第9話:軍務卿の沈黙
1日目の朝、アスランは鼻歌を歌いながら宿を飛び出した。
彼は装備のリストを巻物にして肩に下げ、街中を駆け回った。鍛冶屋、皮革職人、薬種問屋、保存食店。3軒目で安物の防寒手袋を見つけて喜び、4軒目で本物の銀細工のバックルに気を取られて長居し、5軒目で値段を聞いて「高ぇな!」と声を上げ、店主に苦笑された。
俺はその日、ギルドの執務室で、バルザックと話していた。
「軍務卿との会談、3日目の昼に設定した」
「了解した」
「面会の場所は、まずこのギルドの執務室。状況次第で、後日、中央広場での公開接触の話になるかもしれん」
「公開接触か」
「向こうの目的は、お前さんの存在を、王家として正式に把握することだ。秘匿するか、公にするかは、向こうの判断次第」
俺は、しばらく考えた。
公開されれば、勇者パーティーは確実に動く。マクシミリアンは「光の獅子を倒す」と公言する可能性が高い。だがそれは、こちらが避けたい話ではない。むしろ、その方が、彼らの自滅は早まる。
「対応は、向こうの判断に従う」と、俺は答えた。
バルザックは、軽く頷いた。
「もう一つ。リオネルは ―― お前さんを、丁寧に観察するだろう」
「分かっている」
「あの男は、25年前と、変わらん。秩序のためには、知らぬ顔をする。だが、知らぬふりをしているだけで、知らないわけではない」
俺は、その意味を、短く咀嚼した。
バルザックは、エールを口元に運んで、続けた。
「俺の知る限り、あの男は、敵にすると恐ろしいが、味方にしておく分には、これ以上頼りになる男はいない。要は、扱い方次第だ」
「了解した」
俺は、その情報を、頭の中に刻んだ。
◆ ◆ ◆
2日目の午後、俺はラフェルトの街を歩いていた。
「光の獅子」の噂は、すでに街の隅々まで定着していた。広場の屋台で、子供たちが「私が光の獅子!」と棒切れを振り回して遊んでいた。古い貴婦人が、噴水のそばで、若い娘たちに「あの方は、王家の御血筋ではないかしら」と囁いていた。
道行く人々の会話の端々から、ルミナ・レオニスの名が、繰り返し漏れ聞こえた。
……噂の伝播、想定の3倍速い。街の規模を考慮すれば、王都に届くのも、時間の問題だ。
俺は、古書店「灰梟堂」へ向かった。
店主は、いつものように、奥のカウンターで眼鏡を磨いていた。俺が入ると、彼は顔を上げて、わずかに、目を細めた。
「また来なさったか」
「以前、教えていただいた『2人目』の話を、もう少し」
店主は、しばらく、俺を見ていた。それから、眼鏡を磨く手を止めた。
「あの男のことかね。長身、痩せ型、銀混じりの髪。年は二十六か、七か」
「会ったことが」
「3年前、店に来たことがある。あんたが買ったような棚を、彼も買っていった。礼儀正しい男だった。だが、目に、危ない感じがあった。それきり、会っていない」
「名前は、聞きましたか」
店主は、しばらく考えてから、頷いた。
「ヴァロウ、と名乗っていた」
俺は、内心で、軽く息をついた。
店主は、続けた。
「そう、ヴァロウ。あの男のことは、忘れがたい。本を選ぶ目つきが、研究者というより、何かに憑かれた者の目だった。3年前から、彼は、すでにあちらに、近づいていたのだろうな」
俺は、短く頭を下げた。
「ありがとう」
「あんたも、気をつけなさい。同じ棚を読む者は、同じ場所に、行き着く」
店主の言葉は、警告として、心に残った。
俺は、本を1冊だけ買って、店を出た。
◆ ◆ ◆
3日目の朝、アスランが宿の扉を勢いよく叩いた。
「ルミナ! 装備、全部揃ったぜ!」
俺は扉を開けた。アスランは、肩に大きな袋を3つ担いでいた。顔は満面の笑みだった。
「防寒着、保存食、地図、医療品、それから万一のための避難用魔導具、全部揃った! 北門の業者まで走って、いいやつ仕入れてきたぜ!」
「……ご苦労」
「で、軍務卿との面会、今日の昼だっけ?」
「ああ」
「俺、何か手伝うか?」
「お前は、ギルドの待合室で待機していてくれ。同席は、許可されていない」
アスランは、少し残念そうな顔をした。
「分かった。何かあったら、すぐ呼べよ」
俺は、わずかに、頷いた。
この男の存在が、こんなに役に立つとは ―― 想定外だった。準備の効率は、彼が一人いるだけで、確実に倍になっている。
俺は、装備の確認をしながら、内心で、軽く息をついた。
◆ ◆ ◆
3日目の昼、ラフェルトの城門に、騎馬隊が到着した。
軍務卿リオネル・ヴェル、護衛20名。
街中が、静まり返った。子供たちは遊びを止め、屋台の店主は商売を中断し、貴婦人は窓から覗き見した。王家の権威が、視覚的に、街を支配した。
騎馬隊は、まっすぐ、ギルドへ向かった。
俺とアスランは、ギルド内の待合室で待機していた。窓から外を眺めていると、護衛が次々と建物の周囲に展開していくのが見えた。
アリアが、扉を開けた。
「レオン様、軍務卿閣下が、執務室にお越しです」
彼女の表情は、いつもより硬かった。緊張が、伝わった。
「了解した」
俺は立ち上がった。アスランが、肩を、軽く叩いた。
「気をつけてな」
俺は、短く、頷いた。
◆ ◆ ◆
― バルザックの執務室 ―
執務室の扉を、俺は静かに、押し開けた。
中央に、机を挟んで、二人の男が向き合っていた。バルザックと、もう一人 ―― 軍務卿リオネル・ヴェル。
痩身、姿勢が常に正しい。短く整えられた白髪。顔の左頬に、古い剣傷。軍服を、平時にもかかわらず、隙なく着用していた。
俺が入ると、リオネルは、ゆっくり、顔をこちらに向けた。
軍人の視線、すべてを見抜こうとする目。
俺は、扉を閉め、机の前に立った。
「F級冒険者、レオン・グラウ殿」
リオネルは、低い声で、確認した。
「はい」
「軍務卿リオネル・ヴェルだ。座ってくれ」
俺は、椅子に腰を下ろした。バルザックは、少し離れた位置で、エールを片手に、二人の会談を見守る位置に座っていた。
リオネルは、机の上の書類を、わずかに整えてから、本題に入った。
「光の獅子 ―― ルミナ・レオニス殿の活動について、王家として把握すべき事項が、いくつかある。あなたが、彼女と関連する立場であると、我々は認識している。違うか」
俺は、しばらく、考えた。
ここで否定すれば、不審を増す。事実の一部を、提示する。
「ルミナ・レオニス殿の活動を、私は支援している立場にある」
俺の答えに、リオネルは、わずかに頷いた。
「では、彼女との接触を、仲介してほしい」
「彼女の意向を、確認する必要がある」
「もちろんだ。我々は、彼女に、敵対する意図はない」
リオネルの声は、感情を含まなかった。事実を、述べていた。
「光の獅子の活動は、王家として、把握すべき事項である。秩序を維持する義務を、我々は負っている。あなたも、それは、理解できると思うが」
「了解した」
「面会の場所と時間は、こちらで提案する。3日後の朝、ラフェルト中央広場、目撃者がある公開の場で。詳細は、バルザック殿経由で」
「彼女に、伝えよう」
会談は、想定よりも、短く、淡々と進行した。リオネルは、必要なことしか聞かなかった。事実を確認し、要請を伝え、それで終わるはずだった。
そして、退室の時間となった。
俺が、立ち上がりかけた、その時だった。
リオネルが、ふと、口を開いた。
「ところで、レオン殿」
俺は、振り返った。
「あなたのお名前を、私は、どこかで聞いたことがある」
俺の鼓動が、わずかに速くなった。だが、表情は変えなかった。
……来たか。
リオネルは、机の上の書類に、視線を落としていた。声音は、世間話のような、軽い調子だった。だが、その目は、彼の態度よりも、鋭かった。
「3年前、王立魔術学院に在籍していた、レオン・グラウという名の研究者がいた。同名の別人か?」
俺は、しばらく、答えなかった。
嘘をつくことは、簡単だった。「同名の別人だ」と一言、答えれば、この場は、収まる。だが、軍人のリオネルが、確認のために、その名を出した可能性も、否定できなかった。
俺は、慎重に、答えを、選んだ。
「……そう仰る方も、おられます」
嘘ではない。曖昧な答えだった。
リオネルは、わずかに、目を上げた。それから、頷いた。
「失礼した。ただの、好奇心だ」
そして、彼は、それ以上、踏み込まなかった。
俺は、執務室を、退出した。
廊下に出てから、俺は、深く、息を吐いた。
……気づかれている。
気づかれている、と、内心で確信した。リオネルが「失礼した」で引いたのは、配慮ではなかった。彼は、すでに、答えを知っていた。確認のための質問だった。
では、なぜ、彼は、追及しなかったのか。
その答えは、俺には、まだ、分からなかった。
◆ ◆ ◆
― 同時刻、執務室 ―
レオンが退出した後、執務室には、リオネルとバルザックの、二人だけが、残された。
バルザックは、エールを、ゆっくり、口に運んだ。
「ふん」
リオネルは、視線を、机の書類に落としたまま、何も言わなかった。
「気づいたか」と、バルザックが、低く尋ねた。
リオネルは、しばらく、書類を眺めていた。それから、ゆっくり、顔を上げた。
「お前は、いつから気づいていた」
「最初からだ」
「そうか」
リオネルは、淡々と、頷いた。それから、机に肘をつき、指を組んだ。
「3年前、宮廷に、レオン・グラウという名の研究者がいた。勇者マクシミリアン殿の補佐として、戦闘以外のすべてを処理していた、地味な男。私は、彼に、何度か会ったことがある。書類の処理が、極めて正確だった」
「ふん」
「3年前、彼は、勇者パーティーから離脱した。以来、消息は不明と、宮廷の記録には、ある」
「離脱、とは、優しい表現だな」
「公式の記録では、そうなっている」
バルザックは、エールを、置いた。
「実際は、追放だ。マクスが、新しい恋人の枠を作るために、地味な男を切り捨てた」
リオネルの視線が、わずかに、鋭くなった。だが、彼は、何も言わなかった。
「……お前さんは、どう判断する?」と、バルザックが問うた。
リオネルは、しばらく、沈黙していた。
「軍務卿として、私が報告書に書くべき事項は、『光の獅子は、王家にとって脅威ではなく、現時点での秩序を脅かす存在ではない』ということだ。それで、十分だ」
「レオン・グラウの名前は」
「光の獅子と、勇者パーティーの繋がりが、宰相に伝われば、政治的混乱が生じる。マクシミリアン殿は、すでに、暴走の兆候を見せている。その上に、追放した相手が、新時代の英雄候補として浮上しているという情報が、加われば ――」
リオネルは、わずかに、息を吐いた。
「彼は、自滅を加速させる。最悪、ラフェルトに、軍を動員する可能性すらある。それは、王家にとっても、避けたい事態だ」
「お前さん、25年前と変わらんな」と、バルザックは、低く笑った。
「秩序のためには、知らぬ顔も、必要だ」
リオネルは、机の上の書類を、揃えた。
「私は、F級冒険者レオン・グラウについて、宮廷時代の同名の研究者との関連性を、把握できなかった、と報告する。事実は、私の中だけに、しまう」
バルザックは、しばらく、彼を、見ていた。
そして、深く、頷いた。
「ありがとう、リオネル」
「礼を言うな、バルザック」
リオネルは、立ち上がった。軍服の襟を、整えた。
「私は、秩序のために、判断を下しただけだ。あの男 ――レオン・グラウが、本当に光の獅子を支援する立場であるならば、彼は、王家の秩序にとって、最も価値のある資源だ。マクシミリアン殿のような暴走を、彼は、絶対にしない。あの男の3年間の沈黙が、それを証明している」
「……ふん」
「3日後の公開面会、滞りなく進めてくれ。私は、護衛と共に、宿に下がる」
リオネルは、執務室を、退出した。
バルザックは、エールのジョッキを、もう一度、口元に運んだ。
……同じ穴の狢、か。
彼は、低く、笑った。
◆ ◆ ◆
― 街道、ラフェルトの3日離れた地点 ―
マクシミリアンとブルーノは、馬で街道を進んでいた。
マクスの顔は、険しかった。酒は、断っていた。装備は、整えてきていた。ここ数日、彼は明らかに、覚醒したかのように、現役勇者の顔を取り戻していた。
「光の獅子……俺がぶっ潰してやる」
独り言は、繰り返された。
夕方、街道沿いの集落で、二人は食堂に入った。馬を繋ぎ、簡素な食事を取った。
食堂の隣の卓で、商人らしき男たちが、世間話をしていた。
「聞いたか? 光の獅子様、ラフェルトに居るそうだ」
「ああ、王家の特使も、もう着いたって話だぞ」
「3日後、中央広場で、公開面会だってよ」
「すげぇ世の中になったもんだな。新しい英雄ってやつだ」
マクスの手から、フォークが、落ちた。
食堂の床に、金属が当たる、乾いた音が、響いた。
ブルーノが、彼を、見た。
「マクス様 ――」
マクスは、立ち上がった。隣の卓の商人たちが、こちらを、見た。彼の顔色を見て、商人たちは、急いで、目を逸らした。
「3日後だと?」
マクスの声は、低く、震えていた。
「ブルーノ、明日の夜には、ラフェルトに到着する。馬を急がせろ」
「マクス様、計画は ――」
「計画?」
マクスは、ゆっくり、ブルーノを、振り返った。
「単純だ。会って、勝負する。それだけだ」
そして、彼は、低く、笑った。
「光の獅子。中央広場、公開の場、王家の特使の前で ―― 俺が、潰す。それで、王家も、世間も、誰が本物の勇者か、思い出すだろう」
ブルーノは、深く、息を吐いた。
食堂を出る、彼の足取りは、重かった。
◆ ◆ ◆
ラフェルトの夜、俺は宿屋の部屋にいた。
窓辺で、月を、眺めていた。
扉を、控えめに、誰かが叩いた。
「ルミナ、入ってもいいか?」
アスランの声だった。俺は、扉を開けた。彼は、装備の最終確認のリストを手にしていた。
「明日には、影の塔の準備、完璧だ! いつでも出発できるぜ!」
「ご苦労」
「で、軍務卿との面会、どうだったんだ?」
俺は、少し、考えた。
「3日後、中央広場で、公開面会することになった」
「公開!?」
「ああ。王家として、ルミナ・レオニスを、正式に認知する場、ということになる」
アスランは、しばらく、考え込んだ。それから、目を、輝かせた。
「すげぇな! お前、王家公認の英雄ってやつになるのか!」
「英雄ではない。把握対象だ」
「同じようなもんだろ!」
俺は、短く、息を吐いた。
そして、アスランは、何かを、察した顔をした。
「お前、なんか、覚悟が固まってる顔してるな」
「……始まったな」
「何が?」
「色々と」
俺は、それだけ、答えた。
アスランは、しばらく、俺を、見ていた。それから、軽く、頷いた。
「分かった。詳しいことは、聞かねぇよ。お前のタイミングで、話してくれ」
そう言って、彼は、自分の部屋へ、戻っていった。
俺は、扉を、閉めた。
窓辺に戻り、月を、もう一度、見上げた。
3日後、中央広場、公開面会。
そしておそらく、その同じ日、もしくは前日に、マクシミリアンが、ラフェルトに到着する。
歯車は、確実に、噛み合おうとしていた。
―― 3年前の、答え合わせの日が、近い。
その思いが、内心で、静かに、降りてきた。
月は、雲の隙間から、差し込んでいた。




