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第6話:もう1人の獅子

朝、ラフェルトに戻った。


城門を抜け、馬を貸し馬屋に返した。背嚢が肩にずしりと重かった。狼煙の塔から持ち帰った祭祀者たちの羊皮紙の写し、二人で勝ち取った戦闘の記録、そして自分の中に増えた何かの重みもあった。


俺はギルドへ向かった。


朝のギルドはまばらだった。アリアが、いつものように受付に座っていた。俺が扉を押し開けると、彼女の視線が、すっと、こちらに向いた。


「おはようございます、レオン様」


声音は変わらなかった。だが、視線が、俺の全身を、一瞬、丁寧に見ていた。傷の有無を、確認するような視線だった。


「おはよう。バルザックは」


「執務室にいらっしゃいます。お通しいたします」


彼女はカウンターを離れ、俺を奥の扉まで案内した。歩く彼女の背筋は、いつもどおり美しかった。だが、扉の前で、彼女は一度、振り返った。


「……お元気そうで、何よりです」


その一言には、職業的な慣用句以上の温度があった。俺は短く頷いた。


「世話になった」


扉が、開いた。


◆ ◆ ◆


バルザックは、机の向こうで、書類の山と格闘していた。俺が入ると、彼は顔を上げ、軽く手を挙げた。


「戻ったか。座れ」


俺は椅子に腰を下ろし、報告書を机に置いた。背嚢から、祭祀者たちの羊皮紙の写しの一部も、添えて出した。


バルザックは報告書を読み始めた。読み進めるごとに、眉間の皺が深くなっていった。途中で、彼は1度、書類を置き、エールのジョッキを傾けた。それから、また読み始めた。


読み終えて、彼は長く息を吐いた。


「……守護機構の最終形を、撃破したか」


「ああ」


「単独で、ではなさそうだな」


俺は、答えなかった。


バルザックは、ゆっくり頷いた。


「お前さんとは別に、もう1人、あの塔に出入りしていた者がいるそうだな」


「……どこから聞いた」


「ラフェルトには、商人と同じくらい、情報屋がいる。ここ半年、あの塔の周りで、若い男が出入りしていたという情報は、こちらにも上がってきている」


俺は黙っていた。バルザックは、それ以上は踏み込まなかった。


「分かった。王家への報告は、俺がうまくやる。ある程度、お前さんの動きを伏せた形で、上に上げる。お前さんが、ラフェルトのF級冒険者として、辺境で目立たず動けるよう、ここで体裁を整える」


「助かる」


「報酬は金貨30枚。受け取れ」


俺はその金額を、しばらく見ていた。


3年前、勇者パーティーの会計をしていた頃、金貨30枚は、勇者の1日の宿代と酒代と装飾品の費用で、簡単に消えていた額だった。誰も振り返らない、流れていく金。


今、目の前に置かれた金貨30枚は、違った。これは、俺が独力で得た、最初のまとまった対価だった。


……感慨は、合理的ではないな。


俺は内心で軽く息をついて、革袋を受け取った。


「次の依頼の話だが」


「北だな」


バルザックは頷いた。


「光の塔。北の山岳地帯。馬で5日、徒歩を含めれば1週間。山道は険しい。装備は、ここで揃えていけ」


「了解した」


「もう1つ。今回、お前さんに同行する者がいるのか?」


俺は、わずかに、間を置いた。


「……いる」


「分かった。ギルドへの登録が必要なら、アリアが処理する」


俺は頷いて、執務室を出た。


◆ ◆ ◆


受付に戻ると、アリアはすでに次の依頼書類を準備していた。光の塔調査依頼。難度Aランク相当。報酬、金貨50枚。


俺が書類を確認していた、その時だった。


ギルドの扉が、勢いよく押し開けられた。


「おう! ルミナのとこの研究者の人! 居たな!」


俺の背筋が、一瞬、固まった。


振り返らずとも、誰の声か分かった。アスラン。ラフェルトに先回りすると言っていた、彼。


そして、その第一声が、これだ。


……公開で、俺とルミナの繋がりを、口にしたか。


俺は、息を整えてから、振り返った。


アスランが、太陽みたいな顔で、こちらに駆け寄ってきていた。日に焼けた肌、灰銀の癖毛、目だけがやたらと輝いていた。


「やっと見つけたぜ! いやぁ、お前、街に戻ってきたら必ずギルドに来るって聞いてたから、ずっと待ってたんだ!」


俺は、内心で、深く息を吐いた。


カウンターのアリアが、書類を整えていた手を、止めていた。彼女の視線が、俺と、アスランの間を、一往復した。


……気づかれた。確実に、繋がりを把握された。


だが、彼女は、何も言わなかった。書類を整える手を、また動かし始めた。


アスランは、アリアに気づいた。


「あ、すまん。あんた、ギルドの受付さんか? アスランだ! よろしく!」


アスランは右手を差し出した。アリアは、その手を見て、少し考えてから、丁寧に握り返した。


「アリアと申します。お見知り置きを」


「お、しっかりした人だな! いい感じだ!」


アリアの瞳が、わずかに、揺れた。


アスランは、彼女の顔を、しげしげと見つめた。それから、満面の笑みを浮かべた。


「お前、ルミナとそっくりだな!」


カウンターの空気が、一瞬、止まった。


アリアは、視線を、書類から、アスランに、ゆっくり、上げた。


「……どこが、でしょうか」


「冷静で、表情変えねぇとこ! あいつもそうなんだ、戦ってる時も、ずっと淡々としてんの。でも実は、絶対嬉しい時とか、内心では喜んでるんだぜ。お前も、絶対そういうタイプだろ」


アリアは、しばらく、アスランを見つめていた。


それから、彼女は ―― ほんの、わずかに、口角を、上げた。


「光栄に、存じます」


俺は、それを横で見ていた。


……アリアが、笑いかけた。


5年勤続のベテラン受付嬢として、彼女は職業的な微笑みは見せる。だが、ああいう、不意の、「らしくない」微笑みは ―― 5年で、おそらく、初めて見た。


アスランは、何かを成し遂げたような顔で、俺の方を振り返った。


「相棒! 装備調達、行こうぜ!」


「相棒、と」


「もういいだろ、何回目だよこの会話!」


アスランは、もう俺の腕を引いて、ギルドの扉へ向かおうとしていた。


俺はアリアに、軽く会釈した。彼女もまた、わずかに頷き返した。


その視線には ―― お互いの、暗黙の了解が、含まれていた。


◆ ◆ ◆


装備の調達は、思ったより時間がかかった。


アスランは「俺、装備こだわらない派」と豪語したが、北の山岳の冷えに対しては、装備不足が命に関わる。


「分厚い外套、革手袋、防寒靴。これは譲れない」


「えー、俺、寒さには強い方なんだぜ!」


「凍傷で指を失えば、詠唱が組めなくなる」


「……あ」


アスランは黙った。それから、頷いた。


「分かったよ、相棒に従うぜ!」


「相棒、とい」


「もういいって!」


俺たちは、装備屋を3軒回り、保存食を仕入れ、地図を確認した。出発は、翌朝と決まった。


その夜、宿屋で、俺たちは別々の部屋を取った。アスランは「同室の方が安いぜ?」と言ったが、俺は「集中して考えたいことがある」と理由をつけた。本当の理由は、変身解除や夜の動作で、正体が露見するリスクを下げるためだった。


俺は1人で部屋に入り、地図を広げた。北の山岳地帯。光の塔の正確な位置は、祭祀者たちの羊皮紙に記されていた。それを地図に重ねると、目的地が浮かび上がった。


そして、その経路を、別の人物が、半年前にすでに辿っていた可能性があった。


古書店の店主が言っていた、「2人目」。アスランは1人目。だが、ラフェルトの近隣に古代魔法を追っている者は、もう1人いるはずだ。それが、北を目指していた可能性は ―― 高い。


窓の外、月が出ていた。


俺は地図を畳み、寝床についた。


◆ ◆ ◆


翌朝、俺たちは北の街道へ出発した。


ギルドの前で、アリアが見送っていた。


「ご無事のお戻りを」


「お前のとこに帰ってくるぜ!」


アスランは、屈託なく手を振った。アリアは、わずかに頷いた。


俺もまた、彼女に短く一礼して、馬の腹を蹴った。


北へ。


◆ ◆ ◆


道中、アスランは、相変わらず喋り続けた。


「お前さ、均衡解の構造、もうちょっと教えてくれよ。あれ、概念属性の魔法だろ? 俺、概念属性って絶対無理だと思ってたんだ。だって、属性って物質に紐付くもんじゃねぇか? 概念に属性付けるって、どういう発想なんだ?」


「お前は、物質と概念を、別物だと思っているのか」


「え、別物だろ?」


「俺の理論では、別物ではない。物質も、概念も、魔力構造として記述すれば、同じ階層の存在だ。属性は、物質に付くのではなく、構造の方向性に付く」


アスランは、馬の上で、しばらく考え込んだ。


「……つまり、何でも属性が付けられる、ってことか?」


「理論的には」


「うわ、すげぇ。じゃあ俺、『時間』属性とか『運命』属性とか、組めるかもしれねぇんだな?」


「実用化までには、3年から5年の研究が必要だろう」


「……長ぇな!」


「だから、地道にやれ」


「お前は、3年でやったんだろ?」


「俺の3年は、お前の3年より、概ね5倍密度が濃い。比較対象としては不適切だ」


「うわ、こいつ、自慢してきた!」


アスランが笑った。俺は内心で、軽く息をついた。


……理論談義が、楽しい。これは、新しい感覚だな。


俺もまた、彼の議論から、学ぶことがあった。アスランは、レオン・グラウとは違うアプローチで、同じ場所に到達しかけていた。彼の発想は粗いが、俺が見落としていた角度を、しばしば指摘した。


例えば、彼の詠唱省略。レオンは「制御の粗さ」として批判したが、彼の視点では、それは「速度を稼ぐための合理的犠牲」であった。すべての魔法を完璧に詠唱する必要はない、と彼は言った。状況によっては、出力を犠牲にしてでも、速度を取るべき場面がある、と。


俺は、その指摘に、頷いた。


「お前の視点には、価値がある」


「お、認められた! 嬉しいぜ!」


「ただし、関節を壊すのは、別問題だ。フォームの矯正は必要だ」


「うっ、そこは譲ってくれよ」


「譲らない」


議論は、馬上で、続いた。


道は、徐々に高度を上げていった。空気が、冷たくなってきた。


◆ ◆ ◆


3日目の夕方、山麓の村に着いた。


小さな村だった。家屋は数十軒、煙突から白い煙が立ち上っていた。秋の夕日が、村全体を、橙色に染めていた。


宿屋らしい宿屋はなかった。村長らしき老人に事情を話すと、彼は無言で頷いて、自宅の一室を貸してくれた。


夕食は、村長と、その妻と、20歳前後の孫娘と、4人で囲んだ。質素な食事だったが、心のこもった味だった。


食事が半ばに進んだ頃、村長が、ぽつりと、言った。


「あんたら、北の山に上るのかね」


「ああ」


「最近、北の山に上る者を、時々、見かけるようになった」


俺とアスランは、視線を交わした。


「半年ほど前にも、1人、北へ向かった研究者がいたよ。若い男だ。学者風の身なりだった。村に2日泊まって、それから山へ消えた」


「容姿は」


俺が、つい、聞いた。


村長は、しばらく考えた。


「長身でな。痩せていた。髪は ―― 銀混じりの、明るい色だった。年は、25か、26くらいか。礼儀正しい男だった。だが、目が、どこか、危ない感じがした」


アスランが、俺を見た。


「ルミナ、それ ―― 」


俺は頷いた。


「俺ではない。お前でもない」


「他にもいるってのか? 古代魔法を追ってる奴が」


「……興味深い」


村長は、孫娘に夕食の片付けを促してから、続けた。


「その男、戻ってこなかった。たぶん、山で何かあったんだろう。山は、油断ならんからな」


俺はその情報を、頭の隅に、丁寧に格納した。


半年前。その男は、おそらく光の塔を目指した。そして、戻らなかった。塔の中で、何かに、阻まれたか。あるいは、塔の中に、まだいるか。


食事を終え、村長夫妻は寝床についた。俺とアスランは、貸してもらった部屋の前の囲炉裏端で、しばらく黙っていた。


火が、ぱちりと爆ぜた。


「明日から本番だな」


アスランが、囲炉裏を見ながら、低い声で言った。


「ああ」


「他にも研究者がいるなら、会ってみたいな」


「会いたくない相手かもしれない」


「敵ってこと?」


「分からない。だが、用心はする」


アスランは、頷いた。彼は、こういう時は、ふざけなかった。


俺たちは、しばらく、火を見つめていた。


窓の外、北の山々が、月光に照らされて、聳え立っていた。光の塔、明日、見えてくるはずだ。


◆ ◆ ◆


― 同夜・王都・魔術師団官舎 ―


ジュリアンは、深夜の書斎で、報告書を眺めていた。


狼煙の塔、F級冒険者レオン・グラウによる単独制圧の続報。報告は、バルザックなる辺境のギルドマスター名義で、宰相直属に上げられていた。


戦闘中の魔法構造の記述が、報告書に詳細に載っていた。銀獅の閃光。月華の鎖。そして ―― 均衡解。


ジュリアンの手が、止まった。


均衡解。


概念属性の魔法。理論上は存在する、と古典文献に記されていた。だが、実用化された記録は、千年以上、ない。彼自身、この概念を完成させようと、3年、無駄に努力していた。


その均衡解を、辺境のF級冒険者が、実用していた。


「これは……まさか」


彼の指は、机の引き出しに、無意識に伸びた。


3年前から開かれていない、灰色のノート。レオン・グラウの理論ノートの写し。学院の禁書庫で、ジュリアン自身が、ひっそりと写し取り、密かに持ち出してきた、あのノート。


彼は鍵を回し、引き出しを開けた。


ノートを取り出した。


埃がついていた。彼は袖で拭った。


最初のページを、開いた。


そこには、レオンの几帳面な筆致で、多次元魔力構造論の基礎が記されていた。


ジュリアンは、報告書の魔法構造の図と、ノートの数式を、比較した。


……一致していた。


銀獅の閃光の理論的根拠。月華の鎖の構造原理。均衡解の概念属性化の方法論。すべて、レオンのノートに、3年前から、書かれていた。


完全に、一致していた。


ジュリアンは、ノートを、ゆっくり、閉じた。


彼の手が、震えていた。


……まさか、いや、ありえない。


「F級登録のレオン・グラウ ―― いや、よくある名前だ。同名の別人だ。それに3年前のあの男は、追放されて、田舎で消えたはずだ。今頃、どこかの村で、惨めに研究もできずに、朽ちているはずだ。あいつが、こんな高度な実用化に、たどり着けるはずがない」


そう、自分に言い聞かせた。


ノートを引き出しに戻し、鍵をかけた。


強く、強く、鍵を回した。


もう、自分にすら、見せたくないように。


蝋燭の炎が、揺れた。


ジュリアンは、しばらく、机に突っ伏していた。


◆ ◆ ◆


山麓の村の囲炉裏端で、火が静かに燃えていた。


俺は、火を、もう少し強くした。


アスランは、隣で、毛布を膝にかけて、もう半分眠りかけていた。


俺は、北の山々を、もう一度、心に焼き付けた。


光の塔、明日。


そして、半年前にそこを目指した、もう1人の研究者の、行方。


獅子は、3頭いた、ということか。


俺は、火を見ながら、その思いを、しばらく、噛み締めていた。

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