第2話 自称記憶喪失
女の子、少女は俺を突きつけ声を上げた。
「良かった! やっと人が見つかった! しかも見た感じ良い人そう! あたしってばさすが! 一発で良さげなのを見つけた! いわゆる『いっぱつつも』ってやつ?」
俺は唖然としたまま、目の前の光景が未だに受け入れられずにいる。何か話しているが何も入ってこない。
「ちょっとっ! さっきから話しかけてるんだけど聞いてるー? ねー?」
少女は奏斗の目線の先で手を振ってみせる。
俺はようやくそれに気付き。
「……お、お前は、誰だ?」
「あたし? あたしはー……」
少女は手を顎に添えて考えてみせるが。
「……わかんない!」
「……は?」
「あたしって何だっけ。ねえ何だと思う?」
「知るか!」
「えー酷い! 何でも知ってそうな顔してたのに」
「余計なお世話だ! て、ていうか……さっき、鞄すり抜けたよな……? お前、幽霊じゃないだろうな……?」
「げ、あたしって幽霊なの?」
「お、俺に聞くなって……。だって本当は鞄が当たってたはず……。なのにそこに落ちてて……」
目の前の人物が幽霊か否か不明で、冷静に思考できずにいる。見た目は小学生くらいの普通の子供だが……。
あれこれ考えている内に少女は鞄に駆け寄って。
「掴めるよ!」
「……ぇ?」
少女は確かに鞄をつかんでいた。さっきのは見間違いだったのだろうか。
「……あれ、でもなんか左手だけ違和感ある」
少女は左手をぐーぱーしてみせる。
俺は少し落ち着きを取り戻し、女の子に近づいてみる。
「……手の調子が悪いのか?」
「うん、なんか上手く動かせない」
俺は少女を見つめる。冷静を取り戻すと自然と色々な情報が入ってくる。
少女の長い髪はツインテールに結んでおり、至って普通の服装だ。
肩から下げているのはカードケースだろうか。もし遠くから来たのなら、ICカードなどを入れる為のケースかもしれない。
家族で旅行にでも来てはぐれたのだろうか。
そんな容姿やら背景やらを考えていると、ふと目に留まったものがあった。
それは、少女の頬。
――うっすらと涙の跡のようなものがあった。
「……お前、泣いてたのか?」
少女は顔を上げ。
「え、泣いてた?」
「だって、涙の跡がついてるぞ。……こ、これ使えるか?」
そう言って自分のハンカチを恐る恐る差し出す。
「あ、ありがとう……」
少女はハンカチを手に取り頬を拭う。
すると。
「そうだ、あたし。やらなきゃいけないことがあったんだ」
ハンカチを微かに握りしめている。
「やらなきゃいけないこと?」
「そう。あたし、ここに来た理由を思い出した! ……いや、思い出したっていうか、なんとなく胸の中にある、この気持ち。そうこれは!」
「……これは?」
少女はぱっと輝かせたつぶらな瞳を俺に向けて。
「おトイレに行かなきゃいけない気持ち!」
「はよ行ってこい!」
俺は、少女の背中を軽く押しのける。
「わわ! ごめん! 言い方間違えた!」
「どんな間違え方だよ……」
「だって、おトイレに行くときは早く行かなきゃ! ってなるでしょ?」
「時と場合によるけどな」
「もー、なるの! で、早く行かなきゃ。早く行かないと手遅れになる~、みたいな? なんていうのこういうの?」
俺は少し考えるも、すぐにワードは思いついた。
「……焦燥感?」
「……ざんにょうかん?」
「残尿感じゃねえ! なぁ俺今そう言ったか? 『感』しか合ってないぞ! しかもその意味知ってるのか!? 知ってて言ってるのか!? だとしたら色々と意味が違うし軽はずみに言うなよ!」
「お兄さん、さっきから何言ってるの?」
「ああ、ほんと俺何言ってるんだよ! 言っとくけど俺こんなキャラじゃないからな! こうなってるのも全部お前のせいだからな」
俺は、恐怖感はおろか、振り回されている現状に軽く苛立ちを覚える。
「えーあたしのせいなのー?」と少女はぼやく。
「……はぁ、俺はもう行くからな」
面倒くさくなったので、ぶつぶつ呟く少女に軽く別れを告げ、俺は教室へ向かう。
「え! お兄さんどこ行くの!」
「教室だよ」
「あたしも行く!」
「……。まぁ、お前がいいならいいけど……」
この子の対処をどうするか悩んでいた。本気で別れようとは思っていない。こんな時間に子供一人置き去りなどは出来なかった。でも、先ほどの恐怖体験が頭から離れない。
そう、懊悩していた時。
「で、でもあの! あたし我慢できないんだけどっ……」
「……え?」
どういうことかと顔を上げる。
すると、少女はうっすらと頬を染めてもじもじしている。加えて上目遣いでこちらを見つめている。
(いや、何見つめてるんだよ。つか何我慢してんだよ。……っ! まさか、男子の扱いを解っている女子特有の眼差しなのか! いや、こんなお子様に限ってそんなこと……)
そんな煩悩と悪戦苦闘していると。
「ねえ! お兄さん!」
「ん? お、おう」
どうやらさっきから呼んでいたらしい。
「どうした? ……まさか『残尿感』があるわけじゃないだろ?」
「何言ってるのお兄さん! しょうそうかんだよ!」
「知っとるわ! そんなこと!」
少女に向かって叫び散らかす。皮肉が効かない。
「あ、そうなの! しょうそうかん!」
「あ?」
「……お、おトイレに行きたいっ!」
「……」
呆れてしまった。そんな要素を回収するつもりはなかった。
やはりこんな代わり映えは求めていなかったと再認識した瞬間だった。
* * *
少女を仕方なく連れてトイレへ向かった。今は少女が出てくるのを待っている。もはや保護者だ。
『そこで待っててね! 絶対だよ!』
先に教室へ行こうかと思ったが、そこまで非道ではない。
ふと窓の外を見ると、日もすっかり沈み、綺麗なお月さまが波打つ海を照らしていた。
しかし、誰もいない真っ暗な校舎はなんだか不気味で……。
(……っ。あいつ、いつまでしてるんだよ。あんまり長居したくないんだが……)
多少、怯えつつも平静を装うとしたその時。
「……っ!」
――何か気配を感じた。
気配を感じた方へばっと顔を向けた。
(……今、誰かこっちを見ていたような。い、いやいや! そ、そんな訳! きっと雰囲気のせいだ。そういう気がするだけで、何もない。きっと。恐らく。多分……)
とにかく保護者引退して、早く家に帰りたい一心であった。
* * *
無事、少女のお手洗いが済んだため、教室に入り自分の忘れ物、スマホを探す。
少女は色々なものに対して、何か独り言を呟きながら興味深そうに目移りしている。
(ま、ほっといてもどっか行かないだろう)
そう思い、自分の机の中を確認する。すると。
「……あった」
無事机の中にスマホを発見。画面を開くとちゃんと起動する。
「げ、もうこんな時間じゃんか……。でも、それもそうか」
待ち受けに表示された時間を見て憂鬱になる。早急に帰ることを目標とした。
しかし、少女が気になるのも確かで……。
「なぁ、お前、ほんとに自分のことが分からないのか?」
呼びかけると少女はぱっと振り向く。
「ん? うん。何も覚えてないんだよね」
「自分の名前もか?」
「え、あ! そう! あたしなんて名前だったっけ? 知ってる?」
「だから知らん言うてるだろうに……」
叫ぶのもいい加減疲れてしまった。
「住んでる場所も思い出せないのか?」
尋ねると、少女はやはり顎に手を添えて。
「うーん、思い出せないー……。でもここらへんは見たことある!」
「ここらへん?」
「うん! この町? この場所? なんか面影ある!」
「じゃああれか、この場所をうっすら覚えてるってことは、かかわりが深いってことだから、ここらへんに住んでるんじゃないか?」
「うーん、そうなのかなー……」
首を大きく捻る少女。
「まぁ、分からないなら仕方ない。交番まで送ってやるよ」
「え! 交番!?」
「そうだよ。住所不定に身元不明、おまけに未成年がただ一人。条件は揃ってるだろ? こういうときは大人しく警察に引き渡されな」
「え! 警察はやだ! 怖い!」
少女は焦ったように駆け寄ってくる。
「そんなこと言っても駄目だぞ。むしろよく分からん俺に付いてくる方がよっぽど危険かもしれないじゃないか」
「ううん! 大丈夫。お兄さんは安心できる人」
少女は自信をもって即答する。その満ち溢れた自信に少し圧倒される。
「どうしてそう言い切れる」
「だって、お兄さんだから」
「理由になってない」
「もう! お兄さんはお兄さんなの! お兄さんしかいないの! お兄さんじゃなきゃダメなの! そう私にお告げが来てるのです」
そう言いたてまくり、最後に小さい胸を張る。
「はぁ、俺は帰る」
対話は無謀だと諦め、即座に帰宅することにした。
「えー、まってよーー! 置いてくなんてひどい! 未成年を暗い中一人置き去りにしたって警察に言うよ!」
「さっき警察は怖いって言った傍からこれかよ!?」
振り返って言い返す。
でも勘違いしないでほしい。
「……別に、俺についてきたいならついてきな。……親に何言われるかわかんないけど。主に俺が」
「え! ほんと! やったー!」
「……はぁ。不可抗力」
もともと、はなから見放す気は無かった。だからついてくるなとは言っていない。でも日も沈んだ中、スマホを持ち帰るはずが、少女も持ち帰ることになるとは……。
「お兄さん、実は見かけによらず、やっさしー」
「……」
既に耳にたこが出来そうな特徴的な声。その音を聞き流し俺は早歩きで教室を出た。
* * *
帰り道、無心で歩いていた。
……隣から聞こえるやかましい音を振り切って。
「ねー、お兄さん名前は何ていうの? 趣味は何? お家でお留守番とかかな? 休日は何してるの? やっぱお留守番かな。なんで一人学校に戻ってきたの? やっぱ学校でもお留守番するの?」
この辺りまで来ると今の時間帯でも人通りは多い。こんな幼女を連れて、無視して。周りから奇異な目で見られているはずだ。
この感じとても嫌だ。せめて黙って欲しい。
「あたしね、お兄さんのお家に住むことにした! お兄さんと一緒にお留守番する!」
「……っ」
そろそろ、注意してもいいかな? いいよね? うん。うるさいもん。
急ぎ足だった歩みを緩め、一度立ち止まる。
「あれ、お兄さん、帰らないの?」
「……あのなぁ」
「ん?」
「少し話すのをやめてくれないか。こんなにでたらめなこと言ってると俺の沽券に関わるだろ」
「なんで?」
「だって、お前周りを見てみろよ。人がたくさんいるだろ。こんなに大きな声でそんなこと言ったら、周りから変な目で見られるだろ。俺はそれが嫌なんだ。だから辞めて欲しいんだ。あと、お留守番やめろ。引きこもってるわけじゃない」
俺はきっぱり言った。か弱い小娘に厳しい言動をとってきたが、これで最後にさせて欲しい。
「あれ、ほんとだ。さっきより見られてる気がする……」
「当たり前だろ。この圧迫感がさっきから――」
その時気づいた。
この周囲から感じる圧力、息が詰まる感じがつい先ほど増幅した。むしろその前まではこれほど感じなかった。
少女の言う通り、さっきよりも見られている――。
背筋に嫌な汗が流れたその時、通行人の妨げとなったのか誰かが俺にぶつかってきた。
「……っ」
「おう、すまんな」
通行人は急いでいたらしく、すぐに走り去った。しかしそんなことはどうでも良かった。
決定的瞬間を見た。
「お、お前、今……」
「なんか通行人さん、あたしをすり抜けてったね」
通行人は少女を認識することもないまま少女がいた場所を通り抜けていった。
それは俺がさっき鞄を少女に向かって投げて、すり抜けた現象と酷似していて……。
「お前、やっぱ幽霊なんじゃないかあ!!」
そう叫び、一目散に逃げだした。




