10. 討伐戦【後】
ウォーテル王国の平野地帯には、ペルリダと呼ばれる魔獣が棲息している。
外見は鼠によく似ているが尾は短く、兎より一回りほど大きい。全身黒褐色の体毛に覆われており、野苺のように真っ赤な目は二対……合計四個。群れで狩りを行う習性と敏捷な身のこなし、さらに毒を持つ歯が厄介な魔獣だ。
とはいえ数ある魔獣の種類の中でも小柄な体躯であるため、数匹程度であれば剣などの標準的な武装で十分撃退できる。市井には魔獣を狩ることを生業としている人々も存在しているのだが、ペルリダがその業界において『初心者向け』の扱いを受けているのは有名な話である。
──しかし。
「通常は規模が大きくても十匹ほどの群れしか作らないペルリダが一箇所に数百……またはそれ以上いるってのは、スタンピードだからという説明もつけられなくはない。でも、何で本来の棲息地である平野じゃなくてこんな森の中にいるんだ……!」
走りながらも魔導具越しに聞こえてくるブラウの状況説明を聞いていたアルヴィは、理不尽な内容に誰にともなく毒づく。その少し手前にいるフランチェスカと、彼女の隣で並走するハイウェルも同様に固い声を漏らした。
「先ほど討伐したハイドといい、やはりただのスタンピードとは思えませんわ。ここに棲息するはずのない種がいただけではありません。いくら規模が大きいと言っても、発生してから二週間弱もの間辺境伯領軍が対処してきたというのに、未だに掃討の目処が立たないのは異常です」
「過去のスタンピードでも時折、現地からの要請で王都から増援を派遣したことはありましたが……。大抵は到着までに領軍との戦いで魔獣の数がある程度減りますので、疲弊した領軍の代わりに最後の追い込みをするなど、どちらかというと短期決戦が多いですね。今回は現時点でも、勢いが衰える片鱗すら──」
「あっ、見えました! ブラウさんたちじゃないですか!?」
ハイウェルの言葉が、突如上がったセラの声に遮られる。確かに前方に、こちらへ向かって全速力で駆けるいくつかの人影が視認できた。……そして彼らを追って迫り来る、濁流のごとき魔獣の群れも。
大群で疾走するペルリダの体は闇に沈んでほとんど黒に近く見え、四つの赤い目だけが炎のように輝いている。走っていた魔導士たちは先ほど打ち合わせた通りの地点まで来ると、瞬時に二、三人のペアに分かれて魔法を発動させ、傍らに聳える巨木の上へ跳び上がった。
「手筈通りですわね。セラ、しっかり掴まりなさい!」
「はい!」
「スピネル殿もこちらへ。……では、跳びますよ!」
「お願いしま──ゔっ」
アルヴィたち四人も少し離れた位置まで到達し、二組に分かれた。フランチェスカがセラを、ハイウェルがアルヴィを抱えて身体強化魔法を発動する。淡い魔力の光を帯びた魔導士二人は、一時的に常人離れした力を発揮できるようになった両脚で地面を抉るように踏み、上空に張り出す太い木の枝の上まで跳んだ。凄まじい移動速度によってかかった圧力にセラはぎっと歯を食い縛り、アルヴィは若干堪え損ねて軽くえずいた。
先に樹上へ辿り着いていた魔導士たちと同様に、フランチェスカとハイウェルも枝の上に着地するや否や、登った木の中程の幹を囲むようにリング状の結界魔法を展開させた。追って来たペルリダたちが木に登って来るが、途中で結界に阻まれ耳障りな甲高い鳴き声を上げて落ちていく。要は、魔法版鼠返しである。
「公女殿下! こちらは欠員なしです」
少し離れた場所の木に登っている若い魔導士……ブラウが、フランチェスカに向かってそう声を張り上げる。
「それは重畳。最初はどうなることかと思いましたが、ここまでは概ね問題ありませんわね」
「ですが、もうあまり猶予はありません。今展開した結界一つの維持だけであればある程度保たせられますが、もし奴らが他の木々と接している枝を伝って来るようなことがあれば、そちらにも対処する必要があります。殲滅を優先するとしても、この大群に対して十人にも満たない魔導士では焼け石に水でしょう」
「ええ、その通り。ですから、先ほどわたくしが言った通り……ここからは選手交代、ですわ」
「……しかし、本当に大丈夫でしょうか? いくら神子様とはいえ、たったお一人では」
ブラウは、ハイウェルの隣にいるアルヴィに半信半疑といった目を向けた。アルヴィは跳躍の際のダメージがまだ残っているらしく、木の幹に手をついてややぐったりした様子だ。彼のことをよく知らなければ心配になるのも無理はない状態ではあったが、ブラウの後ろで結界魔法の維持をしていた年配の男性魔導士が口を挟む。
「ブラウ、お前が懸念するようなことは何もない。公女殿下の指示に従え」
「ソーン導士……、でも」
「くどいぞ。まあ、お前はあの神子と同じ任務についた経験がないからわからんのだろうが。──アレを、普通の基準で考えるな」
吐き捨てるような口調に気圧されたブラウは、そのまま黙り込んだ。フランチェスカはその言葉の端々から漏れ出る毒にやや不快げな表情をしたが、すぐに淑やかな微笑みでそれを覆い隠しアルヴィの方を振り返る。
「では、遠慮なく進めさせていただきますわね。──準備はいいかしら、アルヴィ」
「……ぅえー……。……あ、はい、すみません。いつでも行けます」
「スピネル殿、脚へ強化魔法を付与しましょうか。この高さでは悪くすると、骨折することも」
「いえ、これくらいなら神気でどうにかするので大丈夫ですよ。キースマン殿は結界に集中していてください」
まだ微妙に青い顔をしたアルヴィはしかし、フランチェスカの問いかけに答えるとすぐに木の上で立ち上がり、眼下に目を向けた。視線の先では未だ諦める気配のない魔獣の群れが、耳を塞ぎたくなるほどの大合唱をしながら蠢いている。彼は木に手をついたままおもむろに膝を屈め、その両脚に力を込めると。
「よし、それじゃ……一、二の──三!」
跳ぶようにして、落下した。
思わず息を呑む面々の目前で、青年の体が吸い込まれるように落ちていく。その先は、地面を覆い尽くした魔獣の渦の、腹の中。血に飢えたペルリダたちの赤い四つ目が、突如降って来た獲物を捉えてギラリと光る。
常ならばこの後に繰り広げられるのは、目を覆うほかない惨たらしい殺戮……否、捕食の光景だ。脆弱な人間の体など、この魔獣たちにとっては紙細工も同然。彼の体は悲鳴すら上げられないまま引き裂かれ、後には骨も残らないに違いない。そう、普通なら。
瞬きの間に、伸ばされたアルヴィの足先が地に触れる。
同時に、待ち構えていた無数のペルリダが毒牙を剥き出しにして一斉に飛びかかる。その刹那、
──世界が、深紅に染まった。
◆◇◆
深い夜の底に浮かび上がるようにして、鮮やかな花園が咲き狂っていた。
絡まり寄り添い合って曲線を描く細い花弁、その周りでたおやかに伸びる色糸のような造り、そして花そのものから発せられる仄かな光まで──どこまでも紅く、赫い花。繊細な髪飾りにも似た深紅の花が無数に咲き誇るその様はあまりに美しく、いつか見た悪夢のように悍ましい。
華奢な花々は強い風が吹いただけでも折れてしまいそうなほどであったが、紅い楽園に満ちる静謐を乱す存在はその気配すら現れない。大波のごとく押し寄せ猛り狂っていた魔獣は、いつの間にかその全てが息絶えている。
折り重なる亡骸に目立った外傷はなく、血の一滴すら流れていない。それでも確かに、そこに残された命はただ一つとしてなかった。……中心に立つ、一人の青年を除いて。
セラはその情景を、まるで夢でも見ているかのような心地で眺めていた。
──綺麗だ。
たった一言だけが、凪いで静まり返る胸の中にぽつりと浮かぶ。
とてもこの世のものとは思えない、深紅の花に彩られた世界。その中央に佇む青年……アルヴィの伏せられた瞳から、神子の証である黄金の輝きが零れている。
見慣れたはずの彼は、少女がこれまでに見た何よりも神聖で。そして、どこまで追いかけてもけっして辿り着けないような。
そんな、気がした。
◆◇◆
王国に仕える神子には、例外なく二つ名が与えられる。
そこに込められているのは、その権能によってもたらされる恩恵への感謝。愛し子を介して現世に触れる超常の存在に対する、果てしなき敬意。……あるいは、畏怖。
人々から恐れられ、忌み嫌われるアルヴィ・スピネル。彼にも当然、神子としての二つ名がある。
それは、この世の果てのさらにその先。
現世を旅立った魂を呼び寄せ、永遠の眠りを与える安息の地。命の色を宿した花々が咲き誇る、神の庭。
『彼岸』の神子。
それこそが、彼に授けられた二つ名である。




