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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
終章 ~光への道~
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第四話

 きれいだ。

 兵士の口から漏れたのは、そんなことばだった。

 翠に輝く紋様の複雑さ、荘厳さは、彼の思考を奪うには十分だった。それは一つひとつの構成要素を見れば、直線的、曲線的な単純図形の集合であるのに、幾重にも重なった意匠は、神聖という言葉を認識させた。しかし何よりも美しく、彼の目を奪ったのは、その陣の中心に立つ少年の姿だった。表情の抜け落ちた横顔は一見すると平生のそれと変わらないようにも思われるが、ただただ感情の読めないだけのそれとは違い、眼前の彼はおおよそ人とは思えない、それこそ神と相対しているような、重力のある空気を纏っていた。

 普段はいけ好かない相手でも、こうしてみれば、嫌でも存在の差を思い知らされる。

 農民の出である彼がどれほど努力したところで、登り詰められる頂はせいぜい五人隊長くらいのものだろう。あるいは武功を上げさえすれば、いっぱしの将にはなれるかもしれない。だが、彼の目の前に佇む少年は、年若い彼よりもさらに幼い少年は、ただ藤神の直系に生を受けたというだけで、千人隊長という格別の待遇を受けている。この世に生まれたその瞬間から、一生かかって登り詰める頂のさらに上に存在しているのだ。

 確かに彼はこの少年が嫌いだった。しかしそれは、ともすると羨望の裏返しだったのかもしれない。武芸に秀で、学問に通じ、そして何より、人外じみた美貌をほしいままにしている。現に今こうして、彼がその姿に見とれているほどには。もちろんそれは顔の細工が整っているという意味ではない。老若男女問わず、人を惹きつける何かを持っているのだ。残念ながら、当人はそれに全く気付いていないらしいのだが。いや、もし仮にそれに気付いていたとして、それをまさに()()()()()にしていたならば、彼はさらにその少年のことを嫌っていただろう。

〈神風来たり。天地の狭間を駆け巡り、蒼天に渦巻く花嵐とならん! ウィザーリングストーム!〉

 少年の叫ぶような詠唱で彼は現実世界に引き戻される。そして視界に映ったのは、いくつもの凶悪な巨躯と満開の白い花――だと認識した次の瞬間には、それは花弁だけを残して消え去っていた。叩きつけるような暴風から身を守るのがやっとで、眼前で交差させていた腕を下した時には、ひらひらと舞い散るたくさんの白雪だけがそこにあったのだ。

 きれいだ。

 再び、そんなことばが漏れた。

 一連の出来事に呆気にとられつつも、目の前の美しい景色に見惚れていると、苦しげなうめき声が耳朶に刺さった。

「若様!」

 地面に片膝をつき、大きく肩を上下させている主の姿を見た彼は慌てて駆け寄ろうとしたが、来るなという鋭い一声で足を縫いとめられた。

「邪魔、だ。ここは、俺がなんとか、する。お前達は、早く、屋敷に……!」

 喘鳴の混じった途切れ途切れの声は、しかし全く語気を失ってはいなかった。自分一人でもこの状況を切り抜けてみせる、そんな気概がありありと伝わってくるようだった。

 兵は痛みをこらえるかのように顔をしかめた。たとえ数年前まで敵同士であったとしても、今仕えている家の次期当主の身を守るのが兵士の務め。身を賭して主を守る覚悟はあったし、命じられれば全てを差し出さなければならないことも理解していた。だが、現状はどうだ。全く逆ではないか。

「どうして……どうしてお前はそこまでするんだよ! 魔導師のお前とそうじゃない俺達、どっちに価値があるかなんて、考えなくたって分かるだろ!」

 彼の思考からは、互いの立場だとか、敬意だとか、そういった類の雑念はすっかり消えていた。覚えず出てしまった地だが、いまさら取り繕う気は彼には無かった。怒っているわけではない。自分より二回りも年下の子供が、己を犠牲にしてまで自分達を守ろうとしている現状が、ただ単に気に入らなかっただけだ。

 沈黙が降る。

 辺りに積もった花弁が、風を追いかけて地面を流れていく。返答を待ちかねた兵が、重ねて言葉を紡ごうとしたその瞬間、少年は乾いた笑い声を上げた。

「……俺は、お前達のことを、存外羨んでいるのかもしれないな」

「なんの力も持たない俺達をか」

「そう卑屈になってくれるなよ。でもまあ、隣の稲はよく実っている、とでもいうようなものか」

 振り返った少年は、柔らかな笑みを浮かべていた。この時、兵は初めて彼の主の笑顔というものを見た。

「……やっぱり、俺はお前が嫌いだ」

「俺はお前達を好いているかもしれないのにか」

「相思相愛になるには、あまりに身分が違いすぎる……ます」

 そう言うと、再び少年は笑い声を漏らした。どこか儚げな印象のあるその見目は、ともすれば真実彼が少年であるかを疑いそうなものだが、ここ山城の国、いや、もしかすると、日の本一の部類に属すかもしれないその圧倒的な強さが、彼が彼であることの証明になってくれている。と、ここまで大げさに称するのも、少年のことを()()()()()証左であろう。

「此度の不敬は、今は捨て置いてやる。だが、帰ったらきつく仕置いてやるから、覚悟しておけ」

 早く行けと言わんばかりに背を向ける少年。ついに諦めた兵は嘆息を漏らし、その小さくも大きな背中を目に焼き付けた。憧れが見せた幻影か、うっすらと、青白い炎が揺らめいているようにも見える。その姿は、まるで。

「あなたはつくづく、鬼だ」

 兵士から務めを奪い、鬼火を見せる彼が、どうして鬼でないことがあろうか。何もかもが人のそれから外れたこの少年は人ではない。鬼だ。

 兵は深々と一礼し、藤神の屋敷がある方角へと地面を蹴った。


「……やっと行ったか」

 色葉は肺の中が空になるまで息を吐いた。想像以上に消耗が激しい。目の奥が痛みを主張し、体の芯が熱く燃えているようだった。血を失ったからか、魔力を失ったからか、気を抜けば膝が折れてしまいそうだ。しかしそれと同時に、どういうわけか力が湧いてきている。体は悲鳴を上げていても、精神はむしろ昂っている。

 この程度の怪我、戦乱の世に生きている身としては大したものではないし、消耗したとはいえ魔力だって尽きてはいない。まだなんとかなる。なぜかそう思えた。

 あの兵と共に撤退してもよかったかもしれないが、屋敷付近まであの魔物らをおびき寄せたことで、万が一里に被害が出でもしたら、おじい様に顔向けができない。

 それに、これは俺のものだ。あの兵が屋敷に戻れば、知らせを聞いた者が救援を寄越すだろう。あの快闊な少女が目を見開いて飛んでくるのは想像に難くない。だが、これは()()()()なのだ。俺の罪であり、俺への罰。

 その時、視界の隅を白い何かが掠めた。鳥だ。人の体躯の何倍もある怪鳥が木々の間を器用に縫いまわっている。白い花を全身に纏ったそれは不意に目の前に着地し、様子を窺うように紅い目をこちらに投げかける。襲ってくるでも、逃げるでもなく、ただ、視線を向けてくる。まるで、獲物を見定めているかのような、奥底まで見透かされるような視線。

 色葉はうっそりと目を細めた。

「どちらが獲物なのか、教えてやらなきゃな」

 刹那、怪鳥が両翼を羽ばたかせ、飛び立った。逃げたのか、あるいは。

 これが俺への罰ならば、俺が全て受け止める。これが俺の獲物ならば、俺が全て仕留める。それが道理だ。

「誰にも邪魔は、させない」

 進路にある枝葉を次々と花びらへと変えながら、怪鳥は真っ直ぐどこかへと飛んでいく。罠に誘っているつもりなのだろう。仲間の許に誘導し、囲い込んで退路を断つ。戦でもよく使われる戦法だ。だが、それを逆手にとれば敵を一網打尽にできる。もとより殲滅する気であったのだ。ちょうど良い。

 しばらくの後、逃げる怪鳥が止まったのは、ある巨木の前だった。両腕をいっぱいに伸ばしても十人は必要とするであろうほどの太さの幹に、ぽっかりと大穴があいている。その中は吸い込まれるような闇に包まれており、まるでどこか別の場所につながっているような――

「……なるほど、まさにそうなのか」

 その穴に飛び込んだ怪鳥は、吸い込まれるようにたちまちその闇に呑まれた。どうやらこの先に残りの魔物がいるらしい。一瞬、先の兵のことが脳裏をよぎったが、残る五体全てがこの奥にいるとすれば、さしたる危険はないだろう。狙いが俺なら、こちら側に戦力を残す意味がない。

 そう結論づけた色葉は刀を鞘に納め、深淵へと繋がる穴に身を投じた。




「かかった!」

 少女の嬉々とした声が響く。人の何倍もある巨躯の背中に乗った少女は、その白銀の毛並みに手を滑らせ、途上にあった白い花に指を添えた。みゃあと鳴いたそれは、何かの気配を察したのか突然寝かせていた身を起こした。

「まだ残ってたのね」

 少女はうっすらと微笑み、周囲に散らばる花弁の山を見やった。確かに、数えてみれば十九しかない。

「うーん、生き証人にした方が効果的かな」

 全てを消せとの命令だったが、運よくひとつ残ったのだ。利用しない手はない。

「行って」

 そう少女が短く告げると、獣は彼女を背に乗せたまま軽やかに気配へと奔った。

 獣の紅い眼が漆黒の鎧を捉えて光るまで、それほど時間はかからなかった。獣の前足が出合い頭にそれを捕らえ、地面に押さえつける。獲物はひっと息を呑み、少女の姿を認めた途端、驚きに顔色を変えた。恐怖で声も出ないのか、しきりに口を開閉させているが、喉を通るのは喘鳴だけであった。だが、それの言いたいことは、少女にとって耳に届いているも同然だった。

「私がここにいるのは、私がここにあるからよ。存在に理由なんてあるのかしら。ううん、それでも私たちの存在には理由があるの。だって、遥か昔から繋がってるんだもの」

 要領の得ない返答は、しかし澱みなく発せられた。

 獲物の肩、甲冑の隙間に食い込んだ獣の爪が、鮮血を吸って赤に染まる。抵抗する動きが徐々に弱くなっていく。

「だめだよ、殺しちゃ。花も使わないでね」

 その言葉に従って獣が前足を上げると、獲物は一目散にその場から逃げだした。その背中を横目に少女が獣の首元を撫でると、獣はごろごろと喉を鳴らした。

「あの血の量、さいごまでもつかな」

 たとえ死んでも当初の予定通りかと笑い、少女は曇天を見上げた。

「あなたを迎える準備、すぐにできるからね。もう少しだけ待ってて」

 私の愛するひと。




 暗闇の中をまっすぐに落ちている。視界はないが、なぜかはっきりとそう感じた。大地の引力に身を任せ、頭を下にした体勢のまま落下していく。

 光が見えた。到着だ。体を反転させ、足を下にして衝撃に備える。光がどんどん大きくなっていく。そしてその白い穴の中に入った途端、何かに下から押されているような感覚に襲われた。やがて落下の速度が緩やかになっていき、地面に足が届くかというところですとんと本来の重力が戻ってきた。柔らかな地面の感触に安堵を覚える。しかし、いまだに浮遊感が残っている気がして、内臓がひっくり返っているかのように吐き気が込み上げてくる。衝撃をもろに受けるよりは良かったのだろうが、たまらなくなって、地面に膝をついた。地面、いや、違う。大量の白い花弁の上に自分はいた。しかし、それもどうやら不正確な表現のようで、花弁の隙間からは灰色の平らな岩のようなものが覗いていた。花があってよかった。確かにこの岩の上に落ちたら痛そうだ。

 ここでようやく気が付いたように辺りを見回した。飛び込んできた景色に息を呑む。なんとも面妖な、夢とも現ともつかない景色がそこにはあった。紙を張り付けたように白い遠景。遠近感を失わせるそんな狭い世界の中に、自分が立っている灰色でやたらと平らな岩と、赤い輪をかぶせた白い巨塔だけがあった。加えてもうひとつ、その塔に巻き付いている龍の姿。遠目にでも分かるほどたくさんの白い花が体表を覆っており、その強大な魔力がこの距離からでも感じられた。だが、今は眠っているのか動き始める様子はない。

 改めて周囲に視線を巡らせたものの、ここまで導いたあの怪鳥の気配も他の魔物の気配もない。先へ、あの龍の許へ進めというのだろうか。とにかく、目の前にある銀色の橋を渡るとしよう。

 この橋の反対側には、自分が立っていた岩と同じようなものがあった。よく見ると、側面には格子模様が、橋の下には複雑な構造の――しかし、そのすべてが奇妙なまでに直線的であった――灰色の岩が無数に転がっていた。これは本当に岩なのだろうか。少なくとも、これらが時の流れの産物であるとは思えなかった。

 橋を渡り終える。まだ少し距離があるはずだが、それでも巨塔の大きさと、それに付随する龍の大きさに圧倒されるしかなかった。

「これを、倒せば」

 腰の辺りが熱くなる。それは恐怖からではない。消耗からでもない。言うなれば、雄大な自然を目の前にしたときのような高揚感だろうか。罰だの何だのと自虐的な物言いをしてみても、結局この状況を楽しんでいる自分がいる。

 ああ、身体が燃えているようだ。

 刀を抜いた。その時。

「ようこそ、僕の世界へ!」

 子供の声がすぐ後ろから聞こえた。背筋を滑る悪寒を叩き切るようにして刀を背後に薙ぎ払う。しかし手応えはなく、軌跡は空を切った。その子供は大きく後ろへと跳んで距離をとっていた。

 気分を削いだ闖入者を睨みつける。

「ご招待どうも」

「あっはは、ずいぶんな挨拶だね!」

 これの気配は全く気に食わない。音もなく忍び寄り、掻き乱す。努めて冷静であるようにし、隠れた目の奥を射抜く。

「聞きたいことがいくつかある。ここはどこだ」

「今言ったじゃないか、ここは僕の世界だよ。僕の記憶から創り出した、僕の世界。でも嫌になっちゃうよねぇ。龍を出すって聞いたらこの景色しか思い出せなくて。あれもあんなふうにあそこに陣取っちゃうし。君があれを倒してくれるところ、見てみたいなぁ」

 質問以上のことを返されたが、ほとんど内容が取れない。

「あの龍……いや、あの魔物たちはなんだ」

「いい遊び相手になった? みすじが『作った』んだって、すごいよね。僕を美術監督だとするなら……なんだろ、演出?」

「お前は何者だ、どうして歳を取らない」

「あっ、よく気付いたね。僕も最初はびっくりしたんだけど、時間に逆らってみたらこうなっちゃったみたい。不思議だよね」

 要領を得ない返答の連続に苛立ち、切っ先を相手の胸元に向ける。

「意味の分からないことを並べて俺を混乱させる気なら、切る」

「君に僕は切れないよ。少なくとも、その刀ではね」

 嘲るような口ぶりは、その気にさせるのに十分だった。そう言うなら、試してやろう。

 刀身に魔力を込め、ありったけの力で地面を蹴飛ばす。標的は動かない。届く。そう思った。しかし、夕の言う通り、刎ねようとした首に刃が届くことはなかった。寸前で何かに押し止められたように、どれだけ力を込めても同じだけの力で跳ね返される。

「静電気って分かる? 僕はそれを操るのが得意なんだ。だから、君に僕は切れない。ま、細かい原理は僕にも分らないんだけど」

「なら、なぜあのとき──」

「切り合ったのかって? そりゃ僕だってたまには遊びたくなるもんだよ」

 あまりの苛立たしさに頬が引き攣るのが分かった。苦笑いを浮かべようにも筋肉が上手く動てくれない。刀を下ろし、夕に背を向けて龍へと視線を向ける。

「最後に一つ。お前たちは、いったい何が目的なんだ」

「光を求めてる、と言って伝わるのかな。僕らは願いを叶える術を知っている。だったら、それを使わない手はないよね」

 なるほどなと息を吐いた。つまりは俺と道を同じくする、正真正銘の敵なのだ。

「僕からも質問していいかな」

 なぜこいつに質問されなければならないんだとも思ったが、こちらの質問に一応ではあるが答えてもらった手前、断るのも道理が通らない。仕方ない、答えてやるか。

「君は光に何を望むんだい?」

 まだ何も言ってないのに、構わず問いを投げてくる。沈黙を肯定ととったか。勝手な奴だ。

「俺は……魔法を無くしたい、と思っていた。でも今は、ただ、やり直したい。魔法を無くそうにも、そうしたい理由が無くなったからな」

 自分を突き動かしていたものが無くなるのは、とてもつらいことだ。無くしたものに気付かない振りをしても、亡くしたものを忘れようとしても、結局いつかその喪失に向き合わなければならない。あの白い花の魔物によって無理矢理に向き合わされている今、それが痛いほど分かる。もしやり直せるのなら。そう願わずにはいられなかった。

「ねえ!」

 その時、夕が何かを思いついたように、それでいて、どこかわざとらしく手を叩いた。

 そして続けられた言葉に、耳を疑った。


 僕と、手を組まないかい?

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