第7話:呑まれた者
朝、村を出た。
村長と孫娘が、家の前まで見送りに出てくれた。アスランは満面の笑みで「ありがとうな!」と手を振り、孫娘が頬を染めた。俺は短く頭を下げて、馬の腹を蹴った。
北の山道は、急峻だった。馬で進めるのは、最初の3時間まで。それからは、馬を麓の山小屋に預けて、徒歩で登る必要があった。装備の重さが、肩に食い込み始めた。
「うわ、これ、結構きついな!」
「お前は若い。俺は38だ」
「あ、そっか、お前 ―― 」
アスランが、不意に、足を止めた。そして、こちらを見た。
「……いや、ルミナ、お前、いま自分で『俺は38だ』って言わなかったか?」
俺は、足を止めた。
……失言。可憐な少女の姿で、自分の本当の年齢を、口にした。
俺は、3秒、考えた。
「……魔力構造体としての、見かけ上の魔力齢だ。実体年齢ではない」
「あ、そういうもんなのか? 魔法少女ってのは」
「……そうだ」
「魔力齢って、すげぇ概念だな!」
アスランは納得して、また登り始めた。
俺は、内心で深く息をついた。
……アスランの素直さに、また、救われた。
山道を、半日登った。
そして、それは、視界に入った。
◆ ◆ ◆
狼煙の塔は、地下に沈み込んでいた。
光の塔は、その逆だった。
山頂に向かって、白い細い塔が、聳え立っていた。高さは、おそらく60メートル。地上型の、純白の建造物。表面に、古代の意匠が刻まれていた。
そして ―― 周囲が、異常だった。
塔の半径100メートルほどの範囲、植物がすべて、白く脱色していた。木の幹も、葉も、地表の苔も。すべて、色を失い、雪のように白かった。秋の山岳の中で、その一帯だけが、別の世界のように、白く沈んでいた。
「うわ、なんかすげぇ気味悪ぃな」
アスランが、思わず、低い声で言った。彼の声から、いつもの明るさが、わずかに抜けていた。
俺は、塔に近づきながら、空気を測った。
魔力濃度、外気の8倍。狼煙の塔の倍以上。何かが、漏れ出している。塔の中で、何かが、起きている。
「アスラン、警戒は最大に。ここは、狼煙の塔とは、性質が違う」
「分かった」
俺たちは、入口に近づいた。
入口のアーチには、見覚えのある銘文が、彫られていた。
「『光と影の均衡を保つ者へ。器を持つ者は、入りて満たすべし』」
狼煙の塔と、同じ祈祷文。
だが、結界の感触が、違った。
狼煙の塔の結界は、「通行を許可する」性質だった。条件を満たした者を、通す。
こちらの結界は ――
……「呼び込んで」いる。
俺の足元から、塔の入口へ、わずかに魔力の流れが、引き寄せている感触があった。意志を持った、誘いのような流れ。
「ルミナ、何か変じゃねぇか?」
アスランも、感じ取っていた。
「……入ってみないと、分からない。だが、警戒は最大に」
俺は、ステッキを布から取り出した。アスランも、手の甲をぐっと握り、詠唱の準備に入った。
そして、変身した。
第一節 ―― 短縮詠唱、1.4秒。第二節、第三節、並行展開。
銀の光が、駆け上がった。白と紫の衣装、月光色の髪。ルミナ・レオニスとして、俺は塔の入口に立った。
「行こうぜ、相棒」
「……相棒、と」
「もう諦めろよ!」
俺たちは、塔のアーチを、潜った。
◆ ◆ ◆
内部は、螺旋階段だった。
狼煙の塔のように、地下へ降りる構造ではなく、上に向かって登っていく構造。階段は石造りで、手すりはなかった。中央が空洞になっており、見下ろすと、深く暗い穴が、地中まで伸びていた。
壁には、古代の魔法光が、灯っていた。だが、光は、どこか、揺れていた。安定していない。
そして、何より、奇妙だったのは ――
守護機構が、動かなかった。
第二階層に、人型の守護機構が立っていた。狼煙の塔の最初に出会った個体と、似た構造。だが、それは、すでに破壊されていた。胸の核が砕け、両腕が落ち、頭部が割れていた。
床には、乾いた血の跡が、点々と続いていた。
「これ ―― 」
アスランが、口を開きかけて、止めた。
俺は、しゃがんで、血の跡を観察した。半年は経っている。だが、確実に、人間の血だ。
先客は、ここを単独で踏破した。守護機構を、破壊しながら。
第三階層、第四階層と、登った。どの階層の守護機構も、すでに破壊されていた。徹底的に、容赦なく。誰かが、半年前、ここを暴力的に踏破したのだ。
そして、階段を登るごとに、空気が、変わっていった。
重く。湿り。何かに、見られている感覚。
壁の魔力光に、古代語が滲み出始めた。文字が、薄く青白く、壁の表面を、流れていた。流れて、書き換わっていた。
アスランが、低い声で、言った。
「……これ、ヤバくねぇか?」
「すでに、誰かが、踏破しかけて ―― 何かに、なりかけている」
俺の言葉が終わる前に、階段の上から、声が、聞こえた。
男の声、低く、どこか歌うような調子で、古代語を、呟いていた。
聞き取れない。だが、確実に、誰かが、上にいた。
俺は、ステッキを構え直した。
◆ ◆ ◆
― 塔の頂上 ―
最上層は、円形の祭壇室だった。
天井は崩れ落ちていた。上方に、空が見えていた。月が、出始めていた。秋の月光が、祭壇室の中央に、淡く差し込んでいた。
祭壇は、中央にあった。狼煙の塔の祭壇と、よく似た形。
そして、祭壇の前に ――
男が、立っていた。
長身痩身。ぼろぼろのローブ。背を向けていた。俺たちが祭壇室に踏み込んだ瞬間、彼は ―― 動かないまま、声を、発した。
「……来たか」
声は、穏やかだった。礼儀正しさを感じさせる、知的な響き。
だが、その声と同時に、もう一つ、低い別の声が、わずかに、重なって聞こえた。
「待っていた。長く、長く」
男が、振り返った。
俺は、思わず、ステッキを握り直した。
男の体表に、青白く光る古代語の文様が、蠢いていた。文様は流れ、書き換わり、増えていた。彼が呼吸するたび、文様の濃淡が、わずかに変わった。
肌の一部が、透けていた。胸の左側、腕の内側。透明な部分から、古代語の光が、絶え間なく漏れ出していた。
そして ―― 目。
片目が、金色。片目が、銀色。瞳孔が、縦に、裂けていた。
「私はヴァロウ。半年前、この塔に入って ―― 」
そこで、彼の言葉が、止まった。
数秒、ヴァロウは、無言で立っていた。その間、彼の体表の文様が、激しく書き換わった。光が点滅した。
それから、彼は、ゆっくり、口を開いた。
「……すまない。今、別の何かが、私の言葉を、借りようとしていた」
口の中から、白い光が、わずかに、漏れた。
俺の内心で、警報が、鳴った。
これは。完全な人間ではない。だが、化け物でもない。境界の、何かだ。
アスランは、隣で、息を呑んでいた。彼ですら、いつもの「すげぇ!」が、出ていなかった。むしろ、唾を飲み込む音が、はっきり聞こえた。
ヴァロウは、ゆっくり、微笑もうとした。口の端が、人間より、わずかに広く、横に裂けた。
「驚かせて、すまない。私は、まだ、私だ。だが ―― 確実に、私は、減っている」
そして、彼は、一歩、前に進んだ。
その時、ヴァロウの足は、一瞬、床に触れなかった。
「君たちが、来てくれたなら、まだ、間に合うかもしれない」
そう言った直後、彼は急に、黙った。首を、かすかに、傾げた。自分自身に向かって、低い声で、囁いた。
「呑まれろ」
そして、すぐに、自分で打ち消した。
「違う、違う、私は、まだ、私だ」
俺は、ステッキを構えたまま、慎重に、距離を測った。
挙動、不安定。だが、敵意は、感じない。むしろ、求めの感情が、強い。彼は、対話を、求めている。
「ヴァロウ」と、俺は呼んだ。
「……ああ」
「あなたが、誰かと、認識する根拠は」
ヴァロウは、しばらく、こちらを、見つめていた。それから、ゆっくり、答えた。
「君の名は、ルミナ・レオニス。光の獅子。3年、独学で、多次元魔力構造論を構築した。彼は、アスラン。3年前に、王立魔術学院を、3年で、除籍された。古代魔法の禁書庫に、無断侵入したことが、原因」
俺は、息を、止めた。
アスランも、隣で、固まっていた。
「なぜ、それを ―― 」
「器に触れると、すべての対なる者の存在が、感じ取れるようになる。私は、ずっと、君たちを、見ていた」
ヴァロウの声が、また、わずかに、複数になった。
「私の中の/古代の流れが/君たちを、認識していた」
3つの声が、ほぼ同時に、混じった。低い声、本人の声、高い別の声。
口の端から、また、白い光が、漏れた。
俺は、内心で、深く、息を吐いた。
これは、想像していた以上に、深刻だ。
◆ ◆ ◆
ヴァロウは、状況を、説明した。
半年前、彼は、独力で塔の最上階に達した。守護機構を、すべて破壊した。最後に、祭壇の「器」に、触れた。
そこには、祭祀者たちの祈祷文に書かれていた、最後の儀式があった。光と影の、完全なる均衡を、人間の身に映す儀式。
だが ―― 彼は、対なる者を、持っていなかった。
「……対なる者が、いない者が、器に触れると、器は、その者を、自分で『満たす』」
ヴァロウの声は、静かだった。
「私の自我は、徐々に、置き換わっている。古代の流れが、私の中に、流れ込み続けている。完全に呑まれれば、私は、ヴァロウではなくなる。古代の祭祀者たちが残した、別の何かに、なる」
「進行を、止める方法は」
俺は、聞いた。
ヴァロウは、しばらく、黙った。それから、彼は、わずかに、笑った。今度は、人間の笑い方に、近かった。
「対なる者が、儀式を、完成させてくれれば。古代の祈祷文を、対の二人で、同時に詠唱する。完全な均衡を、私の身に、映してくれれば。進行を、止められる、可能性がある」
「可能性、と言ったか」
「成功率は、推定六割。失敗すれば ―― 私の侵食が、加速する。あるいは、君たちを、巻き込む可能性がある」
俺は、その情報を、頭の中で、整理した。
六割。許容できる範囲ではあるが、低くはない。失敗のリスクは、自分たちに及ぶ可能性も、ある。
ヴァロウは、続けた。今度は、自我を保ったまま、苦しげに。
「……君たちが、危険を冒す必要は、ない。私を、撃破して、くれてもいい。それは、私を、救う、もう一つの方法だ。完全に呑まれる前に、私を、消してくれれば、古代の流れは、また、器に戻る」
沈黙が、降りた。
祭壇室の、月光の下で、3人は、しばらく、動かなかった。
そして、アスランが、口を開いた。
「俺、こいつ、助けたい」
声は、いつもより、わずかに、低かった。
俺は、彼を見た。
「アスラン、リスクは ―― 」
「分かってる。でも、ルミナ、こいつ、まだ生きてんだ。意識もある、研究者として、すげぇ。ここで撃破するのは、違う気がする」
アスランの顔は、真剣だった。22歳の、純粋な、覚悟だった。
俺は、彼を、しばらく、見ていた。
……俺は、彼の覚悟を、否定する根拠を、持たない。
儀式を試みれば、六割の確率で成功する。失敗すれば、自分たちが、巻き込まれる可能性がある。だが、撃破すれば、確実に、ヴァロウは、消える。アスランは、目の前で生きている人間を、撃破することを、望んでいない。
そして ―― 俺自身も。
俺は、合理主義者だ。だが、合理主義者であることは、目の前の生命を、軽視することと、同じではない。
「……分かった。儀式を、試みる」
ヴァロウが、わずかに、目を見開いた。それから、彼は、深く、頭を下げた。
「ありがとう、対なる獅子たちよ」
◆ ◆ ◆
祭壇の前に、ヴァロウが、横たわった。
俺とアスランは、その両側に、立った。
ヴァロウから、儀式の手順を、教わった。古代の祈祷文を、対の二人で、同時に詠唱する。リズムを合わせる。タイミングを、完全に、一致させる。
「行くぞ」
「ああ」
俺たちは、同時に、口を開いた。
「『光と影の均衡を保つ者、ここに来たれり』」
ヴァロウの体表の文様が、激しく、光り出した。
「『器を持つ者、ここに二人。対なる獅子、ここに二人』」
祭壇から、白い光と、漆黒の影が、同時に、立ち上った。光と影は、ヴァロウの身体を、包んだ。
その瞬間、ヴァロウから ―― 何かが、噴き出した。
体内に閉じ込められていた、古代の何かが、空中に、放出された。古代語の渦、黒い煙、複数の声の塊。それらが、空中で、渦を巻いた。
ヴァロウの声が、3つに、分裂した。
「ぐ……ああ……っ……ぁ……」
本人の声、低い声、高い声、同時。
彼の身体の周囲、影が、4つに、増えた。月光の下、4つの影が、それぞれ別の方向に、揺らいだ。
「ルミナ、こいつ、ヤバい!」
アスランが、詠唱を続けながら、叫んだ。
「続けろ! 詠唱を、止めるな!」
俺は、ステッキを高く、掲げた。詠唱の最終節に、入った。
「『古代の流れよ、戻れ。器に、戻れ。獅子の番い、ここに、均衡を、定めん』」
アスランも、最後の一節を、叫んだ。
「『戻れ! 全てを、元の場所へ!』」
白と黒の光が、ヴァロウの身体に、同時に、収束した。
渦巻いていた古代語が、ヴァロウの内部に、戻されようとした。だが、すべては戻らなかった。半分は、空中で、塵のように、散った。
残り半分が、ヴァロウの体表の文様の中に、ゆっくりと、沈んでいった。
静寂。
祭壇室は、再び、月光の下に、戻った。
4つあった影は、1つに、収まっていた。
ヴァロウは、床に、崩れていた。
◆ ◆ ◆
「おい! 大丈夫か!」
アスランが、駆け寄って、ヴァロウの肩を、揺すった。
ヴァロウは、しばらく、動かなかった。それから、薄目を、開けた。
声は、一つに、戻っていた。
「……止めた、か」
俺は、彼の状態を、観察した。
体表の文様は、薄くなっていた。だが、消えてはいなかった。目はまだ、片目が金、片目が銀。瞳孔の縦の裂け目も、残っていた。
「進行を、止めた」と、俺は答えた。
「だが、元には、戻していない」
ヴァロウは、ゆっくり、頷いた。
「それで、十分だ。生きていられるなら ―― これからも、研究は、続けられる」
彼は、ゆっくり、起き上がった。アスランが、肩を支えた。
「あんた、これから、どうすんだ?」
「……学院に、戻る気はない。私は、もう、完全な人間では、ない。だが、君たちの研究には、興味がある。もし、許されるなら ―― 」
俺とアスランは、視線を、交わした。
「無理は、するな」と、俺は言った。
「だが、合流したいなら、ラフェルトのギルドに、来い。バルザックという、ギルドマスターが、いる。彼に、ヴァロウの名を、告げろ。あとは、こちらで、対応する」
ヴァロウは、深く、頭を下げた。
「ありがたい」
◆ ◆ ◆
祭壇の中央に、水晶があった。
水晶の中には、羊皮紙の、最終ページの、一部が、封じられていた。
俺は、近づいて、結晶の表面の、銘文を、読んだ。
「『光と影、その完全なる均衡。最後の一片は、影の塔に。南の海岸、地下の遺跡に、最終の章は、隠した』」
「次は、南か」と、アスランが、呟いた。
「ああ。だが、急がない。一度、ラフェルトに戻る」
俺は、結晶を、解いた。中の羊皮紙を、回収した。
祭壇室を、後にした。
◆ ◆ ◆
塔の外、夕方だった。
ヴァロウは、別の方角を、指差した。
「私は、しばらく、独自に、整える時間が、必要だ。準備が出来たら、ラフェルトに、向かう」
「分かった」
「君たちに、感謝する」
そう言って、彼は、白い山道を、独り、歩き出した。
背中の影は、一つ。
だが、足は、時々、地面に触れていなかった。
俺は、その背中を、しばらく、見送った。
変身を解除し、地味なおっさんの姿に戻ってから、アスランと共に、下山を、始めた。
月が、東の空に、出始めていた。
「ルミナ、お前、ヴァロウのこと、どう思う?」
アスランが、坂を下りながら、聞いた。
「分からない」と、俺は答えた。「だが、彼は、危険であり、同時に、研究者として、一級だ」
「俺、なんとなく、信じたい」
「お前のそういうところは、悪くないと思う」
アスランが、振り返って、笑った。
「お前が、褒めてくれた!」
「……効率の問題だ」
「またそれかよ!」
俺たちは、月光の山道を、ゆっくり、下りていった。
背後で、光の塔が、白く、聳えていた。
そして、その白い影の中に、もう1人の、半ば人ならざる獅子が、ひっそりと、消えていった。




