4. 出立の朝【後】
夜が明ける少し前、旅支度を整えたアルヴィは使用人宿舎棟を出て西門前の広場へと足を向けた。できるだけ人目に晒されたくないという私情で遅めに出発したのだが、ただでさえ心象が良くないのに遅刻などするわけにはいかないので足早に歩いて行く。
(よし、ちょうどいい感じの時間に来れたな。で、僕の乗る馬車はと……)
あちらこちらに篝火が焚かれてはいるものの、暗闇の濃い広場を見回す。他と似たり寄ったりの見た目をした馬車よりも、昨日の準備中に確認しておいた同乗者を探した方が早いという理屈で、人が集まっている所を順番に見て行くとほどなくして目当ての集団が見つかった。
(あー……予想はしてたけど、やっぱり遠目からでもキラッキラしてるわ。あの中に僕を混ぜるとか、割り振り考えたやつは正気か?
……いや、たぶん指示ねじ込んだのは伯爵閣下だな、護衛任務だからとか何とか言って。文句垂れてスミマセン)
心の中でサムズアップするシャンドリ伯爵の幻影におざなりな謝罪を入れるアルヴィの視線の先では、暗がりの中でも鮮やかに存在を主張する赤髪の美女と金髪の美男子、それからいかにも初々しい雰囲気の小柄な少女が和気藹々とした雰囲気で言葉を交わしている。自然と重くなる足を引きずるようにしてそちらへ向かうと、男性に一拍遅れて女性たちもアルヴィの接近に気がつき、全員の視線が集まった。アルヴィはまず、この場にいる中で最も身分が高い女性の前まで進み出て礼を執った。
「イグニス公女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。神子アルヴィ・スピネル、参上いたしました。お目にかかれて光栄でございます」
頭を下げて視線を伏せたアルヴィを、赤髪の美女──フランチェスカ・イグニスは一瞬無言で見つめたが、すぐに淑女の微笑みを浮かべて柔らかな声を発した。
「おはようございます、アルヴィ・スピネル。作法通りなのは結構ですけれど、今日からしばらくの間は任務を共にする同志です。必要以上に堅苦しくせずともよいですわ」
「……人の目がございます」
「このような軍務の折、わたくしやその周りで仕える者がどのように振る舞うかなど、これまでの実績で知れ渡っていますわ。あなた一人だけの話ではないもの、気にする必要はなくてよ」
「承知いたしました。では、そのように」
(ほんと貫禄あるなぁ、この人。僕より歳上とはいえ、一つしか違わないよな? ……見た目も雰囲気も、あの人によく似てる)
返事をしてから顔を上げると、優雅ながらも苛烈さを宿した美貌が改めて目に入る。そこに懐かしい人物の面影が重なり、アルヴィはわずかに息を呑んだ。
二人のやり取りが一段落したのを見てとって、今度は金髪の男性が進み出た。
「おはようございます、スピネル殿。フランチェスカ様の副官を務めております、ハイウェル・キースマンと申します」
「初めまして、キースマン殿。しばらくの間、よろしくお願いします」
柔和だが儀礼的な表情と、無駄なところが一切ない型通りの挨拶。副官の方は公女と違ってだいぶ自分を警戒していそうだ、と頭の中の同行者リストに追記しておく。まあ、自分に対してはこっちの方が普通の反応と言えるので、特に予想外でもない。
(で、最後が……)
三人目の人物に向き直ると、彼女はすぐにぺこりと頭を下げ、自己紹介と挨拶を述べた。
「初めまして。セラ・フローライト……えっと、『揺籃』の神子です。新参者ですが、どうぞよろしくお願いします」
(……思ってたより、だいぶしっかりしてる子だな)
意外に思ったアルヴィの目が瞬く。
癒しの神に選ばれた少女というから、もっとふわふわと儚げで、心優しいお姫様のようなタイプを想像していた。実際数十年前にいた先代の癒しの神子はそんな人柄で、二つ名とは別に『聖女』という渾名もついていたというのは有名な話だ。
一方セラはやや小柄ながらも背筋を伸ばしてしっかり立ち、然程緊張した様子もなく落ち着いている。日に焼けているわけではないが健康的な肌の色は、お転婆とまではいかないものの深窓の令嬢などとは程遠いことがよくわかる。硝子張りの温室で咲く高貴な花よりも、草原で風に揺れる小さな野花が似合いそうな、そんな印象だった。
「初めまして、フローライト嬢。既にご存知かもしれませんが、僕はあなたと同じく神子のアルヴィ・スピネル。よろしくお願いします」
丁寧に、かつ簡潔な挨拶と名乗りを返す。本来はセラに合わせて二つ名も名乗る方が正式なのだが、どうせ『死神』という悪名の方が有名だし、もはや誰も覚えてなさそうな二つ名なんて名乗ったところで馬鹿にされるか白けるかのどっちかだろうな……などという卑屈理論により省略してしまった。これはこれで、セラのみならず他の二人からも『礼儀のなってないやつ』という第一印象を抱かれる恐れがあるが、友好的な関係が築ける可能性なんて最初から一欠片も期待していないので、アルヴィとしては全く問題ない。
しかし、そんなことをつらつら考えながら軽く下げていた頭を上げると──なぜかまじまじとこちらの顔を凝視するセラと、思いっきり目が合った。ぎょっとして軽くのけ反る。
「な、何……?」
「あ、すみません。アルヴィさんの瞳って、何だか──」
動揺して敬語が外れてしまったアルヴィだったが、続くセラの言葉にすっと頭が冷える。
(ああ、血の色みたいで不気味だって言いたいのかな。噂通りだった、と)
素直そうな子だから、つい口走ってしまったのだろう。途中で自らの非礼に気がついて言葉を濁すか、言い切ってから狼狽するか。後者なら面倒だけど失言に気を悪くしたという口実ができるから、しばらく黙りでいても皆変に絡まずそっとしておいてくれるだろう。
しかし、瞬時にそんな予想とこの後の対応策を思い浮かべるアルヴィをよそに、セラはごくごく真剣な顔で続けた。
「──苺ジャムみたいで美味しそうですよね」
「………………は???」
◆◇◆
もうすぐ乗り込む予定の馬車の、最後の同乗者。その彼がフランチェスカに挨拶する姿を見て、セラは意外に感じていた。
(フラン様から聞いてたお話だと、もっと近寄り難そうなイメージだったんだけど……普通に真面目で良い人そう)
彼女は事前にフランチェスカから、今回の任務で初対面となるアルヴィという神子について簡単な説明を受けていた。上流階級としての暮らしにある程度慣れてきたものの、貴族社会における風説をほとんど知らないセラに偏った先入観を植え付けたくないというフランチェスカの考えにより、客観的かつ最低限の内容ではあったが。それでも、この旅で自分の護衛を務めるということや過去に戦で非常に大きな功績を上げたという情報から、いかにも強そうな強面の男性を想像していたのだ。
(片手で岩を粉砕できるくらいムキムキで、ハイウェルさんの三倍くらいの身長で、歩いてるだけで地響きとともに敵が爆散する人かなって思ってたのに)
……だいぶ誇張された、強そうというより人間かそれ? と問いたくなるような姿を想像していた。
フランチェスカはアルヴィの容姿については一切触れなかったので、実物と似たところが見当たらないのは仕方ないのだが。どこから持ってきたのか全くわからない要素でしか構成されていない理由は、おそらくセラ本人にもよくわかっていない。
彼女が斜め上のイメージ像を心の中でこっそり修正する間にその場のやり取りは進み、ハイウェルへの挨拶を終えたアルヴィがようやくセラの方へ視線を移した。
思っていたより大柄ではない……というかどちらかというと細身だが、フランチェスカよりは背が高い。他の二人に対するものと同様に丁寧に挨拶を返してくれる彼の顔を改めて真正面から見て、セラはその珍しい色の瞳に思わず目を奪われた。そして素直に抱いた感想が、そのままぽろっと口をついて出てくる。
「アルヴィさんの瞳って、何だか苺ジャムみたいで美味しそうですよね」
「………………は???」
アルヴィの目が点になった。比喩であるが。
「お世話になってるお屋敷でよく、朝食にパンと苺ジャムを出してもらうんです。真っ赤でツヤツヤで、でも透き通った涼しそうな感じがするのもそっくりです。あ、でも、料理長さんがたまにくれる飴玉にも似た色のがあります。そっちは何味か聞いてないですけど」
「……君、もしかしてお腹空いてるの?」
「え、そんなことないですよ。どうしてですか?」
「前置きもなく食べ物方面十割の話題振られたら普通そう思うだろ……え、僕間違ってる?」
珍獣を見る目で問いかけてきたアルヴィに、セラはきょとんとした顔でやはり真面目に答えた。
横にいたフランチェスカが吹き出すのを我慢して小刻みに震え始めたが、表情は上品な微笑みをキープしていた。淑女の鑑である。
アルヴィはうっかり素の口調になってしまっていることにも気がつかず困惑し、そうさせたセラもまた不思議そうに首を傾げている。ハイウェルはものすごく微妙な表情で立ち尽くし、フランチェスカはまだ笑いの波に打ち勝てていない。最終的に出発の合図が出されて馬車へ移動するまで、そんな状態が続いたのであった。




