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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
一章 〜子供達は集う〜
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第十一話

「──お母さん!」

 叫びながら跳ね起きた。しかし、そこに見えた人影はきれいに消え失せていた。慌てて周りを見回して、当然の結果に溜め息を漏らす。

「……また、夢……」

 肩を落として、再び寝床に寝転がった。今確かに、母が目の前に微笑んで立っていた気がしたのだ。右手を天井に掲げ、静かに握り締める。

 たとえ夢であろうと母に再会できた事で、水望の心に新たな希望が生まれた。まだ母は死んではいない、探せば見つけられる。見つけて、また家族一緒に──

 家族一緒に何をしたいんだろう。

 それにもし出会えたとして、昨日の夢のようにまた逃げられてしまうのでは、という恐怖もある。昨日も、母を夢に見たのだ。

「昨日……?」

 そしてはっと気付いた水望は、慌ててお腹に手を当てた。だが、そこにあるはずの痛みも傷も無い。

「……治ってる」

 色葉か白花が治癒魔法をかけてくれたのだろう。そう断定して、水望は再び目を閉じた。

 丁度その時、戸を叩く音が聞こえた。

「三条さん、入ってもいいですか?」

 氷波の声だ。一瞬居留守を使おうかと迷ったが、そんな子供じみた事をしても仕方ないので招き入れる事にした。

「どうぞ」

「失礼します」

 ゆっくりと戸を開けて、氷波は部屋の中に入ってきた。その顔を見た水望の心に、昨日の言葉が蘇る。

「……笑いに来たの?」

「そうしようかとも思いましたが、やめました」

 冗談交じりに返す氷波に、水望はできる限り冷静な声音で続ける。

「じゃあ、何しに来たの?」

「特に用という訳では……ただ、三条さんが心配でしたので、様子を見に来たんです」

 笑顔で言い切ったその言葉が彼女の本心なのか、水望には判断できなかった。

「そう、ありがとう」

「信じてないですね……」

 素っ気ない水望の言葉に、氷波は苦笑いを浮かべる。

「でもその様子じゃ、怪我の具合も大丈夫そうですね。安心しました」

「うん。色葉か白花ちゃんによろしく伝えておいて」

「……分かりました」

 一瞬氷波が目を瞠った事に、水望は気付かなかった。だが氷波はすぐに表情を戻すと、寝床のそばに座り込んだ。

「あの、昨日の夜、黒い服の女の人を見ませんでしたか?」

「黒い服? 見てないけど」

「本当に?」

 仰向けに寝ている水望に、氷波は真剣な顔をぐっと近づける。そんな彼女の肩を押し戻しながら、水望はゆっくりと起き上がった。

「見てない」

「そうですか。ごめんなさい」

 氷波は迷惑そうな顔をしている水望から少し離れると、また微笑をその顔に取り戻した。そろそろ色葉のところへ行かないと。

「ねえ、氷波ちゃん」

「何ですか?」

 立ち上がった氷波に水望は声をかけた。少しだけ残った躊躇いを振り切って、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめる。

「氷波ちゃん、私の何に嫉妬してるの?」

「……ああ、昨日の事ですか。失礼な事を言ってすみませんでした」

 小さく頭を下げて、氷波は言葉を続ける。

「言葉の通りですよ。うらやましいです」

「もしそれが色葉の事なんだったらさ、氷波ちゃんの方が付き合い長いでしょ? 何で私なんかに、そんな……」

 水望の言葉を聞いた氷波の目が、僅かに細められた。何も感じさせない笑みが、水望には少し悲しそうに見える。

「私にはそんな資格、もうありませんから」

 この話はこれで終わりとでも言うように、氷波は振り返って戸に歩み寄った。彼女を呼び止めようとした水望の耳に、氷波の小さな呟きが聞こえた。

「……お母さんに、会えるといいですね」

 何の脈絡もない言葉を聞いた水望は、その真意が掴めずただ呆然とした。そんな水望を残して、氷波はそのまま部屋を出て行った。

 

 

 

 その頃。高く昇った太陽からさんさんと陽光が降り注ぐ中、色葉は一人、剣術の稽古に打ち込んでいた。

 体から余計な力を抜き、無心で刀を振るう。ぶん、という空気を裂く音が耳朶に届く。

 特に目的は無い。ただこうして刀を握る事で、頭を空っぽにしたかったのだ。剣術をはじめとする武術は、余計な思考を排除してくれる。

 一度刀を大きく振り、背中に収めた。

「……休憩にしようか」

 朝からずっと中庭にいるので少し疲れてきた。今日の午後からの決戦に備え、適度に休憩をとるようにしよう。近くの木の下に置いてある竹筒を取り、中に入った冷水を一口飲む。体に染み渡るような清々しさに、色葉は息を吐いた。

 そんな色葉は、ふと早朝の話を思い出していた。

 

 

 

「話をまとめると、こういう事じゃな」

 赤松の部屋に、部屋の主である赤松、その赤松に呼ばれた氷波、そして叩き起こされた色葉と白花の四人が集まっていた。まだ日も昇り始める前なので、特に色葉と白花はかなり眠そうな目をしている。

 そこで何をやっているのかというと、昨夜色葉達が拠点から脱出した後の話をしていたのだ。

「はい。その黒服の女と、俺が──紅葉が一戦交えました」

「ふむ。で、その胸元には桜の紋様が描かれていたと」

 赤松の確認に色葉は頷いた。そして、色葉の傍らに据わっていた氷波が、彼が報告した内容を繰り返す。

「彼女が、三条さんに何かをしていたんだよね」

「俺が見たときはそう見えた。で、俺が叫んだらこっちに気付いて、彼女はそのまま刀を抜きました」

「赤松様、やはり……」

 氷波の視線に、赤松は手にした扇を色葉に向けた。やけに真剣な顔色を、そのしわの多い顔に浮かべている。

「色葉、その女には気をつけるんじゃ。絶対に気を許してはならん」

「しかし、彼女は何か知っているようでした。それも、多分俺に関する事です」

「それでもじゃ」

 いつになく頑なな祖父の様子に、色葉は氷波と白花の顔を見る。

「……何かあったの?」

 だがその二人も首を横に振るだけで、何も口にはしなかった。表情をさらに引き締め、色葉は赤松の顔を真っ直ぐに見る。

「それでも、俺は知りたいです。彼女が俺の何を知っているのかを」

「……お前さんは変わったのう。少し前までは、何にも興味を示さんかったのに」

 感慨深そうに呟いた赤松だったが、その彼の表情は決して嬉しそうではなかった。

「とにかくその女にはかかわるな。わしはお前さんのために言っておるんじゃ」

「しかし…………分かりました」

「今日の午後、山村家の本拠地に総攻撃をかける。準備をしておくように」

 その言葉を聞いた色葉は、深く一礼して部屋を出て行った。

 

 

 

「……はあ」

 木陰の中で溜め息を吐く。もう一度冷水を口に含み、稽古を再開するためさっきと同じ場所に足を進めた。

 色葉は柄に手をかけて刀を引き抜こうとしたが、不意に体から力が抜けた。力なくその手を離し、自らの目の前に持っていく。その手を開き、手の平を眺めた。

「あの人、何を言ってたんだろ」

 あの時は紅葉だった上に、意識のほとんどが胸の痛みに占有されていたので、はっきりとは覚えていない。でも、あの言葉を聞いた途端に紅葉が激昂して、胸の痛みがひときわ激しくなったのは覚えている。

 じっと手を見つめる。

『──鬼の子よ!』

「……っ?」

 色葉は慌てて目を逸らした。あの女に言われた言葉が脳裏に響いた瞬間、自分の手が赤く染まって見えたのだ。息が詰まり、鼓動が高鳴る。全身の感覚が消えていく。

 真っ赤な血に濡れた自分の手。そしてあの言葉。確実に「あの事」だ。

 鮮やかに蘇る記憶は、色葉の思考をあっという間に埋め尽くした。忘れたい、でも忘れられない記憶。嫌だ。これ以上思い出したくない。もう、これ以上。

「っ、うわああああぁぁぁっっっ!」

 金切り声を上げて、色葉はその場にうずくまった。

 何度も浴びせられた言葉。何度も繰り返された暴力。そして──

「色葉っ!」

 不意に体が抱きしめられた。その絶叫を包み込むように、腕に力が込められる。

「……っ!」

 だが色葉は、抱きしめる誰かの体を突き飛ばし、ふらりと立ち上がった。閉じていたまぶたをゆっくりと開き、その誰かを見やる。

「──僕に触らないでよ。人間ごときが」

 その瞳は、漆黒でも真紅でもない。虚空を映す、灰色。

「色葉……?」

 突き飛ばされた少女──氷波は、色葉の突然の変わりように呆然と呟いた。

「へえ、僕の名前を知ってるんだ。さすがは創世を知る者だね」

「……何を言ってるの?」

「あははっ! 隠したって無駄だよ。僕は全部知ってるんだから」

 色葉は無邪気な笑みを浮かべながら、いつもと違う無感情な目で氷波を見下ろした。

「でも、もう時間みたい、だ……」

 その言葉が終わると同時に、色葉の体がその場に崩れ落ちた。慌てて氷波は駆け寄り、その小さな体を抱き起こした。

「……なに、今の……」

 色葉の顔を見つめながら、氷波は呆然と呟いた。全部知っているとはどういう意味なのか。それにあの灰色の瞳。あれは五年前の──

「…………ん、あれ、氷波?」

 氷波の思考を、腕の中から聞こえてきた高く澄んだ声が遮った。

 けろっとした様子の色葉に一安心した氷波は、内心の動揺を見せまいといつもの微笑で隠す。心配そうな表情を作り、咄嗟に思いついた事を口にした。

「大丈夫? 稽古の途中に倒れたんだよ」

「そうなんだ。ありがと」

 何の疑問も持たない無垢な返答に、氷波は少し心を痛めた。と同時に分かった事がある。色葉にはさっきまでの記憶が無い。なら、無理に思い出させないほうが、色葉の身のためだろう。

「稽古で倒れるなんて、俺もまだまだだね」

「そんな事ないよ。昨日も色々あったんだから」

 氷波の手を借りながら立ち上がった色葉は、普段どおりの無表情で言って首を傾げた。

「でも俺、何か……?」

 不思議そうに自らの左手を見つめる色葉に、氷波はその手を無理やりに取って話題を変えた。というより、氷波はこれを言うためにここへ来たのだ。色葉に真剣な眼差しを向けながら言葉を選んだ。

「ねえ色葉、今日の午後の戦、私も付いていっていいかな」

「何で」

 間髪いれずに即答する。色葉は氷波の瞳を真っ直ぐに見返して言葉を続けた。

「半端な気持ちで行くと、大怪我だけじゃ済まないよ」

「半端なんかじゃない。私、色葉に恩返しがしたい」

「足手まといになるだけだ」

 あえて厳しい言葉を並べる色葉に、氷波は不意に顔を伏せた。

「……でも私、三年間ずっと剣術の稽古してた」

 そう言うと氷波は廊下に上がり、すぐ近くの部屋の中に消えた。しばらくして出てきた彼女の手に握られていたのは、日本刀。

「じゃあ、私と手合わせして下さい。半端かどうか、それから考えて」

「氷波……」

 彼女の決意を受けた色葉は、無言で背中の刀を抜いた。問うような視線で氷波の顔を見る。

「全力で行くから」

「はい。お願いします」

 氷波も刀を抜いた。

 お互いの視線が交錯する。無言で間合いを計り、相手の挙動に感覚を集中させる。氷波のその立ち姿に、色葉は表情を変えないまま感嘆した。

 三年間の稽古は伊達ではなかったようだ。

 氷波の構え方は一般的な中段の構えだが、体のどこにも無駄な力が入っておらず、緊張が全く感じられない。あらゆる攻撃を受け流す事ができる構えだ。

 対する色葉は身の丈もある刀を下段に構えている。右手はほぼ柄に添えられているだけで、刃先は正面ではなく横を向いている。こちらも隙だらけに見えるが、氷波と同様に力は入っていない。

 色葉は僅かに口端を上げた。予想通り、やはり氷波はあの構え方をしている。あの構えを教えたのは他でもない、色葉自身だ。ならばもう一つ予想できる事がある。

 これは最初の一撃で決着が着く。

 色葉が教えた通りの剣術なら、おそらく防御を捨て、攻撃に特化したものになっているはずだ。もちろん色葉もそうなので、どちらが先に相手に攻撃できるかが勝敗を決める。

 ……今だ。

 色葉が動いた。刀を下ろしたまま氷波に向かって走り出す。

 それを受けて、氷波の剣先が一瞬上を向いた。上段から振り下ろすつもりなのだろう。悪くない一手だ。だが──

「それより先に振り上げるまで!」

 氷波が刀を振り下ろそうとするより前に、乾いた音を響かせてそれが飛ばされた。

「……やっぱり負けちゃった」

「師に勝とうなんて、まだまだ早いよ」

 色葉の言葉に、氷波は目を瞠って小さく微笑んだ。

「気付いてたんだね。私の剣術が色葉のものだって」

 まあね、と表情を幾分か和ませながら、色葉はすぐ近くに転がった刀を氷波に差し出した。

「……え?」

「付いてくるんでしょ、今日の戦に」

 呆然とした様子の氷波の手に、その刀を握らせる。それを受け取った氷波は、一瞬の沈黙の後、眩しいほどの笑顔を広げた。

「うん!」

「それと……」

 ふと何かを思い出した色葉は、ごそごそと懐を探る。指先がこつんと固い感触に当たった。それを取り出し、今度は少し恥ずかしそうに手渡す。

「戦に出るんだったら、髪、邪魔だと思うから」

 小さな木箱を手に乗せた氷波は、色葉の顔を窺いながらその蓋を開けた。

「……組紐?」

 その中には、端と端が結ばれて円を形作っている桜色の髪留めが入っていた。氷波はそれを手に取り、無言で眺めた。

 期待していたより小さめの氷波の反応に、色葉はその表情を曇らせる。

「気に入らなかったかな……?」

「ううん、すごく嬉しい。こんないい物、色葉に貰えるなんて……」

 感涙にむせぶ氷波に、色葉は安心したような苦笑いを浮かべた。

「それは良かった。あ、俺がつける」

 氷波の手から組紐を優しく取り上げ、反対の手で彼女の長い黒髪をまとめた。そして慣れた手つきでまとめた髪を組紐でしっかりと留める。

「……うん。思った通りだね、よく似合ってるよ」

「本当? ありがとう!」

 首の後ろで髪を結んでいる組紐を、氷波は嬉しそうにそっと撫でた。色葉も氷波の笑顔につられるように、小さく笑みを浮かべた。

 そんな二人の耳に、召集を知らせる太鼓の音が届いた。それを聞いた色葉はさっと表情を引き締める。

「……じゃあ、行くよ」

「うん。私、みんなのためにも頑張る」

 色葉は無言で、太鼓の音が響く方向を見る。そして「分かった」と小さく呟いて、その方向へ歩いていった。そんな彼の小さな背中が、氷波にはどことなく強張っているように見えた。

「……大丈夫。私はもう、死なない」

 絶えず笑みを湛える氷波は、色葉のその背中を眺めながら、そんな言葉を紡いだ。遠くを見るように薄められた目に映っているものは、遠い遠い昔の光景。

 刀をしっかりと握って、氷波は色葉の後を追った。

 その光景の中にいる少年と、彼の背中を重ねながら。

 


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