5. 旅路にて【前】
「アルヴィさん、あれ! あれ見えますか、湖ですよ! おっきい!」
(……元気だなぁ〜)
馬車の窓と向かいの座席に座るアルヴィを交互に見ながらそう言うセラの顔は、何やらキラキラとした輝きの幻が見えてきそうなほど楽しげな笑顔である。今回の旅ってピクニックだったっけ、などという皮肉を思わず口走りそうになったアルヴィは、すんでのところでそれを呑み込む。
「……湖なんて、要するにバカでっかい水溜りだろ。この先似たようなのがいくらでも見られるって」
「そんなことないですよ、水溜りはそのうち乾いてなくなっちゃうじゃないですか。それにあんなに大きい湖、わたし初めて見ました!」
「あれはレスター湖ですわね。この辺りでは最大の湖です。国内三大湖の一つとしても知られていますわ」
対照的なテンションの応酬に付け加えるように、フランチェスカが豆知識を披露した。セラは素直に感嘆の声を出すと、再び窓の外へ顔を向けた。景色をよく見ようとして不安定な中腰の体勢だが、馬車の揺れをものともせずに上手くバランスをとっている。
「ほら、そんな体勢だと揺れた時に転ぶかもしれないから、そろそろ座りなって」
「大丈夫です、こう見えてバランス感覚は良い方なので。六歳の時、町の綱渡り大会で準優勝だったんです」
「うんうん、そっかぁ。ちなみにそれ、参加人数はどれくらいだったのかな」
「お隣のお爺ちゃんと一つ向こうの通りの肉屋のおじさん、それからわたしを入れて三人でした! 結構白熱した戦いだったんですよ」
「大会のくせに規模が小さすぎる通り越して論外レベルなんだが?? しかもその顔ぶれで優勝してない時点でだいぶ説得力ないし、そもそもなぜ綱渡りで競おうって発想になってんの……」
色々疲れてきたアルヴィは助けを求めてフランチェスカの方を見たが、彼女は微妙に口をすぼめて頬を少しこけさせた変な顔をしたまま、目を合わせてくれなかった。あれは頬の内側を吸い込むことで笑うのを堪えている人の様子である。残ったハイウェルは履いている靴の状態を確認するような姿勢でうつむいたまま、やはりフランチェスカ同様に頬が少しだけこけている。アルヴィは二人に期待することをやめ、死んだ目で虚空を見つめた。
(空気になる作戦どころじゃなかったなぁ……)
討伐遠征隊は夜明けとともに滞りなく出発し、王都を抜けて西の方へ進んでいた。
目的は人的被害の可能性が十分に考えられる、魔獣のスタンピード……大暴走の鎮圧であるので、可能な限り急ぎの旅ではある。とはいえ到着した時に疲労困憊で誰も使い物にならないというのでは本末転倒なため、騎馬兵以外の人員は日中は馬車でひたすら移動し、夜間は野営で最低限の休息をとることになっている。
けっして物見遊山ではないし、日中の馬車組は途中ではぐれ魔獣などの障害が出現した時の対処や馬の交換、および馬への回復魔法の行使といった仕事ももちろんこなすのだが、正直ほとんどの時間は暇である。アルヴィが数年前に幾度か似たような任務に参加した際も、彼以外の同乗者には目的地での作戦について討論する真面目な者たちもいれば、とりとめのない雑談を続ける者も確かにいた。……いたが、ここまで朗らかにはしゃいでいるのはセラが初めてだと思う。
(もう長いこと平民の同年代になんて接してないからわかんないんだけどさ、今の十五歳の女の子って皆こういう感じなのか……? 素で接しても全然気にしてないっぽいし。これが王都のご令嬢たちだったら絶対、軽蔑した目とヒソヒソお上品悪口のフルコースなんだけどな)
少し興奮が収まったが未だ湖に釘付けのセラを眺めながら、ぼんやりとそんなことを考える。
あの何とも言えないファーストコンタクトの後、出発の号令で我に返ったアルヴィは改めて当初予定していた通りの、丁寧だが余計なことも言わない口調と態度に戻ろうとした。しかしフランチェスカから大変美しい笑顔とともに、
「セラとあなたは同じ神子という対等の身分ですし、あなたから見てセラは後輩のようなものでしょう? セラに対しては先ほどのように、自然な口調でよいのではないかしら。わたくしも、普段のあなたがどのような人なのか興味がありますわ」
……などというありがたいお言葉を賜ってしまったため、彼のちっぽけかつ後ろ向きな思惑は露と消えた。セラが敬語なのだから自分も合わせるべきでは、とささやかな抵抗も試みたが、彼女の「アルヴィさんは先輩なんだから、わたしが敬語を使うのは当たり前です! あ、アルヴィ先輩って呼んだ方がいいですか? それとも師匠とか」という返答ですべてを諦めた。さらに距離を詰められてきそうな呼び名の追加は絶対に阻止せねばならなかったので、妥協することにしたのだ。というか先輩はまだわかるが、師匠はどこから来たのだろうか。
それからずっと、敬語ながら遠慮なくアルヴィに話を振ってくるセラと、それを見て確実に面白がっているフランチェスカという構図が続いている。最後の砦と思われたハイウェルも、当初はアルヴィの推測通り警戒心があったらしく微妙な表情のまま探るような視線を寄越していたのだが、その青い目はだんだんと生温かい雰囲気を醸し出すようになってきていた。心なしか憐れみも含んでいるような気がしてならないし、フランチェスカと一緒になって爆笑耐久戦に参加することが増えてきた。とんだ期待外れである。
◆◇◆
馬車が進むにつれ、端が見えてきたレスター湖とともに広大な空もまた色彩を変え、黄金色と真紅を経た後に深い紫色に染まった。先頭を行く部隊から今夜の野営準備開始の号令が伝えられ、後続の馬車や騎馬隊も順に進行を停止した。
一日中進んできた街道から少し外れた小さな森の縁に、次々と天幕が設置されていく。アルヴィたち一行も、乗ってきた馬車を基点として手早くキャンプの準備を進めていった。
「この分だと明日からは街道を逸れて、舗装のない道に入っていきますわ。街道のように整備されていないから少し走りにくいかもしれないけれど、今のところ悪くないペースですわね」
夕食時、スープの入った器を両手で抱えて指を温めていたフランチェスカがそう言った。隣に座っていたハイウェルが頷く。
「今日で四日目でしたから……遅くとも明後日の午後にはイェダ村に到着できるでしょうか。ほぼ予定通りですね」
「第二魔導部隊からの伝言で、辺境伯領魔導士からの連絡によると、今朝の時点では領軍に死者は出ていないそうよ。さすがに怪我人は増えてきたようだけれど……」
「魔獣の多く棲息する未開地に接し、経験と鍛錬を積み重ねている辺境伯領だからこそ、その程度の被害に抑えられているのでしょう。あそこの魔導士は実戦経験も豊富で、戦闘や治療に関連する魔法については王都の宮廷魔導士にも引けを取らないと聞きます。我々の到着まで持ち堪えてくれると信じましょう」
「そうね」
フランチェスカは頷き、今度は反対隣にいたセラを見た。
「今夜の見張り番の一人は、セラにお願いしてもいいかしら」
「はい、わかりました。相方はどなたですか?」
「そうね、順番からして……アルヴィですわね」
「あー……、はい。承知しました」
水を向けられたアルヴィは、たぶんそうなるだろうなと薄々予想していたので素直に頷いた。野営では毎晩各部隊から二人一組を選出し、二、三時間おきに数組が交代する形で夜間の見張りを行っていた。この隊では初日にフランチェスカとセラ、二日目にハイウェルとアルヴィ、三日目の昨夜がフランチェスカとハイウェルというローテーションだったので、次にセラとアルヴィの組み合わせになるのは順当である。
「セラもだいぶ野営に慣れてきましたわね。……というかむしろ、慣れるのが早すぎるのではなくて? あなたの順応力が高いのは知っていましたけれど」
「うーん、そうでしょうか? さすがにちょっと疲れてきたような気もします」
(嘘つけ、疲れてるやつはただの湖で丸々一刻はしゃぎ倒したりしないからな)
「……アルヴィが見るからに『嘘つけ』という顔をしていますわ」
「公女殿下は僕の顔を翻訳するのをやめてくださいませんかね……」




