、沈黙でいっぱいになる。
しばらくの後、笑い声が上がった。最初は小さかったそれは、やがて大きく世界に響いた。
「君って実は馬鹿なんじゃない? もしこれが君を油断させるための罠だったらどうするつもりなの」
真っ直ぐに見上げてくる目を見返す。
「俺は、お前たちに最後まで利用されたままでいたくない。それに、お前一人殺したくらいで、過去を清算できるわけでもない。お前たちに一泡吹かせるためには、誰かを籠絡するのが一番だ。そうだろう?」
本当にただそれだけだ。温情で殺さなかったわけではなく、ただ利用し返してやろうと思っただけ。だから、これが背を向けて小さく呟いたありがとうという言葉にも答えてやる気はなかった。
「それじゃあ、時間も惜しいから、さっそく始めようか」
気負う様子もなく言った彼は、軽く助走をつけ、手にした短刀を龍めがけて投げた。
「ここからじゃ――」
届かない。そう思った次の瞬間、手を打ち合わせる音が高らかに響き渡った。一瞬にして足元に魔法陣が広がる。中心は、その音の発生源。やがて開手の音をかき消すように断末魔が上がった。轟音は地面を震わせ、全身を打つかのごとく押し寄せる。
投げられた短刀は一直線に飛び、龍の鱗の隙間に深々と突き立てられていた。
再度開手が響く。足元に展開していた魔法陣がめくれあがり、球となって頭上へゆらゆらと浮上していく。舶来の、しゃぼんといったか、その泡がこのように飛ぶらしい。紫苑色の幾何学模様を回転させながら、幾重にも重なった陣は徐々にその大きさを増していく。
三回目の開手。白一色だった遠景が瞬く間に茜に染まる。音が張り詰めた。耳鳴りと頭痛。昏い闇へと押し込められたような感覚が襲う。
ぱちぱちと何かが爆ぜる音がした。見れば、先ほどのしゃぼんが青白い光を放っている。
〈厳つ霊や神鳴る音ぞ遥かなる怒りを宿し光を放て〉
今までとはどこか雰囲気の違う夕の声。呪文ではない、歌を詠っているようだ。しかしその本質は同じものだろう。空中の魔法陣がその光を増していく。
彼がしようとしていることに合点がいくと、すかさず耳を塞ぎ目を閉じた。
刹那、雷鳴が轟き、爆発にも似た音が身体の芯を揺さぶった。稲妻が瞼の裏を焼く。凄まじい魔力の奔流にじりりと後退る。耳を塞いでいても、目を閉じていても、その衝撃は脳天を貫いて全身を駆け巡った。
残響は再び断末魔に重なった。正しく雷神の怒りが、先ほど投擲された短刀に落とされたのだ。短刀の周囲の花は焼けて黒ずみ、何枚かは炭となってはらりと落ちる。
長く息を吐いた彼は微笑みながらこちらを振り返った。
「僕の名前は夕。改めてよろしくお願いします」
焼けるような夕の空が、その背後に広がっていた。
正直あまりいい気はしない。あの時のことを思い起こさせられるし、何よりこの微笑みが気味悪い。舌打ちしたくなる衝動を押さえながら、素っ気なくああとだけ返して視線を龍に向けた。眠りを妨げられた龍の目は鋭く開かれており、深紅に輝くその瞳は、憎悪に燃え盛っていた。
「どうすればあれを倒せるんだ」
「僕の全力をもってしてもあの程度だから……たぶん何かしらの強化を受けてるね。順当に考えれば他の鬼たちからだろうけど」
その時、龍の体表を覆う花々が光を放ち始めた。
「まずい!」
咄嗟に夕に腕を掴まれ、後方へと投げ飛ばされる。気付けば、その膂力からは想像もつかないほど遠くへと投げられていた。
〈かの地を守護せよ、プロテクトフィールド!〉
空中で回転しながらもなんとか夕の姿を視界に捉え、彼の周囲に防御魔法を展開する。そしてその壁の完成を見届ける暇もなく、背後の谷へと落ちていった。
「っ……!」
なんとか地面にぶつかる直前に魔力を下へと放出し、すんでのところで激突は免れたが、それでもやはり衝撃は殺しきれない。受け身はとったもののやはり高さがあったからか、背中をしたたか打ち付け、痛みに息が詰まるばかりですぐには立てなかった。
見上げると、夕焼けを切り取るようにそびえる直線的な崖があった。あの高さから落ちてきて、とても無事とは言い難いが、よく命があったものだ。何とか動かせる目を一周させて周囲の様子を窺う。単なる大岩だと思っていたが、この造形から察するに、もしかするとここは神殿なのかもしれない。先の塔も何かしらの願いが込められているのだろう。人は古来より天を目指し、塔を建てた。その志をあのように魔物に乗っ取られれば、さしもの夕も腹に据えかねるものがあるのだろうか。何やら因縁がありそうだったが、これ以上の詮索は後にしよう。
それにしても、このような神殿は見たことも聞いたこともなかった。いつぞやの社の中の世界のようなものなのだろうが、夕はここをよく知っている素振りだった。きっと彼の見聞きした隠し里が前提とされているに違いない。ぜひ一度は訪れてみたいものだ。
そうこう考えているうちに、ようやく全身の痛みが引いてきた。いや、やはり背中が猛烈に痛い。どこかの骨にひびでも入ったか。折れて内臓に刺さっていないことを祈る。それにしても、今日はやたらと何かにぶつかる日だと自嘲気味に口端を持ち上げた。
ゆらりと立ち上がったその時、嫌な気配を感じて背後を振り返った。魔物だ。外つ国にいると聞く虎という獣の形をしている。落ちた刀を拾い、機を窺う。
あの紅い目に映る自分は、やはり紅く染まっているのだろうか。それとも、何か別の色だろうか。
「綺麗な色だったらいいな……」
どういうわけかそう独り言ちた自分があまりにおかしくて、不意に笑ってしまった。
そして、隣で微笑み返してくれる少女の姿が見えた。
彼女の名も、姿も、心も、本当に綺麗な色をしていた。
本当に、本当に綺麗だった。
――と違って。
刹那、身体からふわりと力が抜けた。少しよろめいて後ろへ下がる。それを好機と見たか魔物が襲い来る。避けなければ。しかしなぜか身体は動かせなかった。
否。ひとりでに動いていた。魔物の紅い目が眼前へ迫り、白い煌めきが視界を一閃した。
その目の中の自分の瞳は、血のように紅く染まっていた。
「あぶな……」
瓦礫に囲まれた夕は、しかし目立った外傷もなく、その場にへたり込んだ。龍の攻撃は間一髪免れたものの、建物の方が耐えきれずに下の階層へと落ちたのだ。色葉の防御魔法がなければ瓦礫に挟まれて大怪我をしていたかもしれない。
「助かったよ、ありが……あれ?」
辺りを見回し、目当ての人影が無いことを確認すると唸り声を上げた。咄嗟にマナの力を借りて彼を投げ飛ばしてしまったけれど、どうも思った以上に遠くへと投げてしまったらしい。それが幸いしてこの崩落には巻き込まれてはいないようだが、この様子だと後ろの広場まで落ちていったかもしれない。ごめん。
張りつめていた緊張の糸をほぐし、大きく息を吐いた。悪者のフリをするのも疲れるものだ。
「さて」
彼との合流を目指すのも一つの手だが、一刻も早くあの龍を倒すためには、やはりこのまま二手に分かれて他の敵を探していく方がいいだろう。そう思い、立ち上がって今度は周囲の様子を探った。この建物の、少なくとも自分のいる階層には何もいないらしい。まずは見晴らしの良い場所へ行こう。少し歩くと、ちょうど近くに空中経路と書かれた通路を見つけた。ドアを開けようとするも、鍵がかかっているのかガチャガチャと音を立てるだけだった。こんなところまで再現しなくてもいいのにと頭を掻きながら、少し離れたところから手ごろな瓦礫を投げてガラスを割る。空中経路に出ると、左には下りのエスカレーター、右には通路が真っ直ぐ続いている。左に行けば彼がいるだろう。しかしここはさっきの目的通り見晴らしのよさそうな右の方へ行くことにした。
そう。ここは僕たちの時代の世界だ。この空間に関しては、勝手は彼よりもよく分かっている。残念ながらここに足を踏み入れたことはないが、それでもおおよその見当はついた。
「アレ、京都タワーだからね……となるとここは京都駅、かな」
因縁の場所だ。だがその認識ももうじき変わる。そのために僕はここにいるのだから。
ガラスと鉄骨に囲まれた通路を走る。右手には、夕空に突き刺さるようにしてそびえる塔と、そこを住処にしている龍が鉄骨の隙間から見える。巨大な頭を緩慢に動かして僕たちを探している。アレに見つかってしまえば最後、再び先ほどの砲撃を受けてしまうだろう。次は無事では済まないかもしれない。
「まずったなぁ……」
こちらからよく見えるということは、向こうからもよく見えるということだ。今のところ、紅い目はさっきまで僕たちがいたところを中心に向けられており、僕がここまで移動したことに気付ていないようだが、それもいつ見つかるか分からない。その前に他の敵を探し出さないと。
見つかりませんようにと胸の中で手を合わせながら、目下を注視しつつ走る。
予定していた足止めの難度なら、彼が独りで何とか対処できる程度だけれど、彼に任せきりだとあまりにも時間がかかりすぎる。彼にはどうしてもあの人に追いついてもらわないと。
通路の半分まで来たとき、地鳴りのような咆哮と共に眩い光に照らされた。
(見つかった……っ!?)
息を呑み、その場で体勢を低くして背後を窺う。どうやら見つかったわけではなさそうだ。僕たちを見つけられなかったから手当たり次第に撃つ気だ。
白い光の球が龍の周囲に十数個出現する。そして一際強く花が光った瞬間、それらが方々へと出鱈目に飛んでいった。光の半分がビルにぶつかって弾け、建物を震わせる。もう半分は地面なり夕焼けの向こうなりへ飛んでいった。
狙いなんてない。余計な思惟もない。ただ己が力の限りを見せつけ、全てを破壊するつもりだ。
無差別爆撃が止むのも待たずに再び駆け出す。いくらなんでもそう何発も連続しては打てないだろう。そう高を括っていた。
しかしその希望的観測は再度の咆哮であっけなく打ち砕かれた。
「あいつ、ちょっと張り切りすぎたんじゃない!?」
なんなんだ、この化け物じみた魔力量は。みずじに任せず自分でアレを生み出せばよかった。後悔は先に立ってはくれない。
砲撃の一つが視界の隅を掠めた。前方の鉄骨を砕き、衝撃でガラスが割れる。足元が大きくうねる中、ガラスの破片を蹴散らしながら走る。あと少し、終わりが見えてきた。あと少しで反対側の建物に入れる。呼吸が弾む。
「わっ……!」
爆発音と共に大きな揺れが襲った。床に突き上げられて身体が宙を舞い、爆風に吹き飛ばされて天地が何度も逆転する。頭に何か硬いものがぶつかって回転は止まったが、今度は床全体が大きく落ち込み、重力方向がどんどん斜めへと傾いていった。咄嗟に手すりに掴まり、肩ごしに後ろを見る。
落ちる。
全身から血の気が引いた。駆け抜けてきた方の通路は破壊されて地面に落下しており、自分がいる側の通路も大きく傾いて一階の地面が見えている。建物が揺れる度にその傾きは増していく。それと共に大量のガラスの破片が下へと転がり落ちていった。
衝撃をまともに受けたからか頭を強く打ったからか、腹の底から熱いものがせり上がり、喉がひゅうと音を立てた。視界がどんどん暗くなって、手すりを掴む手から力が抜けていく。
こんなときはどうすればいいんだっけ。
大怪我なんてしたことがなかったら、何をすればいいのかが分からない。思考がまとまらない。
そして再び大きな揺れが襲った途端、ついに手すりから手が離れた。全身をそこかしこにぶつけながら急斜面を転がり落ちる。目が回って声すら上げられない。やがて通路から飛び出し、自由落下を始めた時には、すでに意識を手放そうとしていた。僕はここで終わるんだと、真っ暗な頭の中でそう思っていた。
しかし、期待していた地面の硬さはいつまで経っても感じなかった。その前に意識が飛んだかと少し残念に思いながら、温かい緑の光を瞼の隙間からぼんやりと眺めていた。
「――い! ……し……ろ! …………い……!」
遠くの方で誰かが叫んでいる。
「――おい! しっかりしろ!」
「う……っ」
その声がやけにはっきり聞こえると思った次の瞬間、遅れてきた激痛が全身を駆け巡った。吐き気に呻く。ひやりと冷たい背中とは対照的に、胸の辺りが仄かに温かい。重い瞼を何とかしてこじ開けると、焦点が合わずぼやけた視界の中に紅い光が二つ浮かび上がった。
「きれい……」
「くそっ、思ったより頭がいかれてやがるな。これ以上治癒は効かねえか」
たった今叫んでいた声だ。次第に鮮明になっていく輪郭にも見覚えがある。ああ、そうか。彼は。
「おや、ひさしぶりだね」
「喋るんじゃねえ。まだ全身見終わってねえからな。ひでえ怪我してなきゃいいが」
いつの間にか床に寝かされ、パーカーを模したいつもの服が脱がされて素肌を晒していた。どうりで背中が冷たいわけだ。
「治癒術、かけてくれたんじゃないの」
「落ちるのには何とか間に合ったが、お前、あの龍の攻撃をもろに喰らっただろ。骨の一本や二本砕けてても不思議はねえ……いや、大丈夫みたいだな」
「そっか。みっともないところ、見られちゃったねえ」
「まったくだ」
ふと胸の辺りの感触が気になり、左手でそっと触れてみる。するとそこには、生暖かい液体がべったりと付着していた。
「血……?」
「ああ、汚しちまったな。心配すんな、お前のじゃねえよ」
見ると、彼の右肩から赤黒い染みが広がっており、腕を伝って地面へと鮮血が滴っていた。
「僕よりも、先に君のそれを治した方がいいんじゃない?」
「見た目より大した怪我じゃねえ。それに、これくらいの傷は慣れてるからな」
「あぁ……君にはそういう被虐嗜好があったんだっけ」
「あ? なに訳の分かんねえこと言ってやがる。それにしてもお前、男だったんだな」
「へへ、何それ。僕のこと女の子だと思ってたの? まあ、可愛いのは認めるけどね」
それに君だってと続けた途端、無言で喉元を押さえつけられた。
「じ、冗談、だって……!」
咳き込みながら弁明すると、彼はふんと鼻を鳴らし、左手を離してくれた。
「はぁ……君に二度も助けられるなんてね。こんな僕を許すだなんて、君は懐が深いなあ」
「……そんなんじゃねえよ。俺なりの誠意だ。確かにお前は本当のことを全部話してるわけじゃねえし、だから信用もしてねえ。ただ、嘘はついてねえだろ。お前は自分の目的には誠実だ。なら、それに見合った対応をしねえとな」
だが、と続けながら、冷たい紅い目を薄め、血に濡れた右手をまたしても喉元に添えた。今度は気管ではなく、どくどくと脈打つ場所に。
「俺もお前らのことを許したわけじゃねえ。俺はあいつと違って、お前に利用価値が無くなったら、その瞬間お前を殺すからな。せいぜい役立つことだ」
「それくらいがちょどいいですよ。彼は優しすぎる。誰だって、自分の目的のためだけに動いているんだから」
「そうだな。それに、お前を使うとあいつが決めたんだろう。なら俺は、その判断に従うまでだ。あくまでこれはあいつの身体だからな」
「ここぞという時に主導権を握っておいてよくそんなことが言えるね。そもそも君は何者なんだい。僕らは君についてたくさん調べたけど、君の正体だけが最後まで分からなかった。君は――」
その時、少しの間止まっていた咆哮がまたしても空気を震わせた。
「……その話、後でもいいか」
立ち上がった彼は、口の中で小さく何かを唱え、己の右肩に手を添えた。衣の裂け目から覗いていた傷口がみるみるうちに塞がっていく。そして右腕が動かせることを確認すると、腰に佩いた刀を抜き、しっかりと握り込んだ。彼の視線は外に向けられている。
「あらら、見つかっちゃったか」
めぼしい怪我は無かったらしいけれど、それでも全身が痺れている。しかしそうも言っていられないようだ。膝に手をつき、何とか立ち上がる。
京都駅の中央口。ちょうど崩れた骨組みの間から、夕焼け空に囲まれた白い龍が、そして、こちらを真っ直ぐに射抜いている紅い瞳が、いやにはっきりと見えた。相変わらずタワー部分に巻き付き、展望台の上でとぐろを巻いて頭だけを持ち上げている。不快な景色だ。
「なあ、ひとつだけ確認してもいいか? あれは俺をここに足止めするするためのものなんだよな」
「そうだけど」
「それにしては、あまりに強すぎねえか」
彼が肩越しに睨みつけてくる。その目をさらに鋭くさせて言葉を続けた。
「まるで、俺達を仕留められるくらいに。俺だけじゃねえ。お前もろともだ」
その時、ある一つの予想が脳裏をよぎった。そしてその考えは、すんなりと腑に落ちた。
「そうか、そうだったんだ。あの女、君を足止めするつもりなんてさらさら無かったんだ。きっとその通り、君をここで亡き者にするつもりだったんだよ。たぶん、僕も一緒に。ははっ、僕らは案外、自分勝手だね」
僕が裏切ることまで読んでいたのだろうか。それとも、彼女なりの目的があってのことなのか。
「……どちらにせよ、あの子が知ったら、どれほど悲しむか」
どういうことだと胡乱げな顔をする彼に、にんまりと笑みを浮かべて首を左右に振る。不満そうに舌を打ち、彼は再び正面に向き直った。
「そういえば、他の鬼……魔物は?」
「二体は俺がやった。残りは奴の攻撃で吹き飛んださ」
「そっか、哀れだね。自ら滅びの道を歩むとは」
それでも、かの龍は強大なのだろう。
「まあ、なんであれ、この俺がとっとと決着させてやるさ」
紅い目を持つあちらの化け物と、同じ色をしたこちらの化け物。
さてさて、どちらが死ぬべきか。ああ、本当に、見物だなあ。
そろそろ私もいかないと。
獣に跨った少女が地面に降り立つと、足元の水溜りが白く凍りついた。
まるで、氷の波に呑まれたように。




