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13. 彼の記憶【前】

「……それは、イグニス大公家が僕の後見になる、ということですか」

「ええ、そうですわ」


 アルヴィにとって予想外の内容、再びである。

 彼はまたもや虚を突かれて瞬きをしたが、今度は先程とは違い、驚きよりもとある疑問の方が先に胸へ広がった。それをそのまま口に出し、目の前の公女に問いかける。


「今更、どうしてそんな提案を?」

「あら。今更とは?」

「二年前、──レオナルド様が亡くなって、僕の新しい後見を決める時に。グ(・)ラ(・)ン(・)ジ(・)ュ(・)侯(・)の(・)不(・)興(・)を(・)買(・)う(・)の(・)は(・)望(・)ま(・)し(・)く(・)な(・)い(・)か(・)ら(・)と、イグニス大公ご本人が辞退されたのじゃないですか」


 アルヴィは過去の記憶を辿り、そう静かに指摘する。そこには怒りも責めるような響きもなかったが、フランチェスカはほんのわずかに目を伏せた。だが次の瞬間には、柔らかいながらも余裕と自信に満ちた微笑みを浮かべてアルヴィを見る。


「……状況が変わったのです。当時は確かに、グランジュ侯爵家との関係性を損ねるべきではありませんでした。あなたのことで直接侯爵と諍いを起こしたのは大叔父様個人ですが、そこへ大公家があなたの後見の引き継ぎに名乗りを上げれば、今度は家どうしの争いになってしまう」

「はい。だからといって僕をまたあの侯爵のところに戻すわけにはいかないと、イグニス大公家の寄り子であるシャンドリ伯爵が次の後見役……かつ上司を引き受けてくださったわけですよね。グランジュ侯爵も『レオナルド様の実家である大公家ならまだしも、直接手出ししたわけではないシャンドリ伯爵を突つくのは外聞が悪い』という感じで渋々引き下がってくれて。まあ、地味〜な嫌がらせは今も続いてますけど……」

「あの老害──……いえ、あの侯爵様も困った方ですこと。あの方が何だかんだと上辺だけは綺麗な屁理屈を捏ねて、あなたの待遇を下働きの使用人と同程度まで落としたのは聞いています。思い通りに行かないのなら不当に扱うだなんて、上に立つ者の誇りはないのかしら」

(今、老害って言ったなこの公女様……)


 淑女の笑みを描き出す艶やかな唇から飛び出した毒舌に、アルヴィの頬が引き攣った。気持ちとしては同感だが、優雅な美人が突然剥き出しにした棘の鋭さは、自分に向けられたものではなくともなかなかに恐ろしい。その後に続くアレコレも聞かなかったことにして流したアルヴィは、さてどう返事をしたものかと無意識に顎へ手を添えた。



 ◆◇◆



 遡ること十二年前。ほんの六歳の幼子であったアルヴィが神子になった時、その後見になったのは彼が住んでいた村のある男爵領……の寄親である、グランジュ侯爵家だった。

 当時はアルヴィの権能がどういうものであるのかよく知られていなかったこともあり、出身地の縁から見て関わる権利と義務があると判断されたこの侯爵家が、あっさりと後見の座に収まった。グランジュ侯爵自身にも不穏な噂はなく適度に慎ましやかな振る舞いで、高位貴族家としては可もなく不可もなしという評価を下されていた。──表向きは。


 いざ蓋を開けてみれば、グランジュ侯は腹の中に飢えた猛獣を飼っているかのように野心的で残忍な男であった。侯爵はアルヴィを選んだ神について、アルヴィ本人が見た神の姿とその地方の言い伝えを繋ぎ合わせることで、正体および権能に当たりをつけた。そして実験と称して数頭の家畜を用意し、アルヴィの権能を行使させてそれらが死に絶えることを確認すると、以後は彼を自分にしか使えない兵器として育て上げようと目論むようになった。

 侯爵に任命された『教育係』たちは誰一人、アルヴィのことを神子として……それどころか、人としても扱わなかった。彼にかける言葉は命令か叱責、あるいは罵倒のいずれかのみ。彼が指示に従わなかったり失敗したりすれば、背の皮膚が張り裂けて血が流れ出すまで鞭を叩きつけ、訓練か任務以外ではけっして外出もさせず、窓のない牢獄のような部屋に閉じ込めた。懲罰以外で体調を崩させては元も子もないという理由で、食事を抜かれたり不衛生な状態のものを食べさせられるなどということはなかったが、必要最低限の量で味もよくわからないような代物ばかり。菓子など以ての外だった。

 洗脳の魔導具により抵抗の意志すらも奪われた幼い少年の顔から一切の表情が消え、黙々と命令をこなすだけの操り人形になるまで、そう時間はかからなかった。元々実の両親でさえ彼に対する愛情が希薄で、村の隣人たちも『大人しくてよくわからない子』であった彼を遠ざけがちだったため、他者との触れ合いが乏しい少年の感情はあまり豊かとは言えなかった。しかしグランジュ侯爵家で道具にも劣る扱いを受けるうち、わずかに残っていた子どもらしい心の揺らぎも消え、命じられるままに魔獣を、敵を──人を、殺めるようになった。



 そんな日々が続き、およそ五年が経過したある日のこと。

 いつものように命令に従い、神から与えられた殺戮の権能で以て数多の敵国兵を死に至らしめた少年は、深紅の幻花が咲き乱れる戦場で一人の男と出会った。

 男の髪は大分白いものが混ざっているものの、周囲の花にも負けないほど鮮やかな赤い色をしていた。彼は瞬きの間に千を超える人間の命を奪った子どもに臆することもなく、黄金の光輪で彩られた深い琥珀の瞳でアルヴィを真っ直ぐ見据え、問いかけた。


「──お前が敵を殺める、その理由は何だ?」


 問われたアルヴィは首を傾げ、暫しの間考え込んだ。そんなことは初めて聞かれた、と戸惑うような細波が胸の内に生まれたが、それが明確な感情として認識されることはなかった。

 しんと降りた沈黙の後、やがて辿り着いた単純な答えを、ゆっくりと口にする。


「ころせといわれたので、ころしました。ころさないと、たたかれます」


 十一歳という年齢には不釣り合いな、たどたどしく幼い言葉。たった今多くの人間をその手にかけたというのに、欠片ほども変わることのない表情。

 それを見て、聞いた途端。何かを堪えるように唇を引き結んだ彼の中に、一体どんな想いがあったのか。

 アルヴィには、今でもわからない。



 初めてアルヴィに彼自身の意思を問いかけたその男の名は、レオナルド・イグニス。

 先代イグニス大公の実の弟にして──炎の神の寵愛を受け、『熾天』の二つ名を与えられた神子であった。


 彼はその日、戦場で初めて会ったアルヴィの異常な様子からその後見である侯爵家に疑念を抱き、即座に調査を行った。そしてまだ子どもと言っていい年齢の神子が明らかに虐げられていることを知るとすぐさま侯爵家に押し入り、アルヴィの後見を変更する書類をその場で作成するようグランジュ侯爵を脅しつけた。権能で呼び出した炎をちらつかせて侯爵家の面々を恐怖に陥れ、書類が出来上がるやいなや少年を抱え上げて連れ去ったその様は、どう好意的に見ても人攫いそのものだったという。事情が事情でなければ、いくら大公家出身の神子でも恫喝ならびに誘拐の罪で牢獄行き待ったなしの所業である。

 アルヴィはその日のうちにレオナルドの屋敷へと連れて行かれ、およそ五年の月日をそこで過ごした。独身で特に子ども好きというわけでもないレオナルドの接し方はどちらかというと不器用なものだったが、アルヴィは徐々に年相応の感情と振る舞いを取り戻していった。はっきりと口には出さないものの、わかりにくい気遣いを滲ませる年上の神子が自分のことを一人の人間として真っ直ぐに見ている、その心が伝わってきたからだ。


 レオナルドは単なる同情で自分を助けたわけではないだろうと、アルヴィは思っている。少なくない時間を共に過ごしたからこそ彼が、例えば身勝手な飼い主の都合で捨てられた哀れな犬猫を憐れみの心を以て拾うような、そんなありふれた優しさを持つ人間ではないことを知っている。

 かといってグランジュ侯爵のように、アルヴィの神子としての力を欲したのとも違う。レオナルド自身が火炎を自在に操る強大な神子であり、それ以上の武力を求める必要は全くなかった。大公家と侯爵家の対立を避けるために『強硬手段でアルヴィの後見人の地位を奪い取ったのはあくまでレオナルドの独断であり、イグニス大公家は一切関与していない』という認識を浸透させるべくあれこれと根回しをする羽目にもなり、アルヴィの存在はむしろ厄介ごとの種になったと言える。


 それでもレオナルドが、自ら泥を被ってまで縁もゆかりもないアルヴィを侯爵家から救い出した理由は何なのか。

 本人からは終ぞ明確な答えを聞き出すことはできなかったが──きっとそれは彼の、酷く個人的で純粋な『怒り』によるものだったのだろうと、アルヴィは後になって考えた。

 レオナルドは自らの信条に反すると断じたものに対しては、まさしく烈火のように憤り手段を選ばずそれを正そうとする男であった。当然ながらそんな態度は時に独善的と捉えられることもあったし、見る者に苛烈な印象を与える容姿と相まって彼のことをとんでもない暴君だ、と恐れ疎む人間も少なくなかった。

 けれどアルヴィにとって、レオナルドは自身の短い人生の中でたった一人、初めて『特別』と呼べる存在だった。

 劣悪な環境下から救い出してくれた恩人だから、という理由だけではない。他人に対する好き嫌いも激しい方だった彼にとって、孫ほど年の離れた見ず知らずの子どもなど面倒極まりない相手だっただろうに、アルヴィと直接向き合うことをやめようとはしなかった。自分が連れてきたのだからと、可能な限り傍にいて根気強く様々なことを教えてくれた。……人形のような状態だった少年が、人間に戻れるように。


 正直なところアルヴィには未だに、他人を愛する気持ち、誰かを大切にしたいという心がよくわからない。侯爵家から解放されて大分人らしい在り方を取り戻したとは思うが、強いられたとは言え多くの人間を殺めてきた故の弊害なのか、他者へ向ける感情はどうにも希薄なままだ。

 ただ、二年前にレオナルドがこの世を去った、その時。それまでアルヴィの中にあった何(・)か(・)が失われたような。

 そんな喪失感だけが──色のない痕になって、今も胸の内にこびりついている。

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