第7話 憧れのシチュエーション
「はい、じゃあ出席をとってくぞー」
先生が出欠確認をする。すると早速。
「伊藤。……あれ、伊藤いるか?」
先生が教室を見渡すが睦は見当たらない。
(あいつ、まだあそこにいるのか……?)
朝の通学中、近所のモールで遠吠えをしていた睦を思い出す。
呆れつつも少し心配していると、いきなり教室の後ろのドアが大きな音を立てて開かれる。
「……はあっ! せ、先生っ! 遅れましたあ!」
「お、おう。大丈夫か? 何かあったのか?」
「い、いえ! な、何もしてませんでした!」
「……? そうか。まぁ、次からは気を付けるんだな」
「はっ、はいぃぃ!」
睦は息を切らせながら、自分の席に着く。
なんか様子はおかしいけどそれはいつもの事。元気そうで何よりだ。
* * *
朝のホームルームが終わるとすぐ、睦が脇目も振らずにこちらへ迫ってきた。
「なあ聞いてくれよお! 朝ゲーセン行こうとしたらさ、何やら事件があったっぽくて入れなかったんだよお! 俺、ショックのあまりしばらく絶望の淵から這い上がれなかったんだよおお!」
「うん知ってた」
「ええ! 奏斗知ってたのお!?」
「ああ、だって睦が醜態を晒していたのを見てたからな」
「はあ!? 見てたのかよ! 俺を救い出してくれよお!」
「丁重にお断りする」
睦の前で手のひらを向ける。
「そんなあ! 俺あの後、警察に職質されたんだぞ! 『君はここで何をしているんだい?』って! あと一歩で冤罪になるところだった!」
「それは睦が悪い」
それもあって遅れてきたのかもしれない。いやむしろ警察が話しかけていなかったら一生ああしていた可能性も。
それにしても職質された事実には思わず笑ってしまう。
「……くっ。ははっ、睦、職質されたんだな」
「ああ! されたんだよ! 朝遅れたのもそれだ! 朝先生に、『何かあったのか?』って聞かれてさすがに言えなかったよ。なんか焦って変な返ししちゃったし……」
あの妙な言動はそれだったかと納得する。
「言えば良かったじゃん」
「言えるわけないだろ! 奏斗なら言うのか? 『すみません! さっきまで職質されてました!』って! みんなの前で! 公開処刑にもほどがあるだろ!」
「ははっ、そうだな」
睦はいつだって陽気だ。変人なのは確かだが人を笑顔にする力だけはあるのかもしれない。
「くっそ、せっかく自由が効くゲーセンを手に入れられたのに……。これじゃあしばらく使えないのかなぁ」
睦はいきなりぼやき始める。
「これを機に辞めよう」
「いや! ぜえったいにやめるもんか! 俺の命だぞ! 魂だぞ! 生きがいだぞ! UFOキャッチャーは!!」
「左様ですか。朝練とか結構大変だろうに。まだやってて驚いたよ」
「当たり前だろ? 『辞める』なんて言葉、俺の辞書には存在しない」
睦の朝練は何かのスポーツとかではない。
彼の朝練は「UFOキャッチャーをすること」である。
実は睦と言ったらUFOキャッチャーだ。UFOキャッチャー馬鹿だ。ほぼ毎日UFOキャッチャーの訓練に明け暮れているらしい。あほだ。
そして不思議なことに、睦はあのゲーセンをいつでも利用できるらしい。確か経営者と仲が良いとか聞いたことがある。
しかしそれだけで睦が自由に出入りできるのは、経営者としてどうかと思ったりもするがそれは考えないこととする。
(睦のことだからな。考えても無駄だ)
変人には変人なりの理由がある。そう割り切ると同時に一時間目開始の鐘が鳴った。
* * *
しばらくして、昼休みが訪れた。成り行きで、ことと希音と一緒にお昼を食べることになった。
場所は校庭の傍にあるベンチ。それもあって辺りには遮るものがなく、広々とした校庭を隅々見渡せる。その上、あまり人も通らない。
遮るものが無い方が都合がいいのだ。誰かがこちらに来ることを事前に察知できる。
数名、校庭で自主練している生徒が見受けられるが距離もかなり離れているし、会話も聞かれる心配がない。
(それにしても、まさかこんな日が訪れようとは……)
俺は、この時を夢見ていた。
そう。
それは希音と一緒にお昼ご飯を食べること――!
ことはいるが、それでも一緒の空間で食を共有している事実に感動せざるを得ない。
(それに周りから見れば、俺と希音が二人きりでご飯……。う、嬉しすぎるっ!)
女子と二人きりでベンチに座る。青年なら誰もが抱くであろうこの煌びやかなシチュエーション。
満を持して俺にもこの時がきた!
(ありがとう! こと!)
俺は胸の内で感謝しつつこっそりガッツポーズする。
ちなみに座り順は俺と希音がことを挟むようにして座っている。つまり実際には、子供一人分の空間が俺と希音の間に存在する。
この距離感ではカップルとは思われないかもしれないが、それは希音にとっても好都合だろうし、友達としてはちょうどいい距離感だろう。
(いつかはこの距離も埋めたいな……、なんて)
近いようで遠いこのキョリ。希音の横顔をちらりと見つめながらそう思った。
そんな彼女は、持参してきたお弁当の品を美味しそうに口に運ぶ。
左手で箸を運ぶ一連の動作は見事に洗練されていた。美しい所作そのものだ。上品で、食のマナーが徹底されているように感じた。
「夜月って、食べ方綺麗だな。箸の持ち方も上手」
「そ、そうかな……。……ありがとう」
「……?」
希音を褒めたつもりが、当人はそれほど嬉しそうではない。
褒め足りなかったか、あるいは言い方が悪かったか。誉め言葉も改善の余地ありだ。
それでも麗しい姿に見とれていると、ふと午前中の授業を思い出した。
「そういえば夜月、授業中は大丈夫だったか?」
「うん。楽しかったよ。もうことちゃんとは話さなくても意思疎通ができるかもしれない。ね、ことちゃん?」
「うん! あたし希音の言いたいことが分かる!」
「さすがだね。私のことちゃん」
「いつから夜月のことになったんだ……?」
希音とことはすっかり仲良しだ。今日が初めましてとは到底思えない程、息の合う二人だった。
希音はことの頭を撫でながら笑いかけている。こともくすぐったそうにしながらも、頭を撫でてもらっているのが嬉しいようだ。
ことは食事をとらないが三人で仲良く空間を共有していると、校庭から何やら大きな声が聞こえた。
「――危ない! 避けて!」
俺は何のことか分からず周囲をきょろきょろと見回す。
その時、頭上から何か迫ってくるものを感じた。何者かと、引き寄せられるようにそちらへ意識を向けようとしたが。
「あだっ!?」
時すでに遅し。対象物を捕らえる前に、脳天に強い衝撃を感じた。俺はそのまま地面に突っ伏す。
気配で分かるが、希音は既に距離をとっており見事に回避していた。
(希音……凄すぎる……っ……)
俺はしばらく立ち上がれないでいると誰かがこっちに駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「ごめんごめん! 大丈夫? 思いっきり蹴ったらそっちに飛んじゃってさー」
「あ、あぁ……。俺はなんとか無事だ。で、でも気を付けろよ」
「うん……。ほんとごめんね~」
痛みが治まり上半身を起こす。
すると目の前には見かけない女生徒がいた。しゃがみこんで俺と目線を合わせ謝っていた。
俺が無事であることが確認できたのか女生徒は立ち上がって呟く。
「ほんと、人様に当たっちゃうとか、久しぶりにやらかしたよ……。力加減ミスったなー」
俺は女生徒を見上げる。肩につくくらいのふんわりとした髪。身長は俺と同じくらいで、引き締まった身体が特徴的。筋肉もしっかりついていてかなり運動系の人だと察する。
そこで俺はふと気づく。もしかしたら上の学年かもしれない。制服を着ていたらリボンの色で判断できるが、彼女はどうやら部活用の運動着を身に付けているから判別不可だ。さっきはため口を使ってしまったが。
「あ、あの何年生ですか?」
「え? うち? うちは二年生だよ。二年生の新見奈優って言います! 奈優で良いよ。よろしくね!」
「あ、同学年か」
「うん、二年生でしょ?」
「あ、あぁ、二年の駿河奏斗だ。好きなように呼んでくれて大丈夫だ」
「――えっ?」
「駿河、奏斗だ。人の名前って聞きづらいよな。まぁよろしく」
「あ、あっ! そう、そうなの! ほんと、聞いたことない苗字とかだと余計だよね。……駿河くん、ね! 覚えましたっ」
「……?」
確かに珍しいかもしれない。だが、駿河湾とかあるし聞きなじみはありそうだが、少したじろいでいるように映った。
少々引っかかっていた時、すかさず奈優は声を発する。
「それで、そちらの彼女は? もしかして駿河くんのお相手だったり……?」
「ぶっ!」「え、ええ!?」
奈優は茶目っ気たっぷりな表情をしていた。それを聞いた希音も若干頬が染まっている気がする。
俺はつい焦ってしまい。
「い、いや! そんな訳ないだろ! ただの友達だ!」
いかにも自分の好きな人ですと言っているようなもんだった。
「ふーーん。ま、そういうことにしといてあげよう」
奈優は含んだ言い回しをして、俺の肩をポンポンと叩く。
これは勘づかれたか。早く話題を変えたい。
「わ、私は夜月希音って言うの。よろしくね、奈優さん。ところで、奈優さんはさっき何をしていたの?」
俺が話題を変えようとしていたら、希音がうまく話を逸らしてくれた。ナイスすぎる。
「あ~、うちさっきまでサッカーしていたの。試しに蹴ろうとしたら思いのほか飛んでいっちゃって」
「サッカーの練習?」
「あ! ううん、ただ遊びでやってただけ。うちバレー部だから」
「「バレー部!?」」
「え、なにそんなに驚き?」
それもそうだ。なんでバレー部なのにサッカーをしているんだ。バレー部は主に手を使うんじゃないのか? 知らんけど。
「どうしてサッカーをしていたんだ?」
「え、なんか急にやりたくなって」
「……それだけ?」
「それだけ」
聞き返すも短く肯定を示す奈優。
「だって、したくなったんだもん! 君たちだってそうでしょ? 遊びたくなったら遊ぶ! それと同じ!」
「そ、そうなんだ」
「そうなんです!」
ふくよかな胸を自信ありげに反らす。自分の主張が正しいと言わんばかりの宣言だ。もしかするとこういう人柄なのかもしれない。
その時奈優は急に思い出したのか「あっ!」と声を上げる。
「そうだ! うちまだお昼食べてないじゃん! やっぱ運動する者ほど、三度の飯より練習! とか言ってらんないからね! 飯は三度とるべき! 日々の練習より三度の飯! それじゃあうちは行くから。またどこかであったらよろしくね! んじゃ!」
そんなセリフを残し、颯爽と走り去った。……とても速い。
それよりもなんか極論を提唱していたが、それが奈優らしさ、なのだろうか。
「いっちゃったね」
奈優の姿が見えなくなると、ことは話し始めた。
「元気なお姉さんだったね。でもやっぱり、ことちゃんは見えていなかったみたい……」
希音は少し声に陰りが混ざる。
「あたしは大丈夫だから! 奏斗と希音だけに見えてればそれで十分!」
そう言ってことは希音を励ます。
「……うん、ことちゃんは強い子だね」
希音はいつも通りことの頭を撫でる。同時に表情が崩れることを見てると、それが気に入ったのかもしれない。
* * *
無事五・六時間目を終え、放課後がやってきた。
放課後になった途端、希音とことは戯れ始める。それに僅かばかりの疎外感を覚え、教室から出てきてしまった。
(何やってんだか俺は。なんでことに対抗意識をもってるんだよ。相手は女の子だぞ! 子供だぞ!)
自分を押さえつけながら廊下を歩いていると大きな音が聞こえた。
そちらを向くと女の子がたくさんの教材を廊下にまき散らしてしまったらしい。俺の他に助けてやれる人も見かけないため、駆け寄った。
「大丈夫か?」
女の子は一年生用の制服を纏っている。とても小柄で逆に本やら教材やらに埋もれてしまいそうな感覚に陥る。
「……どちら様ですか?」
女の子は顔を上げると、そんな一声を発する。
「お、俺は――」
「もしかしてこの学校の生徒ですか?」
「もしかしなくてもちゃんとここの生徒だ!」
「そうですかー」
話を遮られるや否やおかしなことを聞く人だ。
「……そういえば何の御用でしょうかー」
「いや、教科書とか拾うの手伝おうと思って……」
「おーそうですかー。それはありがとうございますー」
目の前の女の子は廊下に座り込んだままお辞儀をする。
(ちょっとどこか抜けてる人なのか?)
そんなことを思いながら、廊下に散らばった教材を手に取る。
その時、教材に書かれている氏名が目に入った。
『奥ノ宮由愛』
その字面を脳が解読した瞬間、衝撃が走った。
「え、え! 君ってもしかして、あの奥ノ宮さん……!?」
「……? 私は私ですよ? あの奥ノ宮でも、この奥ノ宮でも、そのおく――」
「もういい! 分かったから!」
「……?」
何か面倒になる前に遮らせて貰ったが、本人に間違いないだろう。
実は奥ノ宮さんは勉強好きな界隈、否校舎全体でも知る人ぞ知る有名人だ。彼女は十五歳、中学三年生にして数学オリンピックで銅メダルを獲得している。
これは素晴らしい功績で日本でもニュースに取り上げられていた。だから今年の四月に、彼女が本校に入学しに来た話を聞いて信じられなかった。
何故この学校に来たのかが分からなかった。
あれこれ考えている間、奥ノ宮さんは黙々と教材をかき集めている。しかし行動一つ一つが非常にゆっくりで、これでは日が暮れてしまうのではないかと思ってしまった。
「……っと、ごめん、俺も手伝うわ」
「ありがとうございます。えっと……」
「駿河奏斗だ」
「おー、なんか実家が日本一深い所にありそうですねー」
「決して駿河湾なんかに住んでないからな! ちゃんと大地を踏みしめてるぞ!」
「そうですかー」
変なことを聞いてくるくせに、俺の訴えにはどうでもいいように素っ気ない返事をする。
(一体、どんな子なんだ?)
まだ出会って数分だが、既に性格に癖のある者だと理解できた。
本当に、頭脳明晰なのか疑ってしまうが、そんな疑念はすぐ晴れることになる。
奥ノ宮さんは大量の教材を持ち歩いていた。それらの本の表紙には、量子力学、特殊相対性理論、シュレディンガー方程式といった字面が見える。が、もちろん解読不能である。本当、何者ですかこの子は。
「それじゃあ私は用事がありますので失礼します。ありがとうございました、駿河先輩」
字面で早くも悩殺されかけた俺に、一方的に別れの挨拶が告げられる。
「あ、ああ……」
無事意識を引き戻せた。果たして彼女と会話は成立するのだろうか。
課題は学問だけに収まらない事実に頭が痛くなるのを感じた。
* * *
その後希音たちの下へ合流し、帰路につく。
背後にある太陽の位置は既に低く、間もなく日も沈むだろう。
足並みを揃え風にそよがれていると、図らずも目に入ってくるものがあった。
それは、俺たちの影だ。
アスファルトには二つの影が細長く伸びる。
「……」
小さな自然現象でさえも、気を抜くと感傷的になってしまう。
普段なら道端の石ころのように気にも留めないのに、どうしてこういう時だけ目に留まって気になってしまうのだろうか。
一人愁思に沈みかけていた時、当事者であるはずのことは活気を全身に漲らせ、希音とお話をしている。
(……ふっ、俺も少しは見倣わないとな)
少女の姿には説得力があった。
くよくよしていても仕方がない。そんな時間を無為に過ごすなら少しでも楽しいことに費やそう。
再び前を見据えて力強く足を踏み出した時、ことの声が耳に入ってきた。
「あたし、希音のお家に行ってみたい!」
「え?」
ことはとてもわくわくした目で希音を見つめる。対して希音の方は、少し戸惑っているようだ。
(希音の家、か)
俺も希音の自宅には伺ったことがなかった。
興味が無いと言えば、嘘になる。好きな人の家に伺えるのも、これまた憧れのシチュエーションだ。
厚かましいかもしれないが、ここはことの背中を押してみよう。
「こと、今から急に行くのは難しいんじゃないか? だから、別の日とかどうだ? な?」
「うん! そうだね。希音、お家に行ける日ある?」
きっと二人揃って眩しい視線を注いでいることだろう。
プレッシャーの強い眼差しにうろたえる希音はゆっくりと口を開く。
「……ごめん、それはちょっと、難しい、かな」
「行ける日、無いの……?」
「……うん、ごめんね」
衝撃の返答に二人して肩を落とす。
行ける日が無いというのは、いささか不自然に映るが俺には伝わった。
(これは遠回しに断ってるな)
恐らく、希音にとって都合の良くないものなのだろう。彼女の声音と微かな渋面さから察せられる。
「うん、そうか。まぁ、無理に行くこともないしな。ごめんな、夜月。無理なお願い言って」
「う、ううん。あなたたちは悪くないの。……これは私の問題だから」
「……?」
最後の方に何か言っていた気がするが声が小さくて聞き取れなかった。しかし、やはり一歩引いて正解だ。
相手の言葉から内なる気持ちを理解しないとモテないよな、きっと。知らんが。ソースは無い。
「こと、夜月ん家は諦めな。しばらくは俺の部屋で過ごして良いから」
「う、うん。分かった……」
少しへこんだ様子だったがこればかりは仕方ない。希音と別れて我が家に向かった。
(……そういえば、希音の両親ってどんな人なんだろ)
ふとそんなことが頭の中によぎったが、家に着けば騒がしい両親との応対で、すぐ頭から抜け落ちていた。




