第12話:獅子が三頭揃う時
朝、カルメルの宿を出た。
港町の朝は、騒がしかった。漁師たちが、夜明け前から海に出ていたらしく、すでに、最初の獲物を、岸に並べていた。鴎が、空を、回遊していた。塩の匂いが、街全体を、覆っていた。
俺は、宿屋の女将に、馬を借りた礼を伝え、馬の腹を、軽く蹴った。アスランは、隣で、すでに、興奮気味だった。
「ルミナ、いよいよだぜ! ヴァロウとの再会、3頭目の獅子!」
「……ああ」
海岸沿いの街道を、東へ。3時間。
道は、徐々に、人気を失っていった。最初の1時間は、漁師町や、塩田が点在していたが、2時間目を過ぎると、もう、人家はなかった。道は、岩がちで、馬が、慎重に、足を運ぶ必要があった。
潮風が、肌に、塩を、付けていた。鴎の声も、徐々に、減っていった。
そして、3時間目の終わり、道の先に、巨大な岩場が、現れた。
海岸線の、突き出した、岩の塊。波が、その根本を、絶えず、打っていた。
岩場の中央に、ぽっかりと、口を開けた、大きな、岩窟があった。
そして、その入口の前に、男が、立っていた。
◆ ◆ ◆
ヴァロウだった。
半年前、光の塔で、最後に見た時より、彼の旅装は、ずっと、整っていた。深い藍色の外套、丁寧に整えられた革のブーツ、腰に下げられた革袋。半年前のぼろぼろのローブとは、別人のようだった。
だが、彼の目は、変わっていなかった。
片目が、金色。片目が、銀色。瞳孔の縦の裂け目も、残っていた。
そして、首筋から手の甲にかけて、青白い古代語の文様が、薄く、蠢いていた。
俺たちが近づくと、彼は、視線を、こちらに向けた。
「来たな、獅子の番い」
声は、半年前より、安定していた。複数の声が混じることも、口から白い光が漏れることも、なかった。
俺は、馬から降りた。
……今、俺は、ルミナの姿ではない。レオン・グラウとして、彼の前に立っている。彼が、俺の正体を、どう認識しているか、確認する必要がある。
俺は、ヴァロウの前に進み出た。
ヴァロウは、しばらく、俺を、見ていた。それから、彼は、わずかに、頭を下げた。
「……君が、レオン・グラウか」
俺は、答えた。
「ああ」
ヴァロウは、わずかに、微笑んだ。今度は、口の端が、不自然に広がる微笑みではなかった。普通の、人間の微笑みに、近かった。
「ルミナとは、別人だと、思い込もうとはしないのか?」
俺は、しばらく、考えた。
「あなたは、すでに、感じ取っていただろう」
ヴァロウは、わずかに、頷いた。
「半年前、光の塔で、君が変身した時、私は、君の中の、二重の魔力構造を、感じた。器に触れた者は、対なる者の存在を、深く認識する。君が、ルミナと同一の存在であることは、私には、最初から、明らかだった」
「……」
「だが、それは、誰にも、言わない。君が、伏せている事実を、私が、口にする理由は、ない」
俺は、彼の言葉を、しばらく、咀嚼した。
……信頼できる、と判断した。彼の現状は、人間の領域の外にある。だが、人間としての倫理を、彼は、保ち続けている。
俺は、短く、頷いた。
「ありがたい」
◆ ◆ ◆
その時、後ろから、アスランが、勢いよく、駆け寄ってきた。
「ヴァロウ! 元気だったか!」
ヴァロウが、こちらを、振り返った。
アスランは、馬から飛び降りて、ヴァロウの目の前に、立った。そして、彼は、ヴァロウの顔を、まじまじと、見つめた。
「うわぁ、すげぇな!」
ヴァロウは、しばらく、戸惑った顔をした。
「……何が、だ」
「目の色、すげぇ! 金と銀!」
アスランは、屈託なく、続けた。
「カッコいいな!」
ヴァロウは、しばらく、沈黙した。彼の表情は、明らかに、何と返事をすべきか、戸惑っていた。
「……そう、か」
「文様も、なんかすげぇし! 古代語だろ?」
「……ああ」
「俺、こういうの、大好きなんだ!」
アスランは、ヴァロウに、右手を、差し出した。
「ルミナの相棒の、アスランだ! よろしくな!」
ヴァロウは、しばらく、その手を、見ていた。
そして、ゆっくり、自分の手を、上げた。指先の青白い文様が、わずかに、揺れた。
彼は、アスランの手を、握った。
「……握手は、半年ぶりだ」
「マジか!」
アスランは、目を、輝かせた。
「じゃあ、これからいっぱい、握手しような!」
ヴァロウは、再び、わずかに、沈黙した。
そして、彼は ―― わずかに、口の端を、上げた。
微笑みに、近いもの。
「……それは、悪くない、提案だな」
俺は、その光景を、横で、見ていた。
……アスランの屈託のなさが、ヴァロウの人間性を、わずかに、引き戻している。彼は、半年、誰とも、まともに会話していなかったはずだ。アスランの存在は、彼にとって、想定外の刺激だ。
悪くない、と俺は、内心で、思った。
◆ ◆ ◆
岩窟の入口へ、3人で、近づいた。
アーチ状の岩の入口、自然のものではなく、明らかに、加工された痕跡があった。アーチの内側に、古代の銘文が、刻まれていた。
俺は、銘文を、読んだ。
「『光と影の均衡を保つ者へ。最後の章は、海の下に』」
狼煙の塔、光の塔と、系統が同じ祈祷文。だが、文面が、明確に、これが「最後の章」であることを示していた。
俺は、変身を、決断した。
「アスラン、ヴァロウ。少し、離れていてくれ」
「分かった」と、二人が、同時に頷いた。
俺は、岩陰で、ステッキを取り出し、詠唱を開始した。
第一節、1.4秒。第二節、並行展開。第三節、共鳴起動。
銀の光が、駆け上がった。白と紫の衣装、月光色の髪、銀色のステッキ。
ルミナ・レオニスとして、俺は、岩陰から出た。
アスランは、慣れたように、頷いた。ヴァロウは、しばらく、俺を、見ていた。
「……再び、君の魔法少女の姿を、見るのは、不思議な気分だ」
俺は、短く、答えた。
「効率の問題だ」
ヴァロウが、わずかに、微笑んだ。
「ああ、その理論については、半年前、君は、まだ、説明していなかったな。後で、ぜひ、聞きたい」
アスランが、笑った。
「お前も、その質問するのか! 俺と同じだな!」
ヴァロウ「……研究者として、当然の興味だ」
俺は、アーチの前に立ち、声に出して、銘文を、唱えた。
「『光と影の均衡を保つ者、来たりて器を満たさん』」
結界が、解けた。
俺たち3人は、岩窟の中に、足を踏み入れた。
◆ ◆ ◆
岩窟は、下へ、下へ、続いていた。
最初の50メートルは、ただの岩のトンネルだった。湿った空気、滴る水滴の音、岩肌に、塩の結晶が、薄く、貼り付いていた。
下るにつれ、空気が、変わっていった。塩の匂いが、強くなった。湿度が、上がった。そして ―― 青白い光が、徐々に、視界に、現れた。
トンネルの先、視界が、広がった。
俺は、思わず、立ち止まった。
巨大な、空間だった。
天井は、半球状の、透明なドーム。古代の魔法で作られた、ガラスのような、しかし水を完璧に遮断する、未知の素材。
ドームの外側は ―― 海だった。
俺たちは、海中にいた。
ドームの天井越しに、海水が、無数の魚と共に、ゆらりと、漂っていた。日光は、海面から、薄く、青く、差し込んでいた。深く、深く、青の世界。
ドームの内側、つまり俺たちが立っている場所には、海中遺跡が、広がっていた。
白い石造りの建造物、青白い古代魔法の光が、内部を、薄く照らしていた。祭壇、列柱、回廊、すべてが、千年前のまま、静かに、海の下に、保存されていた。
アスランが、声を、漏らした。
「……うっわ」
ヴァロウも、わずかに、目を見開いていた。
「……半年、私は、ここの入口の手前までしか、来ていなかった」
「単独では、踏破できなかったか」
「ああ。守護機構が、強力すぎる。海中という環境も、戦闘を、難しくしている」
俺は、ステッキを、軽く、握り直した。
……海中。物理法則が、わずかに異なる空間。古代の祭祀者たちは、この環境そのものを、試練の一部として、設計したのだろう。
そして、その時、ドームの遠くから、影が、動いた。
3体。
半魚人型の、海生型守護機構が、こちらへ、向かって、滑るように、移動してきた。水中を泳ぐような動き、しかし足元には、床がある。彼らは、海中の魔力の流れを、利用して、移動していた。
「来るぜ!」と、アスランが、声を上げた。
俺は、瞬時に、状況を、分析した。
3体、3方向から、ほぼ同時に襲ってくる。互いに連携している。単独では、捌けない。3人で、3方向を、分担する必要がある。
俺は、声を、上げた。
「アスラン、左! 俺が、中央! ヴァロウ、右!」
3人が、同時に、3方向へ、散開した。
◆ ◆ ◆
― 第五試行・トリオ初共闘 ―
左の半魚人型に、アスランが、突進した。
彼は、手の動作だけで、影の刃を、編んだ。
「『裂け、影!』」
3条の刃が、半魚人型の上半身を、切り裂いた。古代の機構が、青白い光を、零して、崩れた。
中央の半魚人型に、俺は、ステッキを、構えた。
「『銀獅の閃光』!」
銀色の光の柱が、放たれた。中央の敵は、頭部を、撃ち抜かれて、崩れ落ちた。
そして、右の半魚人型に ―― ヴァロウが、手を、上げた。
詠唱は、なかった。
ヴァロウの掌から、漆黒の渦が、生まれた。半古代魔法の力。古代の流れを、彼自身が、引き出していた。
渦は、半魚人型に、向かった。
触れた瞬間、敵は、内側から、解けた。輪郭が、消え、構成する魔力が、塵となって、ドームの床に、散った。
戦闘は、3秒で、終わった。
アスランが、声を、上げた。
「うっわ、ヴァロウ、お前、すげぇな!」
ヴァロウは、わずかに、息を、整えた。
「……古代の力を、借りた。それが、今の私の、唯一の利点だ」
「いやいや、すげぇぞ! 詠唱なしで、あんな破壊力!」
ヴァロウは、しばらく、アスランを、見ていた。それから、また、わずかに、口の端を、上げた。
「……ありがとう」
俺は、3人の連携を、頭の中で、反芻していた。
……即席にして、完成度が、異常に高い。アスランの速度、俺の精密、ヴァロウの破壊力。3つの軸が、自然に、組み合わさった。これは ―― 古代の祭祀者たちの、設計通り、なのか。
「次へ、進もう」と、俺は、言った。
3人は、ドームの奥の、回廊へ、向かった。
◆ ◆ ◆
― 同時刻・王都・宰相の執務室 ―
王都の中央、王宮の最深部、宰相の執務室。
厚い樫の扉、紋章入りの書棚、磨き上げられた机。その机の上に、分厚い羊皮紙の束が、置かれていた。
宰相 ―― 60歳前後の、白髪の男 ―― が、ゆっくり、束を、めくっていた。
横に、軍務卿リオネル・ヴェルが、立っていた。
「これが、すべて、事実なら ―― 」
宰相が、低く、呟いた。
束は、ヴィンセントが、3年かけて記録していた、勇者マクシミリアンの裏帳簿だった。情報屋から、複数の経路を経て、最終的に宰相の手に、届いていた。
「公式の調査で確認すれば、明らかになります」
リオネルが、軍人らしく、簡潔に答えた。
「日付、金額、関係者の名前。すべて、詳細に記録されています。捏造であれば、これほどの精度は、不可能でしょう」
宰相は、束を閉じた。
「マクシミリアンの、勇者称号を、剥奪する方向で、動く」
「了解しました」
「新勇者選定を、急がせる。ラフェルトの公開面会で、光の獅子殿の存在は、街中に知れ渡った。世論は、新時代の英雄を、求めている」
「光の獅子殿の処遇は、いかがいたしますか」
宰相は、しばらく、考えた。
「正式に、新時代の英雄として、王家公認の保護を、継続する。彼女の活動は、辺境の安定に、寄与している。むしろ、王家にとっては、ありがたい存在だ」
「承知しました」
リオネルが、退出する前、宰相が、低く、付け加えた。
「マクシミリアンが、もし、抵抗を試みれば ―― 」
リオネルは、振り返った。彼の目が、軍人のそれに、戻った。
「軍務卿として、それは、私が、対応します」
宰相は、頷いた。
「頼む」
リオネルは、退出した。
宰相は、机の上の裏帳簿の束を、もう一度、見つめた。
「……勇者の時代の、終わりだ」
彼は、低く、呟いた。窓の外、王都の街並みが、夕日に、染まっていた。
◆ ◆ ◆
海中遺跡、回廊の奥へ、3人は、進んでいた。
ヴァロウが、歩きながら、語り始めた。
「ここは、千年前の祭祀者たちが、最後の章を、隠した場所だ。彼らは、3つの塔を、作った。狼煙、光、そして影」
俺は、頷いた。
「3つの塔は、対なる獅子のための、試練の場、ということか」
「それと、もう1つ。彼らは、自分たちの理論を、3つに、分けて、隠した」
「なんで?」と、アスランが、問うた。
ヴァロウは、しばらく、考えてから、答えた。
「1つの場所で、すべてが、完成しないように」
「うん」
「自分たちの理論が、悪用されることを、彼らは、恐れたのだろう。3つの塔を、制覇できる者は、対の獅子だけだ。だが、対の獅子は、本質的に、悪意を持たない。それが、彼らの、設計だった」
俺は、その言葉を、咀嚼した。
……合理的だ。理論の悪用を、防ぐための、仕組み。対なる者の存在を、必要とすることで、孤独な野心家には、辿り着けない場所を、作った。
「対なる獅子が、本質的に、悪意を持たない、という根拠は」
俺は、ヴァロウに、問うた。
ヴァロウは、わずかに、笑った。
「対なる者を、得るためには、まず、自分の限界を、認める必要がある。1人では、たどり着けない、と。それを認められる者は、自我の暴走を、起こさない。古代の祭祀者たちは、そう、考えたのだろう」
「……俺が、対なる者を、得たのは、最近のことだ」
俺は、自然に、そう答えていた。
ヴァロウは、しばらく、俺を、見ていた。
「……3年、独力でやってきた、ということか」
「ああ」
「ならば、君は、自分の限界を、認めるのに、時間が、かかった」
「……ああ」
ヴァロウは、わずかに、頷いた。
「私と、似ているな。私も、半年、独力でやろうとした。結果、呑まれた。君は、私より、賢かった。手前で、止まった」
俺は、答えなかった。
アスランが、横で、ぼそりと、言った。
「……お前ら、似てんな、確かに」
ヴァロウが、笑った。今度は、自然な笑い方だった。
「アスラン。君が、いてくれて、よかった」
「うん? なんで?」
「君のような、屈託のない存在が、いなければ、私たちは、もっと、深く沈んでいたかもしれない」
アスランは、しばらく、その言葉の意味を、考えた。それから、彼は、頭を、かいて、笑った。
「よく分からねぇけど、褒められてるって、ことか?」
「ああ」
「じゃあ、ありがとな!」
3人は、回廊を、進んだ。
◆ ◆ ◆
第二階層への階段の前で、3人は、立ち止まった。
階段の先、青白い古代魔法の光が、最深部から、漏れていた。光は、薄く、しかし、確実に、強くなっていた。
ヴァロウが、しばらく、階段を、見つめていた。
「ここから先、私は、不安定になる、可能性がある」
俺は、彼を、見た。
「古代の流れに、再び、引かれる、ということか」
「ああ。最深部に近づくほど、私の中の、古代の流れが、活性化する。儀式で進行は、止めた。だが、完全には、戻していない。最深部の環境に晒されれば、再び、私は、呑まれる、可能性がある」
アスランが、ヴァロウの肩に、手を置いた。
「俺たちが、止めるぜ!」
ヴァロウは、しばらく、アスランを、見ていた。
「……頼む」
その声には、半年前にはなかった、何かが、含まれていた。
信頼、と呼ぶに、近いものだった。
俺は、ステッキを、握り直した。
3人で、階段を、降り始めた。
青白い光が、徐々に、強くなった。
海面下の遺跡の、さらに深部へ。
古代の祭祀者たちが、千年前に、隠した、最後の章へ。
―― 獅子は、3頭、揃った。
俺の内心で、その言葉が、静かに、響いた。
狼煙、光、影。3つの塔を、対なる獅子が、揃って、踏破する。古代の祭祀者たちが、千年前に、想定した瞬間が、今、訪れようとしていた。
3人の足音が、海中遺跡の、回廊に、響いた。
最後の章が、すぐ、そこに、あった。




