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第3話:冬の足音と、煙の香り

村を囲む深い森の木々が、鮮やかな赤や黄色から、少しずつ枯れ葉色へと姿を変え始めていた。

朝夕に吹き抜ける風には、肌を刺すような冷たい冬の気配が混じり始めている。澄み渡る青空には、南へと渡っていく鳥たちの群れが幾つも横切っていった。

この世界における「冬」は、決して美しいだけの季節ではない。

圧倒的な自然の力の前では、人間などちっぽけな存在だ。雪が降り積もれば、森へ食料を採りに行くことも、川で魚を獲ることも極端に難しくなる。暖房器具といえば家の囲炉裏いろりや焚き火しかなく、隙間風の吹く粗末な家屋で、身を寄せ合って寒さを凌ぐしかない。

だからこそ、秋の終わりは村にとって、一年で最も忙しく、そして最も神経をすり減らす「冬支度」の季節であった。

「よし、大物だぞ! みんな、手を貸してくれ!」

ある日の午後、村の広場に活気のある声が響き渡った。

屈強な農夫であり猟師でもあるザックを筆頭に、数人の男たちが、丸太にくくりつけた巨大な獲物を担いで帰ってきたのだ。それは、村の大人三人分はあろうかという、見事な大猪おおいのししだった。

「おおっ、すごい! こんな大物は数年ぶりじゃないか!」

「でかしたぞ、ザック! これで冬の間の肉には困らないね!」

広場に集まった村人たちは歓声を上げ、ザックたちの肩を叩いて労った。10歳のカイも、大人たちの足の間から顔を出し、その巨大な猪の姿に目を丸くしていた。

だが、歓喜に沸く大人たちの顔には、すぐに現実的な「悩み」の影が落ち始めた。

「しかし……これほどの量の肉、どうやって保存する?」

長老が、猪の巨体を前にして深いため息をついた。

この時代、冷蔵庫や冷凍庫などという便利なものは存在しない。肉を長期保存するためには、塩漬けにするか、天日でカラカラになるまで干し肉にするしかなかった。

だが、海から遠く離れたこの山間の村において、行商人から買う「塩」は砂金と同じくらい貴重なものだ。大猪まるごと一頭を塩漬けにするほどの蓄えはない。

「干し肉にするしかないだろうが……最近は天気が崩れやすい。雨が降ったり湿気が多かったりすれば、干している途中で肉が腐っちまう。それに……」

ザックが、苦虫を噛み潰したような顔で言った。

「あんな石の塊みたいに硬くて、ただ血生臭いだけの干し肉を、この冬もずっと齧り続けなきゃならないのかと思うと、正直気が滅入るぜ。子供たちも、顎が疲れるって残しちまうしな」

村人たちは重苦しい沈黙に包まれた。

命を繋ぐためには贅沢は言っていられない。だが、カチカチに硬く、味気ない干し肉は、長く厳しい冬の生活をさらに暗く、憂鬱なものにさせていたのも事実だった。

「うーん……」

カイは、大人たちの会話を聞きながら、広場の隅で燃やされている焚き火の煙をじっと見つめていた。

風に乗って流れてくる、木が燃える特有の匂い。その匂いを嗅いだ瞬間、またしてもカイの頭の奥で、カチリと知識のピースが組み合わさる音がした。

(……干すだけじゃなくて、煙を当てればいいんだ)

前世の記憶というほどはっきりしたものではない。ただ、「煙」というものが持つ不思議な力を、カイは本能的に、あるいは知識として理解していた。

煙には、肉を腐らせるバイ菌をやっつける成分が含まれていること。

煙で包み込むことで、肉の表面がコーティングされ、長持ちすること。

そして何より――煙の香りが、肉を信じられないほど美味しく変化させること。

「ねえ、ザックおじさん」

カイは、悩む大人たちの輪の中へと一歩踏み出し、声を上げた。

「ただ干すんじゃなくて、『煙』でいぶしてみない? そうすれば、お肉が腐りにくくなるし、すっごく美味しくなると思うんだ」

「煙で……いぶす?」

ザックは目をパチクリとさせた。周囲の大人たちも、不思議そうな顔でカイを見下ろす。

「カイ、お前また何か不思議なことを思いついたのかい?」

夏の終わりに「ろ過装置」を作り出し、村の飲み水問題を解決したカイの言葉だ。大人たちは頭ごなしに否定することはせず、真剣に耳を傾けた。

「うん」とカイは力強く頷いた。

「煙にはね、目に見えない小さな悪い虫(バイ菌)をやっつける力があるんだ。それに、煙の匂いがつくと、お肉がずっと美味しくなる。……僕に、少しだけお肉を分けてくれないかな。絶対に無駄にはしないから」

長老とザックは顔を見合わせ、やがて大きく頷いた。

「よし、やってみようじゃないか。お前さんの言うことなら、信じてみる価値はある。まずは猪の足一本分、好きに使ってみなさい」

***

そこからのカイの行動は早かった。

カイは村の子供たちを数人集め、森の入り口へと向かった。

「カイ、どんな木を拾えばいいんだ?」

友達の問いに、カイは地面に落ちている落ち葉を拾い上げて見せた。

「松みたいな、葉っぱが針みたいに尖っている木(針葉樹)はダメだよ。燃やすと嫌な匂いがして、お肉が不味くなっちゃうんだ。拾うのは、どんぐりがなるような、葉っぱが広くて平べったい木(広葉樹)の落ち枝だけにしてね。特に、桜みたいな花が咲く木の枝があったら最高だよ」

ヤニの多い針葉樹を避け、香りの良い広葉樹の薪を集める。これも、カイの頭に浮かんだ明確なルールだった。

子供たちが薪を集めている間、カイは大人たちの力を借りて、広場の隅に石と泥を積み上げ、小さな「小屋」のようなものを作り始めた。大人がしゃがんで入れる程度の大きさの、ドーム型のかまだ。上部には煙を逃がすための小さな穴を開け、内部には肉を吊るすための木の棒を渡しておく。

これが、お手製の「燻製小屋」だった。

夕方。

切り分けられ、貴重な塩と森で採れた香草を少しだけすり込まれた猪の肉が、カイの作った燻製小屋の中に吊るされた。

カイは小屋の底に、集めてきた広葉樹の薪を置き、火打ち石で慎重に火をつけた。

「カイ、もっと薪をくべなくていいのか? それじゃあ火が弱すぎるぞ」

ザックが心配そうに覗き込むが、カイは首を横に振った。

「ダメだよ、おじさん。炎を大きくしたら、ただの『焼き肉』になっちゃう。大事なのは、火を燃やすことじゃなくて、『煙』を出し続けることなんだ」

カイは火が安定すると、その上に少し湿らせた木くずや落ち葉を被せた。

すると、炎がスッと小さくなり、代わりにモクモクと濃い白い煙が立ち上がり始めた。カイは急いで燻製小屋の入り口を木の板と泥で塞ぎ、煙が逃げないように密閉した。

「ゴホッ、ゴホッ……」

煙を吸い込んでむせながらも、カイはその場を離れなかった。隙間から漏れ出す煙の量や色をじっと観察し、火が消えないように、かつ炎が上がらないように、小さな空気穴からつきっきりで薪の調整を続けた。

夜が更け、冷たい風が吹き始める。

大人たちは心配して「もう寝なさい」と声をかけたが、カイは焚き火の暖を取りながら、毛布にくるまって小屋の番をし続けた。

自分の中にある知識が、現実の世界で形になっていく。その過程が、たまらなく面白かったのだ。

(……それに、すごくいい匂いがする)

小屋の隙間から漂ってくるのは、ただの焦げ臭い煙ではない。

木の持つ甘く香ばしい香りと、肉の脂が熱されて溶け出す匂いが混ざり合った、胃袋を直接鷲掴みにするような強烈に食欲をそそる匂いだった。

夜風に乗って村中にその匂いが広がり、家の中で寝ていた村人たちでさえ「なんだこの美味そうな匂いは……」と目を覚ますほどだった。

***

翌日の昼下がり。

丸一日かけてじっくりと煙を当て続けた燻製小屋の前に、村の大人も子供も全員が集まっていた。皆、昨晩から漂い続ける匂いのおかげで、すっかり腹を空かせていた。

「よし……そろそろいいかな」

煤だらけになり、目の下にくまを作ったカイが、小屋の入り口を塞いでいた板を取り外した。

モワァァァッ……と、閉じ込められていた濃厚な煙が一気に広場へと溢れ出す。

煙が晴れた後、小屋の中に吊るされていた肉を見た瞬間、村人たちの口から一斉に「おおぉ……ッ!」という感嘆のどよめきが上がった。

昨日まで生々しい赤色だった猪の肉は、まるで魔法にかけられたかのように、見事な「黄金色の琥珀こはく」へと姿を変えていたのだ。

表面は煙でしっかりとコーティングされて艶やかな光沢を放ち、ポタポタと落ちる脂が、それが極上の食べ物であることを証明している。

「す、すげぇ……なんだこの輝きは……!」

ザックが震える手で、その黄金色の肉の塊を小屋から取り出した。

硬さは、ただの干し肉のような石の硬さではない。表面はしっかりと締まっているが、指で押すと内部の弾力がしっかりと伝わってくる。

「ザックおじさん、ナイフで薄く切ってみて」

カイの言葉に、ザックは生唾を飲み込みながら、狩猟用のナイフで肉をスライスした。

スッ、と刃が入る。断面からは、うっすらと桜色を残した美しい肉が現れ、同時にスモーキーな香りが爆発的に広がった。

「さぁ、食べてみて!」

ザックは切り分けた一枚を指で摘まみ、恐る恐る口へと運んだ。

周囲の村人たちが、固唾を飲んでその様子を見守る。

ザックの顎が、一度、二度と動く。

その瞬間、彼の屈強な顔が、雷に打たれたように硬直した。

「……ッ!!」

「ど、どうしたんだザック! 不味かったのか!?」

長老が慌てて尋ねるが、ザックは首を激しく横に振った。そして、信じられないものを見るような目で、手元の肉とカイを交互に見つめた。

「う……美味すぎる……! なんだこれ、全然硬くない! 噛めば噛むほど、肉の旨味と甘みが口の中に溢れてきやがる! それに、鼻から抜けるこの木の香りが、たまらなく良い……ッ!」

ザックの大声を聞き、我慢できなくなった村人たちが次々と肉に群がった。

「本当だ! 干し肉とは大違いだ!」

「美味しい、美味しいよお母さん! お肉が甘い!」

「なんだこの魔法みたいな食い物は……これなら、冬の間毎日でも食べられるぞ!」

広場は、これまでにないほどの熱狂と笑顔に包まれた。

ただ腹を満たすための「餌」のような保存食が、極上の「ご馳走」へと変わった瞬間だった。煙でいぶすことで水分が抜け、煙の成分がバリアの役割を果たすため、これなら冬を越すまで十分に保存が利く。

「カイ、お前は本当に……神様が遣わしてくれた子供かもしれないな」

長老が、涙ぐみながらカイの手を握りしめた。

「これで、厳しい冬も、みんな笑顔で食卓を囲むことができる。本当に、本当にありがとう」

「ううん、僕はただ、思いついただけだよ」

カイは照れくさそうに頭を掻いた。

その夜。

村の広場では、完成したばかりの「燻製肉スモークミート」を囲んで、盛大な冬の前の宴が開かれた。

焚き火の暖かな光が、村人たちの笑顔を赤々と照らし出している。大人たちは燻製肉を肴に果実酒を飲み交わし、子供たちは柔らかな肉を口いっぱいに頬張って笑い転げている。

カイは少し離れた場所から、その光景をじっと見つめていた。

(……あぁ、いいな)

胸の奥底から、じんわりとした温かさが込み上げてくる。

百年前、すべてを破壊し尽くした悪魔は、権力も、恐怖も、絶望も、すべてを支配した。しかし、彼が決して手に入れることのできなかった風景が、今、目の前にある。

それは、自らの手と知恵で誰かを幸せにし、共に暖かな火を囲むという、ただそれだけのありふれた喜びだった。

「カイ、こっちにおいで! お前の分のお肉がなくなっちゃうぞ!」

友達に呼ばれ、カイは弾かれたように立ち上がった。

「今行く!」

冷たい冬の風が村を吹き抜けるが、もはやそれを恐れる者は誰もいなかった。

煙の香ばしい匂いと、村人たちの笑い声が交差する。

ステータス「1」の少年が紡ぐ、小さくて優しい魔法。それは、村の冬を確かな温もりで包み込もうとしていた。


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