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第15話:帰路の星空

影の塔から、半日歩いた。


海岸沿いの小さな漁村に、宿が、一軒だけ、あった。屋根は古く、扉の蝶番が、開け閉めするたび、軋んだ。だが、女将は、3人組の旅人を見て、嬉しそうに、目を細めた。


「3名様、ね。お部屋は1つしかないけど、よろしいかしら」


「構わない」と、俺は、答えた。


節約のためではなかった。ヴァロウを、一人にしたくなかった。


儀式直後の、彼の状態は、まだ、安定していなかった。文様の進行は、止まった。だが、彼自身が、自分の身体に、慣れる時間が、必要だった。


女将は、お盆を、3人分、運んできた。


「夕食、ご用意しましたよ。今日の朝、息子が獲ってきた、新鮮なお魚です」


焼き魚、海藻のスープ、麦パン、簡素な料理。だが、湯気から、確かな、海の香りが、立ち上っていた。


アスランが、フォークを握る前から、目を、輝かせた。


「うっわ、うめぇ! 海の魚って、すげぇな!」


彼は、いつものように、最初の一口で、感動した。


ヴァロウは、フォークを、ゆっくり、取った。彼の手の動きが、慎重だった。半年ぶりの、まともな食事を、味わうように、彼は、一口、口に運んだ。


そして、長く、目を、閉じた。


「……」


アスランが、心配そうに、彼を見た。


「どうした、ヴァロウ。まずいか?」


ヴァロウは、ゆっくり、目を、開けた。彼の口元が、わずかに、緩んでいた。


「いや。美味い」


その「美味い」の一言には、半年分の、孤独が、含まれていた。


アスランが、ぱっと、笑った。


「だろ! お前、これから、いっぱい美味いもの食えよ!」


俺も、フォークを取り、魚を、一口、食べた。


「悪くない」


アスランが、こちらを、振り返った。


「お前、本気の『悪くない』、いつものやつだな!」


俺は、否定しなかった。アスランの観察は、もはや、慣れ親しんだ、確かさだった。


ヴァロウが、わずかに、首を、傾げた。


「『いつもの』?」


アスラン「ルミナさ、本当に気に入った時、『悪くない』って言うんだ。淡々としてっけど、絶対に、すげぇ嬉しい時のサインなんだぜ」


ヴァロウが、ふっ、と、笑った。


「……君は、君の対なる獅子のことを、本当に、よく観察しているな」


「だって、相棒だからな!」


アスランは、屈託なく、答えた。


俺は、内心で、軽く、息をついた。


……「相棒」呼び、もはや、訂正しなくなった。彼の言葉として、自然に、受け止められるようになっていた。


悪くない、と、俺は、もう一度、内心で、思った。




◆ ◆ ◆


食事の後、3人は、宿の外で、星を、眺めていた。


漁村の夜は、静かだった。波の音だけが、遠くで、繰り返していた。家々の窓に、ぽつぽつと、明かりが、灯っていた。空には、無数の、秋の星が、瞬いていた。


ヴァロウは、しばらく、空を、見上げていた。


「……半年ぶりに、星を、ちゃんと見た気がする」


「半年、塔の中で、星は、見えなかったのか」


「見えていた、はずだ。光の塔の天井の隙間から、夜空は、見えた。だが ―― 私には、見えていなかった。私の意識が、星を、認識する余裕を、持てなかった」


ヴァロウは、低く、続けた。


「呑まれかけていた者には、世界が、別の形で、見える。あるいは、見えなくなる」


アスランが、星を、指差した。


「ヴァロウさ、俺、お前のこと、もっと知りたいぜ。お前、どこで生まれたんだ?」


ヴァロウは、しばらく、考えてから、ぽつりと、答えた。


「中央の、地方都市だ。バスティオン、という、ちいさな街」


「バスティオン! 俺、聞いたことあるぜ。古い、城壁の街だっけ?」


「そうだ。父は、街の商人だった。母は、織物職人。普通の家庭だった。だが、5歳の時、街の魔術師に、魔法の素質を見出されて、王立魔術学院に、推薦された」


「5歳!?」


「異例の若さで、だ。だから、私は、家族と、ほとんど、暮らさずに、育った。学院の寮で、研究漬けの日々を、送っていた」


ヴァロウは、しばらく、星を、見つめていた。


「父も母も、3年前、流行り病で、亡くなった。私が、学院から離脱する、少し前のことだった。最後に、会えなかった」


俺は、彼の言葉を、聞いていた。


「学院を離脱した理由は」


「異端視され、続けたから、というのが、表向きの理由だ。だが、本当の理由は ―― 父と母が、亡くなった時、私は、研究で、王都にいた。会いに行けたはずなのに、行かなかった。研究の方が、大事だった」


ヴァロウは、目を、伏せた。


「その後、私は、自分の選択を、悔いた。だが、後の祭りだった。学院に、残る理由が、私には、もう、なかった。だから、各地の遺跡を、巡る旅に、出た。古代魔法の研究を、最後まで、追究する。それが、私の、罪滅ぼしのつもりだった」


「そして、光の塔で、呑まれた」


「ああ。対なる者が、いない状態で、踏み込んだ。半ば、自暴自棄でも、あったかもしれない」


ヴァロウは、顔を、上げた。


「……私は、ずっと、対なる者を、求めていたのかもしれない。だが、それを、認められなかった。1人で、辿り着く、という、傲慢を、捨てられなかった」


俺は、しばらく、答えなかった。


そして、低く、口を開いた。


「俺もだ」


ヴァロウが、こちらを、見た。


「3年、独学で、やってきた。1人で十分、と、信じていた。実際には、それは、ただの、傲慢だった。アスランに、会うまで、俺は、自分の限界を、認められなかった」


アスランが、頭を、かいて、笑った。


「あー、俺は、対なる者って言葉、お前らに会うまで、知らなかったぜ!」


俺たち2人が、彼を、見た。


アスランは、続けた。


「俺、学院で除籍されてからずっと、一人で旅してきたんだ。古代魔法の研究も、一人でやってきた。でもさ、それが当たり前だと思ってた。仲間がいるなんて、考えたこともなかった。だから、お前らに会えて、すげぇ嬉しいんだ」


アスランの目が、星明かりの下で、輝いていた。


ヴァロウが、わずかに、笑った。


「……アスラン。君の屈託のなさは、奇跡だ」


「奇跡? 俺が?」


「ああ。普通の人間は、君のように、すぐに、他人を信じられない。私も、ルミナも、それができなかった。だから、長く、孤独だった。君が、それを、ためらわずに、できる人間だから、私たちは、ここに、いる」


アスランは、しばらく、頭を、かいていた。それから、彼は、ぱっと、笑った。


「よく分からねぇけど、褒められてるなら、嬉しいぜ!」


俺は、星を、見上げた。


3年前、追放された夜、俺は、こうやって、誰かと一緒に、星を見る未来を、想像していなかった。


今、隣に、2人がいる。


3年前と、まったく、違う未来だった。


……これも、悪くない。


俺は、内心で、その言葉を、繰り返した。




◆ ◆ ◆


翌朝、3人は、宿を、出た。


女将が、見送りに、出てくれた。お土産にと、塩漬けの魚を、布で包んで、3人分、渡してくれた。


「お気をつけて」


「ありがとう」


俺たちは、馬を、借りた。3頭。漁村の馬は、海に慣れていて、潮風にも、強い、丈夫な個体だった。


ヴァロウは、馬に乗るのに、少し、苦労した。半年間、まともに乗っていなかったらしい。鞍に座る姿勢が、わずかに、不安定だった。


アスランが、彼の手綱を、軽く、整えた。


「ほら、こうやって、背筋を伸ばして、膝で軽く挟む。あとは、馬を、信じろ」


「分かった」


ヴァロウは、ゆっくり、姿勢を、整えた。馬が、わずかに、頷いた。彼は、軽く、息を、吐いた。


「久しぶりだ」


「半年で、忘れることもねぇだろ! 大丈夫だ!」


俺は、3人の様子を、見ていた。


……ヴァロウの身体能力、徐々に、通常範囲に戻りつつある。儀式の効果は、想定以上に、深い。今後も、観察は必要だが、当面、彼の生活は、確実に、人間としてのものに、近づいていく。


俺たちは、海岸の道を、進み始めた。


カルメルへ。馬で、3時間ほど。




◆ ◆ ◆


午後、カルメルに、到着した。


港町は、いつものように、活気に、満ちていた。漁師たちの声、商人たちの呼びかけ、子供たちの走り回る音。塩の匂いと、揚げ物の香り。


3人は、馬を、貸し馬屋に、預けた。それから、前回と同じ宿屋に、向かった。


女将が、カウンターで、目を見開いた。


「あら、お客様! お戻りで!」


「2泊、頼む。今度は3人だ」


「3人分のお部屋、ご用意します。ところで、お客様」


女将は、こちらに、軽く身を、乗り出した。


「王都から、すごい話が、流れてきていますよ」


「どんな話」


「勇者マクシミリアン様、ついに、王家から正式に、勇者称号を剥奪されるそうですよ。本決まりみたいです」


俺は、軽く、頷いた。


……早い。だが、想定範囲内だ。ヴィンスの裏帳簿が、宰相の元に到達してから、約2週間。法的処理としては、適切な速度だ。


アスランが、軽く、声を、上げた。


「うわ、本決まりか」


女将は、続けた。


「それと、新勇者選定が、本格化しているそうで。候補者の中に ―― なんと、光の獅子様も、入っているとか」


アスランの目が、ぱっと、輝いた。


「ルミナが、新勇者!?」


俺は、内心で、軽く、息をついた。


……それは、断る。


ヴァロウが、横で、ふっ、と、笑った。


「興味深い動きだ」


女将「光の獅子様、ラフェルトに、お住まいだそうですね。ラフェルトの街全体が、誇りに思っているそうで」


俺は、答えなかった。


女将は、3人を、それぞれの部屋に、案内した。荷物を、置いた後、3人は、改めて、外に、出た。


夕方の港町を、3人で、散歩した。




◆ ◆ ◆


港の屋台で、アスランが、焼き魚を、3本、買った。串に刺した、塩焼きの、小魚。


「ヴァロウ、これ、食えよ!」


「……ありがたい」


ヴァロウは、串を、受け取った。彼は、その焼き魚を、ゆっくり、口に運んだ。


「……」


「美味いだろ?」


「ああ。外で食べる食事は、半年ぶり以上だ」


「お前、もっと外で食えよ! 美味いんだから!」


俺も、焼き魚を、食べた。塩が、効いていた。油が、口の中に、広がった。


「……悪くない」


アスランが、笑った。


「気に入ったな!」


港の夜が、徐々に、降りてきていた。漁船が、戻ってくる、灯火が、海面に、揺れていた。波の音が、低く、響いていた。


3人は、波止場に、腰を、下ろした。


ヴァロウが、ぽつりと、口を、開いた。


「ルミナ ―― いや、レオン」


「ああ」


「ラフェルトのバルザック殿は、私を、どう、受け入れてくれるだろうか」


彼の声は、わずかに、緊張を、含んでいた。社会への復帰、初対面の他人、自分の現在の状態。すべてが、彼にとって、新しい挑戦だった。


俺は、ゆっくり、答えた。


「彼は、お前の事情を、聞いて、現実的な対応をする男だ。心配は、いらない」


「私の、瞳孔の異常を、彼は、気にしないだろうか」


「気にはするだろう。だが、彼は、お前を、人間として、扱う。それは、保証する」


ヴァロウは、軽く、頷いた。


アスランが、肩を、軽く、叩いた。


「俺も、いるからな! 一緒に紹介するぜ! バルザック爺さん、最初は厳しい顔するけど、すげぇ良い人だから!」


「爺さん、と呼んでいるのか」


「だってさ、白髪混じりで、エール飲んでて、爺さんっぽいだろ?」


「……50代後半、と聞いた」


「俺の感覚だと、爺さんだぜ! 22歳だからな!」


ヴァロウが、わずかに、笑った。


「君の感覚は、面白い」


俺は、波の音を、聞いていた。


港の夜、3人で、焼き魚を、食べながら、軽口を、交わす。


……これは、3年前の俺が、想像できなかった、未来だ。


俺は、内心で、軽く、息をついた。




◆ ◆ ◆


翌朝、3人は、カルメルを、出発した。


朝の港町は、漁船が、出ていく時間だった。漁師たちが、忙しく、船の準備を、している。鴎が、空を、回遊している。秋の朝の空気が、冷たかった。


3人は、馬上で、東から、西へ、進んだ。


南の海岸が、徐々に、背後に、遠ざかった。前方に、ラフェルトへ向かう街道が、開けていた。北の山岳が、遠くに、聳えていた。


アスランが、馬上で、不意に、笑い出した。


「そういえばさ、ルミナ」


「ああ」


「お前、変身する時、可愛らしく振る舞わないって、言ってたよな」


俺は、しばらく、考えた。


「……いつの話だ」


「狼煙の塔で、初めて会った時! お前、『可愛らしく振る舞うのは、魔力効率に貢献しない』って、淡々と、言ったんだ!」


俺は、無言だった。


アスランが、ヴァロウに、振り返った。


「ヴァロウ、聞いた?」


ヴァロウが、首を、傾げた。


「いや、まだ」


「あいつ、ルミナの格好してるくせに、めちゃくちゃ落ち着いてるんだ。それを、俺が、最初に会った時、『可愛らしく振る舞ったらどうだ』って言ったら、あいつ、『魔力効率に貢献しない』って、真顔で、答えたんだぜ!」


ヴァロウは、3秒、固まった。


それから、彼は ―― 低く、笑い始めた。


「……ふっ、はは、なるほど、君は、ずっと、そう、考えていたのか」


ヴァロウの自然な、人間の笑い方。半年ぶりの、本物の笑い方だった。


アスランも、笑った。


俺は、内心で、軽く、息をついた。


「……効率は、職業上の癖だ」


「お前、それも、もう、言い訳になってねぇぞ!」


3人は、馬上で、笑った。


馬の蹄音が、街道に、続いた。秋の空が、頭上に、広がっていた。




◆ ◆ ◆


夕方、ラフェルトの城門が、遠くに、見え始めた。


3人は、馬を、止めた。


街並みが、夕日に、染まっていた。馴染みのある、ラフェルトの景色。城門の上、衛兵が、いつものように、警備をしていた。商人たちが、最後の馬車を、街に入れていた。


アスランが、軽く、息を、吐いた。


「ようやく、戻ってきたな」


ヴァロウは、しばらく、ラフェルトの街を、見つめていた。


「……新しい場所が、私を、迎えてくれるか」


声は、わずかに、震えていた。


俺は、答えた。


「お前次第だ。だが、悪くは、ない場所だ」


「悪く、ない、か」


ヴァロウは、わずかに、微笑んだ。


「君の『悪くない』が、これほど、心強く感じる言葉だとは、思わなかった」


アスランが、ぱっと、笑った。


「だろ!」


俺は、馬の腹を、軽く、蹴った。


3人は、城門に、向かって、進み始めた。


夕日が、3人の影を、地面に、長く、引いていた。


3つの影が、並んで、街道を、進んだ。



―― 千年の答え合わせは、終わった。新しい日常が、始まる。


俺の内心で、その言葉が、静かに、降りてきた。


章2は、ここで、終わる。


城門の前で、3人は、馬を、止めた。


衛兵が、こちらに、気づいて、軽く、頷いた。


「お帰りなさいませ、レオン様」


城門の若い衛兵が、丁寧に、頭を、下げた。10話の公開面会以来、ラフェルトの街では、彼の存在は、よく知られていた。


「ただいま」


俺は、短く、答えた。


そして、3人は、ラフェルトの街に、足を、踏み入れた。

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