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7. 戦支度

 ウォーテル国西部、ランキン辺境伯領。その最西端にある小さな土地にイェダ村はあった。

 村から見て東側にある王国の中心部とは、小さな森が点在する広大な平野と同じく巨大な湖で隔てられており、容易に行き来できる距離ではない。翻って西側はというと、遥かに聳える雄大な山並みの裾野から深い森が村とほぼ接するほどに迫っていた。地図の上ではしっかりと描かれている国境線もいつしか森に呑み込まれ、名ばかりのものと化している。周辺のどの国にも属さないその山脈と森は人の立ち入りを拒む未開の地であり、精霊や魔獣といった太古からの神秘が未だに息づいていた。


 季節は初夏。風はまだ涼しさを残しているが、澄んだ青い空で輝く太陽から絶え間なく降り注ぐ光は熱を帯び、緑豊かな大自然に包まれるのどかな村の様子は、常であれば一幅の絵画のようでもある。

 しかし今は村のすぐ傍らに広がる、片田舎の景色には到底似つかわしくない緊迫した空気を纏った軍隊の野営地が、この土地でただならぬ事態が起きていることを差し示していた。


「──おーい、こっちに手を貸してくれ!」


 森の端から出てくる一団の中にいた兵士の一人が、野営地に向かって大声を上げた。

 彼らは担架を二つ手分けして運んでおり、その両方ともに呻き声を漏らす負傷兵がぐったりと横たわっていた。ややあって野営地で立ち働いていた兵士が数人、小走りで向かってくる。


「ああ、助かるよ。二人ともこの怪我だ、魔導士様方の天幕の方まで運んでって治癒魔法を施してもらわんと」

「こいつはまた酷いな。部隊の交代は必要か?」

「担当範囲内の魔獣は一匹残らず殲滅したから、しばらくは大丈夫だ。こいつらを届けてきたらすぐ上にも報告する」

「仲間はこっちで送り届けてやるから、先に報告だけ済ませてしまった方がいいだろう」

「そうか、わかった。頼む」


 合流した兵士たちは早口に、だが必要な情報を漏れなく交換してから二手に分かれて行く。担架を担いで一際大きな天幕の方へ向かう一行の中で、若い兵士が誰にともなく呟いた。


「……王都からの増援、まだなのかなぁ」

「昨日届いた連絡では、早ければ今日中に到着できるって話だったぞ」

「可能なら夜までに来て欲しいもんだな……。昼過ぎでこんな状態だ、日没後からがどうなるか、考えただけでゾッとする」


 口々に答えた他の男たちも皆、暗い顔で溜息をつく。辺境伯領の中でもさらに辺鄙なこの土地で、交代制とはいえ昼夜を問わず魔獣と戦い続けてはや二週間弱。奇跡的に死者こそ出さずに済んでいるものの、軍全体に疲弊した雰囲気が漂うのも仕方のないことだった。

 しかし、その場にいた全員が口を閉ざし、重みを感じる沈黙が落ちたその時。東の平野に伸びる道の方から駆けてきた一人の兵士が、野営地に飛び込むと快哉にも似た明るい声で叫んだ。


「──伝令、伝令! 増援が……王都からの討伐軍が到着したぞ! もうすぐそこだ!」



 ◆◇◆



 王都を発ってから六日めの午後。正午から二刻ほど経過した頃、討伐軍はイェダ村の傍らに展開された辺境伯領軍の野営地に辿り着いた。

 新たな集団を受け入れて慌ただしく拠点の拡張と再整備が開始される中、それぞれの軍で中核を担う一部の者たちは司令部となっている天幕に集められていた。全員が揃うと、挨拶もそこそこに情報の共有と今後についての会議が始まる。


「──では、『揺籃』の神子様は現場に同行させると?」

「ええ」


 眉根を寄せて問う壮年の魔導士に、フランチェスカが頷く。


「だが、危険では? 神子様は初陣、しかも半年前まで戦闘訓練などとは無縁の生活を送られていたと聞き及んでおります。戦場での即時治療任務を見据えてとのことですが、いささか早計な気もしますな」

「ですから、アルヴィが彼女の護衛につきますわ。そもそも、第二魔導部隊もわたくしたちに同行します。それだけいれば十分すぎるほどでしょう」

「ふむ……」


 思案げにゆっくりと顎をさすっている彼の名は、ニルス・ダグー。この辺境伯領直属の魔導士を束ねる長であり、領軍内における二人の最高指揮官のうちの一人である。

 ニルスはまだ納得のいかない様子で、鋭い鷹のような目をフランチェスカに向けた。


「しかし彼の権能についてはよく知っておりますが、それこそこの場にいる者の中では最も範囲殲滅に長けた性質を持っている。護衛ではなく火力の高い単独の遊撃隊として動いていただいた方が、こちらとしても──」

「いやあ、ダグー殿。それなら第二魔導部隊をその任につけましょう。何、彼らも選りすぐりの精鋭だ。引けを取ることはないでしょう」


 突如、場違いなほど朗らかなダミ声がニルスの言葉を遮った。

 声の主は、フランチェスカの隣に立っていた大柄な男性である。筋肉質でいかにも軍人といった風情のその男は、討伐軍司令官のオリバー・マニオン。身分としてはフランチェスカの方が高いものの、今回の遠征では彼が最終決定権を持っている。

 今度はフランチェスカがわずかに眉をひそめ、努めて抑えた声でオリバーに反論した。


「……マニオン司令官。当初の予定と話が違いますわ」

「予定などというものは往々にして変わるものです。聞けば我々が道中で想定していたよりも、魔獣の攻勢が激しいとのこと。ならば大きな戦力は出し惜しみせず、積極的に打って出た方がよい。攻撃は最大の防御とも言いますからなぁ」

「ですがそれでは、セラの守りが薄くなります。いくらアルヴィの権能が強力でも、この少人数では万が一ということが──」

「はっはっは、ご冗談を。稀代の天才魔導士と謳われる公女殿下と、次期宮廷魔導士長との呼び声高い副官のハイウェル殿がついているのです。神子様に危険が及ぶ可能性など、髪の毛一筋ほどもないと言っても過言ではなかろう。……名高い『死神』殿も、今度ばかりは出番がないかもしれませんぞ?」


 オリバーはそう言って、フランチェスカの斜め後ろで黙って立っているアルヴィをちらりと見る。細められた目に浮かぶ嘲りの色を隠しもしないその態度を気にする様子もなく、アルヴィはにこやかに答えた。


「ええ、僕が出張る必要もないでしょうね。司令官の仰る通りです」

(単独行動なんて許したら何するかわからんから護衛だけさせとけとか、そういう指示が上から来てるんだろうな。まあそっちは建前で、本音は嫌われ者の僕に功績を挙げさせたくないんだろうけど)


 アルヴィは心の中だけで舌を出す。

 今回の遠征ではシャンドリ伯爵が相当粘った結果として護衛任務という役割が与えられたが、王都のお偉いさんたちの大半はアルヴィに『何もさせたくない』と考えている。アルヴィの持つ権能が戦力としては非常に大きいことを理解しつつも、手放しに功績を与え続ければ彼はやがて無視できないほどの地位を手に入れてしまう。それが怖いのだ。


「……ほれ、スピネル殿もこのように仰っております。決まりでよいですかな」


 アルヴィの薄い反応が気に入らなかったのか、オリバーは軽く鼻を鳴らして再びフランチェスカの方に視線を戻す。彼女は一瞬躊躇うように目を伏せたものの、ここから覆すのも難しいと判断したらしくゆっくりと口を開いた。


「わかりました。では、わたくしの率いる第一魔導部隊は戦場を移動しながら、セラに負傷兵の即時治療をさせます。わたくしとハイウェルはその間、周囲の魔獣の討伐も行う。アルヴィはセラの護衛に専念してもらいますが、不測の事態が起きた場合には討伐任務への移行も許可する。それでよいですわね?」


 フランチェスカが投げかけた最終確認の問いかけに対してその場の全員が頷き、アルヴィの所属する第一魔導部隊の作戦行動は決定された。そのまま議題が他の部隊の動きなどの相談に移っていくのを聞きながら、彼はぼんやりとこの後の方針について思いを馳せる。


(思いっきりやっていいなら、こ(・)の(・)戦(・)場(・)の(・)前(・)線(・)一(・)帯(・)で(・)ま(・)と(・)め(・)て(・)殲(・)滅(・)す(・)る(・)こ(・)と(・)も(・)で(・)き(・)る(・)、が……暴走状態に陥った魔獣の総数がわからない以上、それをやると僕の方が保たないこともあり得るし。想定より苦戦するようだったら手を出す、くらいの気持ちでいこう)


 予定された日没直前での行動開始まで、あと三刻ほど。次第に傾いていく陽射しとともに、戦場の気配がひっそりと迫って来ていた。

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