第8話 盲目
夕食を済ました後は、自室でゆっくりと趣味などをして時間をつぶす。
ちなみに俺の趣味はピアノである。自分の部屋には一台電子ピアノを設け、暇な時間に適当に弾いている。たまに誰もいない時を狙っては、学校のピアノを借りて弾くときもある。
俺が弾いていると、隣からことが覗き込んでくる。とても興味深そうに。
これまた余談だが、俺は誰かに見られていると途端に弾けなくなる。だから人前で演奏したりはほとんどしない。……そもそも楽器を演奏することに向いていないのかもしれない。
でも一人で弾くのは好きだ。気持ちが良い。
「……どうした?」
俺は一度演奏をやめ、ことに聞く。
「あ、指どうなってるのかなーと思って」
「あぁ、周りから見たら凄く指が動いているように見えるよな。俺もその気持ち分かる」
「うん! 絶対きゃべつの千切りとか得意だよね!」
「それは分からない」
「えーなんでよ。包丁を指と指の間に挟んで一気に切ったらすぐに終わりそうじゃん! 両手で八本だよ! 作業効率八倍だよ!?」
「それは危険行為だ! それこそ指がどうなってるのか気になるわ!」
時々とんでも発想をしてくることには参る。そんなことの相手をしているとふと今朝のことを思い出す。
「そうだ、こと。今朝のことなんだけど」
「あの、さっきからだじゃれつまんないよ?」
「別にだじゃれを言いたくて言ってるわけじゃない!」
話が脱線する前に本題を口にする。
「そうじゃなくて! 今朝なんだけど、夜月に会った時俺の後ろに隠れてたよな。それはどうしてなんだ? 別に隠れる必要は無かったと思うが」
「あー、あれね。なんか希音の顔を初めて見た時、ドキッてしちゃったの。それになんかこの人には見られてるっていう感覚もあったから、色々と恥ずかしくて隠れちゃった」
「夜月には見られてるっていうのが何となく分かったのか?」
「うん。あたしは普通の人には見られない。それが理解できたら、希音とか奏斗は他の人とはなんか違う感じが確かにするの」
「違う感じって、もっと具体的に言えるか?」
俺は気になってしまい、矢継ぎ早に質問をする。
「うーーん。なんかせいへきが違う!」
「性癖!?」
「あれ? 違うっけ? あ! 性質、かな?」
一瞬焦ってしまった。こんな女の子が「性癖」とか口にするなど、変な気分になりそうだ。
少し自分を落ち着けて再度問い質す。
「え、えっと、そうだ、性質……だな。もっと的確に言うなら、いわゆる天性的なものか」
「うん、えっと……多分、そんな感じ」
どこか曖昧に答える。
結局のところ聞いても分かりそうになかった。何か他の人とは違う要素があるのだろう。それを少し頭の片隅に置いておくことにした。
* * *
次の日、昨日と同じく学校へ登校し無事到着。通学途中にあったモールは安全の確認が取れたのか、明日から営業を再開するとの情報が耳に入った。
それにしても今日も今日とて希音が可愛い。可憐だ。仕草から容姿まで俺のタイプに刺さっている。
彼女の背を後ろからうっとりと見つめてしまう。
しかし希音はことに寄り添い俺とは進展なし。まぁそれは当然だが。
(なんか二人はお似合いに感じちゃうんだよなぁ)
大小並ぶ背を眺めると、ふとそう感じる時がある。学校の廊下を歩きながらぼんやりと二つの背を見つめていた時、誰かの肩に接触してしまった。
「あ、すみません」
ぶつかってしまった女子生徒に謝る。見た感じ三年生だ。
「……あなた、どこ見て歩いていたの? 節穴なの?」
すらりとした身の丈で、俺よりも若干背が高い。髪をかき上げ冷淡な視線を送ったかと思えば、一転して嘲笑が差し込む。
「あなたの目には、視覚の生体機能がついていないのよ。いえ、もしくはあの女生徒を好色な目で見るためだけのものだったのね。へえ、いいじゃないのそれでも。恋は盲目とも言うしね」
少し気の強い女の人らしい。しっかり前を見ていなかった自分に非があるが、しかし相手の勝手な言い様には否定せざるを得ない。
「あ、あの俺、そんなんじゃないです」
「あら、一人の可憐な女の子を舐めまわすように見つめ、後ろから屍のようにふらふら付いて歩く。『自分はそんなんじゃないです。れっきとしたストーカーです』とでも訂正させたいの?」
「い、いや、そういう訳じゃ……」
(自分からストーカーですとか名乗りだすやついるかよ!)
さすがに口には出来なかったが、思いっきりツッコませて頂いた。
にしても、確かにこの人の言うことにも一理ある。周りからしたら俺が一人歩く女子を付け回しているように見えるだろう。だとしてもあの表現に行きつくまでのことはしていない。決して。濡れ衣だ。
俺が口出しできずにいると、彼女は興味が失せたように歩き出し。
「ま、そんなことはどうでもいいのだけれど。私は無駄に時間を浪費している場合じゃないの。それじゃあ、せいぜい独り付け回しながら余生を楽しみなさい」
去り際に皮肉を残していった。
(……俺はまだまだこれからだぞ!)
性格が特徴的すぎてしばらく記憶に残りそうだ。
圧倒されつつも辺りを見回した時、希音とことの姿が見えない。いつの間にか置き去りにされてしまったらしい。すごく寂しい。
(お、俺は独りじゃないぞっ!)
あの女に無理矢理現実を突きつけられた感じがした。
泣きたくなる感情を振り切るためにも、俺は教室へ駆け出した。
* * *
朝のホームルームが終わると、今日はちゃんと定刻通りに来た睦が昨日の如く駆け寄ってきた。
「なあ奏斗! 聞いたか!? 今度はあそこの洋服屋が被害に遭ったんだとさ!」
「洋服屋?」
「あぁ、この前のあのモールで事件が起きたばっかりだろ? それが今度は洋服屋で万引き事件だ」
「はぁ、まじか。なんかここ最近治安悪くね?」
「ああ。もしかしたらこの辺りに何か画策してるやつがいるのかもな。例えば、この町を奪いにきた宇宙人だとか!」
窓の向こうの広大な空を思いっきり指さして豪語する。
「お前、UFOキャッチャーに引っ張られすぎだろ」
「あ、ごめん今の素だわ」
「それこそもう病気だろ……」
俺は小さく呟く。
「そう、UFOで飛来してきたんだ。それでこの町ごと釣りあげる気だ……!」
「それが宇宙人の何のためになるんだよ」
「それは知らん」
両手を掲げ、無責任に考えを放棄する。すると睦は笑って俺の肩に手を置く。
「俺には何も分からんから、今こそ! 私立探偵、奏斗様の出番だな!」
「俺がそんなこと出来る訳ないだろ?」
「あだっ!」
俺も真似して微笑みながら睦の肩に手を思いっきり置く。
そんな騒がしい睦との交流を終え、授業が始まるまでぼーっとしつつも、少し気になってしまい。
「なぁこと、気を付けろよな。最近なんか物騒だから」
「うん」
ひっそりと声を潜めて少女に伝えた。
* * *
四時間目、授業開始の合図が鳴った。それと同時に男の先生が教室に入ってくる。
(あれ? あの先生って……)
先生は静かに教卓の前に位置すると教室全体を見回す。
この時間は化学基礎の時間だがいつもと先生が違う。それにこの先生は一年生の物理基礎担当だったはずだ。
何事かと思っていた時、先生が挨拶を始めた。
「皆さん、こんにちは。普段と違う先生が来て驚いたかと思います。いつも化学基礎を担当されていた岡田先生は、体調不良により、当面の間お休みされることになりました。急なお知らせになってしまい申し訳ありません。従って、今後の授業はこの私、夕張恒、が担当致します。よろしくお願いします」
夕張先生は黒板に自分の名前を書き、軽くお辞儀をした。
確か今年から、この学校に勤務されている先生だ。だからまだ関わりが少ない。ちらっとどこかで目にしたくらいだ。背丈の高い先生という印象があるくらいだ。
「まだ皆さんとは関わりもゼロに等しいので、もう少々自己紹介をさせてください。今年の四月から本校に着任しました。普段は一年生の物理基礎を担当しています。学生の頃は物理学を専攻していました。現在は高校教師をしておりますが、本業は研究です。世界の成り立ちについて研究をしています」
話を聞いている感じとても頭の良さそうな先生だ。物腰も柔らかで優しそうである。
「……と言ったところで、私のつまらない話はこの辺りにしておきましょう。おっと、大事なことを言い忘れていました。私のことは是非、夕張メ〇ンと呼んでくださいね」
「……は?」
つい間抜けな声が漏れてしまった。しかし他のメンツも同様の反応をしていて。
「あ、あれ? ウケてない……。私の、渾身のギャグが、ウケてない……?」
先生は自爆したのかその場で膝から崩れ落ちる。先ほどまでと先生の雰囲気がまるで違う。
これはもしかして。
「せ、先生! 大丈夫ですか! 俺は面白かったですよ!」
睦が率先して静寂を打ち破るように声を上げる。
「お、おお、あなたはなんとお優しい……。この夕張、感激ですっ!」
先生が顔を上げ、歓喜に満ちた眼差しを睦に注ぐ。
これは、あれだ。
この先生もあたおか種族の仲間なのかもしれない。
だが、それでも一教師だ。まさか、先生に限ってそんなこと……。
「で、でも先生。なんでいきなりあんなこと言いだしたんすか?」
睦が先生に尋ねると、先生は立ち上がり姿勢を正すと同時に、眼鏡をくいっと持ち上げ。
「私は頭のねじが外れているのですよ」
はい確定ー。
頭のおかしい人あるある、脈絡のない爆弾発言だ。
「だから日々冷たい視線を感じているのです。だからせめて、第一印象は良くしたいと思いまして、先ほどのような振る舞いをさせて頂きました。貴重なお時間を使ってしまい申し分かりません」
(いや、なんならその第一印象のせいで更に印象が悪くなるんだが)
もともと性格的におかしいならそれで始めから素直に貫けばいいものを。無理に良く振舞ったせいでギャップが生まれ、余計イメージが悪くなってしまうだろう。
「こほん、失礼しました。この通り、私はおかしな者です。時々意味不明な言動をとることがあるかもしれませんが、ご了承ください」
(ご了承できね――)
自分の胸の内で「ご了承できねえわ!」と思いっきりツッコもうとした。
しかし、ツッコミをすることは叶わない。胸の内でさえ遮られることになる。
何故なら――。
「バンッッ――!!」
――後ろから、机をたたくような打撃音が聞こえたから。
教室内に響き渡り、静寂が訪れる。皆が俺の後ろ、八重崎仁を見つめる。
誰もこの静寂を断ち切る術を持ち合わせていないかのように、ただ身動き一つ取らず、仁の方へ視線が注がれる。
気まずい雰囲気が漂う中、彼だけはあたかも普段通りの声を発した。
「……あ、あぁ、すまない。思ったより大きい音が出てしまったね。私は先生の仰っていることにご了承できないとツッコんだんだ。勢いあまって机を叩いてしまったが、強く叩ぎ過ぎた。力の制御は難しいね。……改めて、先ほどは失礼した。先生も、授業の進行を阻害して申し訳ありません」
仁は一度立ち上がって、皆に深く一礼する。
しかし、妙な違和感を覚える。仁はああ言ってはいたが、何かが引っかかった。
――ツッコミと言うよりかは、どこか憤りが含まれていたような。
「い、いえ、大丈夫ですよ。私は全く気にしていませんので。ツッコミも入れてくれてありがとうございます」
先生はまた打って変わって、穏やかな声音だ。いかにも教師らしい泰然とした態度だ。
「……では、気を取り直して、授業(雑談)を始めるとしましょう」
(なんだよ授業(雑談)って。また誰かの怒りを買うぞ……)
多少仁のことが気になりつつも、授業(雑談)という言い回しに嫌な予感を覚え、先生の言葉に耳を傾けた。
* * *
四時間目の異様な授業が終わった。
先ほどの授業は癖があり過ぎた。
一言で言えば、先生はかなりの自由人だ。
授業の冒頭は雑談から始まる。五十分授業の内半分を雑談に費やした。もはや冒頭じゃない。
自分の思想観を生徒に提唱しているようだが、全くもって授業に関係のない内容だ。
残りの時間はちゃんとした授業だ。だが、問題を解かせている間は、教室から出てどこかへ散歩しに行く。数分したらちゃんと戻っては来るが……。
問題しかない授業だが、事実、本来の授業自体は分かりやすいから何とも言えない。
(あの人癖強いな……)
先ほどの授業を思い返していると、後ろからすっと立ち上がる気配を感じた。
目をやると、仁が速やかに教室を出て行った。
(先生を追いかけたのか?)
仁は夕張先生が去った方角へ走って行った。表情はあまりよく見えなかったが、雰囲気は何となく重そうだった。
普段、のらりくらりとしている仁からこんな雰囲気が漂ってくるとは思っていなかった。
(まぁ、仁のことだ。大したことじゃないだろう)
変人を心配して損をするのはお決まり事項。気にせず昼食を摂ることにした。
――机の上に残った微かなヒビには気づくことなく。




