表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

エピローグ 中古住宅※嫁、舅、仏壇付

「ただいま」

 そう声をかけなくなったのはいつからだろうか。

 冷え冷えと冷え切った家の中には、3人の人間が既にいるはずなのに、深夜一時という時間帯のせいもあって、誰も起きていない。

「上條、最近、ワーカーホリックじゃないか?」

 同僚にも心配されたが、この冷め切った家に帰るのはどうしても、怖くて、寂しくて、晴哉は日に日に帰宅時間が遅くなった。

 土曜日も出勤か、朝から飼い犬のカインと散歩に出掛けた。

 新婚直後から、妻の実家に入り婿して早7年。

 いっそのこと、舅たちと居住を別にした二世帯住宅にリフォームしないかと妻に提案したが、妻は「どうして?」と小首を傾げるだけだった。


「晴哉、お前に原因があるんじゃないのか?」

 4年ほど前から、舅たちに子供が出来ないことを暗に非難された。


「英恵は、婦人科でも異常がないといわれたみたいなのに」

 晴哉とて自分の方に原因があるのかと、恥をかなぐり捨てて病院に検査をうけにいった。異常はなかったと妻から姑たちに話はいったはずなのに、舅たちは晴哉ばかりを責める。


「仕事のし過ぎなんじゃないか?」

「先祖の供養が足りないのでは?」

「お前が」

「晴哉が」


 いつしか、あれほど望んで手に入れた家族が

、家族ではなくなり、

「私、妊娠したの」

全く覚えのない妻の妊娠に、もう限界だと告げていた。





「晴哉くん、うちの息子になる?」


 昼間の公園、土曜日の昼に晴哉は顔馴染みの婦人と話し込んでいた。

 半年ほど前から知り合った彼女は、自分は末期のガン患者だと、笑いながら言っていたが、晴哉には全くそう思えなかった。

 それでも季節の変わり目に、徐々に婦人の線が細くなるのを見るに付け、世の中は何て不公平なんだと思った。


 もっと、死んでほしい奴なんて沢山いるのに。


 そんな晴哉の心の中の毒を見抜いたかのように、婦人は穏やかに笑いながら、晴哉に言った。



「犬が住める家に引っ越さないと駄目なんでしょ?」

 妻の家から逃げるように出て、今は仮住まい暮らしだ。幸い、二世帯住宅なんてものにしなかったから、預金もあった。

 いっそのこと、カインと二人だけで暮らせる中古住宅なんかでも買おうかな、とぼやいたら、婦人が笑いながら言ったのだ。

「中古住宅、嫁付きでどう?」


 婦人には30歳になる娘がいるという。

 がん保険で入ったお金と預貯金で、家をリフォームするから、家ごと娘を貰ってくれという婦人に、晴哉は苦笑しながら、

「勘弁してください」

と頭を下げた。


 婦人の言葉を冗談だと思ったからだ。


 でも、婦人は冗談なんて一つも口にしていなかった。


「晴哉くんがほしくてほしくてたまらなかったもの、私たちなら晴哉くんにあげられるよ?

 だから、我が家の子になりなさい」


 35の男に子供も何もないだろうと思ったが、それでも婦人の言葉に、惹かれなかったと言えば嘘になる。


 そして極めつけの一言。


「自分の家族を幸せにしてから死なないと、死んでも死にきれない。その家族に晴哉くんも加えてあげるから、我が家においで」


 婦人に興味があった。


 赤の他人の自分にも優しく暖かいこの人が、その人生の最後に幸せを願う程の娘は、どんな人なのだろうかとも思った。



「そういう問題じゃないでしょう!

 仮にも夫婦になったなら、不倫なんてする前にきちんと決着つけるべきだったでしょうよ!

 子供できたから離婚って、馬鹿にするにも程がある!!」


 婦人の娘、珠希は真っ直ぐで、人のことにも直ぐ怒り、そして泣く、素直な人だった。




(あぁ、俺は幸せになれるんだろうか?)


 小さい頃から、ただ、ずっと、


 家族が欲しかった。



 それはどんなに暖かくて、どんなに優しいものなんだろう、と夢にまで見た。



 ほしくて、ほしくて、

 本当にほしくて。



「晴哉くん、珠希と結婚して良かったでしょう?」

 珠希と結婚式をあげた日、先に着替え終わった晴哉に、そう義母になった婦人が言う。


「はい、ありがとうございます。お義母さん」

 深々と頭を下げれば、義母は嬉しそうに微笑んだ。


 その笑顔が、出会った頃よりずっと線が細くなったことを、晴哉は胸が引き裂かれそうな思いで見ていた。





「ただいま」

 カインの散歩を終えて我が家に帰る。

 以前だったら言わなかったその言葉に、今は返事がある。


「おう、お帰り」

 舅にあたる義父が、自分の部屋から顔を出し、頼んでもないのにカインの足をふく布を持ってくる。

「ありがとうございます、お義父さん」

「ん」

 無口な義父だが、その表情は義母とよく似ている。

 そのままリビングまで移動すると、珠希はキッチンで昼ご飯の支度をしていた。

 カインが匂いにつられて、一声吠える。


 珠希は顔をあげて、晴哉を確認すると、いつもと変わらない声で、

「あ、おかえりー」

と言った。


 その一言が、どんなに欲しかったかなんて、きっと珠希は知らない。


 だって、彼女の中で、家族を出迎える言葉はいつもそれで、そういう生活しか知らないで育ってきたからだ。



(お義母さん、ありがとうございます)


 当たり前が欲しかった。


 返ってくる言葉が欲しかった。


 

 欲しかったのは家じゃない。

 その家の中にある、妻であり、舅であり、家族であり、そしてそれを形作った人だ。


 妻こそが、舅こそが、義母の仏壇こそが、自分の欲しかったものだと言ったら、珠希はきっと、その丸い目を更に丸くして、「仏壇が?!」なんて言うだろうが、義母がいたからこそこの家族があることを、晴哉は身を持って実感していた。


「今日はトロトロオムライスに挑戦してるの!」

 嬉しそうな珠希を見ながら、晴哉は微笑むと、心をこめて言葉を紡ぐ。





 その一言が言える相手が欲しくて、この家を手に入れた。




「ただいま」



fin




最後まで読んでくださり、ありがとうございました。読んでくださった皆さんにたくさんの感謝を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ