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12. 暗雲【後】

 少し時を遡り──ウォーテル国王都から派遣された軍がイェダ村に到着し、最初の魔獣討伐が行われた夜から二日後。

 西の空に沈み始めた太陽が投げかける夕焼けの色に染まった野営地の外れにて、アルヴィはだらしなく足を投げ出して座った状態でぼんやりと空を眺めていた。


(……なんか、意外と呆気なかったなぁ……)


 そんな心の呟きを空気へ溶かすように、一つ静かな息を吐く。


 二日前の夜。ペルリダの大群を殲滅した後、もはやこうなっては何度使っても同じことだろう……と開き直ったアルヴィと、予想外の事態がいくつも起きている状況を重く見たフランチェスカの意見が一致し、そのままアルヴィが神子の権能を行使して戦場全域の魔獣を討伐した。

 さすがに一度で全てまとめて、とするにはアルヴィへの負担が大きいため、各区域から魔獣の数を報告させて多い順に出向くという形にはなったが。待機していた討伐軍の第二陣と交代する頃には襲ってくる魔獣もほとんどいなくなり、最初の勢いが嘘のようであった。

 その翌日も日中に二度、時間を空けて同様の討伐戦を行った。そして魔獣の活動性が高まる夜にはまた一日めと同様の事態になるかと思われたのだが、予想に反して二日めの夜にはぱたりと攻勢が止み、出陣した誰もが拍子抜けして首を傾げることとなった。魔導士たちでさえも命の危機を感じた初日と比べて、あまりにもあっさりとした幕引きであった。


(どうも引っかかるんだよな。そりゃあ、楽に片が付くならそれに越したことはないけどさ。

 反撃されて頭が冷えた魔獣どもが慌てて森の奥に逃げて行った……にしては、姿を消すタイミングまで綺麗に揃い過ぎている。──ま(・)る(・)で(・)、(・)撤(・)退(・)命(・)令(・)で(・)も(・)下(・)さ(・)れ(・)た(・)み(・)た(・)い(・)に(・))


 まあそれは考え過ぎか、と彼は思わず首を振った。

 確かに魔獣は、その魔力で以て簡単な魔法を行使することさえある、特殊な生き物だ。しかしその生態自体は普通の獣と大して変わらない。群れを成して行動し社会性を持つ種も存在するが、人間のように徒党を組み捕食以外の目的のために戦いを仕掛ける、などということはあり得ない。他種族どうしなら尚更だ。

 古くから語られてきたお伽話の中には、魔獣や魔族を率いて人間を滅ぼそうとしてくる『魔王』が登場するものがある。最後には神に選ばれし勇者によって倒されてしまうそれは、あくまで架空の存在とされており現実の脅威として捉える者は誰もいない。もし実在したのならば今回のような事態の原因になり得るのかもしれないが、真剣に考慮するには荒唐無稽であるように思えた。


 漠然とした不安を抱えたまま取り留めなく浮かんでは消える思考を巡らせていると、ふいに背後から誰かの足音が聞こえてくる。


「ここにいたのね。もうすぐ夕食の時間ですわよ?」


 振り返ると同時に降ってきた声の主は、フランチェスカだった。彼女はそのままアルヴィの横まで来ると、一人分程度の間隔を空けた位置に立ち止まった。公女を差し置いてのうのうと座っているわけにもいかないので、アルヴィも立ち上がる。


「あら、そのままでも良かったのに。気を遣わせてしまったかしら」

「ご冗談を。目上の人が立ってる所に、堂々とだらけた姿のままでいる度胸はありませんって」

「ふふ、まあ、あなたはそういう人ですわね。この任務の間に少しずつわかってきましたわ」


 控えめな笑い声を零すフランチェスカを、アルヴィは横目でちらりと見やった。


 ペルリダの大群を皮切りに次々と数多の魔獣を殲滅するアルヴィの姿を見ても、この公女の態度が変わることはなかった。最初に権能の行使を目の当たりにした時はさすがに驚いていたようだったが、そこに恐怖や嫌悪の色はなく、次の指示を仰ぐと即座に言葉を返してきた。今回の任務で初めて神子としてのアルヴィを見た騎士や兵士たちの目が拒絶と忌避に染まっていく中で、例外はフランチェスカ──それに、セラだけであった。

 セラもまた、アルヴィが顔色一つ変えずに魔獣を蹂躙しているのにも関わらず、それまでと全く変わらない様子で接してきた。むしろ、「アルヴィさんの権能、すっごく綺麗ですね! あの花、何て言う種類ですか? あと、どうして花が咲くとみんな死んじゃうんですか? 花から毒が出てるとかでしょうか」と、純粋な興味にキラキラと輝く瞳で勢い良く質問してきた。あの光景を見て気になるのは花の名前なのかとか、世間話みたいな口調でえらく物騒なことをさらりと言うよな……と、当のアルヴィが引いた。


 つらつらとそんな記憶を思い起こしてしばらく黙っていたが、フランチェスカが立ち去る様子がないことに気がついてそちらに視線を戻す。どうやら、何か話があってわざわざ出向いてきたらしい。


「……何か、お話でも?」

「ええ、少し。あなたにお願いと提案が一つずつありますの」

「『お願いと提案』、ですか。命令ではなく」

「そうです。嫌でしたら忖度などせず、正直に断ってくださって構わない類のものですわ。……まず、お願いの方から話しましょうか」


 夕陽を見つめていたフランチェスカの顔がアルヴィの方へ向けられた。彼女の華やかな紅い髪に斜陽が灯り、燃える炎のように黄金色の煌めきを振り撒いている。


「明日、王都からの派遣軍は辺境伯領都へ向けて出発し、そこから王都へと帰還する予定になっているのはあなたも知っての通り。──ですが、わたくしはそちらには同行しません。このまま北のフォーウッド辺境伯領へ向かいます。あなたにもそれについて来て欲しいのです、アルヴィ」


(……今回のスタンピードに見られた不自然な点について、殿下が違和感を抱いていたことには気づいていた。でもまさかこれほど迅速に、しかも自ら出向くとは)


 予想外の提案に、アルヴィは思わず目を瞬かせた。今回知り合ったばかりの自分をわざわざ連れて行こうというのもよくわからない。


「フォーウッド辺境伯領……。今回、ここにいるはずのない北部の魔獣が出現したからですか?」

「その通りです。他の部隊からも色々と情報共有を受けたのですが、わたくしとハイウェルが直接戦ったハイドの他に、北方の湿地帯に棲息するシドログまで目撃されたそうですわ。数は少ないようですけれど、普段別の土地にいる魔獣が何種類もいたというのは見過ごせません。北部にて、何か異変が起きている気がしてなりませんの」

「その辺りは僕も同様の理由で気になっていましたので、異論はありません。しかし何が原因なのか全く情報がないのであれば尚更、王都に報告し専門の調査隊を立ち上げてからの方が良いのでは」

「通常であれば、それが最善ですわね。……ですが此度の件、それでは間に合わないかもしれません。はっきりとした根拠はありませんが──どうにも、胸騒ぎがするのです」

「殿下ご自身の経験からくる勘、ということでしょうか」

「その表現が一番しっくりきますわね」


 フランチェスカが頷く。思案げに伏せられた長い睫毛が、深緑の瞳に暗い影を落とした。


「調査を急ぐ理由については理解しました。僕を同行させたいのはなぜです? 第二魔導部隊の魔導士たちや討伐軍の騎士隊員にも、優秀な人員が揃っていますが」

「それは今回のあなたの働きを見て、ですわね。ペルリダの大群を初めとして、皆が手こずっていた魔獣たちを一掃したその手腕は大変見事でした。魔導士たちは王都で他の仕事も抱えているでしょうし、そこから何人も引き抜くよりは、それと同等以上の戦力になるあなた一人を連れて行く方が効率的です」

「まあ、僕は基本雑用係みたいな仕事しかしてませんからね……暇と言えば確かにそうですけども」

「あら、ごめんなさい。皮肉のつもりではなくてよ──本当に。純粋に、あなたの戦闘力の高さを評価してのことなの。

 それに、セラも連れて行くつもりなのです。今度はあくまで戦いではなく調査が目的ですし、軍の皆を信用していないわけではないけれど、できるだけ目を離したくなくて。あなたは彼女の護衛任務の継続と考えればよいですわ」

「……セラも、ですか」


 セラを連れて行く、という言葉にアルヴィは少し考え込んだ。

 彼女を身近な人間の供なしで王都に帰すのは心配だ、というフランチェスカの言にも一理ある。いくら大公家が後見に付いているとはいえ、彼女自身には戦闘能力が全くない。加えて平民出身であるが故に、権力争いのあれこれを受け流す技量もまだまだ不足している。何が待ち受けているかわからない新しい目的地に連れて行くのも無謀かもしれないが、人間の思惑よりは物理的な危険から守る方がまだ容易い、ということなのだろう。


「わかりました。殿下の仰る通り、今回の僕の仕事の半分は彼女の護衛ですし。セラが無事に王都に帰還するまでお供しますよ」

「ありがとう。では、もうしばらくお願いしますわね。出発は明日の午前中を予定していますから、今晩の内に準備を整えて頂戴」

「承知しました。それでもう一つ、『提案』というのは?」

「ああ、そうですわね。そちらはまた少し先の話になるのですけれど……」


 ぱっと明るい表情になって感謝を述べたフランチェスカが、綺麗な微笑みを浮かべる。そのままずい、と身を乗り出してくる彼女に気圧されて少し後退るアルヴィを意に介さず、言葉を続けた。


「アルヴィ、あなた──我がイグニス大公家の下へ来ませんこと?」

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