9. 討伐戦【中】
ルニアの群れの襲撃を乗り切った後、アルヴィたち第一魔導部隊は森への進入開始から同行していた隊と別れ、隣接する第二区域から順に戦場を巡り始めた。
深まる夜に沈んだ森は濃密な闇をはらみ、事前に魔法薬で強化した視力を以てしても容易には見通せない。上空から微かに伝わる葉擦れの音を掻き消すように、そこかしこから聞こえる人間の叫びと魔獣の唸り声が混ざり合い、一つの不気味な響きとなって森の底を這っていた。
「──神子様、こちらへ! 命符の段階順で負傷者を待機させております!」
「はい、今行きます!」
向かって来る一行に気がついて声を張る騎士に返事をすると同時に、セラは早足でそちらへ向かった。アルヴィがそれに付き従い、フランチェスカとハイウェルは少し離れた場所で魔獣と戦っている一団へ合流する。
怪我人たちのもとへ辿り着いたセラは、列の先頭で座り込んでいた兵士の首にかけられた命符の色、ならびに傷の位置や毒の可能性の有無を確認してからその右腕をとる。肩口から肘にかけて大きく切り裂かれた状態の彼は、腕が持ち上げられた際に生じた痛みで低く呻き声を漏らした。
「すみません、すぐ済みますから」
セラがそう言うや否やその両眼の蒼色が深みを増し、瞳に浮かぶ黄金の光輪が強く輝く。同時に兵士の腕に添えられた彼女の両手から柔らかな白い光が溢れ、触れている箇所から腕全体へと伝わるにつれて時を巻き戻すかのように傷が塞がっていった。
「すごい……ありがとうございます」
「とんでもないです、お役目ですから。次の方、お願いします!」
感動した様子で礼を述べる兵士に微笑んだセラだが、間を置かずに次の負傷者の治療を始める。回数を重ねるごとに洗練されていく一連の流れに、アルヴィは素直に感心した。
(やっぱり魔導士の治癒魔法と比べて、速さも効力も桁違いだ。あれだけ繰り返し発動させたのにまだ深化の兆候もなさそうだし、国の目論見通り将来は戦場で引っ張りだこに──っと)
セラの様子を見守りながらも周囲を警戒していた彼は、接近する何らかの気配を察知して剣を振るった。斜め上の暗闇から飛びかかってきた小さめの影が、短い断末魔の鳴き声とともに地に落ちる。近寄って灯りをかざすと、蝙蝠によく似た生き物が血を流して事切れていた。暗赤色の体毛に覆われた体から伸びる翼の数は二対。大きく開かれた口から、びっしりと生えた針のように細く鋭い歯が覗いている。
(ムルデルか。群れで行動する魔獣だから追撃の可能性も……)
そう考えて身構えた矢先、微かに羽ばたきのような音が耳に入る。顔を上げると同時に剣を振り抜き、予想通り現れた二体めを斬り裂いた。そのまま勢いに任せて体を回転させると、さらにもう三体飛んでくるのが見える。剣を握り直し、最初に仕留めるべき個体を見極めようとした──次の瞬間、横合いから放たれた白銀の光が三体のムルデルを貫いた。
「ご無事ですか?」
力を失った魔獣の体が地面に転がるよりも早く、魔法による攻撃を放った人物……ハイウェルが、アルヴィの前に姿を現す。
「ありがとうございます、助かりました。そちらは?」
「片付きました。セラ様の治療任務が終わり次第、第五区域へ移動しましょう」
「わかりました」
「……しかし、気になることが」
ハイウェルがふと、眉をひそめる。いつも穏やかで冷静沈着な彼の珍しい表情に、アルヴィはただならぬものを感じて即座に問い返した。
「何かあったんですか」
「出現している魔獣の種類について、少し。今し方、我々が合流して倒した魔獣ですが……どう見てもあれは、ハイドでした」
「……ハイドが、ここに?」
ハイドとは、虎と豹の合いの子のような姿をした大型の魔獣だ。成体になると虎より二回りほども大きくなる。最大の特徴はハイド自身の意志に応じて自在に色を変化させる体毛で、その場の景色に溶け込んだ上での奇襲を得意としている。
それ自体は特に問題ではない。凄まじい膂力と短剣のような牙に、その巨体にも関わらず音もなく接近して不意をつく戦法の組み合わせは確かに脅威だが、同じくらい強力な魔獣は他に何種類もいる。──しかし。
「あれって、ここよりもっと北の方に棲息しているはずの魔獣でしたよね」
「ええ。事前にダグー殿が見せてくださった、この辺り一帯に棲息している魔獣の一覧にも載っていませんでした。はぐれの可能性もなくはないですが……」
魔獣のスタンピードは、その土地の魔力濃度が何らかの原因で高くなった結果として生じる。土地の草木から草食魔獣の体内、それを捕食する肉食魔獣へと魔力が蓄積されていき、そこに生きる魔獣全体が活性化されて異常に数を増やすのだ。一日やそこらで起きるものではなく、人里まで溢れて害をなすまでに最低でも数ヶ月は要する。
そして、あくまで元々そこにいた魔獣の変化である、というのが重要な点だ。新種の魔獣が突然地面から生えてきたり、他所の土地の魔獣が召喚されてきたりするわけではない。つまり、このイェダ村がある場所より北方の森林地帯で暮らしているはずのハイドがここにいるのは、明らかに不自然としか言いようがない。
(一体だけならまあ、偶然はぐれが迷い込んだということもあり得なくはない。……でもよりにもよって、そう頻繁に起きるものでもないスタンピードに重なるか?)
嫌な予感がする。アルヴィの背にぞわりとした得体の知れない感覚が走った。
けっして甘く見ていたわけではない。だがここ二年は命の危険とはほど遠い雑用のような仕事ばかりで、そういったことを見通す能力がいつの間にか鈍っていたことを痛感する。
(正直森に入ってすぐの時まで、人間側は過剰戦力だと思ってた。実際公女殿下やキースマン殿のおかげで出てきた魔獣の討伐はほぼ流れ作業、セラの治療任務も順調だ。遊撃中の第二魔導部隊からも特に緊急連絡は来てないし、上手くやってるんだろう。
けど、まだ帰還命令が出ていない……作戦内容よりも時間がかかり過ぎだ。加えてここまでの道中、死者こそいなかったが負傷者の数はやはり想定以上に多い。
──これは、お偉いさんのご機嫌伺いをしてる場合じゃないかもな)
ぎり、と無意識に歯噛みしたところへ、セラとフランチェスカが揃ってやって来た。セラはアルヴィとハイウェルのすぐ側に魔獣の死体が落ちていることに気がついた途端、慌てたように二人の命符を確認する。
「お待たせしました──っ、お二人とも大丈夫でしたか!? お怪我は……ない、みたいですね。よかった」
「大丈夫大丈夫、一撃ももらってないから。大半はキースマン殿が瞬殺してくれたし」
「いえ、五体のうちの三体なのでそれほど差はありませんよ。それにスピネル殿が最初の二体を討つところが見えましたが、私が手を出すまでもなかったかもしれませんね」
少し前に見た光景を思い出そうとするように、顎に軽く手を添えてハイウェルがそう言った。フランチェスカが意外そうにアルヴィの顔と、腰に提げ直した剣を交互に見る。
「あら、アルヴィは剣術も嗜んでいたの? 初耳ですわ」
「基礎程度ですって。あと、どちらかというとこの剣……『魔導剣』自体による成果です。軽量化魔法のおかげで僕でも難なく振り回せるし、何回斬っても刃こぼれしないように強化魔法までかけてある。魔導鍛治師さまさまですよ」
「見た目は普通の剣なのに、そんなにすごい剣だったんですね! わたしもそういう剣を持って来ていたら、自衛くらいはできたかも……」
真剣な表情でそんなことを言うセラ。しかしアルヴィの脳内には、やたらめったら剣を振り回して大惨事を引き起こす彼女の姿がありありと描き出されてしまった。戦場で冷静さを保てる胆力はあるし神子としての能力も申し分ないのだが、彼女に刃物を持たせると大真面目にとんでもない空回りをする気がしてならないのだ。ただの勘でしかないけれど。
「それはそれとして……セラ、治療は全員分終わったんだね。お疲れ様。見た感じまだ深化の心配はなさそうだけど、君自身の感覚としてはどう?」
「ありがとうございます。深化の方はまだ平気そうです。お屋敷で練習した通り、なるべく過不足なく神気を引き出すようにしてるので」
「そう、よかったですわ。とはいえ無自覚に深化が進むこともあるようだから、少しでも違和感を覚えたらすぐに申告なさい。アルヴィもセラのこと、できるだけ気をつけて見てあげてくださる?」
「もちろんです」
セラの返事を引き取るようにして忠告を加えたフランチェスカの頼みを受け、アルヴィが素直に頷く。
「お願いしますわね。……では、予定通り次の第五区域へ──」
微笑んだ彼女はそのまま、出発の指示を口にしようとして──突然言葉を切り、右腕を持ち上げた。
掲げられた手首にはまる、複雑な紋様を施された一つの腕輪。それが、鈴を激しく鳴らしたような高い音を出し始めたのだ。
表情を消したフランチェスカが腕輪に軽く触れると音は消え、代わりに人間の男の声が溢れ出した。微かに混ざる雑音を掻き消すように、酷く慌てた様子の声が辺りに響き渡る。
『──下、フランチェスカ公女殿下! こちら第二魔導部隊ブラウ、応答願います!』
「聞こえていますわ、ブラウ。何が起きたのです?」
腕輪の形をした連絡用魔導具を顔の高さまで持ち上げたフランチェスカが即座に言葉を返すと、相手……第二魔導部隊の魔導士ブラウの声は一瞬途切れた後、少しだけ安堵したように幾分柔らかくなって戻って来た。
『ああ、よかった……ご無礼をお許しください、今はどちらに?』
「第四区域で負傷者の治療を終えたところです。あなたたちは?」
『っ、第五区域です。それほど近くにいらっしゃったとはありがたい。申し訳ございませんが、すぐに救援を頼みます!』
「わかりました。現在地の情報を教えなさい、すぐに向かいます。……でも、事前にこれだけは聞かせて。一体何が起こったの?」
会話を続けながら、フランチェスカが目配せをする。その意図を即座に汲み取ったハイウェルがアルヴィとセラを促して移動を開始する傍らで、ブラウの悲鳴じみた声が一際大きく響き渡った。
『ペルリダです、殿下……数匹どころじゃない、数えきれないほどの、大群が──このままでは、我々は全滅します!』




