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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
四章 〜儚き夢の如く〜
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第一話

 白き花は清浄の証。純粋であり、穢れなきものである。故に、それは魔のものに魅入られやすい。周りの魔をおびき寄せ、その身に宿し、浄化させる。

 だからこそ、白き花は清浄の証なのだ。

 

 

 

 ──八月。

 色葉達が淡路から帰還してから、早一ヶ月以上が過ぎた。青々とした森や、凛とした花が、点々と自らの色を主張している。あるものは肩を寄せ合い、あるものはたった一人で。

「…………」

 色葉は、その中に咲いた、一輪の小さな花を眺めていた。雑草の中に生えた、白い花。地面にしゃがみ込み、その名も無い花に片手を添える。

「……きれい……」

 指で花びらをなぞりながら、色葉は微かな呟きと吐息を漏らした。

 暑さの峠は過ぎたものの、いまだ残暑は厳しい。澄み渡る青空から照り付ける陽光は、容赦なく色葉の薄い肌を焼いている。そんな中、涼しげに光るこの白い花は、まさに心の癒しだった。

 色葉はその癒しから手を離し、若草の地面に腰を落ち着けた。柔らかな土の感触が、薄い生地の衣を通して素肌に伝わってくる。そばを流れる川のおかげか、地面が少しひんやりしていて心地よかった。

(それにしても遅いな)

 穏やかな風に揺れる前髪をかき上げながら、色葉は光を反射させている水面に顔を向けた。

 自分は何も、休憩のためにここへ赴いたわけではない。人を待っているのだ。

 溜まっていた雑務はとてもこの時間までに終わる量ではなかったのだが、それを適当に切り上げ、握り飯を軽く腹に入れてからここへ来た。いつもなら、そろそろ慌しい足音と共に元気な声が聞こえてくる頃合いなのだが、先程から待っている相手は、いまだ姿を見せなかった。

 太陽が真南から少し西よりに傾き始めている。約束の時間はとうに過ぎているはずなのだが、いかんせん向こうも仕事がある身だ。色葉のような事務作業ではないので、中々切り上げづらいのだろう。数人の魔導師達を前に、はきはきと指示を飛ばしている姿が、いとも簡単に色葉の脳裏に浮かんだ。

 なんだか微笑ましいなと思っていると、無意識の内に欠伸が出た。

(眠い……)

 その時、おもむろに色葉は立ち上がった。水辺まで歩を進め、再びしゃがみ込んだ。衣の袖を捲くり、澄んだ水の中にそっと手を差し入れる。

 冷たい。

 手首まで水中に浸す。そして両手でその水を掬い、顔に打ち付けた。

「……うーん」

 冷たくて気持ちが良いのだが、いまいち眠気がとれない。小首を傾げた色葉は、大きく息を吸い込み、今度は頭まで水に浸かった。首をぶんぶん振り、水気を吹き飛ばす。いっそのこと水浴びでもしようかと思ったが、さすがにこれだけで済ませておいた。

 だがそれだけで、眠気も暑さも幾分かましになった気がした。長い溜め息のようなものを吐きながら、色葉はふと水面に視線を落とした。

 自分の顔が映っている。本当にこれが武家の長男なのか、と疑いたくなるような顔。力強さなどからはかけ離れた可憐な顔を見て、色葉はその表情を曇らせた。

(……もっと男らしくなれたらな……)

 その時。

「──色葉ー!」

 これで四度目か。ここ連日聞いている自分を呼ぶ声と足音が、色葉の思考を彼方へと追いやった。と同時に、その曇った顔が晴れ渡った。彼女の前でくらい、同じように元気でいようという意識がはたらいたのかもしれない。

 すくっと立ち上がり、彼女を振り返った。肩を上下させているその彼女は、色葉の顔を見て苦笑いを浮かべた。

「ごめんごめん、遅くなっちゃった」

「大丈夫だよ。俺も今来たところ」

 そんな事はないのだが。だが、わざわざ本当の事を言うまでも無いだろう。そう思った色葉は、微笑を浮かべて彼女の瞳を見やった。その瞳が輝いているところを見ると、本当にこれが楽しみなんだなと、改めて思う。

「じゃあ、始めようか」

 すると少女──水望は元気よく頷いた。

「はい! 先生!」

 今日もまた、色葉の魔法講座が始まった。

 

 

 

 水望に魔法を教え始めたのは、つい四日前からだ。自室でうたた寝──仕事の合間の休息を取っていると、唐突に勢いよく戸が開かれたのだ。そのあまりの唐突さに、色葉は傍らに置いていた愛刀を抜き取り、その乱入者の方へと向けてしまった。

「きゃっ……!」

 短い驚きの声に、意識が徐々に引き戻された。

「……水望?」

 そこにその少女の姿を認めた色葉は、慌てて手にしていた刀を収めた。気配を感じ取れなかった事に、自分の勘も鈍ったかなと首を捻りながら、微笑を浮かべて彼女を迎え入れる。

「色葉、今絶対寝ぼけてたでしょ」

「あはは、ばれた?」

 水望の鋭い指摘に、色葉は乾いた笑い声を上げた。だが、これしきの事で動じない水望も水望だ、と思うのは自分だけではないはずだ。

 文机を支えに立ち上がり、小首を傾げながら、心なしか期待に満ちた顔をしている水望に用件を尋ねた。すると、一瞬だけ彼女の顔に切なさのような色が浮かんだ。

「約束……覚えてるよね?」

「約束?」

「私に魔法を教えてくれるって言ったでしょ? ほら、淡路に向かってた途中に」

 そう言われた色葉は、少し思案する素振りを見せた。

 そういえばそんな事もあった気がする。確か、馬の扱いを享受する代わりに、水属性の魔法を教えろというものだったか。ようやく合点のいった色葉は、もちろんと大きく頷いた。

「じゃあ、早速お願いします! 先生!」

「え、ちょっ……。俺にもまだ仕事が……」

「寝てたんならいいでしょ! ほら早く早く!」

 そんな抗議の声は完全に無視され、色葉は無理やりに屋敷の外へと連れ出されたのだった。

 

 

 

 それじゃあ、と腰に手を当てた色葉は、手始めに四日間の成果を確認する事にした。

「どれだけできるようになったか、一度やってみて」

「分かりました! ちゃんと見ててよ!」

 元気よく返事した水望は、大きく息を吐き、川に向かって両手を掲げた。目を閉じ、意識を集中させる。そして。

「清き水よ、アクアボール!」

 鈴のように澄んだ、だがはっきりとした詠唱が、静かな川辺に響いた。

 しかし、何も起こらない。

「……も、もう一回! 清き水よ、アクアボール!」

 むきになって再度試してみたが、やはり何の変化も無かった。本来なら、空中に水の塊が発生するはずの初級魔法だが、小さな水玉すら現れる気配が無かった。うーんと首を捻る水望をよそに、色葉が全く同じものを詠唱する。

〈清き水よ、アクアボール〉

 凛とした詠唱が響いたその瞬間、川の水が渦を巻きながら浮かび始めた。水飛沫を上げながら、それは大きな水球へと変化を遂げる。色葉がさっと左手を横に薙ぎ払うと、それらは何事も無かったかのように、無数の水滴となって川へと回帰した。

「色葉にはできるのに、なんで私にはできないのさっ!」

「落ち着いて、水望」

 そう頭を抱える水望を見た色葉は、苦笑いを浮かべ、言葉を紡ぎ始めた。

「……魔法というのは、人間が神様から貰った特別な力。自然界に存在するマナの力を、最大限に引き出す事ができる、神の力なんだ。人間の力じゃない。だから、最初から完璧に魔法が使える人間なんていないんだよ」

 そう語りながら川べりにまで足を進めた色葉は、水面に左手の人差し指を近づけ、口の中で呪文スペルを小さく唱えた。

「逆を言えば、その気になれば誰でも魔法は使えるって事。もちろん、素質は必要だけど」

 小さく指で円を描き、ゆっくりと腕を持ち上げる。

「焦らなくてもいい。水望は、選ばれた人間の一人だから」

 そして彼女を振り返り、指をぱちんと鳴らした。

 瞬間、霧状に撒き散らされた無数の水滴が、微笑を浮かべる色葉の頭上に七色の虹を描き出した。その美しさに息を呑んだ水望に、色葉はゆっくりと歩み寄る。

「得手不得手は誰にでもある。でも、水望はれっきとした魔導師だよ。必ず魔法は使える」

「じゃあ、どうやったら……?」

「ここは水属性のマナが豊富だから、他の場所よりは、水属性の魔法を行使しやすいはずなんだけど……」

 火属性の魔導師である水望には、対極の属性である水は扱いにくい。それを配慮した上でのこの場所だ。水望自身も、かなりの魔導師としての素質を持っている。環境は全て整っていた。

 ならば残るは、彼女自身の『考え方』のみだ。

「あのさ。水望は、詠唱中にどんな事考えてる?」

「どんなって……何とかして魔法を成功させようって──」

「それだ!」

 突然声を上げた色葉に、水望は目を丸くした。

「ど、どれ?」

「水望には、具体的な想像が足りないんだよ!」

 魔法を使うには、より具体的な想像を必要とする。マナにどのような命令式を与えるのか、その魔法を使って何がしたいのか、魔法が発動してどうなるのか。それらを、古の時代から伝わる言語──呪文スペルとして言の葉にのせる事で、ようやく魔法を発動させられるのだ。

「詠唱の時に、大きな水の塊を頭の中に思い浮かべてみて。それで今度こそできるはずだから」

「わ、分かった。やってみる」

 神妙に頷いた水望は、深い深呼吸を一つし、再び両手を掲げた。緊張を生唾と共に飲み込み、静かに目を閉じる。自らの周りに漂っているマナを感じ、体内に取り込もうと、全身から余分な力を抜く。

 想像するんだ、想像するんだ。

 そう何度も脳裏で繰り返し、瞼の裏に大きな水球を描いた。そして、微かな吐息と共に目を見開いた。

〈清き水よ、アクアボール!〉

 一瞬の静寂。何も変化は起きない。

 また失敗かと肩を落としかけた、次の瞬間、川の水が突然その流れを止めた。その一部が持ち上がり、水望が思い浮かべたものと全く同じ水球が、何も無かった空中に姿を現した。

「やった……やったよ色葉!」

 くるくると回転していたそれは、完全な球体となって宙に留まり続けた。色葉を真似て左手を薙ぎ払うと、彼の場合と同じようにそれは霧散した。

 後ろを振り返ると、色葉が優しい笑みを浮かべていた。

「お疲れ様、水望」

「色葉っ!」

 労いの言葉をかけた色葉に、水望は喜びのあまり勢いよく抱きついた。身を固くした色葉には構わず、その小さな体に腕を回し、力を込める。

「ちょっと水望っ……痛い」

「あぁ、ごめん!」

 べりべりとその腕を引き剥がそうとする色葉から、水望は慌てて距離を置いた。申し訳なさそうな表情を浮かべてはいるが、舌を出して笑っているところを見ると、全く反省はしていないだろう。仕方ないといった風に、色葉は苦笑いを浮かべた。

「火と水。その対極の二つを使いこなせるようになれば、他の属性も使えるようになるはず。全属性魔法も、水望ならきっと使えるよ」

「そうかな。だったらいいんだけど」

 その時、水望は色葉の手をとった。彼女の柔らかな指が、そっと手の平を包み込む。

「…………ありがと」

 微かな呟きは、川の音と混じりながらも、はっきりと色葉の耳朶に届いた。どういたしましてと、色葉も言葉を返す。そして二人は笑った。

 しばらくして、水望はその手を離した。離れていく温もりを名残惜しそうに見送り、色葉は先程よりも西に傾いた太陽を顧みた。

「それじゃあ、そろそろ──」

「あ〜! いた〜!」

 屋敷に戻ろうかと提案しようとした瞬間、川下の方から、そんな間延びした声が聞こえてきた。草を踏む音が、軽快な足音と共に近づいてくる。

 表情を引き締めた水望が、一歩前へ踏み出した。

「道風、ここで何してるの? また仕事放り出したりしてないでしょうね」

「違うよ〜。赤松様に色葉を呼んで来いって言われてさ。随分と探してたみたいだよ〜」

「おじい様が?」

 色葉の問いかけに、道風は頷きを返す。水望と顔を見合わせた色葉は、彼に分かったと返し、一緒に川下へと歩き始めた。

(急ぎの用件か何かかな……)

 ここ最近は、比較的情勢も安定しており、取り立てて呼び出されるような案件も無かった。東では織田家が台頭し、着々とその領地を広げているという話だが、山城国とその周辺は、ある意味不気味なほど沈黙が続いている。この平和がいつまでも続けばいいのだが、そうも言っていられないのが乱世というものだ。乱世という名の大河を止める事は、もはや不可能だ。それに、色葉が成人してからの赤松は、多少侵略に力を入れているようにも思える。もしかすると、戦は近いかもしれない。

 だが、いくら次期当主とはいえ、一人の武士に過ぎない色葉にはどうしようもない事だ。全ては、現在の主である祖父の決定に委ねられている。自分ごときが流れを変えようとも、大河は意にも介さないだろう。

 自嘲的な笑みを浮かべた色葉は、隣を歩く水望を見やった。その確かな輝きを持つ瞳を。水望のそれと目が合った瞬間、彼女の口元ににこやかな笑みが宿った。

「そういえばさ〜、二人はあそこで何してたの〜?」

 丁度その時、前を歩いていた道風が振り向きざまに尋ねてきた。一瞬にして水望の笑みが他人行儀なものに変わり、後ろ向きで歩く彼に視線が向けられた。

「色葉に魔法を教えてもらってたんだよ」

「そ〜なんだぁ。色葉が先生だったら、すぐに上達できるね〜」

「俺はほとんど何も教えてないよ。ちょっとしたこつを教えただけ」

「こつ?」

 心から聞きたそうな顔をしているが、残念ながら彼に教えたところで意味は無い。

「道風は魔導師じゃないんだから、聞いたって無駄だよ」

 ぴしゃりと言い放った水望に、道風はいかにも楽しげな笑い声を上げた。分かってるよ〜と言いながら、再び前へと向き直る。

「でもさ〜、魔法が使えるっていいよね。……羨ましいよ」

「羨ましい?」

 そういえば、陸と初めて会った時も、同じような事を言われた気がする。普通の人の目からしてみれば、そんなにも魔法がいいものに映るのだろうか。色葉には、その考えが全くもって理解できなかった。

「色葉達にとっては、その力は要らないものなんだろうけど、僕にとっては……ね」

 すると突然、水望がその足を止めた。つられて二人も彼女を振り返る。

「私は、魔法が使えてよかったと思ってるよ。魔法が使えたから、こうしていろ、っ……みんなに出会えたわけだし」

 途中口ごもったように思えたのは気のせいだろうか。僅かに頬を紅潮させた水望は、すたすたと再び歩き出した。なぜか彼女に視線を逸らされた色葉も、そのすぐ後を追いかけるように歩く。ただ一人、面白そうなものを見たというような表情を浮かべている道風は、今度は少し後ろへ離れて川岸を下った。

 色葉は水望の顔を覗きこんだ。

「……どうしたの? 水望」

「ど、どうもしてないよ!」

「それならいいけど……。先行くね」

 いつもの無表情で小首を傾げた色葉は、そのまま見えてきた屋敷へと足を早めた。その背中を見届けた水望は、小さく溜め息を吐いた。

 色葉に出会えて、ほんとに良かったよ。

 そんな言葉は、胸の奥底にしまっておいた。またいつか、ちゃんと言えるように。面と向かって言えるように。

 だからお願い。言える勇気が手に入るまで、このままでいてください。

 

 願わずにはいられない。

 それが、儚いものだと分かっていても。

 それが、すぐに壊れてしまうものだとしても。

 願わずにはいられない。


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