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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
終章 ~光への道~
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第七話

 頬に冷たい何かが落ちた。袖で雫を拭い、空を見上げる。

「傘持ってきた方がよかったかなぁ~」

 相変わらず間の抜けた声だ。そんな声を出しながら隣を歩くこの男は、肩をすぼめながら今にも泣き始めそうな曇天を仰いでいる。

「傘なんて貴族かぶれのもの、領内視察に必要ないだろう。それに、水も滴るなんとやらとも言うじゃないか、道風」

「えっへへ~、それもそうか! 陸も言うようになったねぇ」

 最近、この飄々とした男、生島道風の扱い方がようやく分かってきた。最初こそ自分のそれとはあまりにかけ離れた性格に辟易したものだが、四年も同じ釜の飯を食い続ければ、さすがに慣れるというものだ。

 もっとも、同じだけの飯を食い続けてもなお慣れない、いや、慣れたくもない相手が一人、あの屋敷にいるのだが。今日は森の探索とやらで出払っているらしいが、なぜそのような任にあの魔導師様がわざわざ就いているのかは知らされていない。流石に勘繰りすぎだと信じたいが、どこか現当主の恣意的なものを感じるのは確かだ。

 そのせいかは分からないが、朝から不穏な気配を感じており、何かおどろおどろしいものに耳元でずっと囁かれ続けているような、そんな嫌な予感が胸の奥でくすぶり続けていた。

 そして、その嫌な予感というものは、往々にして的中してしまうものだった。

 ようやく屋敷に帰ってきたと息を吐いた途端、門前に黒い塊が横たわっているのが見えた。

「あれって!」

 道風が声を上げたと同時に地面を蹴った。

 見覚えのある旗印。慌てて駆け寄ると、果たして足軽の、それも元山村の足軽達の纏う甲冑であった。全身に赤黒い染みが散見され、彼が歩いてきたであろう道にも点々とそれらが連なっている。身体を抱き寄せると、まだ傷が塞がっていないのかどくどくと流れ続けている血に両手が濡れた。

「おい! 誰にやられた!」

「突然、襲われて……色葉、様が……私……たちを…………私以外、殺され……」

 血を吐き、咳き込んだ彼は、ほとんど音にならないような声で、助けて、とだけ言い、身体を痙攣させてそれきり動かなくなった。

「……色葉、が……?」

 血の気が引くとは、まさにこのことか。音を立てて引いたそれは、やがて身体の中で沸騰し、背中を、腕を、顔を焼き、目の前を真っ赤に染めた。

 なぜ、どうして。状況を。経緯を。真実を。知らなければならないことは沢山あるのに、思考はそれらを探ることを拒否した。隣で誰かの声がしているが、それすらも耳から奥へは入ってこない。

「……ゆるさない」

 自分の口から漏れた声。それは確実に自分のものであるはずなのに、なぜかひどく、他人のもののように思えた。

 色葉(魔導師)この兵(非魔導師)を、殺したのか。

 もはや我慢の限界だ。

 いつもそうだ。魔導師が治めるここでは、いつも非魔導師ばかりが虐げられる。戦略的重要性だとかなんとか言って、奴らは俺達を簡単に切り捨てる。前線に立つ俺達は、いつも、後方支援しかしない奴らに。ここだけではなく、日の本全てが。

 人ではない化け物の分際で。

 俺達人間を。

 許さない。

 その時、まるで何者かに操られるかのように、足が自然と練兵場に向いていた。耳元で囁く声と同時に、小さく呟く。


 さあ、化け物退治だ。




 事を為すのは容易だった。

 非魔導師である一般兵、特に山村と生島の兵らを扇動し、藤神の屋敷を取り囲んで火をかけた。兵とはいえ元は農民であるから、こと食糧に関して善政を布いていた現当主に弓を引くのは躊躇われるかと思いきや、彼らはいとも簡単に煽られてくれた。それだけ魔導師に対する差別が色濃く残っていたのだろうか。

 いや、各々の真意などどうでも良い。ただ、一つの結果のみがそこにあるだけだ。

 数人の精鋭を引き連れ、燃え盛る屋敷の中を化け物を探して闊歩する。化け物らを切っては捨て、切っては捨てる。突然の奇襲に手も足も出ないといった風だ。

 やがて最奥の部屋に辿り着いた。襖を蹴倒し、奥に鎮座していた老人に刀を向ける。

「お命、頂戴いたす」

 その背中は、微動だにしなかった。これが化け物の余裕というものか。その様は大層忌々しかったが、この状況では刃向うことなどできまい。圧倒的に我々が有利なのだ。

 ああそうだ、ただ殺すだけでは勿体ない。見せしめにしようではないか。

「捕らえろ」

 そう傍らの兵に命じ、組まれた両足を槍で文字通り床に縫い付けさせた。

 さて、もう一体の化け物を待つとするか。




 徐々に強まってきた雨の向こう、藤神の屋敷の方角に炎が見える。土を抉る蹄の音に紛れて、背後から息を呑む音が聞こえた。

「間に合わなかった……?」

「静かにしていろ。舌噛むぞ」

 後ろに乗せた夕に冷静に言葉を投げつつも、手綱を握る手に力がこもる。赤い煙が見えた途端、腰に回された手にも力が入ったところをみると、彼も彼なりに責任のようなものを感じているのかもしれない。

「……僕は、この結末を、最後まで見届けなくちゃいけないんだ」

 夕は浅い呼吸を繰り返しながらも、ゆっくりと言葉を紡ぐ。その声にどこか決意のようなものを感じ取り、黙って聞いてやることにした。

「僕は、この時のために、自分勝手なわがままを通して、自分以外の全てを捨てて、自分さえ騙して、この時代を生きた。これが正しいのかは、分からない。分からないけれど、僕はこの道を信じて歩いてきた。だから……」

 不意に声が途切れる。

 そして背中に何かが押し当てられた。

「…………兄さん……」

 はっとした。消え入るようなその声は、まさにただの子供の声だった。確かに彼はついさっきまで敵だったし、言わずもがな只者ではないのだろう。悪い奴らだとも、極悪非道の連中だとも思っていた。だが、そんな彼も蓋を開ければ只の人間、魔法が使えるだけの、只の幼い子供なのだ。こんな奴にも兄が、血縁がいる。そんな当たり前の事実が、妙に胸の深いところを突いた。

「俺はお前の兄じゃない」

「ふふっ、分かってるよ。でも、似てるんだ、君は。兄にも、僕にも」

「どこがだ」

「どこがだろうねぇ」

「……俺はやっぱりお前が嫌いだ」

 背中に押し付けられていた額がようやく離れた。心なしか呼吸が少しだけ穏やかになっている気がする。しばらくは大丈夫だろう。

 それから無言で馬を走らせ、いよいよ屋敷の近くまで来た。さすがに足手まといを連れていくわけにもいかないので、深手を負っている夕をそこにあった民家の納屋に隠れさせ、再び馬を駆って煌々と火の手の上がる屋敷へと急ぐ。

 無事でいてくれ。

 閉じた瞼の裏にいくつもの顔が浮かぶ。魔導師かそうでないかの違いこそあれ、皆仲間だ。これ以上、無為に命を落とさせはしない。いや、魔導師かどうかなんて関係ない。俺は、藤神の人間として、人の上に立つ者として、彼らを守り抜かなければならないのだ。

 その想いに偽りはなかった。

 しかしそれは、単なる独善に過ぎなかったのだろうか。

 ようやく屋敷に辿り着いたその瞬間、思いもよらない光景が視界に飛び込んできた。屋敷を取り囲んでいたのは、その「守るべき仲間」だったのだ。藤神に連なる兵達の見慣れた鎧がいくつも見える。

 馬を降り、姿勢を低くして身を隠し、まとまらない思考をかき集める。

 これはきっと何かの間違いだ。そうだ、お祖父様なら何か知っているかもしれない。もしかすると、夕の言っていた通り屋敷を奴らの仲間に占拠され、今まさに奴らを討ち取ろうとしているのかもしれない。とにかく、誰かに経緯を問いたださなければ。

 再び駆け出したが、やがて妙な違和感に足が進まなくなった。何かがおかしい。焼き付くような不安感を押し殺し、一歩ずつゆっくりと歩を進める。そしてようやく兵達の顔が視認できるまで接近したとき、その違和感の正体が判明した。

 誰一人、一切動いていないのだ。

 ただただ屋敷を取り囲み、呆けたように煌々と燃え盛る炎を眺めている。それは不思議というより不気味だった。ついに互いに触れられる距離にまで達したが、それでも炎に視線を釘付けにされた彼らは微動だにせず、誰も声を発していなかった。意を決して近くの兵の肩を叩いてみたものの、やはり何の反応も示さず、まるで魂が抜かれてしまったかのようだった。

 これが、夕の言っていた「騒ぎ」とやらか。随分と騒々しいものだ。

 その時、閉ざされていた門が重い音を立てながらひとりでに開いた。

「……入れと、いうことか?」

 見えない何かに誘われるがまま門前へと歩を進める。妙な風が吹いた。肌にまとわりつく不快な風。熱気を孕んだそれは、しつこく頬を撫でて吹き抜ける。何度も何度もくぐったはずの屋敷の門が、今はひどくよそよそしいものに感じられた。

 お祖父様のところへ行かないと。

 祖父の魔力の気配を屋敷の中に感じ取り、唾を一つ呑み込んで門をくぐった。

 静かだ。空気は重く、火の爆ぜる音のみを響かせている。顔を焼く熱だけが、この世界が現実のものであることを証明していた。

 屋敷の木造の屋根が炎に包まれてみしみしと悲鳴を上げている。今にも崩れそうなそこを避け、庭の方へと回る。いつぞや眺めた草花が踏み荒らされているのを尻目に、比較的炎の勢いの弱い場所から欄干を飛び越えて廊下へと上る。

「っ……!」

 屋敷の中は惨憺たるものだった。

 焼かれて顔の判別つかないもの。全身を執拗に槍で貫かれているもの。四肢がなく、臓腑の飛び出しているもの。細かく観察するに堪えない「もの」が、そこかしこに転がっていた。

 痛みを堪えるように歯を食いしばり、炎の中を駆ける。やがて最奥の広間へと辿り着いた。

「お祖父様!」

 声をかけながら、襖を開ける。

 ――刹那、時が止まったかのように世界から音が消えた。確かに周りは燃えているのに、音も熱もそこには無かった。

 まるで、自分だけが世界から切り離されたかのように。

 広間の中央に四つの人影を捉えた。床に倒れている三つの影と、そのすぐそばに屹立している一つの影。倒れている方は、夫婦とその子供だろうか。

 女の声がする。静かな世界に、たった一つだけの声が。

「お願い、です。この子に、どうか、強さを」

 聞いたことのない声だ。息も絶え絶えに続ける。

「お前は、つよく、あれ」

 そう手を伸ばした先には、年端もいかない子供が倒れていた。やがて女の腕がぱたりと床に落ち、隣で動かなくなっている男と同じく静かになった。

 しばらくすると、子供の瞼が開かれ、小さな口からか細い声が漏れた。何を言っているのかまでは分からない。熱に浮かされた戯言のような、声にならない音を出している。しかし、子供はたった今事切れた女の方を見ていることだけは分かった。

「……ならばお前の、大切な子をいただこう。望みを叶えてやる代償に、その子供を利用させてもらう」

 子供の傍に歩み寄った黒い影が、そんな言葉と共に子供の視界を手で覆った。

「許せよ」

 その声は、どことなく慈愛に満ちた、しかしどこか諦観の念を感じさせるものだった。いや、もしかすると安堵の声だったのだろうか。数え切れないほどの感情を併せ持つその様子を的確に言い表そうとするには、持ち合わせている語彙は赤子のそれ同然だった。

 視界を塞がれた子供は、まるで深い眠りに落ちたかのように、黒い影にぐったりとその身を預けていた。影は慈しむようにその頭をそっと撫でる。

 親子とは、こういうものなのだろうか。

 その時、女の身体が末端から消え始めた。魔導師の身体を構成しているマナが、虚空へと帰しているのだ。やがてその淡い光は炎の中で渦を巻き、子供の方へと吸い寄せられていく。やがて核となっていた眩い光だけを残して、女の身体だったものは塵一つ残さず消えた。

 その様はまるで、子供が女の生命を喰らっているようだった。

「……ひっ!」

 背後で息を呑む声がした。振り返ると、廊下に立ち尽くしていた幼子が、それ以上声が漏れないよう口を手で覆っているのが見えた。信じられないとでもいうように首を左右に振り、廊下を駆けていく。その背中には見覚えがあった。

 袖の中にある首飾りの欠片を、強く握り込んだ。

 ああそうか。やはりこれは、俺の記憶か。

 いや、少し違う。この状況を俺は見てはいない。俺に関する景色を誰かに見せられているのだ。九年前のあの日、俺がそれまでの記憶を失ったあの日に、ここで何があったのかを。あそこで眠っている子供、藤神色葉が何をしたのかを。

 再び広間の中へと視線を戻すと、すでにそこに黒い影は無く、倒れている大小二つの人影を、空中に漂っている白い光が照らしているだけだった。

 子供がうっすらと瞼を開く。その瞳の色は、炎と同じ。

「……ずいぶんわかいうつわだな」

 両手を握り、開く。大儀そうに立ち上がり、体の機能を確かめるように全身を動かす。

「まあ、つかえりゃもんだいないか」

 そして、漂う光を見上げ、手を伸ばしたその刹那、爆発音が轟いた。子供のいる側と反対の広間の壁が弾け飛び、木片がこめかみのすぐそばを掠める。

「間に合わなかったか……!」

 土煙の中から、聞き慣れた声がした。しわがれた、老人の声。

 はじめは子供を助けに来たのだと思った。しかし、土煙の中から現れた老人の形相を見て、そうではないことはすぐに分かった。憤怒に歯を食いしばり、今まさに光を手にせんとしている子供を鬼のごとく睨み付けている。対する子供は、うっすらと口端を持ち上げてみせた。

「ざんねんだったな」

 子供が光に触れた途端、視界が白く塗り潰された。咄嗟に目を瞑り、片手を眼前に掲げる。

 静寂が満ちた。

 二、三回ほどの呼吸を置いて、指の隙間から様子を窺う。すると、誰の姿もそこにはなく、ただ真っ白な世界だけが広がっていた。頭上も足元も、全方位白一色に塗り潰された世界。自分が今、立っているのか浮かんでいるのかさえも分からないような世界だ。

 突然、氷のような何かが喉元に触れた。

「っ……!?」

 振り払おうとするも、腕どころか指の一本さえ動かせなかった。声も出せない。身動きの取れないまま、何かが触れている首筋からどんどん体の熱が奪われていく。氷塊が背中を滑り落ち、全身の血液が凍てつくような感覚に襲われる。肌が粟立ち、呼吸もままならなくなる。首筋に触れた何かはそのままするすると項へと回り、首を一周したかと思うと、徐々にその圧迫感を増した。

 苦しくはない。ただ、とても寒い。

 死とは、こういうものなのだろうか。朦朧とする意識の中そう思った、その時。

「そうだよ。お前にも分かるかい、この寒さが」

 耳元で声がする。たった今聞いていた子供の声と同じだ。幼き日の自分の声。

「ちがうよ。僕はお前じゃない。いいや、逆かな、お前は僕じゃない」

 背筋を這う氷が、より一層その冷たさを増した。気付けば、首を絞める冷たい何かが、人の手の形をとっていた。

「寒いでしょう。本当に寒かったんだ。周りは全部燃えているのに、体は芯から冷えていって、感覚も消えていって……」

 ついに膝から崩れ落ち、その場に腰をしたたか打ち付け倒れ込んだ。

「なのに、お前は、こんなにも、あたたかいものを……」

 仰向けに倒れて見上げたそこには、先の子供の顔があった。

「ねえ、お願い、返して。その身体も、あたたかさも、全部、全部返して。それは僕のものだ。お前のじゃない。返して、返してよ、返せ、返せっ!」

 繰り返される怨嗟の囁きが叫びになるにつれ、喉を締め上げられる力が強まっていった。

 ああそうか、ようやく腑に落ちた。俺は、あの日あの場所で、この子のものだった生命を食ったのか。だから今、こうして取り返されようとしているのか。俺の記憶は失われたのではなく、そもそも最初から存在しなかったのか。

 それでも。

 閉じた瞼の裏に映るのは、今まで出会ってきた人達の顔。確かにそれは優しいものだけではなかったが、それでもその目線は、他の誰でもない自分自身に向けられていた。

 嫌だ。返したくない。奪われたくない。この生命は、俺のものだ。


「それなら、お前自身の手で掴み取れ! 藤神色葉!」


 叫び声が脳裏を貫いた。瞬間、今まで少しも動かせなかった両手が、いつの間にか首を絞める細い手首を掴み返していた。全身を覆う氷が剥がれ、溶けていく感覚がする。動かせる。

 驚愕に目を瞠る彼の身体を蹴り上げ、その勢いのまま後転して着地する。すぐさま距離を取って刀を抜きつつ眼前の一点を注視する。ろくに受け身も取れず転がった子供は、その年恰好に似合わない鬼の形相でこちらを睨み付けながらゆらりと立ち上がった。

「いったいなぁもう……これはとんだ誤算だね。お前まで呼んだ覚えはないんだけど」

 子供が睨んでいるのは俺ではない、その後ろ。

 振り返ると、またしても自分――現在のそれである――と同じ顔があった。しかし、その特徴的な紅い瞳が、全くの同一ではないことを示していた。

「こうして顔を合わせるのは初めてか。そんな気はさらさらしねぇが」

 不敵に口端を吊り上げて笑うその様には、確かに覚えがあった。明確に何とは言えないが、ずっと自分の中にあったもの。何度も助けてくれたものだ。

 ねえ、と低い声が刺さる。

「これは僕らの問題なんだ。部外者は口出ししないでくれる?」

 いつの間にか子供の足元には巨大な黒紫色の魔法陣が展開されており、彼の背後にもその小柄な体躯の何倍もある陣が幾重にも広がっていた。他にも大小様々な魔法陣が歯車のように複雑に絡み合いながら回転しており、その総数は四、五十はあろうかというほどであった。

 迫力に圧され、足が一歩後ろへと下がる。

「ご丁寧に威嚇してくれたもんだなぁ? 弱い犬ほどよく吠えるってか!?」

「うるさいな、まだ何もしてないだろ。あと自己紹介どうも」

 煽り文句に舌打ちを返した紅眼の彼は、俺の隣まで歩を進め、抜刀して同じように構えた。

 当たり前のように隣に立ってくれることが、やけに心強かった。

 再び子供の顔を見やる。

「それで、用件は何だ。俺は早くおじい様のところへ行かなければならない。こんなところで無駄話をしている暇はない」

「おじい様、ねえ……」

 子供が目を細める。

「さっきも言ったろう? お前の生命は、本当は僕のものなんだ。だから、あの人も僕のおじい様だ。お前のじゃない。それにお前は見たはずだ。僕が殺されたときに、何があったのかを」

 魔法陣がぱちぱちと爆ぜ、光を放ち始める。

「母上は僕に『強くあれ』と願った。そしてそれを光は聞き届けた。だから僕が強くなって、母上の代わりに藤神の血を、妹を守るはずだった」

 唇を噛み、眼の奥の昏い輝きを増して語気を強めた。

「それなのにお前が! お前が僕を殺してこの身体を奪った! 母上が願いを口にした途端、僕はお前に殺されたんだ! そんな部外者をみすみす招き入れるようなお前が! 妹もろくに守り切れないような弱いお前が!!」

 子供の頬を伝った雫に、胸が締め付けられた。

「なら、お前なら全部上手くいったのか?」

 俺が言葉を返すよりも先に、すぐ隣から声が上がる。

「当然だ。僕はお前らみたいな紛い物じゃない」

「だがこいつはお前より強いぞ。なんたってお前の母親が『強くあれ』と望んだお前なんだからな」

「……だったら、今ここで証明してみせろ!」

 子供が右腕を天高く掲げた途端、彼の背後の魔法陣が唸り声を上げた。瞬間、暗雲が立ち込めるかのように白い世界が黒く染まっていった。それはまるで雷雲のような。

「あぶねえ!」

 突き飛ばされた。俺を助けるためではなく、反動で反対側へと跳ぶために。

 二人の間を稲妻が切り裂く。

 まるで、ではない、自分達は今まさに雷雲の中にいた。

 突き飛ばされた勢いそのまま体勢を立て直し地面を蹴る。二対一。数の上ではこちらが有利だ。速攻で決める。

 左右の二方から攻め入ったにもかかわらず、その両方に向けて稲妻が走った。だが、先程のあれを避けられたことこからも考えられるように、おそらくこの稲妻は自然のものではなく、目標とする地点へ落ちるだけの指向性を持ったものだ。避けられないわけではない。

 何とか子供を間合いに捉えた刹那、今度は足元の魔法陣が光った。しかしそれだけだ。口元を嘲笑に歪ませただけで、腰の刀に手を伸ばそうともしない。

 なぜ、と違和感を覚えながらも、柄を握る手に力を込める。骨を断つ、それだけを考えて。

 子供の右腕に刃が通ったその瞬間、肩から先の感覚が消えた。遅れて激痛が走る。子供の肩口を薙ぎ払った刀は、確かに子供の右腕を切り落とした。だが、その瞬間に感覚を失った手から刀が離れ、足元に転がった。何が起きたのか分からないまま膝から崩れ落ち、体重を手で支えようにも一切の感覚がなく、そのまま顔から地面に激突した。

 まるで右腕を失ったかのような錯覚。

 それは赤眼の彼も同じようで、絶叫と共に子供の向こう側に倒れ込んだ。

「お前は僕の紛い物。認めたくはないけど、お前は僕で僕はお前なんだ。だから、お前に僕は殺せない」

 切り落としたはずの腕が痙攣し、ふわふりと宙を舞って元あった場所へと戻る。接合部に滲む血の跡が消えると、子供は手の平をゆっくりと開閉させて薄く笑った。

「痛い……な。うん。やっぱり痛い。でも。これが生きてるってことなんだ」

「はっ、痛めつけられて悦ぶなんてな。気持ちわりい」

 そう吐き捨て、片膝をつきながらも立ち上がろうとする赤眼の彼の腹を、子供は振り向きざまに蹴り上げた。小さな身体のどこにそんな脚力があるのか、彼は身体をくの字にして吹き飛んだ。

「邪魔だな。この子と遊んでなよ」

 懐から人型に切り取られた紙を取り出し、それに息を吹きかける。するとそれはたちまち増え、蛇のような、竜のような群れの形をとった。子供が何かを囁くと、それは一直線に赤眼の彼へと襲い掛かった。

 子供はすぐにそれから興味を失ったかのようにこちらを振り返り、足元に転がった刀を拾い上げた。

「うん。やっぱり僕の刀だ。手に馴染む」

 身の丈ほどもある刀を一振りし、満足げに頷く。刀身が彼の魔力に反応し、昏く光る。

 自分の得物を奪われ、それを向けられている。まさに絶体絶命の窮地だが、何が何でも負けるわけにはいかなかった。

 まだ腕は痺れてはいるが、実際に切られたわけではない。そのことを深く意識すれば、動かせる。

 痛い。が、裏を返せば、痛いだけだ。

「どう? 僕に身体を明け渡す気になった?」

 切っ先を真っ直ぐこちらに向けてくる。美しい構えだ。

「美しいでしょう。そりゃあそうだ。お前に身体を奪われてから、僕はずっとそれを取り返すことだけを考えて『生きて』きた。身体は無くとも、お前達を見ることはできたからね」

 先ほどから、まるでこちらの思考を読んでいるかのような言動をされるのが、気味が悪いと同時に、妙に腹立たしかった。上体を起こし、ありったけの虚勢を顔一面に出す。

「なるほど、確かによくできた猿真似だ。だが、それだけだな。真に戦場で振るったことのない刃が俺に届くとでも」

 言い終わらないうちに切っ先が風を切って眼前に迫る。

「いいから、死ねよ」

 今までのそれよりもさらに冷たく、重い声。

 刀の先端が左目のすぐ下に食い込み、頬に一筋の熱い雫が伝ったのが感じられた。破られたのは薄皮一枚のみだが、それでも焼けつくような痛みが走る。実際、彼の魔力が込められた刃は、黒い炎を纏っているようだった。

 背筋が震えた。この刀を向けられた者は、こんなにも薄ら寒いものを感じていたのか。

 だが、自分の生命は自分の手で掴まなければいけないと、赤眼の彼に教えてもらったのだ。この手で、掴み取れと。

 覚悟を決め、歯を食いしばった。

「ぐっ、あああああっ!」

 利き腕と反対の右手で刀身を掴む。刃を掌底で受け止め、渾身の力を刀身と垂直に込める。刃に皮膚を食い破られる痛みよりも、魔力に焼かれる痛みの方が何倍も強い。まるで炎を掴んでいるようだ。それでも、その手を離すわけにはいかなかった。

 刀を左へと押しやり、立ち上がって一歩前へ踏み込む。少しでも気を抜くと、すぐに同じ力で押し戻されてしまう。当然だ。俺と彼は、同じなのだから。

 彼の眼は、刀と同じ黒色に燃えていた。

「諦めの悪い奴だなお前は!」

「俺は、自分の望む未来を掴むまで、歩みを止めないと決めたんだ!」

 俺は間違えた。手にしたい願いに囚われ、本当に手離してはいけないものを手離してしまった。あの白い花のように輝く笑顔を、手離すべきではなかったのだ。

 本来なら、失ってしまったものは二度と取り戻せない。それが道理だ。だが、俺にはそれを取り戻す術がある。「世界の光」を手に入れるまで、俺はこの歩みを止めるわけにはいかないのだ。

 続く膠着状態。刀が折れるのが先か、右手が砕けるのが先か。正直、そろそろ限界が近い。

 あと一手、何かあれば。

 どうする。どうすればいい。いっそこのと腕の一本でも差し出せば、刺し違えてでもこの局面を突破できるかもしれない。だが、思い通りの結果になる保証は無い。何か、確実な一手が。

 その一瞬の膠着の中、俺も、そして対峙していたこの子供も、ある一つの存在を忘れていた。その存在は、この子供に「死」をもたらすもので、俺に「生」をもたらすものだった。彼によって死に、彼によって生かされる。元は同じ生命のはずなのに、たったそれだけの違いが、これほどまでに大きな差をもたらしたのだ。

「かはっ……!?」

 突然、胸が燃えるように熱くなった。心の臓を掴まれ、内側から胴体を貪られるような感覚。一切の呼吸ができなくなり、全身から玉のような冷や汗が噴き出す。

 刀を掴んでいたことなどすっかり忘れ、両手で胸を掴んで膝をついた。肩を上下させて喘ぐも、思うように空気が入らない。熱い、苦しい。

 赤い雫が落ちたのが見えた。奪われた刀が落ちたのが聞こえた。

 霞んだ目を上へ向ける。

 驚愕の表情を張り付けた子供の胸から、白銀色のものが生えていた。その先端からは血が滴り落ち、地面に真紅の水溜りを広げていた。その背中を貫いたものが引き抜かれると、彼はよろりと前へふらつき、その水溜りに足を取られて倒れ込んだ。

 その向こうに立っていたのは、全身傷だらけになった赤眼の彼だった。視線が交差すると、彼は、それが自分の生き写しだとは思えないほど、穏やかな笑みを浮かべた。自分の顔は、ああも優しい表情もできるのかと、妙な感慨を持った。

 一瞬の静寂の後、子供の甲高い絶叫が響き渡った。そのあまりの痛ましい声に、顔を背けた。

「貴様……貴様ぁ!!」

 子供は地面に落とした刀を拾い上げ、怨嗟の叫びを上げながら彼の胸を一閃した。鮮血が散り、視界が赤に染まる。勢いそのままこちらを振り返り、またしても刃を向けてきた。しかし、あと一歩のところで力尽きたのか、再び刀を取り落し、俺の胸へもたれかかるようにして倒れた。

 絶叫はやがて、嗚咽へと変わった。

「こんな、ところで、っ…………僕は、なんの、ために……生きて……!」

 年相応に泣きじゃくる彼を、俺はそっと抱き寄せた。背中に回された手は、そんな俺を引き剥がそうとしているのか、それともしがみつこうとしているのか、もはや力が入らなくなっているようで判別できなかったが、それでも微かに体温があった。

「あの子は、白花は、必ず俺が取り戻す。必ず、守ってみせる」

「やく、そく、だからな……」

「ああ」

 それは慰めなどではなかった。この時確かに、自分の心の中に決意があったのだ。他の誰の、どんな願いを踏みにじることになったとしても、妹を取り戻すという決意が。

「ぼくの、かわいい、いもうと……きみだけが、ぼくを……みてくれて、たすけてくれた……きみだけが、ぼくを、こわがらず、に…………ありがとう……ほんとうに、ありが、とう……」

 俺の顔を、いや、俺の面影に似た誰かの顔をじっと見上げて、感謝の言葉を紡ぐ。それきり、彼は動かなくなった。

 彼にあったことを何一つ知らないが、おおよその察しはつく。魔導師に生まれたというだけで、畏怖の対象として尋常ならざる目で見られるのは、とても辛く、寂しいことだ。

 だが、そんな目で見られるのは、魔導師に生まれたという理由ではないのかもしれない。魔導師であっても、俺には確かに仲間がいた、俺を見てくれる相手がいた。多くの者から避けられ、同じように避けていたのは、単に互いのことをよく知らなかっただけかもしれない。それを確かめるのには、自分の交友はあまりにも狭く、少ないものだったように思う。

 これから、長い時の中で、それを確かめられればいいと、そう思った。

 子供の身体からマナの乖離が始まった。抱き締めていた体温が光に消え始める。

「はぁーっ、終わった終わった」

 両腕から温もりが完全に消えた頃、頭上から声がした。そちらに視線を向けることなく、手の平を握りこんだ。

「俺は……礼を、言うべきなのだろうか」

「止めを刺したのは俺だしな。多少は感謝されても」

「違う!」

 自らの口から出た大きな声に、自分でも驚いた。胸が裂け、今もなお赤い染みを広げていながら、何の苦も無さそうにそこに立っている彼を見上げ、睨んだ。

「俺に何をさせたいんだ!? 今回だけじゃない、今までずっと、何度も何度も俺を助けて、こうまでして生きながらえさせて! 俺に、何を!」

 軽く目を瞠った彼は、赤い瞳を彷徨わせ、薄く笑った。

「お前はどう思う?」

「は……?」

「俺は、お前を通して長生きして、いったい何がしたかったんだろうな」

 穏やかな表情に、どこか寂しげな色が混ざった。

「お前は、何者なんだ」

「そういや、あの小せえの……なんて名だっけか、夕? あいつと話の途中だったな。あいつにも伝えておいてくれ。俺はただの人間だってな」

 そして彼は、まるで子供をあやすかのように、俺の頭にそっと手を置いた。自分と同じ手のはずなのに、なぜかとても優しく、温かく感じられた。気付けば、その温もりに縋るように、俺は静かに目を閉じていた。

「案外、悪くなかったぜ。お前と生きるのは」

 そう続けた彼は、俺の髪の毛をくしゃくしゃとかき回すように荒っぽく撫でてきた。非難の声を上げようと再び目を開いた。

「おい、やめ……」

 息が詰まった。

 すでに彼の身体は消えかかっていた。

 彼の生命の灯が、今まさに消えようとしている。その事実が上手く呑み込めずに、俺はただ彼の透ける身体に手を伸ばした。

 楽しかった。俺の手を取り、最期にそう笑って、彼の身体もマナへと還っていった。

 随分と、呆気ないものだ。

 力なく落ちた自らの手の平に視線を移す。

「……楽しかった、か」

 一人残された俺は、彼の身体を構成していたマナの最後の一つが見えなくなるまで沈黙を貫いていた。しばらく自らの呼吸の音だけを聞いていたが、とうとう堪え切れなくなって漏れ出る吐息に声を乗せた。

「大馬鹿者……」

 礼を、言い損ねてしまった。

 謝罪を、伝え損ねてしまった。

 あんな顔をされては、言えるものも言えなくなってしまうだろう。

 どんなに悔いても、どんなに嘆いても、今この胸の内を彼に伝えることは絶対にできない。それが、別れというものだ。

 だが、もし、もしもまたどこかで出会えたとしたら、俺は彼に何を伝えればいいのだろう。何を言えばいいのだろう。とりあえず、また会ったなと笑ってやろうか。

 そんなことをうつらうつらと考えながら、意識をそっと暗闇に手放した。


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