第六章:出張(しゅっちょう)、嘉義(カギ)への任務
さらに一週間が過ぎ、兄妹はいつものように八階のオフィスへやってきた。
「教官、教官! 氷弾が出せるようになりました!」
燕惠が興奮気味に教官の両手を握る。隣の建寧の様子からして、彼はとうに知っていたのだろう。
「おお、おめでとう! これでようやく兄貴と一緒に任務に出られるな。炎弾……火球の方はどうだ?」
「炎弾も出せます。ただ、氷弾に比べるとまだ種火みたいなサイズですけど」
「よし、中に入ろうか」
傅英石が二人の背を押して教室に入ろうとした時、建寧が足を止めた。
「あ、そうだ教官。まだ連絡先を交換してませんでしたね」
「あぁ、そうだったな。今のうちにLINEを交換しておこう」
教官のアイコンはイルカだった。「福岡に出張した時に撮ったんだ」という言葉に、燕惠が楽しそうに食いついている。
「さて、前回の話の続きをしよう。これは次の任務にも関わることだから、しっかり聞いて訓練に励んでくれ」
傅英石の表情が、いつになく真剣なものに変わった。
「次の、任務……?」
「あぁ。今回の任務はかなり危険だ。事前のプランニングが命運を分ける」
「前回、魔法の種類について話したな。媒介式魔法についてだ。これはX媒介に直接干渉して行使する魔法で、我々の生成式に似ているが、決定的に違う点がある。……**『杖』**を必要とする点だ」
「杖、ですか? ここにもあるんですか?」建寧が尋ねる。
「残念ながらここにはない。杖を作るには、紅檜や台湾扁柏、台湾ショウナンといった樹齢百年、あるいは千年の神木が必要なんだ。これらは現在、伐採が固く禁じられている」
「じゃあ、数はかなり少ないんですね」
「嘉義支部には一本あるようだ。今回の任務の舞台はその嘉義だ。どうやら神木を密猟……不法伐採している連中がいるらしい」
「アリサンの神木群ですか? 警察は捕まえられないんですか?」
「高雄の大穴の時と同じだ。犯人側が警報魔法や隠蔽魔法を張っている。……あぁ、そういえば高雄の事件についてまだ詳しく話していなかったな」
それは二週間前のことだ。
「遠いなぁ、高雄……」
傅英石は高鐵(新幹線)のホームで溜息をついていた。彼は出張が大嫌いだ。移動距離が長ければ長いほど気が滅入る。
唯一の救いは、公務なのでグリーン車(商務車廂)に乗れること。そして、南部特有のファストフード『丹丹漢堡』を食べて英気を養えることくらいだった。
「傅主任、どうやら相手の警報魔法に触れたようです。現場には誰もいません」
案内された現場は、アメリカのグランドキャニオンにも匹敵する巨大な穴が掘り抜かれていた。地主は警察に捕まったが、シロを切っている。
「魔法の痕跡があります。だから傅主任をお呼びしたのです」
「遠いんだから、さっさと捕まえて帰らせてくれよ……」
傅英石は独り言を漏らしながら、一旦宿へ戻った。
(警報魔法があるなら、必ず発動条件があるはずだ。ただ人が通るだけで鳴るようじゃ仕事にならない。……警察や行政の人間、あるいは特定の制服に反応するように設定されているのか?)
彼は一計を案じ、私服で夜の大穴付近に潜伏した。
「……果報は寝て待て、と言うがな。脚が痺れるだけだよ」
彼はスマホでYouTubeを見たり、大リーグのワールドシリーズの再放送を観たりして時間を潰した。
「……今日こそ、何事も起きませんように。試合を最後まで観られますように」
フラグ(FLAG)を立てる。それが傅英石の「おまじない」だった。
案の定、数人の男たちが穴に現れ、道具を手に取り始めた。
「……やっぱりフラグは最強だな」
傅英石はスマホのライトを点け、悠然と彼らの前に現れた。
「何奴だ!」「政府の犬か!」
逃げようとする男たちの中、二人が棍棒を手に立ちはだかった。
「政府の人間か?」
「そう見えるかな?」
「あぁ、見えるな」
「正解だ。――氷弾!」
不意打ちの一撃で、一人が昏倒する。
「貴様、魔法使いか! ……閃電!」
夜空を切り裂く雷光が傅英石を襲った。
「媒介式の使い手か。厄介だな」
激しい魔法戦が繰り広げられた。相手は杖を使い、炎と雷を放ってくる。対する傅英石は生成式。指先から放たれる氷弾のサイズを調整しながら、相手の癖を見抜いていく。
「炎放射!」
「氷弾!」
相手の炎は範囲は広いが密度が低い。傅英石が練り上げた直径十五センチの氷弾は、炎を突き破って敵の腹部を直撃した。
「卑怯な真似を……夜に見えない魔法を使うなんて!」相手が吠える。
「先に卑怯な真似をしたのはどっちかな。こんな巨大な穴を掘りやがって」
最後は小腿を氷弾で貫き、傅英石は敵の杖を没収して警察に引き渡した。
「わぁ、教官すごいです! 氷弾だけで圧倒しちゃうなんて!」
燕惠が興奮して叫ぶ。
「相手が使っていたのは樹齢百年の神木の杖だったし、技術も未熟だったからね。……嘉義の任務では、もっと手慣れた使い手が出てくる可能性がある」
建寧も「いつか一人で任務をこなせるようになりたい」と胸を熱くさせていた。
「建寧、君の生死霊は特殊だ。妹と組んで行くのがベストだよ」
傅英石の言葉に、燕惠が「お兄ちゃん、私がいなきゃダメなんだから!」と得意げになる。
だが、燕惠には不安もあった。
「でも、映画館の時も教官や兄貴がいたからで……私一人じゃ何も……」
「燕惠、氷弾を撃ってみろ。修正点を見てやる」
建寧は体力作りのためにランニングへ。燕惠は屋上庭園で傅英石と向き合った。
「氷弾!」
「……悪くない。だが速度が足りない。燕惠、我々が頼るべきは指の筋力じゃない。**『風の力』**だ」
傅英石が指先で十センチの氷弾を放つ。それは燕惠の耳元を「ヒュッ」という音と共に通り過ぎ、彼女の髪を激しく揺らした。
「……教官、危ないですよ! 穴が開いちゃう!」
「すまない。だがこれが一番『風』を感じやすい。生成式は、五感を解体し、逆に再構築する魔法だ。熱を感じるから火が生まれるように、風を感じるから、風を吹かせることができる」
燕惠はハッとした。自分の氷弾はただ放り投げているだけだった。教官のそれは、風の弾丸と氷の弾丸が一体化している。
「風弾……風の練習が必要なんですね」
「その通り! 筋がいいな、燕惠くん!」
傅英石は手放しで彼女を称賛した。
午後。ランニングから戻った建寧が拳を振る。
「教官、なんだか能力が勝手に強くなっている気がするんです」
「……生死霊は確かに成長する。だが、鍛錬を怠るな。生死霊は諸刃の剣だ。強くなることは、弱くなることでもある」
「……どういう意味ですか?」
「いずれ分かるさ」
傅英石はそう濁した。
兄妹がそれぞれの修練に戻った後、八階のオフィスで一人、傅英石は頭を抱えていた。
その顔には、いつもの余裕も、ましてや笑みもなかった。
(……本当のことが、言えるはずがない)
彼は激しく葛藤していた。
生死霊――それは「生霊」と「死霊」が結びついた魔法。そして、死霊の力は生霊の数倍強力だ。
死が近づけば近づくほど、その力は増大する。
建寧が自分の成長を感じているのは、彼が確実に「死」へと近づいている証拠なのだ。あの時、列車を止めたほどの力が出たのは、彼が極限まで死に接近したからに他ならない。
(余命二ヶ月……。善意で魔法司に入った彼に、そんな残酷な事実を突きつけていいものか?)
もし伝えてしまえば、彼の精神は崩壊し、秘められた闇が暴走するかもしれない。だが、黙ったまま死なせるのも……。
夕方。訓練を終えた二人が戻ってきた。
「教官、氷弾が速くなりました!」
「細かい操作もバッチリです!」
二人の輝くような笑顔を見て、傅英石は無理に口角を上げた。
「……あぁ、よくやった。来週は嘉義だ。準備しておけよ」
今回の彼は、「遠いなぁ」という愚痴を一度もこぼさなかった。




