6. 旅路にて【後】
夜明けまであと二刻という頃。
腕に装備した魔導具が伝えてくる音で、アルヴィは目を覚ました。同じ天幕ではハイウェルも寝ているが、起きる様子はない。設定した時刻になると装着者にしか聞こえない音でそれを知らせる、という機能を持つこの魔導具は非常に便利な一品だが、複雑かつ繊細な技術が要されることとそれによって恐ろしく高くなった価格のせいで、今回のような国主導の任務でくらいしか使用されていない。
少しだけ寝乱れた髪と衣服を軽く直してからできるだけ静かに天幕を出ると、隣の天幕から同じようにしてセラが出てきた。
「……ふぁぁ……。……あ、アルヴィさん。おはようございます……」
「おはよう、セラ。ほら、これ噛んでなよ」
半分しか開いていない目をしょぼつかせるセラに、アルヴィが手に持っていた葉のようなものを差し出した。言われた通りに受け取ってもそもそとそれを口に入れたセラは、しばらくすると驚いた顔をして目を見開く。
「わ、何ですかこれ? 甘いけどちょっとピリッとしてて……目の辺りがスーッとします」
「コルダーっていう薬草を干したやつ。覚醒を促す効果があるから、こういう時によく使う。聞いたことない?」
「こないだ見張り当番だった時は、フラン様……フランチェスカ様は使ってなかったです」
「……ああ、そういや君たちの時は今日と逆で、夜の一番最初の時間だったっけ。これで目が醒めると交代した後眠れなくなるから、あえて使わなかったんだろうな」
小声でそんな会話をしながら、見張りを行う場所へ移動する。二人は前の時間の当番だった兵士たちに交代を伝え、去って行く彼らの背を見送ってから揃って焚き火の側へ腰を下ろした。
アルヴィは焚き火に枝を足しながら横目でセラを確認したが、昼間とは違い随分大人しそうな様子である。まだ眠いのかもしれない、などと考えながらもアルヴィは、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「……なあ。セラの後見って、イグニス大公家が担ってるのか?」
「え? はい、そうですけど……あ、そういえば話してなかったですね。でも、どこかで聞いたんですか?」
「いや。君が時々公女殿下のことを『フラン様』って、愛称で呼んでるからさ。いくら神子でも、たまたま任務が一緒になっただけにしては親しすぎると思って」
神子は王国の重要な財産なので、認定後は生まれに関わらず死ぬまで貴族と同じ扱いを受けることになっている。ただしその特別待遇は原則として一代限りであり、たとえ子どもをもうけたとしてもその子が神子でなければ、ほとんどの場合親である神子の元の身分に戻されてしまう。
また、神子が平民や子爵以下の下級貴族家出身の場合は、伯爵階級以上のどこかの貴族家が後見として面倒を見ることが多い。どの家になるかはその時々の情勢や神子自身の能力を加味しつつ、様々な駆け引きを経て決定されている。強力だったり貴重な権能を持つ神子の後見になればその家の権力もぐっと増すので、優秀な神子が誕生する度に水面下で熾烈な争奪戦が繰り広げられてきたという歴史があった。
「お屋敷の外ではなるべくその呼び方は避けた方がいいってわかってるんですけど、フラン様のお側にいるとそのことをつい忘れちゃって……。でも、もっと気をつけないといけないですね。
フラン様だけじゃなく、大公様のお屋敷にいる方々は皆さん優しくて、本当に良くしてくれるんです。迷惑かけないようにしないと」
むむ、と眉根を寄せるセラを、アルヴィはしばし無言で見つめた。
(……大公家が後見になったのに加え、以前話していた内容から平民の生まれなのは確定。でも、たった半年前に生活環境が一変したっていうのに、全然萎縮してなさそうなんだよな。逆に勘違いして傲岸不遜になってるというわけでもないし……どこまでも自然体な感じだ)
斜め上のすっとぼけたことを言い出すのもしばしばだが、天真爛漫を装って周囲の関心を集めようとしている……というのとも違うだろう。以前そういう令嬢を何人か見たことがあるが、そういう手合いは声音と目つきですぐにわかる。
セラの場合は当然のように、または大真面目な顔をしてすっぱりと言い切るので、本当に言葉通りのことを考えているのだろうなということが伝わってくる。……あるいは、何も考えていないだけかもしれないが。
「セラはさ」
「はい」
「平民だったのにいきなり神子になって、ろくに知りもしない貴族社会の中に放り込まれてたったの半年だろ。大公家が良い環境なのは聞いたけど……それでも、不安とかはないのか?」
「……うーん」
セラは珍しく即答せず、少しの間悩むように押し黙った。ややあって、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出す。
「──わたし、元々は町の孤児院で育ててもらってたんです」
予想していなかった内容にアルヴィの表情からするりと何かが抜け、静謐さを増した。焚き火を見つめているセラはそれに気がつく様子もなく、語り続ける。
「孤児院にはもちろん、わたしの他にもたくさんの子どもたちがいました。時々里親さんにもらわれていく子がいたけれど、逆に新しく引き取られてくる子もいたので、物心つく前から院にいたわたしは色んな子に会って、話して、一緒に遊んだりもしました。
皆、言い出す時期はそれぞれだったけど、将来こんな仕事をしたいとか、どこに行きたいとか、そういう夢を持ってました。逆に何もしないで大金持ちになりたい、なんて困ったことを言う子もいたんですけどね。それでも、たとえ冗談だったとしても『欲しい未来』のことを思い浮かべられたんです。
──わたしはそれが、できませんでした」
淡々と、幼さを残しているが落ち着いた声が言葉を紡ぐ。アルヴィはこのまま聞き続けても良いのかどうかという躊躇いを感じたが、一貫してセラの表情に負の色は見受けられなかった。
「将来何がしたいか決められない子なら、他にもいたんです。でもわたしの場合はそうじゃなくて……もっと簡単に、『何が欲しいか』と聞かれても、頭の中は真っ白なままでした。
思えば、院の普段の暮らしの中でもそうだったんです。おやつはこれが好きだとか、こういう遊びがしたいとか、そういうのも全部わたしにはなかった。ただ、他の子に合わせるだけ」
「……欲がなかった、ってこと?」
「そう、ですね。でもたぶん、それだけじゃなくて……。もっと正確に言うと、何だか自分の見ている世界が全部『遠い』って感じるんです。
感情がないわけじゃないんですよ。楽しい時は笑いますし、落ち込んで泣く時もあります。でもいつだって、それを全部無表情で見つめている、もう一人のわたしがいて。他の人が怒ったり悲しんでいても、それをどこか空の雲みたいに何も考えず見ているわたしがいるって──ある時、気がつきました。だから」
淀みなく話し続けていたセラはそこで初めて、迷うように言葉を切った。ややあって、急に気落ちした調子で低く呟く。
「……だから正直。わたしはきっと、『他人事の感覚』でここにいる、のだと思います。自分自身のことだと心の底から思えていないから、不安にもならないのだと。
ごちゃごちゃと長い話をしてしまってすみません。こんなことを考えてるなんて、無責任だってわかってはいるんですけど……。──癒しの神子なんだから、皆のことを思いやって助けてあげなくちゃいけないのに」
(……なるほどなぁ)
アルヴィは少し、彼女のことが理解できたような気がした。
セラという少女は、けっして邪悪ではない。かといって善良の側にも立てていないし、どちらも併せ持つというわけでもない。彼女は確かに人間であってそれらしい心だって持っているが、同時にその半身はそれらすべての外側に立っている。──まるで、傲慢な神のように。
その在り方に対して、否定も肯定もする気は起きない。けれど、ただ一つだけ言えることは。
「癒しの神子は、確かに他者を救うことができる存在だけどさ。別に、中身まで『そう』じゃなくてもいいんじゃないの」
何でもないような口調で、アルヴィは言った。自己嫌悪からなのかしょんぼりと萎れた雰囲気を漂わせていたセラは、目を瞬かせて顔を上げる。
「普通の人間がある日突然神子になる理由は、当然知ってるだろ?」
「それは……はい。神様がその人を選んだから、ですよね」
「そう。ろくでもない神の気まぐれで、僕たちはここにいる。神子がどんな性格で何を考えてたって、そいつを選んだ神にこそ責任があるんだ。文句があるなら神に言えって話」
「えぇ……。アルヴィさん、もしかして神様のこと嫌いなんです?」
「そうだなぁ。神子じゃなかったら好きになってたかもね」
彼はそう嘯きながらも心の内で、いややっぱりそれだけはないな、と皮肉げに呟いた。神様なんてものは、とにかくろくなもんじゃないのだから。
ふっと静かになったセラは、再び焚き火を見つめている。その横顔に目立った変化はないけれど、心なしか先ほどより柔らかい雰囲気になったように見えるのは、気のせいではないと思いたい。
(──あの人なら、何と言うだろうか)
アルヴィの脳裏に、そんな言葉がぽつりと浮かび上がる。
神子なのだからと、叱咤激励するだろうか。それとも、善悪から隔てられたその有り様をただ肯定するだろうか。……あの公女によく似た、泰然としながらも苛烈な、懐かしい人。
二人の会話が途切れると、燃える炎の弾ける音が代わりに大きく聞こえるようになった。濃い暗闇に沈んだ木々はほとんど見えないが、風に揺れる無数の葉が不明瞭な囁きを奏でている。
夜明けはまだ、どこまでも遠かった。




