第五十六話 遠い空の下で
柔らかな風が吹く
見慣れた町並み
一人の女性が
買い物袋を手に歩いていた
「暑くなってきたね」
そう呟き
空を見上げる
青く澄んだ空は
どこまでも広がっていた
女性の名は
マドカ
浩平の妻だった
――――
家へ戻ると
いつものように夕食の支度を始める
包丁を握り
野菜を切る
鍋からは
優しい湯気が立ち上っていた
ふと
手が止まる
「……」
何かを思い出しそうになる
けれど
思い出せない
「変だな」
小さく笑い
再び料理を始める
――――
夕食を終え
一人で片付けを済ませる
静かな部屋
時計の針だけが
規則正しく時を刻んでいる
窓際へ歩き
夜空を見上げる
丸い月が
静かに輝いていた
「浩平」
自然と名前が口をつく
「元気にしてるかな」
自分でも驚く
いつもなら
こんなふうに口にすることはない
今日はなぜか
胸が締め付けられるような気持ちになった
その夜
マドカは夢を見る
遠くに立つ
一人の男性
姿はぼんやりとしている
それでも
誰なのか分かった
「浩平」
手を伸ばす
しかし
距離は縮まらない
その時
どこからともなく
優しい声が聞こえた
「もう少しです」
「会える日が来ます」
マドカは顔を上げる
辺りには
誰もいない
次の瞬間
景色は白い光に包まれた
――――
朝
マドカは静かに目を覚ます
「夢……」
それだけ呟き
窓を開ける
心地よい風が部屋へ吹き込む
「今日は変な夢を見たな」
そう笑いながらも
胸の鼓動だけは
いつもより少し早かった
遠く離れた異世界では
浩平もまた
同じ朝を迎えていた
二人はまだ知らない
止まっていた運命の歯車が
静かに
動き始めたことを




