8. 討伐戦【前】
「そういえば魔獣って、食べられるんでしょうか」
「君またお腹空いてるの??」
戦場入りまであと一刻を切ったという頃。
防具やその他装備品などの準備を整えていたセラから発せられたそんな言葉に、アルヴィはほとんど条件反射で返した。
「空いてないです。あと、『また』って何でですか!」
「僕と初めて会った時のことをよく思い出してみようか」
セラが抗議するような声を上げるが、この六日間で彼女の扱いにすっかり慣れたアルヴィはそれをさくっと流した。どうしてこの子はすぐに何でも食べ物に繋げるのか……という呆れの気持ちがありありと込められた生温かい目を、隣にいるセラに向ける。
「……まあ、それは置いといて。どうしてそんなこと聞くの?」
「お屋敷で魔獣について教わった時、普通の動物が魔力を持つように進化したのが魔獣だって聞いたんです。だったら普通の動物みたいに、食べられる種類もいるのかなって思ったので」
「そこで姿形とかじゃなくて、食べられるかどうかを気にするのがセラらしいね……」
「よくわからないですけど、褒められてないのはわかります」
むーっ、という擬音が聞こえてきそうな膨れっ面のセラをまあまあと宥めながら、アルヴィは王都から持ってきた自分の荷を開き、一振りの剣を取り出した。そのまま腰辺りに装備する様子を見て、セラが首を傾げる。
「あれ、アルヴィさん、剣持って行くんですか」
「ん? そりゃまぁ、護衛だからね。盾で防ぐよりも斬り払う方が速い時もあるし」
「でも、権能は? アルヴィさんの権能はすごく強いって、皆さん言ってるのに」
「あー……。まあ権能使った方が手っ取り早いのはそうなんだけども──」
(気軽に連発すると、後でお偉いさん連中に揚げ足取られて面倒なことになるかもしれない……ってのは、この子に言ってもあまりよくわからないだろうなぁ。それに、僕自身の問題もあるし)
どう説明したものか、とアルヴィは視線を泳がせる。しばし悩んだが、最終的に本音の半分──面倒な貴族社会のしがらみとは関係のない、現実的な懸念点だけを話すことにした。
「僕の権能さ、他の神子に比べて『深化』しやすいんだよな」
「深化……神様に近くなった状態のこと、ですよね」
「そう、それ。だから無駄撃ちしたくないってわけ。──深化の危険性については、もう聞いてるだろ?」
『深化』とは神子が、契約している神により近しい存在になる現象のことを指す。
神々……ひいては神子が行使するのは魔力ではなく、神気と呼ばれる全く別のエネルギーだ。魔導士が魔力を糧に魔法を発現させるのに対し、神子は神気を用いて権能に応じた事象を引き起こす。このように仕組み自体はよく似ているものの、体力と同様に多量に使えば枯渇する可能性のある魔力と違い、神気は無尽蔵であるという特徴がある。本当に上限がないのか確かめた者がいるわけではないが、神子の神気が使い果たされたという事例は歴史を遡っても一つも見当たらないので、ほぼ間違いないと見做されている。
しかし、では権能も無制限で使い放題なのかというと、そうでもない。権能を短期間で過剰に行使した結果として、蓄積した神気が神子そのものにもたらす変化──それが深化だ。
深化が起きた神子は、身体的のみならず精神的にも神と同質のものへと変化していく。大抵の場合時間を置けば自然と神気が抜けていくが、深化した状態で権能を使い続けると神気もさらに浸透し、やがて戻れなくなる。
かつてとある神が自らの神子に語ったところによると、神は『現世の規格に合っていない』のだという。深化が解けず新たな神となった神子もまた、この世には長く留まれない。そしてそれは、人間の視点で考えれば──死とほぼ同義と言っても過言ではないだろう。
「……そう、だったんですね。……わかりました。じゃあわたしも、できるだけアルヴィさんに頼らないで済むように頑張って攻撃を避けます!」
話を聞いたセラは顔を曇らせたが、すぐに気を取り直して拳を握り、そんな宣言をする。
「それはありがたいけど、無理はしなくていいよ。セラの護衛が僕の今回の仕事なんだから。こう見えて剣術も多少はできるんだ」
「ええー、何だか意外です。アルヴィさん、どっちかというと細い人なのに」
「君も結構ズバズバ言うよな……。仕方ないだろ、鍛えてもなぜだか全然筋肉つかなかったんだから。……うん、自分で言ってて悲しくなってきた」
「体質ってありますよね。わたしはどんなにお菓子を食べても太らない体質が欲しいなってよく思います」
「結局食べ物の話に戻るのかよ……そろそろ怖くなってきたぞ僕は」
◆◇◆
西の空が茜色に染まり、太陽が地平線に半分ほど姿を隠したのを合図に、討伐軍の第一陣が森への進入を開始した。
その中にはフランチェスカが率いる第一魔導部隊や、遊撃隊としての役割を与えられた第二魔導部隊の姿もある。なお、今回討伐軍に随行した魔導部隊は計三部隊だが第三魔導部隊は治癒魔法を得意とする魔導士で固められており、出撃には参加せず野営地や中継拠点にて負傷兵の治療に専念する手筈になっている。
担当する区域ごとに分けられた複数の隊が、それぞれ別の地点から森に足を踏み入れる。いくらもしないうちに沈みゆく夕陽が投げかける最後の光が途絶え、塗り潰されたような暗闇のさらに奥を目指して進んで行く。──警戒と未知への恐怖が織りなす緊迫感に満ちた空気を切り裂くように、それらは突然現れた。
「……出たぞ! 右だ!」
兵士たちの側面から何かの影が飛び出すのに一拍遅れて、悲鳴と怒号が上がる。それに混ざって獰猛な唸り声を漏らすその影は一つではなく、次々と数が増えていく。
わずかな灯りに照らし出されたその影の正体は、一見すると狼によく似ていた。だが通常の狼よりも大きい瞳は満月のような金色で、瞳孔が縦に割れている。長く伸びた尾は鱗に覆われて鞭のごとくしなり、暴れ回る蛇のよう。漆黒の体は全身が森の闇に溶け込み、音もなく飛びかかってくるその様は人間たちにとって悪夢以外の何物でもなかった。
何とか体勢を立て直した兵士たちが剣を振るい、狼のような魔獣──ルニアを斬り伏せたが一部を仕留めるに留まり、大半の個体は敏捷な動きでそれを回避してまた別方向から突っ込んできた。爛々と光る無数の目は混じり気のない殺意を湛え、人間たちが構える武器にも物怖じせず牙を剥く。
人より遥かに高い身体能力を持ち、一切の情け容赦もなくこちらを鏖殺せんとする魔獣の猛攻。戦いはこのまま泥沼と化していくかとも思われた、その時。
「──本当はまとめて焼き払ってしまいたいところですけれど。こうも鬱蒼とした森であれば、致し方ありませんわね」
敵を見据えたフランチェスカの深緑の瞳が鋭く輝く。彼女の周囲の空間が一瞬煌めき──次の瞬間。その視線の先にいた数体のルニアの頭部に、黄金色の閃光が突き刺さった。声もなく倒れ伏す魔獣の脳髄を的確に貫いた光の刃は、役目を終えると崩れ溶けるようにして消えていく。
魔力で作り出した刃……『穿光』を放った彼女は、その初撃の余韻も残るうちから再度同じ魔法を発動させ、さらに三体を屠った。ほぼ同時に反対側の群れへ攻撃を開始していたハイウェルが、次の標的に狙いを定めながらも苦笑する。
「平野の方へ誘い出すならその手も使えましたが……今回は村と森の距離が近すぎる。森から出してしまえば、非力な村人たちの方へ矛先が向かうのは当然ですからね」
「しかも放っておいてもあちらから出てきてしまうのですから、こちらはただでさえ見通しのきかない森の中へ、よりにもよって夜の間に進入しなければならない。全く、手の込んだ嫌がらせですこと」
愚痴のような軽口を叩きながらも、二人の魔導士が手を止めることはない。ほどなくしてその場にいた十数体のルニアは、その全てが物言わぬ骸となって暗い森の地面に転がった。
「……ここにいた群れはこれで全滅ですね」
「ええ。──セラ、あなたの出番ですわよ」
ハイウェルが残党の有無を確認しその結果を報告すると、フランチェスカがすぐ後ろにいたセラを振り返る。
「……はい! 第一区域の皆さん、今の襲撃で『命符』が黄色かそれ以下になった方は、わたしのところまで来てください。もし自力で動けない場合や周りでそのような方を見つけたら、手を挙げて知らせていただければ、わたしが直接そちらに向かいます!」
促されたセラは一つ息を吸って顔を上げると、声を張り上げて兵士たちに呼びかけた。
命符とは、手のひらほどの大きさの特殊な紙でできた魔導具である。
この世界では生きている存在の体が宿すエネルギーの総計を『生命力』と呼んでおり、これは魔力の有無とは関係なく人間を含めた全ての生物が持っている。
命符はこれを身につけた人間の生命力の程度を記憶し、怪我や病気などによってそれが減衰した場合、記憶したものとの差分に反応して色を変化させる。未使用の状態では白い紙だが、発動し平常時の生命力を記憶すると緑へ。使用者が負傷すると、傷の深さや大きさに依存して黄から赤へ、という具合だ。
今回の討伐戦でも全ての兵士がこの命符を装備しており、中程度以上の怪我と見做される黄色以降の色に変わった者をセラの治療対象とすることになっていた。
(……予想はしていたけど、やっぱり初陣とは思えないほど落ち着いてる。心配する必要はなさそうだ)
アルヴィはセラのもとへやって来る兵士たちのために場所を空けつつ、さりげなく彼女の様子を確認してそっと安堵の息を吐いた。
集団の中でも一際小柄な少女は負傷を申告した兵士の命符を順に確認し、事前に決めていた通りの判断基準に従って権能による治療を施していく。その手つきに迷いはなく、血や見るからに痛々しい傷に対して取り乱す気配もない。
(セラは自分が、自身の人間らしい感情や他人の気持ちに対して『隔てられた』ような感覚を持っていることを気にしていた。でもそういう精神性は、今この場においては何よりも大きな強みになる)
周りの人間が恐怖に駆られてパニックになっても、そちらへ引きずられない。無残な傷を負い、痛みに呻き苦しむ人を目の前にしても、落ち着いて対処ができる。これを長所と言わずして何と言うのだろう。
もし彼女が、多くの人々が夢想する『癒しの神子』……他者の痛みや悲しみを自分のことのように受け止めて涙する、儚く繊細でか弱い花のような少女だったら。この初手の襲撃を受けた段階で、心が挫けてしまっていたかもしれない。
「……これでよし、と。──フランチェスカ様、皆さんの治療が完了しました!」
しばらくして、全ての治療を終えたセラがそう報告の声を上げる。フランチェスカがそれに頷いて号令を出し、全員が再び進行を開始した。
気がつけば、木々の梢を透かして仄かな光を落としていた空は暗く沈んでいる。長い夜の予感に、アルヴィは少しだけ目を細めた。




