第16話:新しい居場所
ラフェルトの夕方の街は、いつもの活気に、満ちていた。
城門を抜けた俺たちは、馬を貸し馬屋に預けた。そこからは、徒歩で、ギルドへ向かった。
3人で並んで歩く。アスランは、いつものように、活発に、街を見回している。俺は、ステッキを布で包んだ状態で、肩に背負っている。そして、ヴァロウは、フードを浅く被っていた。だが、瞳孔の縦の裂け目は、フードの下からでも、すれ違う者の目を、引いた。
商店の前に立っていた老婦人が、俺に気づいて、軽く頭を下げた。
「あら、レオン様、お帰りなさいませ」
「ただいま」
そして老婦人の視線が、自然に、ヴァロウへ移った。
彼女の表情に、ほんの一瞬、驚きが走った。だが、すぐに、彼女は、視線を、丁寧に、外した。失礼にあたらない速度で。
俺たちは、歩き続けた。
ヴァロウが、ふっと、息を吐いた。
「……予想していたが、視線が、痛い」
アスランが、軽く、彼の肩を叩いた。
「気にすんな! ここの人ら、すぐに慣れるぜ! バルザック爺さんの作った街は、変な奴に慣れてる」
「変な奴、というのは、どういう意味だ」
「ほら、たとえば、おっさんなのに魔法少女の格好で戦う奴とか?」
俺は、無言のまま、歩いた。
ヴァロウが、わずかに笑った。
「……そういう、意味か」
「だろ! お前なんか、可愛いもんだぜ!」
「可愛い、と言われたのは、何年ぶりか分からない」
俺は、ステッキを背負い直しながら、低く言った。
「アリアとバルザックには、先に話を通す」
3人は、ギルドへ向かう道を、足早に進んだ。
◆ ◆ ◆
ギルドの扉を、押し開けた。
夕方のギルドは、まばらだった。冒険者が数人、酒場で食事をしていた。掲示板の前にも、誰もいなかった。
受付に、アリアがいた。
彼女は、扉の音に、顔を上げた。そして、俺たち3人を見て ―― いつもより、明らかに、表情が、柔らかかった。
アスランが、先に、駆け寄った。
「ただいま、アリア!」
「お帰りなさいませ、アスラン様、レオン様」
彼女の声には、職業的な慣用句以上の、温度があった。視線が、俺の全身を、丁寧に確認した。怪我の有無、装備の状態。それから、隣の、ヴァロウへ移った。
そこで、アリアの視線が、わずかに、止まった。
ヴァロウの瞳孔の縦の裂け目、首筋に薄く残る古代語の文様の名残。観察眼の鋭い彼女が、それを見逃すはずがなかった。
だが、彼女は、表情を、変えなかった。
俺は、紹介した。
「彼は、ヴァロウ。狼煙の塔以来の旅の仲間だ。バルザックに、紹介したい」
アリアは、ヴァロウに、姿勢を、整えて、向き直った。
「ヴァロウ様、初めまして。受付のアリアと申します。お見知り置きを」
その挨拶は、完璧だった。声音、姿勢、視線の角度。彼女が、新規の冒険者を迎える時の、いつもの形だった。ヴァロウの容姿について、特別な反応は、一切、なかった。
ヴァロウは、しばらく、彼女を、見つめていた。
そして、低く、口を開いた。
「……君は、私を、見たまま、受け入れたな」
アリアは、わずかに、首を傾げた。
「業務上、お客様の容姿について、判断を加える立場には、ございません」
ヴァロウが、わずかに、笑った。
「それは、優れた、職業倫理だ」
「光栄に存じます」
アスランが、横で、にっと笑った。
「だろ! アリアさん、すげぇ良い人なんだ! ルミナと、似てるんだ!」
アリアの瞳が、わずかに、揺れた。アスランの「ルミナと似ている」は、もはや、彼女の中では、ある種の決まり文句になっていた。
「アスラン様、その例えは ―― 」
「事実だろ?」
「……光栄に、存じます」
アリアは、わずかに、口元を、緩めた。
5年で、3度目の、微笑みに近いもの。
俺は、内心で、軽く息をついた。
……アリアの中で、ヴァロウの存在も、自然に、受け入れられた。彼女の職業倫理と、人としての懐の深さは、本物だ。
「バルザックは」
「執務室にいらっしゃいます。お通しいたしますね」
アリアは、奥の扉へ、3人を案内した。
◆ ◆ ◆
執務室の扉を、押し開けると、バルザックは、机の向こうで、エールのジョッキを、ゆっくり、口に運んでいた。
彼は、俺たち3人を見て、ジョッキを、置いた。
「戻ったか」
「ああ。ヴァロウを、紹介する」
バルザックの視線が、ヴァロウへ、移った。
彼は、しばらく、無言で、ヴァロウを、見ていた。
50代後半、元A級冒険者、辺境のギルドマスターとして長年、人を見てきた目。その目が、ヴァロウの全身を、上から下まで、丁寧に、観察した。
瞳孔の縦の裂け目。首筋の文様の名残。立ち姿に残る、わずかな、ぎこちなさ。半年前の状態の、余韻。
バルザックは、長く、息を、吐いた。
「……変わってるな、お前さん」
ヴァロウは、深く、頭を、下げた。
「説明させてくれ」
俺が、簡潔に、状況を、説明した。古代魔法に半ば呑まれた研究者。光の塔の器に、対なる者がいない状態で、触れた。半人半古代魔法の境界に置かれた。儀式で、進行は止めた。だが、完全な人間には、戻っていない。自我は、安定している。
バルザックは、説明を、最後まで、黙って、聞いた。
聞き終えて、彼は、もう一度、長く、息を吐いた。
「ふん。そういうことか」
「異論があれば、聞く」と、俺は、続けた。
「異論? 何を、言ってるんだ、お前さん」
バルザックは、わずかに、笑った。
「俺は、お前さんの判断を、信じている。お前さんが、連れてきた男だ。それで、十分だ」
ヴァロウが、息を、呑んだ。
バルザックは、ヴァロウに、視線を、戻した。
「お前さん、ラフェルトに、居場所が、欲しいか」
ヴァロウは、しばらく、答えなかった。
「……いや」
俺たちは、彼を、見た。
「私は、ただ、君らに、挨拶に来た。これからの居場所は、自分で、考える。世話になる、わけには、いかない」
バルザックが、ふん、と、笑った。
「そういう男か、お前さん」
「……」
「ならば、提案がある」
バルザックは、机の引き出しから、別の羊皮紙を、取り出した。
「ラフェルトのギルドには、図書室がある。一階の奥だ。古代魔法関連の書物が、わずかにあるんだが、長年、誰も整理していない。本の登録、修復、目録の作成 ―― そういう、地味で、地道な仕事がある。司書補佐の役職、ということだ」
ヴァロウが、目を、見開いた。
「給与は、出さん」と、バルザックは、続けた。
「だが、宿代と食費は、ギルド負担だ。お前さんが、好きな時に、好きなだけ、研究を続けられる環境を、提供する」
「……それは、ありがたい申し出だが」
ヴァロウは、慎重に、言葉を選んだ。
「見ず知らずの私に、なぜ、そこまでの厚意を」
バルザックは、エールを、ジョッキで、軽く、揺らした。
「お前さんが、レオンの旅の仲間で、辺境のギルドに、恥をかかさない人物だ、と俺が判断したからだ」
彼は、ヴァロウの目を、まっすぐ見た。
「理由は、それだけで、十分か」
ヴァロウは、しばらく、彼を見つめた。それから、深く、頭を、下げた。
「……ご厚意に、感謝する」
「あと、一つ」と、バルザックは、軽く付け加えた。
「お前さん、人の視線が痛いことは、分かってるな。最初の数週間は、慣れるまで、辛いかもしれん。だが、ラフェルトは、変人を、長く、受け入れてきた街だ。耐えてくれ」
「了解した」
ヴァロウは、もう一度、頭を、下げた。
俺は、彼の姿を、横で、見ていた。
……バルザックの懐の深さ、25年前の戦場で培われたものだろう。彼は、見た目で人を判断しない。だが、結果に対しては厳しい。ヴァロウは、彼の信頼に応える働きをする ―― と、俺は、確信していた。
◆ ◆ ◆
執務室を出ると、アスランが、不意に、口を開いた。
「俺、思いついたんだけどさ」
俺は、彼を、見た。
「何を」
「3人で、しばらく、ラフェルトに、腰を据えてみねぇか?」
アスランは、ぴょんと、跳ねるように、振り返った。
「影の塔も終わったし、急ぐ旅もない。ヴァロウは、図書室で研究、俺はギルドの依頼を細々と受ける、お前は ―― 」
「……」
俺は、しばらく、考えた。
「俺は、研究の整理と、新しい理論の構築。多次元魔力構造論の、完成形を、文書化する必要がある」
「だろ! 一緒にやろうぜ!」
ヴァロウが、ぱっと、明るい顔をした。
「私も、それに参加できると、ありがたい」
「研究の整理、3人でやれば、捗るな!」
アスランの声が、弾んでいた。
俺は、3人を、見ていた。
……長期的に、ラフェルトを拠点とする生活。研究の整理と、3人での共同作業。これは、悪くない選択だ。
「決まりだな」と、アスランは、満足そうに頷いた。
「当面、ラフェルト拠点で!」
◆ ◆ ◆
その時、バルザックが、執務室から、顔を出した。
「レオン、もう一つ、話がある」
「ああ」
俺は、執務室に、戻った。アスランとヴァロウは、廊下で、待っていた。
バルザックは、机の引き出しから、別の羊皮紙を、取り出した。封蝋に、王家の紋章が、刻まれていた。
「これ、お前さんに、来ている。3日前に、王都から、急ぎで届いた」
俺は、羊皮紙を、受け取った。封を、切った。
中身を、読んだ。
宰相直筆。マクシミリアンの勇者称号、3日後に、王家として、正式剥奪。新勇者選定の、最終段階。光の獅子・ルミナ・レオニス殿に、新勇者候補として、正式に、打診したい。返答を、急ぎ、お願いしたい。
俺は、しばらく、書状を、見つめた。
……想定通り。早い動きだ。だが、答えは、変わらない。
「丁重に、お断りする方向で、回答を頼む」
バルザックが、頷いた。
「了解した。お前さんが、新勇者を、受けないことは、想定済みだ。リオネル経由で、適切に、伝える」
「ありがたい」
俺は、書状を、彼に、返した。
バルザックは、書状を、机に置いた。それから、ぽつりと、付け加えた。
「お前さん、新勇者を、受ける気は、本当に、ないんだな」
「ない」
「理由を、聞いてもいいか」
俺は、しばらく、考えた。
「俺は、研究者だ。新勇者の役職は、研究の時間を、奪う。それだけだ」
バルザックが、笑った。歯の欠けた、無骨な笑い方だった。
「お前さん、本当に、変わってないな。3年前、勇者パーティーから追放された時も、こういう奴だったんだろう」
俺は、答えなかった。
バルザックは、続けた。
「だからこそ、俺は、お前さんが、新勇者になるべきだ、とも、思う。今の勇者の称号は、お前さんのような男にこそ、似合う」
「……」
「だが、お前さんの選択は、お前さんのものだ。お前さんが、研究を続けたいなら、俺は、それを支える」
「ありがたい」
俺は、執務室を、退出した。
◆ ◆ ◆
夜、3人で、ギルド隣の食堂で、食事を取った。
食堂は、地元の冒険者や、商人で、賑わっていた。煙のついた木の梁、酒の匂い、肉を焼く音。
3人は、奥の卓に、座った。
食事が運ばれてくる頃、食堂の人たちが、ヴァロウに、ちらちらと、視線を、寄越した。彼の瞳孔の異常、フードの下から見える文様の名残。
だが、誰も、声をかけたり、嫌悪を、表情で示したりは、しなかった。
むしろ、隣の卓に座っていた、年配の冒険者が、ヴァロウに、軽く頷いた。
「兄ちゃん、新顔だな。ラフェルトで、ゆっくりしていきな」
ヴァロウは、しばらく、彼を、見ていた。それから、ゆっくり、答えた。
「……ありがとう」
年配の冒険者は、ふん、と笑って、自分の食事に、戻った。
ヴァロウが、低く、呟いた。
「……この街は、変な街だな」
アスランが、にっと、笑った。
「ラフェルトは、いい街だぜ!」
俺は、ステーキを、フォークで切りながら、答えた。
「バルザックの色だ。彼が、辺境のギルドマスターとして、長年、こういう街を、作ってきた。半人半古代魔法の研究者が来ても、誰も、特別扱いしない街だ」
ヴァロウは、しばらく、自分の周りを、見回した。年配の冒険者、忙しく動く給仕、酒場の主人、それぞれの会話、それぞれの生活。
「……長く、この街に、いてみたい」
低く、彼は、呟いた。
アスランが、ぱっと、彼に、振り返った。
「だろ! 俺も、最初に来た時、そう思ったぜ!」
3人は、しばらく、食事を、続けた。
食堂の窓の外、ラフェルトの夜の街並みが、見えた。家々の窓に、暖かい光が、灯っていた。
◆ ◆ ◆
食事の後、3人で、ギルド前の広場を、歩いた。
月が、雲の隙間から、差し込んでいた。広場の噴水が、月光を、わずかに反射していた。
ヴァロウは、しばらく、噴水を、眺めていた。
「……明日から、図書室で、整理を始める。良い書物が、あれば、いいのだが」
「バルザックが、所蔵を、誇りにしていた。期待は、できる」と、俺は、答えた。
アスランが、伸びをした。
「俺、明日、ギルドの掲示板、見に行くぜ。F級向けの依頼、適当に受けて、ラフェルトでの生活費、稼ぐ」
「お前は、もう、E級だろう」
「あ、そっか! 出世してたな!」
ヴァロウが、わずかに、笑った。
「明日から、それぞれの、新しい段階か」
「ああ」と、俺は、答えた。
3人は、しばらく、広場で、月を、眺めていた。
ヴァロウが、別れの挨拶を、口にした。
「では、私は、ギルドの宿舎へ、戻る。明日、また、会おう」
「ああ。お前の部屋、確認しておくか?」と、アスラン。
「いや、案内は受けた。一人で、大丈夫だ」
「分かった! じゃあ、また明日!」
ヴァロウは、軽く、頭を下げて、ギルドの裏手の宿舎へ、歩いて行った。
彼の影が、月光の下、長く、地面に、引いていた。
その影は ―― 1つだった。
俺は、しばらく、彼の背中を、見送った。
……ヴァロウの影、1つに、定着している。儀式の効果は、想定以上に、深い。
アスランが、ぼそりと、言った。
「あいつ、新しい生活、上手くやれそうだな」
「ああ」
「ルミナ、お前、明日から、どうする?」
俺は、しばらく、考えた。
「研究の整理。多次元魔力構造論の、完成形を、文書化する。長い作業になる」
「じゃあ、俺、お前の作業の手伝い、するぜ! 茶でも淹れたら?」
「……それは、ありがたい」
アスランが、笑った。
「お前の『ありがたい』、本気の感謝の時のサインだな!」
俺は、内心で、軽く息をついた。
3年前、追放された時 ―― 俺は、こうやって、辺境の街で、仲間と、月を眺める未来を、想像していなかった。
◆ ◆ ◆
俺は、宿屋の部屋に、戻った。
窓辺で、月を、眺めた。
明日から、ラフェルトでの、長期滞在が、始まる。研究の整理。多次元魔力構造論の、完成形の文書化。3人での共同作業。
王都の動きは、リオネル経由で、適切に管理されている。マクスの勇者称号剥奪、3日後。新勇者選定、最終段階。俺は、丁重に、断る。
章2の、千年の答え合わせは、終わった。
そして、新しい段階が、始まる。
―― 研究を、続ける。それが、俺の道だ。
俺は、内心で、その言葉を、繰り返した。
静かな決意だった。
月が、雲の隙間から、月光を、降らせていた。
俺は、窓を、閉じた。
明日から、新しい日々が、始まる。




