第十二話
闇色の服が、沈黙の中吹き抜けた風に翻った。
「やっぱりお前が仕組んだんだな。みすじ」
その三日月のように歪んだ笑みを紅葉はぎっと睨みつけた。その深緋の瞳には、明らかな怒りのようなものが浮かんでいる。
(余計な事思い出しちまったじゃねーか)
二度と思い出したくなかったあの一ヶ月間の記憶が、禍々しくも美しい色彩と共に蘇ってしまった。両手を握りしめ、込み上げてくる感情を抑え込む。
紅葉と蛍の視線の先で屹立しているみすじが、嘲笑を交えながら口を開いた。
「忘れたつもりはもう終わったのか?」
「黙れ」
怒気を孕んだ言葉を返す。だがそれを一笑に付して、みすじは言葉を続けた。
「貴様が派手にやってくれたおかげで、ここの再建には苦労したよ。無駄に浪費した魔力を返して欲しいくらいだ」
「お前ほどの魔導師なら、これくらい造作でもないんじゃないか?」
「あははっ。私はどこぞの鬼と違って、無尽蔵な魔力は無いから大変だったさ。なぁ?」
その笑い声に紅葉の眉が動く。だが視界の隅に認めた蛍の顔を見て、彼は幾分か冷静さを取り戻した。
「それで……僕達にここまでして、いったい何の用?」
蛍は一歩前へ踏み出し、みすじに問いかけた。彼女もここに良い思い出は無いのだろう、その口調はこれまで以上に平坦だった。それもそうだろう。ここでは、おおよそ人間らしい扱いなど全くされなかったのだから。
その問いかけを受けたみすじは、布に隠れた顔を蛍へと向ける。
「ああ、実験の続きをだな」
「実験……?」
「干渉には、まだまだ解明されていない部分が沢山あるんだよ。それを知るためには、実験が一番手っ取り早かった。貴様らは二人とも、その過程の途中で逃げ出したんだ」
おもむろにみすじは手を掲げた。
「これが最後の実験だ」
瞬間、空を切り裂くような、けたたましい音が響き渡った。咄嗟に耳を塞ぐ。
長く尾を引いたその音が消えようとした時、紅葉の目の前を何かが落ちていった。
「っ……!」
鼓動が激しく脈打つ。つい先ほど見た、あの紅い色。その色に反応してしまったのだ。
紅い羽を落とした怪鳥が、みすじの背後に降り立った。
「貴様らにはこいつの相手をしてもらおうか。鬼の証である紅い瞳を持つ者同士、どんな風に協力するのか……見物だな」
そう言うと、みすじは蛍の元へと静かに歩み寄った。そして耳元に口を寄せ、小さく囁いた。
「…………そういえば、一つ言い忘れていた。こいつ、貴様が探しているものを知っているぞ?」
その言葉を聞いた途端、感情がほとんど見られなかった蛍の瞳に、人間らしいそれが浮かんだように見えた。彼女は目を瞠り、かなり高い場所にあるみすじの顔を見上げる。
黙したまま頷いたみすじに、蛍は紅葉を顧みた。
「君、あの人を……知ってるの?」
これまでと言葉の響きが違う。凛としながらも重く、感情のこもった声音だ。だがそんな事を尋ねられても、自分には全く心当たりが無い。
「は? お前ら何言ってーー」
言葉を続けようとしたその瞬間、紅葉の声は劈くような鳴き声にかき消された。紅い怪鳥のぎろりと光る眼が、目の前の獲物二体を見据える。その眼光には、はっきりと殺意のようなものが見て取れた。
「おい! こいつお前のじゃねーのかよ!」
会話を打ち切った紅葉は、舌打ちを交えて声を上げた。眼前の鳥は大きく翼を広げ、黄色い嘴を突き出している。今にも襲い掛かってきそうだ。
そして次の瞬間、それは現実のものとなった。
「うあぁっ!」
凄まじい風圧の前に、紅葉の小さな身体は綿毛を吹くかのごとく飛ばされた。それは軽々と宙に弧を描き、地面から突き出た岩にぶつかる。
息が詰まる。呻き声も出ない。硬い岩に背中から打ちつけられた紅葉の顔は、苦悶に歪んだ。
「……つべこべ言ってられねえってか」
せり上がる鉄の味に咽そうになりながらも、紅葉は鞘から刀を抜き取った。全身から余分な力を抜き、右手に握った愛刀に意識を集中させる。程なくして、それは白い光を纏った。紅葉の魔力に魔剣が応えたのだ。
自分は何に対しても引けを取らない『強さ』を持っている。余計な情は要らない。ただ、目の前の敵を倒すだけ。
紅葉の口元に笑みが浮かんだ。
「そっちがその気なら……」
怪鳥の黒い瞳と紅葉の紅い瞳が、お互いを睨み合った。鋭い視線が交差する。
刹那。
紅葉の姿が一陣の風となって消えた。瞬く間に怪鳥との距離を詰め、腹部目掛けて刀を振り上げる。
「こっちも黙ってられねぇな!」
足と足の間に滑り込みながら、勢いそのまま両腕に力を込めた。紅い羽毛が視界一杯に広がる。その中心に、白く輝く刀身が吸い込まれようとした。
だがそれは、羽毛のすぐ裏側にすら届かなかった。
(硬えっ……!)
がちんという音を立てながら紅葉の一撃は弾かれた。腕が痺れる。
怪鳥の表皮は予想外の硬度を持っていた。そういえば、あの小さな鳥の魔物も硬かったな。と自分が奥底にいた時の事を思い起こす。だがこいつはそんな比ではない。まるで鋼鉄の鎧でも纏っているかのようだ。
長い尾を避け、再び怪鳥の方を向き直る。しかしその時には、巨大な翼が眼前に迫っていた。両足に急制動をかけ、急ぎ反転する。
「ぐっ……!」
何とかかわしたものの、またしても凄まじい突風が紅葉を襲った。後方に転がされ、腰をしたたか打つ。だが痛みを堪える暇はない。すぐさま跳ね起き、今度はしっかりと距離をとった。
〈雷神よ、邪なるものをその剣で貫け! サンダーブレード!〉
怪鳥の足元に展開された魔法陣の中心に、白く輝く光が突き刺さった。一瞬にして視界が光に埋め尽くされる。その間目を閉じていた紅葉は、再度特攻を仕掛けた。
今度は地面から突き出たこの岩を使う。岩の側面を蹴飛ばし、その勢いで上へと跳ぶ。目指すは鳥の頭蓋。高く跳んだ紅葉は、気合を発しながらそこ目掛けて刀を振り下ろした。
「だぁぁぁっ!」
やはり刃は弾かれたが、さすがに攻撃は与えられたようだ。甲高い悲鳴が耳朶を席巻する。先の攻撃魔法と合わさって、かなりの損害を与えたはずだ。
着地と同時に、紅葉は背後に立つ蛍へと言葉を投げた。
「お前もぼさっとしてないで手伝え!」
「ぼ、僕は……」
初めて彼女が動揺している。無理も無いだろう、この魔物は彼女の所有物なのだ。だからといって、彼女が命を奪う事を躊躇う意味も分からなかった。所詮は自分の「もの」なのだから躊躇は要らないはずだ。だが彼女は動こうとしない。
「ったく!」
蛍が使えない事を悟ると、紅葉は空の左手を眼前に掲げた。
物理攻撃が効かず、魔法攻撃も発動までの時間が稼げないので不可能だ。ならば、残る攻撃手段は一つしかない。
紅葉が持つ魔剣の輝きが消えた。
「ちょっと待って!」
蛍が声を上げるが、当の本人にはすでに聞こえていない。彼の意識は、全て左手の先に集められていた。風も音も感じない。感じるのはただ、視界の中央にある紅い色だけ。
そう。干渉なら、あるいは。
紅葉の瞳の輝きが、よりいっそう光を強めた。
刹那、こちらに向かおうとしていた怪鳥が動きを止めた。次いで、不自然に停止したその足が、突如としてありえない方向に曲がり始める。紅葉の手を閉じる動作に同調しているのか、指の関節を曲げるごとにその角度は急になっていく。じりじりと痛めつける。紅葉の体から漏れ出した魔力が、彼の衣服をひらつかせた。
先ほどとは打って変わり、怪鳥の絶叫が響く事は無かった。対する紅葉も無表情を貫いている。ただ黙々と、左手に加える力を増していった。
「もう……もう止めて!」
再び蛍が声を上げる。その表情は、嫌味なまでに人間くさかった。これまで全く見せてこなかった感情が手に取るように分かる。
しかしそんな蛍の懇願は、響いた耳障りな音に途切れた。まさしく骨を折ったような、嫌な音が高く響く。
付け根の部分から完全に折れてしまった足を、紅葉は無造作に放り投げた。くるくると回りながら飛んでいったそれは、その中途で無数の粒子となって消えていく。
実際は手を触れていないのに、それ自体に手を加える。それが、干渉の能力だ。
「……あっけなかったな」
干渉の力を受けて浮いた形になっている怪鳥を見やり、紅葉は唇を舐めた。次はどこをへし折ってやろうか。狂気じみた表情を浮かべながら、彼はそんな事を考え始めた。楽しくて楽しくて仕方が無い。
そうして再び手を掲げた、その時。
突然、耳鳴りが紅葉を襲った。それに気付いた時にはすでに、体の自由が利かなくなっていた。意識が遠のき、視界が暗転する。
「っ……く、っ……!」
喘ぐように空気を求め、喉から引き攣った声が漏れる。朦朧とし始めた意識の中、どさりという何かが落ちる音が聞こえた。だが、もはやそれどころではない。
この首を絞める圧力。とんでもない力を持つそれは、明らかに人間の手だった。しかし、今目の前に人など居なかった。確かにそこには何も無かったのはずなのに。まるで、実際は手を触れられていないのに、それ自体に手を加えられているようなーー
それが、干渉の能力だ。
遠い日の記憶。
「ーー色葉や」
優しい声が聞こえる。頭上でゆっくりとした音を紡ぐその声は、少ししわがれていて、それでいて心地よい。声の主に頭を撫でられながら、自分はその言葉に耳を傾けていた。
「お前さんのその能力は、決して他人に向けて使ってはならぬぞ」
「なんで?」
「魔法はのう、本来人々を幸せにするものなのじゃ。そんなもので人の命を奪うなど、言語道断じゃ」
言っている事がよく分からなかったが、大事な部分は理解できた、と思う。ふーんと返事を返し、後ろを振り返った。
「じいさまは、まほうが使えてしあわせ?」
自分を膝の上に乗せている祖父に、舌足らずな口調で尋ねる。すると、緩慢に頭を撫でていた手が止まった。しばらく考え込むような素振りを見せ、不意に祖父は優しげな笑みを浮かべた。
「色葉はどうじゃ? 魔法が好きか?」
「うんっ、だいすき!」
「なら、色葉は大好きなもので人を傷つけんな?」
もう一度大きく頷く。すると朗らかな声で「おお、偉いぞ色葉」と褒めてくれた。ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜられ、少々乱暴に愛撫される。きゃっきゃと歓声を上げながら、大きな膝の上でじゃれ合った。
すると突然、腋の下に手を差し入れられ、横抱きにされた。祖父の顔が真正面に見える。さっきまでとは全く違う真剣な表情に、口元を引き締めた。
「色葉、よく聞け。よしんばそうしなければならない時が来ようとも、安易に人に魔法を使うでないぞ。万が一の時は、その必要性とそうする事の意義を、よく考えるんじゃ。でなければ、魔法を使う事さえまかりならぬ」
「よ、よしんば……? いぎ……?」
難しい言葉の羅列に目を白黒させていると、豪快な笑い声と共に頬を撫でられた。
「お前さんにはまだ難しかったかのう。だが、ちゃんと覚えてくことじゃ。大きくなったら分かるはずじゃからな」
中々腑に落ちず、むうと頬を膨らませる。その姿を見て、まったくお前さんは可愛いのう、などと言いつつ祖父は再び頭をかき回した。
祖父の大きな手の温もりを感じながら、その言葉を胸に深く刻みつけた。
偉大な祖父の言いつけを、幼かった自分はしっかりと守った。無論現在もだ。戦の時など、その言いつけを破った事も多々あるが、その度に「人を魔法で傷つける事の意義」を考えてきたつもりだ。
魔法を他人に対して使ってはならない。自分は今までそう固く決意していた。
だからこそ、今自分の身に起こっている事を、簡単に理解できなかった。ましてや、干渉など他人にできるはずが無いとさえ思った。一度だけ、人に干渉を使おうとした時があったのだが、その時、激しい動悸と吐き気に襲われて叶わなかったのだ。
しかし、現実は事実をありのままに見せ付けた。
骨の軋む音を無視して、紅葉は背後を顧みる。うっすらと開いた瞼の隙間から、白髪を靡かせる少女の姿が見えた。両手を突き出しているその彼女の瞳は、真っ直ぐにこちらを睨みつけている。苦痛に歪むその顔があの魔物に向けているものなのか、自分に向けられているものなのか、紅葉にはその判別がつかなかった。
『キギャァァァァッ!』
大音声の鳥の鳴き声が辺りに響き渡った。視線を向けずとも分かる。怒り狂ったような絶叫は、まさしくあの怪鳥のものだった。
自らの足元に赤い魔法陣が展開され、マナが騒がしく集まりだした。息が吸えず、声も出せないこの状況では、来るそれを防ぐ事は不可能に近い。
その時、不意に紅葉は微笑を浮かべた。状況にあまりにも釣り合わない、優しげな微笑。
(諦めたのか?)
一部始終を少し離れたところで見物していたみすじは、その微笑を見てそう勘繰った。
そして彼女が見たのは、魔法陣から吹き上げた、巨大な火柱だった。




