第14話:獅子たちの救済
水晶の柱から、青白い光が、立ち上った。
3人の足元、床の紋様が、応答するように、輝き始めた。3つの起点が、それぞれ、光の柱を、生み出した。光の柱は、3メートルほどの高さで、水晶の柱と、共鳴し始めた。
俺は、ステッキを、軽く、掲げた。
「『光と影の均衡を保つ者、ここに来たれり』」
古代の祈祷文。俺の声が、ドームの空間に、響いた。
アスランが、続いた。彼は、両手を、胸の前に、組んでいた。詠唱省略の構え、しかし今は、フォームを完璧に整えている。彼の目は、水晶の柱を、まっすぐ、見つめていた。
「『対なる3頭の獅子、ここに、揃わん』」
彼の声も、響いた。
そして、ヴァロウが、口を、開いた。
彼の声は、彼自身の声、ではなかった。彼の声に、低い別の声と、高い別の声が、混じっていた。だが、それでも、彼は、必死に、詠唱を、続けた。
「『最後の章よ、ここに、ひとつに、戻れ』」
3つの詠唱が、組み合わさった瞬間 ―― 水晶の柱が、爆発的に、光った。
海中のドームが、震えた。
床の紋様が、全体に、青白く、輝いた。
儀式が、本格的に、始まった。
◆ ◆ ◆
最初の異変は、ヴァロウから、起こった。
彼の体表の、青白い古代語の文様が、爆発的に、光り始めた。これまでは、薄く、蠢く程度だった文様が、今は、皮膚の上を、激しく、流れていた。書き換わり、増え、減り、また書き換わった。
そして ―― 彼の影が、再び、3つに、増え始めた。
俺は、視線を、ヴァロウに、移した。
……始まった。古代の流れが、活性化している。儀式の進行と並行して、彼の自我が、後退し始めている。
ヴァロウが、立ち尽くしたまま、低い声で、呟いた。
「私は……私は、ヴァロウ……」
そして、別の声が、彼の口から、漏れ出した。
「いや、私は ―― 千年前の、最後の儀式の、番人」
さらに別の声が、混じった。
「私は、最後の章の、守護者」
3つの声が、ヴァロウの口から、同時に、聞こえた。
アスランが、息を、呑んだ。
「ヴァロウ、お前 ―― 」
ヴァロウは、答えなかった。
体表の文様が、ますます、激しく、光った。透けていた肌の部分が、広がり始めた。彼の輪郭が、わずかに、ぼやけ始めた。
俺は、ステッキを、握り直した。
侵食、進行中。儀式中断は危険。だが、続行も、危険。彼の自我が、完全に、後退する前に、儀式を、完成させる必要がある。
水晶の柱が、さらに、強く、光った。柱の中の、無数の古代語が、空中に、解き放たれた。文字が、空中を、舞った。3人の周囲を、渦巻き始めた。
ヴァロウの体表から、漆黒の渦が、断片的に、噴出し始めた。
「ルミナ、ヤバい!」
アスランが、叫んだ。
「儀式を、続けるしかない」と、俺は、答えた。
「中断すれば、ヴァロウは、永遠に、半人半古代魔法のまま。続行するしか、ない」
「分かった!」
俺たちは、詠唱の、次の節に、入った。
◆ ◆ ◆
― ヴァロウの内面 ―
霧の中だった。
白い、青白い、無数の声の渦の、中だった。
私は、立っていた。
私の周囲に、千年前の祭祀者たちが、9人、立っていた。彼らが、口々に、何かを、囁いていた。
「来たれ、戻れ、ここが、お前の場所だ」
「我らは、お前を、迎える」
「お前は、もう、人間ではない」
「呑まれろ。呑まれて、本来の姿に、戻れ」
私は、自分の手を、見た。
手の輪郭が、霧に、溶けていた。指先が、青白い文字の渦に、変わりつつあった。
……これが、最後だな、と、私は、思った。
半年、私は、踏みとどまってきた。だが、ここまでだ。古代の流れは、強すぎる。私の自我は、もう、保てない。
私は、目を、閉じようとした。
その時、霧の遠くから、声が、聞こえた。
低い、淡々とした声と、明るい、力強い声。
「お前は、お前だ、ヴァロウ」
「お前を、一人にはしない!」
私は、目を、開けた。
霧の向こうに、二つの影が、見えた。
ルミナと、アスラン。
彼らは、霧の向こうから、私に、手を、伸ばしていた。
「ヴァロウ! 戻ってこい!」
「俺たちは、ここにいる!」
千年前の祭祀者たちが、私に、近づいてきた。彼らの手が、私の肩に、触れようと、伸びてきた。
私は、彼らの手を、振り払った。
「違う」と、私は、口にした。
「私は、ヴァロウだ」
「私は、千年前の番人では、ない」
「私は、ここに、生きている」
祭祀者たちが、わずかに、後退した。
私は、霧の向こうの、二人の影に、向かって、歩き始めた。
◆ ◆ ◆
― 祭壇室 ―
ヴァロウの体が、傾いた。
影が、4つに、増えた。彼の口から、複数の声が、絶え間なく、漏れていた。古代語が、流れ出ていた。彼の輪郭が、青白い文字の渦に、徐々に、置き換わろうとしていた。
アスランが、駆け寄ろうとした。
「ルミナ! 助けに行く!」
「待て!」
俺は、彼を、制した。
「触れれば、お前も、引きずり込まれる。古代の流れは、対なる者を、強く、引き寄せる」
「じゃあ、どうすれば!」
俺は、ステッキを、握り直した。状況を、瞬時に、分析した。
……儀式の最終節を、完成させれば、ヴァロウの自我に、戻る道が、開く。儀式は、3人の対なる獅子で、完成する。1人でも、欠ければ、不完全な統合になる。ヴァロウは、すでに、半分、向こう側にいる。だが、彼が、戻ろうとする意志があれば、最終節で、引き戻せる。
「アスラン、お前を、信じる」
俺は、振り返って、アスランを、見た。
アスランの目が、しっかり、こちらを、見ていた。
「ルミナ、俺、お前を、信じる。お前が、続けろって、言うなら、続ける」
「……ありがとう」
俺は、ステッキを、高く、掲げた。
「儀式の、最終節」
アスランも、両手を、構えた。
俺たち2人は、声を、揃えて、最後の祈祷文を、唱えた。
「『獅子の番い、3つに分かれし章を、ここに、ひとつに戻さん』」
「『光、影、その均衡を、対なる獅子に、託さん』」
「『呑まれし者を、ここに、引き戻さん』」
◆ ◆ ◆
水晶の柱から、3つの光の柱が、立ち上った。
1本は、銀色。1本は、漆黒。1本は、青白。
光、影、そして古代の流れ。3つの柱は、3人の頭上で、ひとつに、収束した。
収束した光から、千年前の祭祀者たちの、最後の章が、雪崩のように、3人に、流れ込み始めた。
俺の頭の中に、無数の数式と、概念と、構造が、瞬時に、流れ込んだ。多次元魔力構造論の、完成形。俺が、3年かけて、構築してきた理論の、千年前からの、その先まで、すべてが、一気に、満たされた。
アスランも、目を、見開いていた。彼の中にも、別の角度から、同じ知識が、流れ込んでいた。
そして、ヴァロウの内面で ――
◆ ◆ ◆
― ヴァロウの内面、最後の戦い ―
霧の中、私は、二人の影に、向かって、歩いていた。
千年前の祭祀者たちが、私の後を、追ってきていた。彼らは、私の足首を、捕まえようと、霧の中で、手を、伸ばしていた。
「戻れ、戻れ、お前は、我らの一部だ」
「最後の章は、お前の中に、ある。お前は、その器だ」
私は、立ち止まらなかった。
彼らの手が、私の肩に、触れた。私の輪郭が、再び、霧に、溶け始めた。
そして ―― 遠くから、二人の声が、響いた。
「ヴァロウ! 最終節、来てるぞ! お前、戻ってこい!」アスランの声。
「お前の意志があれば、戻れる」ルミナの声。
「お前は、お前だ、ヴァロウ」
私は、深く、息を、吸った。
祭祀者たちの手を、振り払った。霧の中で、私は、声を、上げた。
「私は、ヴァロウ。ヴァロウだ」
「千年前の番人では、ない」
「私は、ここに、生きる」
「私は、対なる獅子と、共に、生きる」
祭祀者たちが、驚いた顔を、した。それは、千年前の彼らが、想定していなかった、選択だった。
霧が、晴れ始めた。
霧の向こうの、二人の影が、はっきりと、見えた。
私は、最後の一歩を、踏み出した。
◆ ◆ ◆
― 祭壇室 ―
ヴァロウの体表から、漆黒の渦が、噴出した。
渦は、彼の体内から、ぐらりと、抜け出した。古代の流れが、彼の身体を、離れていた。
渦は、空中で、巨大な、形を、成し始めた。9人の祭祀者の、姿。古代の番人たち。彼らは、ヴァロウから、引き剥がされた、存在だった。
そして ―― 水晶の柱が、彼らを、再び、内側に、吸い込んだ。
9つの影は、水晶の中に、戻った。
水晶が、徐々に、青白い光を、失い、最後に ―― 砕け散った。
祭壇の中央に、何も、残らなかった。
ヴァロウは、立ち尽くしていた。
体表の文様が、薄れていった。透けていた肌の部分も、塞がっていった。影は、1つに、戻った。
彼は、自分の手を、見つめた。指の先まで、確かに、戻っていた。
そして、彼は、床に、崩れた。
「ヴァロウ!」
アスランが、駆け寄った。彼の肩を、強く、抱き起こした。
俺も、近づいた。
ヴァロウは、しばらく、目を閉じていた。それから、ゆっくり、目を、開けた。
目の色は、ほぼ、戻っていた。だが、瞳孔の縦の裂け目だけは、わずかに、残っていた。彼は、ゆっくりと、息を、吐いた。
「……戻れた、か」
声は、一つに、戻っていた。古代語が、混じることも、なかった。
俺は、彼の状態を、観察した。
……完全な人間には、戻っていない。瞳孔の異常、わずかな魔力残響。だが、自我は、完全に、彼自身のものに、戻っている。儀式は、成功。
「進行は、完全に、止めた」と、俺は、答えた。
「むしろ、回復に、向かっている。完全な人間に、戻ることは、ないかもしれない。だが、彼自身の人生を、続けることは、できる」
ヴァロウは、目を、わずかに、潤ませていた。
「君たちの、おかげだ」
アスランが、頭を、横に、振った。
「友達だからな、当たり前だぜ!」
その言葉が、祭壇室に、響いた。
ヴァロウは、しばらく、アスランを、見ていた。それから、わずかに、笑った。
今度は、人間の笑い方だった。
「……友達、か。久しぶりに、聞く言葉だ」
アスランが、にっと、笑った。
「これからは、いっぱい聞くことになるから、覚悟しろよ!」
◆ ◆ ◆
水晶の柱が、消えた後、祭壇室は、静かだった。
3人は、しばらく、その静寂の中に、いた。海中ドームの向こうで、海水が、ゆっくり、揺れていた。日光は、もう、深く、届いていた。最深部に、本来は届かないはずの光が、儀式が完了したことで、ドームを通して、差し込んでいた。
俺は、頭の中の、新しい知識を、整理していた。
多次元魔力構造論の、完全な体系。第十二層から、第二十四層まで。俺が、3年かけて辿り着いた入口の、その先の、すべて。古代の祭祀者たちが、千年前に、すでに、完成させていた、最後の章。
そして、それは、俺の中に、流れ込んでいた。
俺の研究は ―― 答え合わせの先まで、たどり着いていた。
「ルミナ」と、ヴァロウが、呼んだ。
「ああ」
「君の理論が、千年前の祭祀者たちの理論と、完全に、統合された。これは、君の理論の、完成形だ」
「ああ」
「君が、何をするか、興味深い」
俺は、しばらく、考えた。
「研究を、続ける」
「……それだけか」
「力を、誇示するつもりは、ない。世界を、変えるつもりも、今のところは、ない。俺は、研究者だ。新しい知識を、得たなら、次の研究に、進む。それだけだ」
ヴァロウが、わずかに、笑った。
「……君らしい」
アスランが、頭を、かいて、笑った。
「俺、お前、そういうところ、大好きだぜ!」
「……効率の問題だ」
「またそれかよ!」
アスランが、笑った。ヴァロウも、わずかに、口の端を、上げた。
俺は、ステッキを、握り直した。
「帰ろう」
「ああ」と、ヴァロウが、答えた。
「了解!」と、アスランが、答えた。
3人は、祭壇室を、後にした。
◆ ◆ ◆
影の塔を、3人で、抜けた。
岩窟の入口を、潜って、地上に、出た。
海岸の岩場、秋の夕日が、海面を、橙色に、染めていた。波が、岩を、静かに、打っていた。鴎の声が、遠くで、響いていた。
俺は、岩陰で、変身を、解除した。月光色の髪が、縮み、白と紫の衣装が、消え、可憐な少女の身体が、地味な38歳のおっさんに、戻った。
戻ってから、俺は、3人の場所に、向かった。
アスランは、すでに、海岸の岩に、座って、夕日を、眺めていた。ヴァロウも、その隣に、腰を下ろしていた。
俺は、彼らの隣に、腰を下ろした。
しばらく、3人は、無言で、海を、眺めていた。
そして、レオンが、口を、開いた。
「これから、どうする」
ヴァロウは、しばらく、考えてから、答えた。
「私も、ラフェルトに、行ってみたい」
「バルザックという、ギルドマスターに、会ってみたい。君らの話を、聞いていて、興味が湧いた」
アスランが、声を、上げた。
「いいぜ! 一緒に帰ろう!」
「君らに、迷惑をかける、わけにはいかない」
「迷惑とか、関係ねぇだろ! 友達だぜ、俺たち!」
ヴァロウが、しばらく、アスランを、見ていた。それから、わずかに、頷いた。
「……ありがとう」
俺も、頷いた。
「ラフェルトのバルザックは、お前のような事情を、受け入れる男だ。彼に、相談すれば、お前の今後の居場所も、見えてくる」
「……ありがたい」
3人は、しばらく、夕日を、眺めていた。
海面が、橙色から、徐々に、紫紺色に、移り変わっていった。
―― 獅子は、3頭、揃って、帰路に、つく。
俺の内心で、その言葉が、静かに、降りてきた。
章2の、千年の答え合わせは、完了した。
3人は、立ち上がり、海岸沿いの道を、戻り始めた。
明日、カルメルへ。明後日、ラフェルトへ。
新しい段階が、始まろうとしていた。
背後で、影の塔が、ひっそりと、海岸に、立っていた。
千年前の祭祀者たちの、最後の章は、もう、そこには、なかった。
それは、3人の中に、流れ込んでいた。




