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生命は廻り世界は続く  作者: 桜坂 春
一章 〜子供達は集う〜
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第十二話

 今日は良い天気だ。南の空からの日差しも柔らかく、風も穏やかに通り過ぎていく。それに加えて、危うく昼寝を決め込んでしまいそうなほど過ごしやすい気温。まさしく、良い天気を具現化したような日和だ。桜も八分咲き程度にまで開花し始め、より一層美しい日と相成っている。

 だが残念な事に、今日はそんな自然を楽しむ事はできなさそうだ。

「道風、放っていくよ」

 山の景色に見とれている道風に、色葉は淡々と声をかけた。

「あ、ごめんごめん〜」

 慌てて色葉のそばへ駆け寄る。半歩後ろを歩く道風に、色葉は小声でたしなめた。

「しっかりしてよ。後ろからの視線を感じるでしょ?」

「……うん」

 道風はぎこちなく頷いた。ちらりと背後を顧みると、そこには完全武装の兵達、その数およそ八千が列を成して行軍している。藤神軍の主力部隊だ。

 

 そう、今日は藤神家と山村家の最終決戦なのである。

 

 

 

 藤神軍の兵力はおよそ一万八千。対する山村軍は二万五千だ。

 味方本陣は宇治川を渡ったすぐの場所に布陣している。ちなみにこれまた平等院の近くだ。そして敵は、五雲峰ごうんぽうという山の山頂に本陣を構えている。そこに向かって、南側と西側の二方向から攻め上っていく予定になっている。五雲峰の北西には高峰山たかみねやま、南に明星山みょうじょうやまという山があり、高所を押さえる山村軍が地の利を制している。

 西側は白花と水望率いる部隊八千。南側は色葉と道風率いる部隊同じく八千が進軍している。そして本陣に総大将の赤松率いる部隊五百。残りの千五百は、秘密だ。

 山村軍は、先の奇襲により約半分の兵糧と五千の兵を失っており、物理的にも精神的にも多大な被害を受けている。このまたとない好機に、藤神家はその全兵力をつぎ込んで侵攻を開始したのだ。

 これに勝利すればようやく、悲願の領地回復が達成されるのだ。色葉達を含め、全将兵の士気は驚くほど高かった。そうして味方兵達は、少なくない兵力差の前にもくじけない、大きな自信を持って出陣したのだった。

 だがそんな自信が落とす影は、彼らに音も無く忍び寄っていた。

 

 

 

「……ねえ水望ちゃん」

 隣を歩く水望の顔を、白花は不安げな上目遣いで見つめた。両手を小さく握り締め、言葉を続ける。

「私も常に気配は探るけど、水望ちゃんもできるだけ周囲を警戒して」

「何の気配?」

「…………魔導師」

 白花の呟きに、水望は目を瞠った。

「それって、色葉の事じゃなくて?」

「うん。考えすぎかもしれないけど、敵は魔導師部隊を編成しているかもしれない」

 白花はさらりと言ってのけたが、その言葉に水望はかなりの衝撃を受けた。

 何の力も持たない大多数の人間から差別されている魔導師は、本来戦に加わる事などできるはずがないのだ。実際、藤神家も当主が魔導師のため特に意識はしていないが、一般兵の反対を予想して魔導師の部隊は編成されていない。

 白花は、驚愕の表情を浮かべている水望の手をとった。

「もし、本当にそんな部隊があったら、私が防御魔法でこの部隊を守る。その間に水望ちゃんは、敵部隊を一人残らず、殲滅して。それが辛い事なのは私もよく分かってる。でも、勝つためには仕方ない事だから。お願い」

 いつもの明るく元気な声とは違う真剣そのものの声音に、水望は小さく微笑んだ。

「ほんとに兄妹なんだね、色葉と」

「え?」

 予想外の言葉に白花は顔を上げた。そんな彼女の手を握り返すようにして、水望はもう一方の手でその小さな手を包み込む。

「その喋り方、色葉とおんなじだよ。分かってる、私が何とかするから」

「……同じだなんて、お兄ちゃんに失礼だよ。でも、ありがと」

 白花も小さく笑い、前を向いた。

 これでようやく決意する事ができた。

(後は頼んだよ。お兄ちゃん)

 

 

 

「っ……?」

 黙したまま行軍を続けていた色葉が、突然顔を上げた。

「どうしたの、色葉?」

「……いや、何でもない」

「何でもない顔してないよ?」

 心配そうな道風の言葉に、色葉は大丈夫とだけ返した。再び顔を伏せ、険しい山道をひたすらに歩く。

 今、一瞬だけ胸に痛みが走った気がした。

「……気のせい、かな……」

 誰にも聞こえないように呟いて、色葉は懐に手を入れた。服の中にぶらさげられた小袋を手に取り、きつく握り締める。

 これは戦の前に祖父に貰ったお守りのようなものだ。紺色の袋の中には、封印の魔方陣が描かれた小さな紙が入っている。それが封じているものは、色葉自身の力。いや、紅葉そのものだ。

 今回は紅葉に頼る事はできない。彼の勇猛さは賞賛に値するが、冷静に行動する事はほぼ不可能だろう。今回のように、単純な力のぶつかり合いだけではない場合には、他の味方部隊との連携を考える必要があるのだ。それが大きな理由になっている。もちろん、それだけの理由ではないが。

「──伝令、前方に敵を発見しました」

 脇から声が聞こえた。傍らに兵が駆け寄ってきて、敵発見の報告をする。まだ若い、二十歳過ぎくらいだろうか。その報告を受けた色葉は、普通の人間には絶対に見せいないにこやかな笑みを広げた。

「分かった。ありがとう」

 感謝の言葉をかけられたその兵はなぜか少し狼狽した様子を見せ、慌てて一礼してまたどこかへと消えていった。

「……今のって……」

 思案するように呟いた色葉だが、その思考を振り切るように首を振った。敵は目前なのだ。無用な考えは捨て置こう。

 その報告から数分、沢山の地面を踏みしめる足音が聞こえてきた。

 敵は近い。

「よし! 今こそ、我らが藤神家の力を見せてやれ!」

 色葉が大音声で背後に叫ぶと、これまた地鳴りを思わせるような、八千の大合唱が山中にこだました。それを聞いた色葉は、笑みを浮かべて息を吸い込んだ。

「──いざ、突撃ーっ!」

 刀を軍配に見立てて、眼前に突き出した。それを合図に、雄叫びを上げながら兵達が山道を駆け上がる。

「僕達も〜っ!」

 彼自身は真剣なつもりなのだろうが、どう聞いても楽しんでいるようにしか聞こえない。いや、本当に楽しんでいるのかもしれないが。

 負けじと、色葉も後に続こうとした。

 だがその時、再び胸に痛みが走った。それは注意しないと分からないほど小さな痛みだったが、何か嫌な予感がする。もう一度胸の前の小袋を握り、深く息を吐いた。

「……大丈夫、白花が何とかしてくれるから」

 そう自分に言い聞かせ、色葉も目の前の敵に向かって走り出した。

 

 

 

「報告。南側で敵部隊と交戦を開始しました。じきに西側も会敵するかと」

「そうか。なら、高峰山と明星山に合図を送れ」

「はっ」

 短い返事を返し、兵士は頭を下げて彼の前から消えた。

「……では、始めようか」

 彼は立ち上がった。不適な笑みを湛えながら、視界の両端に映る山頂を見やる。

「全ては、山村家の繁栄のために」

 その言葉が終わった瞬間、二つの山の頂から大きな魔方陣が出現した。それを確認した彼は、背後を振り返り、厳かに告げた。

 

「全軍、突撃」

 

 

 

「と、殿! 山がっ!」

「……合図するまでわしに話しかけるなと言ったじゃろ」

 高峰山と明星山の異変に気付いた兵士が、椅子に座して瞑目したままの赤松に向かって言葉を投げた。だが当の老人は、それに全く耳を貸そうとしない。

「しかしっ!」

「分かっておる。全ては筋書き通りじゃ」

 目を閉じているはずなのに感じられる眼光に、兵士は焦りを覚えつつも押し黙った。

「この戦、お前さんに託したぞ」

 それが誰に向かっての言葉なのか、その兵にはまだ、理解する事ができなかった。

 

 

 

 突然の魔力反応に、白花と水望は息を呑んだ。

「うそ……こんなの、さっきまで……!」

〈この地を守護せよ! プロテクトフィールド!〉

 巨大なマナの奔流に唖然とする水望だったが、白花が広範囲の防御魔法を展開した事ではっと我に返った。

 奇襲作戦の時と同じく、大量の水が落下してきた。水望達の背後で騒然としていた兵士達が一斉に騒ぎだした。無理もないだろう。まさか自分達が魔法攻撃を受けるとは思っていなかったはずだ。もちろん、水望自身もそうだった。

 だが、今は大丈夫だ。

「大丈夫! 白花ちゃんを信じて!」

 水望は叫んだ。半分はその兵達に向けて、もう半分は自分に向けて。

 その声に応えるかのように、白花が築いた透明の壁が白く輝いた。次の瞬間、激しい衝撃音を立てながら、大量の水の塊が防御壁に激突した。

「うっ……!」

 白花は両手を掲げたまま片膝をついた。相手の勢いが防御力を上回っているのか、その表情は厳しい。そんな彼女に思わず駆け寄ろうとした水望を、白花は鋭い視線で制した。

「今は他にやる事があるでしょ!」

「……っ、分かった!」

 ぎっと歯を食いしばって耐える白花から視線を外し、水望は魔法の発生源である高峰山を睨んだ。あの場所から大量の水属性のマナが流れ出ている。そんなに距離が離れている訳ではないので、恐らく攻撃魔法の範囲内だろう。だが、相手は水属性だ。

 対する水望は火属性。水属性とは、相性が最悪だ。

「……でも、やるしかない!

〈灼熱の炎よ、塵一つ残さず灰燼と化せ! エクスプローション!〉

 山頂付近で大爆発が起きる、はずだったが、水望の魔力と敵の魔力が相殺され瞬く間に炎は消滅した。

「私の魔力だけじゃ、足りない……っ!」

 悔しさを顔に滲ませる。

 こんなに歯がゆい思いをしたのはいつ以来だろう。親に捨てられた原因になったこの鬼の力を、今まではただ憎むだけだった。だけど、今はもっとこの力が欲しい。もっと強くなりたい。

 この力で、守れるものが、守れる人がいると知ったから。

 でも、このままじゃ何一つ守れない。大切なものが、またこの手から消えていく。また自分は、一人になってしまう──

「……そんなの、絶対に嫌だ!」

 水望は顔を上げた。まだ何かあるはずだ、何か勝てる方法が。

〈灼熱の炎よ、塵一つ残さず灰燼と化せ! エクスプローション!〉

 もう一度、精一杯の攻撃魔法を繰り出す。だがやはり敵の魔力を打ち負かす事ができない。

 その時、敵の魔法の効果が消失した。押し寄せる荒波が徐々に消えていく。

 水望はこれぞ好機と、全属性の魔法が使える白花に視線を向けた。彼女なら、きっと。

「白花ちゃん! 今ならいける!」

「っ、分かった!」

 白花は防御魔法を解除し、新たな魔法の詠唱に入った。

〈罪深き者達よ、神の裁きの前にひれ伏せ。我は刑の執行者なり、ジャッジメント〉

 落ち着いた声で詠唱を終えた。瞬間、眩い光の柱が敵を押しつぶす。この距離でも届く光の強さに、水望は眼前で両腕を交差させた。

「っ……!」

 やがてその光が収まった。水望は腕を下ろし、敵の気配を探る。山頂の気配が消えていた。

「白花ちゃん、やったよ!」

 歓喜の表情を満面に広げ、水望は白花を顧みた。

 だが、そんな水望が目にしたのは、元気な笑みを見せる少女の姿ではなかった。そこにあったのは、力なく横たわる少女の姿。目を見開いた水望はすかさず駆け寄った。

「白花ちゃんっ?」

「ごめ……水望、ちゃん。魔力……切れ、ちゃった」

 途切れ途切れに発せられるその声は、驚くほどか細く掠れていた。

 魔力切れ。

 どんな魔導師といえども、自らの魔力の限界を超えて魔法を使う事はできない。白花もその壁にぶち当たってしまったのだ。昨日彼女は多くの魔法を使い、大量の魔力を消費してしまっていた。休養する事でいくらかは回復するが、それも万全ではなかったのだろう。

「…………なも、ちゃ……あと、は……」

「喋らないで!」

 マナは全ての源。体内のマナを完全に使い切ってしまうと、生命維持活動が停止する。つまり、死だ。白花はそれを分かっていて──

「おに……ちゃんに、まか、せ……」

「駄目! まだ死んじゃだめっ!」

 水望ははっと顔を上げた。無数の足音が迫っている。とうとう敵の本隊が動き出したのだ。

「そんな……!」

 絶体絶命。もう、どうすることもできない。

 揺れる瞳をぎゅっと瞑り、水望は全てを諦めかけた。

 だがそんな彼女の耳に希望をもたらす声が届いたのは、まさにその瞬間だった。

「──鉄砲隊、放てー!」

 甲高い炸裂音。連続したその音が、山の間を鋭く響き渡る。と同時に、山道を駆け下りていた数人の敵兵が、弾丸に体を貫かれその場に崩れ落ちた。

 敵集団のさらに向こう側から聞こえるその音に混じって、少女の叫ぶ声が聞こえた。

「──三条さん!」

 見つけた。敵本隊を挟んだ向こうの、少し高い場所。そこで手を振る少女は水望の姿を見つけると、手にしていた何かを思い切り放り投げた。

 自分の元へ一直線に飛来してきたそれを、水望は何とか受け止めた。手の平に収まったそれは、小さな丸い白い石。

「白花さんに!」

 その言葉でこれが何なのか理解した。水望は大きく頷くと、それを白花の胸元に押し付ける。その石は小さな光の粒子となって、白花の体に吸い込まれていった。

 純粋なマナが凝固したもの──魔法石まほうせきだ。これで、白花を助ける事ができる。

 再び鉄砲の音が聞こえた。敵は突然の背後からの攻撃に混乱している。水望はもう一度立ち上がって、背後を振り返った。

「全体、突撃!」

 様々な事があって呆然としていた味方兵だったが、水望の声で一様に武器を振り上げた。一斉にときの声を上げ、混乱に乗じて敵陣に切り込んでいく。

 複雑な心境を抱えたまま、水望は遠くの少女を見上げた。

 でも、今回ばかりは笑ってやるか。

 ……ありがと、氷波ちゃん。

 

 

 

「っ……!」

 八度目の魔法攻撃に、色葉は再び防御魔法を展開させる事に成功した。間一髪、巨大な雷の剣から味方部隊を守った。だが色葉の顔に喜びの表情は無い。

 敵部隊と交戦中に、突然背後の山から魔法攻撃を受けたのだ。寸前で膨大な魔力に気付いた色葉は、道風に部隊を任せて一人、防御魔法を展開し続けている。

 こうして何とか魔法攻撃はしのいでいるものの、いまだに反撃に移ることができないでいる。

 苦悶の表情を浮かべながら、色葉は両膝をついた。

「色葉!」

 駆け寄ってきた道風に、色葉は荒い息を飲み下しながら叫び返す。

「俺はいいから戻れ!」

「そんなのできる訳ないよ!」

 道風も切迫した顔で声を張り上げる。しかし色葉は、自分のそばに座り込んだ道風の体を突き飛ばした。睨むような視線を彼に向ける。

「こっちは俺に任せて早く敵本陣に行け! 白花の部隊と合流すれば、後はあいつが何とかしてくれる!」

 こんなに語気を荒げる色葉を果たして見た事があっただろうか。その漆黒の双眸からは、どこか懇願するような意思が垣間見える。だが、道風も苦しそうな色葉を放ってはおけない。

「……あの山の上に、敵がいるんだよね」

 妙に真剣な面持ちで山頂を見上げる道風に、色葉は血相を変えて詰め寄った。

「馬鹿言うな! この距離じゃ、辿り着く前に敵の餌食になる!」

「でもそれしか方法が無いんでしょっ? だったら──」

「落ち着け! ……俺は大丈夫だから」

 道風の肩に手を添えながら、色葉は低く呟いた。その言葉に、道風は視線を伏せてすっと笑みを浮かべた。

「…………色葉って、本当に演技が上手いよ」

 立ち上がった色葉はその言葉を聞きながらも、黙したまま振り返って明星山を見上げた。そんな色葉の背を見ながら、道風は言葉を続ける。

「でもね……僕だってさ、伊達に他人の顔色窺って生きてないからね。それがほんとか嘘か、すぐに分かる」

 道風も立ち上がり、色葉のそばへと歩み寄る。依然として、その顔に自嘲のような笑みは残されたままだ。その時。

「う、ぁ……!」

 一声呻き、色葉は地面にしゃがみ込んだ。胸を左手で掴み、再び荒い息を継ぎ始める。今度こそ尋常ではない苦しみように、道風の心をいたたまれない思いが渦巻いた。

 だが無情にも、敵の魔法攻撃は再開される。その気配を感じた色葉は、ふらつく体を奮い立たせて両手を掲げた。

「……今だけは、騙されて欲しかったな。

〈この地を守護せよ、プロテクトフィールド〉

 もはや気力だけで立っている言っても過言ではない。あの力は抑えられているが、無理やりに抑え付ければ反発もその分大きくなる。いつまで体が持つか分からない。

「……だから、道風は早く本陣へ……っ」

 爆音と共に巨大な雷が防御壁に落下して炸裂した。色葉は歯を食いしばって衝撃に耐える。

 その様子を見て、道風は両手を握り締めた。

 何もできない自分に腹が立つ。目の前で苦しんでいる人がいるのに、自分はその人を助ける事ができない。その苦痛を和らげてやる事すらできない。なんて自分は無力なんだろう。こんなんだから、自分が生きるために誰かを切る捨てなければならないんだ。だから、自分はあの時も──

「誰か……誰か色葉を、助けて……っ」

 それができない事は分かってる。しかし、これ以上苦しんでいる彼を見ていられなかった。

 それでもやはり、悔しさに震える声は、誰にも届かない。

 はずだった。

 

〈清き水よ! アクアボール!〉

 

 山頂に向かって、大きな水の玉が飛んでいった。それは頂に吸い込まれるように消えていき、再び詠唱を始めようとしていた敵に襲い掛かった。

〈崩れ落ちろ! フォールストーン!〉

〈切り刻め! ウィンドカッター!〉

 それに続くように、別の声が次々に魔法を詠唱していく。どれも威力は小さめだが、敵の魔導師を怯ませるには十分だった。

 突然の事に目を見開いた道風は、声が聞こえた背後を振り返った。そこには、厳しい表情を浮かべながらも、気遣わしげに色葉を見やる三人の兵士が立っていた。

 三人は顔を見合わせて頷くと、全く同じ瞬間に目を閉じた。

《大いなる激流よ、全てを飲み込み、災いを水泡へと帰さん事を! バイオレントウェーブ!》

 ぴたりと合った詠唱は、やはり色葉のそれよりも劣るものの、大きな威力の上位魔法を展開させた。山頂付近で大洪水を思わせる水が暴れ狂い始める。

 驚きと感動に肩を震わせる道風をよそに、色葉は小さく笑みを浮かべた。

「……ありがとう。後は俺がやる。

〈神の息吹よ、見えざる剣となりて、彼の者達を切り刻め! ディバインウィンド!〉

 最後の力を振り絞るように叫んだ。追い討ちをかけるように響いたその声は、鋭い突風へと形を変えて水の渦もろとも敵を吹き飛ばした。

 それと同時に、後方から聞こえる金属音もさらに遠くなったのが感じられた。戦線が山の上へ移動したのだ。

「道風」

 ぺたんと腰を下ろした色葉は、傍らの道風の顔を見上げる。何が言いたいのかを察した道風は、輝くような笑顔で頷いて大きく息を吸い込んだ。

「敵本陣は目の前だ〜っ、突撃〜!」

 いまいち締まりのない叫びだったが、それでも味方部隊はときの声を上げながら、撤退していく敵兵の追撃に移った。それぞれに雄叫びを上げながら山道を駆け上がる。

「ほら、早くしないと出遅れるよ」

「はい!」

 色葉の声に、そこにいた兵士達も手にした武器を振り上げた。踵を返し、敵本陣を目指して走り出す。最後に先刻顔を合わせた年若い兵士が、大きく一礼して後に続いた。

「……まったく。出てくるのが遅い」

「魔導師、他にもいたんだね〜」

 すっかり緊張の糸が切れた二人は、お互いの顔を見合わせて小さく笑った。

「ねえ、道風」

「なに?」

 道風の顔を、疲弊しきった笑みを浮かべながら上目遣いで見つめる。その妙に可愛らしい視線に嫌な予感を覚えた道風は、泣いているような笑みを僅かに引き攣らせた。

「運んで」

「ん〜、僕って人を運ぶために生きてるのかな?」

 そう言いながらも、道風は失礼と声をかけて水望の時と同じように色葉の体を持ち上げた。

 あんなに頑張ったんだから、これぐらい良いよね。

 ……お疲れ様、色葉。

 

 

 

「報告! 南と西、北の三方向から敵が押し寄せています!」

 地の利を活かした作戦による優勢から一転、山村軍は窮地に立たされた。報告をする兵士の顔も、もはや勝利を望む事などありえないとでも言うほど暗い。

「我らの敗北は必至か」

「残念ながら……!」

 兵の悲痛な叫びを聞いた彼は、大きな溜め息を吐いて薄く笑った。

「……山村家は、どの軍門に降ろうと、その輝きを失いはしない」

 すると彼は、どこか吹っ切れたように高らかに笑い始めた。周りの兵が何事かと歩み寄る。その兵士達の気遣いを振り払うように、彼は勢いよく立ち上がった。

 すでに、決心はついている。

 

「我らは、ここに降伏を宣言する!」

 

 藤神家の──色葉達の悲願が達成された瞬間であった。


作中に出てきた山の名前は実在します。それが戦国時代にそう言う名前だったかはしりませんがww

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