表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/16

第11話:沈む船の音

翌朝、ラフェルトの城門には、見送る者が、3人いた。


アリア、バルザック、そして、孫娘のような、街の子供が1人、母親に連れられて、こちらをじっと見上げていた。子供は、昨日の広場で「光の獅子様!」と叫んでいた、あの子供たちの中の1人だった。


俺は、地味な研究者の姿で、馬の手綱を引いていた。アスランは、自分の馬の鞍に、装備の袋を、丁寧に括り付けていた。


「お気をつけて」と、アリアが、静かに言った。


「世話になった」


子供が、母親に何かを囁いた。母親が、頷き、子供を、こちらへ、軽く押し出した。


子供は、もじもじしながら、俺に近づき、小さな包みを、差し出した。


「あ、あの、光の獅子様に……」


俺は、包みを受け取った。手作りの、ハンカチに包まれた、焼き菓子だった。


「ありがとう」


「お、お母さんが焼いた、メープルクッキーです。お、おいしいから」


子供は、それだけ言うと、母親の後ろに、慌てて、隠れた。


俺は、母親に、軽く頭を下げた。母親も、深く一礼を返した。


アスランが、ふっ、と笑った。


「ルミナ、よかったな!」


「……ああ」


バルザックが、低く言った。


「王家への報告は、リオネル経由で、適切に処理した。お前さんの行動について、当面、王家からの干渉はない。安心して、影の塔へ向かえ」


「助かる」


「気をつけて行ってこい」


俺たちは、馬上に上がり、城門を抜けた。


街道は、東を向いていた。秋の終わりの空気が、肌に冷たかった。冬の予感が、すでに、風の中にあった。


背後で、街が、徐々に、小さくなっていった。


◆ ◆ ◆


馬で並走するうちに、太陽が、頭の真上に来た。


アスランは、しばらく、口を開かなかった。彼にしては、珍しいことだった。


俺は、その沈黙が、何を意味するか、薄々、察していた。彼は、昨日の俺の様子を、ずっと、考えていたのだろう。


そして、彼は、ようやく、口を開いた。


「ルミナ」


「ああ」


「お前、昨日からずっと、なんか考え込んでるよな」


俺は、しばらく、答えなかった。


アスランは、続けた。


「無理に話さなくていいぜ。ただ、相棒が辛そうなら、気にはなるからな」


俺は、馬の手綱を、軽く、握り直した。


……この男は、踏み込まない優しさを、知っている。


俺は、しばらく、考えた。そして、最小限の事実を、告げることにした。


「あの勇者と、3年前、関わりがあった」


アスランは、目を見開いたが、追及はしなかった。


「……そっか」


短い沈黙、馬の蹄音だけが、続いた。


アスランは、しばらくして、ぽつりと、聞いた。


「お前さ、なんで剣気消すだけで、終わらせたんだ? もっと派手にやっても、よかっただろ。あいつ、お前を、相当苦しめたんじゃねぇのか?」


俺は、しばらく、空を、見ていた。


秋の青空が、薄く、雲を流していた。


「殺す気は、なかった」


「うん」


「3年前の俺と、今の俺の、力の差を示せれば、それで、よかった」


アスランは、ゆっくり、頷いた。


「……ふぅん」


それ以上、彼は、聞かなかった。


俺は、内心で、軽く、息をついた。


言葉にしてみると、自分の選択が、より、はっきりした。あれは、復讐ではなかった。3年前の俺自身に対する、答え合わせだった。マクスを傷つけることは、目的ではなかった。「3年前の俺は、無力ではなかった」ということを、自分自身に、証明する、必要があっただけだった。


マクスは、その証明のための、舞台装置に、過ぎなかった。


合理主義者として、それは、必要な手続きだった。


◆ ◆ ◆


― 同夜・王都 ―


マクシミリアンとブルーノは、夜遅く、王都に戻った。


城門は、表通りではなく、夜間用の小門を使った。マクスが、堂々と凱旋するわけには、いかなかった。


街に入ると、酒場の窓から、笑い声が、漏れ聞こえた。


「聞いたか? 勇者様、ラフェルトで完封されたってよ」


「ああ、光の獅子様の3割も、防げなかったらしいぞ」


「ハハ、3割って!」


子供の歌が、別の通りから、響いてきた。


「勇者様、3割で、ぼろ負け♪ 勇者様、3割で、ぼろ負け♪」


マクスは、その歌を聞いた瞬間、馬の手綱を、強く握った。手の甲に、青い筋が、浮き上がった。


ブルーノは、何も、言わなかった。


宿に着いた。


マクスが定宿にしていた高級宿。3年前、勇者凱旋の時には、宿の主人が直々に、出迎えた。今夜、出迎えた者は、誰もいなかった。受付の若い男が、書類仕事の合間に、軽く頷いただけだった。


マクスは、無言で、自室へ上がった。


ブルーノは、廊下で、しばらく、立ち尽くしていた。


◆ ◆ ◆


翌朝、マクスが目覚めると、枕元に、封書が、置かれていた。


聖女イザベラの紋章入り、白い封蝋。


彼は、しばらく、それを、見ていた。それから、封を、切った。


中の便箋を、読んだ。


 マクシミリアン様

 長きにわたるご厚誼に、深く、感謝申し上げます。

 聖女としての務めに、より一層専念するため、これまでのお付き合いを、ここで、終わらせていただきます。

 ラフェルトでのお話は、伺いました。お身体を、お大事になさってください。

 ご返事は、ご無用にございます。

 聖女 イザベラ


マクスの手が、震えた。


短い、礼儀正しい、冷たい絶縁状。


3年間、共に戦い、共に飲み、共に笑い、共にパーティーを支えてきた女が ―― これだけの文面で、彼を、切り捨てた。


マクスは、便箋を、握りつぶした。


そして、絶叫しようとして ―― できなかった。


叫び声を上げる気力が、湧かなかった。


扉が、控えめに、叩かれた。


ブルーノが、入ってきた。彼は、無言で、立っていた。


マクスは、握りつぶした便箋を、ブルーノに、突き付けた。


「読め」


ブルーノは、しわくちゃの便箋を、丁寧に伸ばして、読んだ。読み終えて、彼は、長く息を吐いた。


「……マクス様」


「お前も、出ていくのか」


ブルーノは、しばらく、答えなかった。


そして、彼は、静かに、答えた。


「私は、まだ、ここに、おります」


マクスは、頷いた。それから、彼は、ブルーノの目を、見た。


ブルーノの目には、忠義が、残っていた。だが、それと同時に ―― 疑問も、宿り始めていた。


マクスは、目を、逸らした。


「……出ていけ」


ブルーノは、深く一礼して、部屋を、退出した。


マクスは、枕元の絶縁状を、見つめていた。


3年前、追放されたあの男 ―― レオン・グラウは、何を、思っていただろうか。


その問いが、不意に、彼の頭に、降りてきた。


マクスは、その問いを、ぐっと、押し戻した。


違う、と、彼は、自分に、言い聞かせた。


俺と、あいつは、違う。


俺は、勇者だ。あいつは、雑用係だった。


違うのだ。


違うはずだ。


だが、その問いは、彼の中で、消えなかった。


◆ ◆ ◆


― 同日・魔術師団官舎 ―


ジュリアンの書斎は、深夜から朝まで、ずっと、明かりがついていた。


机の上には、灰色のノートが、開かれていた。今度は、もう、閉じられなかった。


彼は、ノートの数式を、丁寧に、読み込んでいた。横に、別の紙を広げ、自分の知識と、照合しながら、レオンの理論を、理解しようと、努めていた。


朝、扉が、軽く、叩かれた。


師匠 ―― 王立魔術師団長が、入ってきた。


「ジュリアン、何を、している」


ジュリアンは、顔を上げた。久しぶりに、まっすぐな目で、師匠を、見た。


「師匠」


「ふむ」


「私は、3年、間違った道を、歩いていました」


師匠は、しばらく、彼を、見ていた。それから、机の上のノートに、視線を、移した。


「ようやく、気づいたか」


ジュリアンは、息を呑んだ。


「……師匠は、ご存知だったのですか」


師匠は、机の脇の椅子に、ゆっくり、腰を下ろした。


「お前が、3年前、禁書庫から、レオン・グラウの理論ノートの写しを、密かに、持ち出したことは ―― 知っている」


ジュリアンは、息を、止めた。


「申し開きの、しようも、ありません」


「咎める気は、ない」


師匠は、低く、言った。


「お前が、いつか、この瞬間を迎えると、私は、信じていた。3年、待った。長かった」


ジュリアンの目が、わずかに、潤んだ。


「師匠……」


「私は、お前を、最初から、信じていた。お前が、自分の才能と、レオン・グラウの才能の、差を、いずれ認識すると」


「私は、3年、彼を見下していました」


「ふむ」


「彼の理論を、密かに写しながら、自分の方が優秀だと、自分に、言い聞かせていました」


「だが、今、お前は、ノートを、開いている」


ジュリアンは、机に手をつき、深く、頭を、垂れた。


「師匠、私は、改めて、学び直したいのです」


師匠の表情に、わずかな、安堵が、浮かんだ。


「よかろう」


「ありがとうございます」


師匠は、立ち上がり、扉へ向かった。退出する前に、彼は、一度、振り返った。


「ジュリアン」


「はい」


「お前の前任者、レオン・グラウは ―― 今、辺境で、生きている。彼の研究は、3年前の段階から、さらに、進んでいる」


ジュリアンの目が、見開かれた。


「……どこに、おられるのですか」


「言うわけ、ないだろう」


師匠は、わずかに、笑った。


「お前が、本当に、学び直す覚悟があるなら ―― いずれ、自然に、会う機会も、来る。それまで、ここで、地道に、ノートを、読み込め」


師匠は、扉を、閉めた。


ジュリアンは、ノートに、視線を戻した。


蝋燭の火が、ようやく、燃え尽きようとしていた。


彼は、新しい蝋燭に、火を、移した。


◆ ◆ ◆


― 同夜・王都・裏路地 ―


ヴィンセントは、王都の裏路地の酒場の、奥の卓に、座っていた。


向かいに、頭巾を深く被った男。情報の取引相手だった。男は、ヴィンスの差し出した、分厚い羊皮紙の束を、ぱらぱらと、めくっていた。


「これが、全部か」


「3年分だ。マクシミリアンの、女絡みの揉み消し記録、賄賂の受け渡し、商人からの違法な献金、貴族家への脅し、賠償金の横領 ―― 全部、日付と金額入りで、書いてある」


男は、ふっ、と、笑った。


「お前、よく、こんな記録を、3年も、こっそり、つけてたな」


「俺は、盗賊だ。情報を、握っておくのは、職業上の癖でな」


「で、いくら欲しい」


ヴィンスは、軽く、笑った。


「金貨300枚」


「ふん、相場通りだな」


男は、革袋を、卓の上に、置いた。重い音が、響いた。


「中身、確認するか」


「信用しよう」


ヴィンスは、革袋を、しまった。羊皮紙の束を、男に、引き渡した。


男は、立ち上がり、店を、後にした。


ヴィンスは、エールを、ゆっくり、口に運んだ。


……これで、マクシミリアンの公的な信用は、完全に、終わる。あの記録が、宰相筋に渡れば、勇者の称号は、王家から、剥奪される。法的な意味でも、あいつは、終わりだ。


ヴィンスは、自分の関わった部分の記録だけは、丁寧に、抜き取って、保管していた。彼自身が、追及される心配は、ない。


沈む船には、乗らない。


それが、彼の信条だった。


彼は、エールを飲み干し、店を、出た。


王都の夜風が、彼の頬を、軽く、打った。


新しい雇い主との、明日の打ち合わせを、思い浮かべた。


マクシミリアンの時代は、終わった。


だが、ヴィンセントの時代は、まだ、続く。


◆ ◆ ◆


南へ向かう街道、夜営の火の前で、俺は、星を、見ていた。


アスランが、火のそばで、干し肉を炙っていた。匂いが、夜風に、漂っていた。


「ルミナ、これ、食ってみろよ。山麓の村で買った、すげぇうめぇぞ!」


俺は、差し出された干し肉を、受け取った。一口、食べた。


「悪くない」


アスランが、笑った。


「お前、本気で『悪くない』って言うとき、絶対、美味い時だよな」


「……」


俺は、否定しなかった。


アスランは、また、笑った。


夜風が、火を、揺らした。馬の足音が、近くで、響いた。星が、平原の上に、無数に、輝いていた。


俺は、星を見上げながら、内心で、思っていた。


3年前、追放された時、俺は ―― こうやって、誰かと、夜営する未来を、想像していなかった。1人で十分、と、信じていた。


そして、今、火のそばに、もう1人いる。それも、悪くない、と、思えるようになっていた。


静かな、新しい感覚だった。


アスランが、干し肉を、もう一切れ、こちらに、差し出した。


「もう1つ、どうだ?」


「……ありがたい」


俺は、受け取った。


◆ ◆ ◆


旅の3日目の夕方、海岸沿いの町、カルメルに、到着した。


港町だった。塩の匂いが、街全体を、覆っていた。漁師たちの声が、港から、響いてきた。鴎が、空を、回遊していた。海面に、夕日が、橙色に、映っていた。


宿屋に着くと、女将が、カウンターから、声をかけてきた。


「お客様、レオン・グラウ様で、いらっしゃいますか」


俺は、わずかに、警戒した。


「はい」


「こちらの封書が、お客様宛に、届いておりますよ。3日ほど前に、若いお方が、置いていかれました」


女将は、薄い羊皮紙の封書を、差し出した。


差出人の名前は、書かれていなかった。だが、封蝋の意匠に、見覚えがあった。狼煙の塔の祭壇の銘文に、似た、古代語の刻印。


俺は、封書を、受け取った。


「ありがとう」


部屋に上がってから、俺は、封を、切った。


中の薄い羊皮紙には、短い文面が、書かれていた。


 獅子の番いへ

 影の塔の入り口で、待つ

 私は、まだ、私だ

 ヴァロウ


アスランが、肩越しに、覗き込んだ。


「来た! やっぱり、来てくれた!」


彼の目が、輝いていた。


俺は、文面を、もう一度、読んだ。


「私は、まだ、私だ」


―― 半年前、狼煙の塔で、彼が、自分自身に、繰り返していた言葉と、同じだった。


彼は、自分の人間性を、保ち続けている。儀式の後、彼は、王立魔術学院に戻ることも、独自に身を隠すこともできた。だが、彼は、再び、獅子の番いと、合流することを、選んだ。


俺は、内心で、軽く、息をついた。


「明日、影の塔へ向かう。海岸沿いに、東へ、馬で3時間」


アスランの目が、ぱっと、輝いた。


「やってやるぜ!」


俺は、頷いた。


窓の外、海が、見えた。


夕日が、海面を、橙色に、染めていた。


遠くの沖合に、小さな、影が、見えた。何かの遺跡の、一部かもしれなかった。


影の塔。古代の祭祀者たちが、千年前に、残した、最後の章。


そこに、ヴァロウが、待っている。


◆ ◆ ◆


夜、俺は、宿の窓辺で、ヴァロウの手紙を、もう一度、読んだ。


「私は、まだ、私だ」


その短い文の重みを、俺は、知っていた。


彼は、半人半古代魔法の境界で、必死に、自分自身を、保ち続けている。完全な人間には、戻れない。だが、完全に、呑まれてもいない。境界で、踏みとどまっている。


そして、彼は、再び、俺たちと合流することを、選んだ。


その選択の意味を、俺は、考えていた。


合理主義者として、俺は、人と人の関わりを、最小限に、保ってきた。3年間、それで、生きてきた。


だが、ここ最近、俺の周りに、人が、増えていた。


アスラン、バルザック、アリア、そして ―― ヴァロウ。


3年前、追放されたあの日に、戻る気は、ない。


だが、今の道は、3年前の俺が、想像していた未来とは ―― 違う、別の道に、なっていた。


悪くない、と、俺は、思った。


月が、雲の隙間から、海面に、差し込んでいた。


―― 獅子は、3頭、揃う。


明日の朝、影の塔へ。


古代の祭祀者たちの、最後の章が、そこで、開かれる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ