61話 気が付くと目の前に
頂点階級の医者が俺の肩を掴んで、激しいくらいの真顔でこう言った。
「───二週間ほど、我らが『迅雷蜂シア=フリージア』の遊び相手をして欲しいんだ。」
俺は医務室を見渡して、『え』の形になった口で声を出してみる。
「えぇっと。」
「『フォトン』に関する研究の都合上、彼女は短期間だけ『北防衛区』の研究施設に通うことになったんだ。君にはその『運び屋』をして貰いつつ、同時に彼女の息抜き相手になって貰おうって魂胆。」
彼女は俺の肩に手を置いて、やはりおかしな距離感でものを語っている。
「運び屋。」
「困惑するのも無理は無い。こんな棚からぼた餅的な展開は想像してなかっただろ?異彩を放つ可憐なグロキシニアと、身の程知らずな急接近が叶うって言うんだ。」
「・・・なるほど何言ってんだあんた。」
「だから、高嶺の花とお近づきになれたら嬉しいだろ?」
何を言い出すのかと思えばこの医者。まさか自分で手を置いたくせ、この状態の俺が身の程知らずだと言いたいんだろうか。
「いやまそら・・・有り体に言えば?」
胸ポケットにある青いボールペンの傍を、一つ結びにした髪がしなやかに流れている。相変わらず良く澄んだ眼に、俺は片眉を上げながら答えた。ツナミ先生は我に返って、掴んでいた手を素早く離した。
「ち、ちがっ。私が指したのはシアの事であって、自分の事をそんな風に思ってるわけじゃ断じて・・・!」
「見りゃ分かるよ、冗談。」
「っ、・・・はぁ。相変わらず気色悪いな君は、気色悪い。元気な姿で会うって約束だって裏切ってくるし。ゲウムのくせに」
「っはは、悪かったって。グロキシニア第四部隊の隊長様もそんな顔するんだな。」
「当然だ、こちらとてまだ二十五だぞ。」
「二十五」
俺は反射的に口に出した。大人っぽいから大人なんだと思っていたが。
「見えないって?」
「大人じみてるからさ、格好とか。」
「ふむ。土壇場で弁が立つな君は。」
ツナミ先生は観念して、咳払いから平静さを取り戻した。
「とにかく。この依頼にあたっては、至って実直な理由と目的があるんだ。・・・君が食事をするのは、単なる娯楽目的ではないだろう?」
「ああ、糧ってなエネルギーって意味だ。」
「然り。シアがより強くなるための活力を、日常サイドの刺激から得られないかという試みなんだ。それも私たちのような『黒箱使い』にとっては、息抜きという意味だけには収まらない。」
「黒箱使い、か。そもそも黒箱が分かんねんだけど」
ブラックボックス、古代のアーティファクトがどうという話である。それを駆使してるらしい武装が凄まじく強いってな、何度かあの白髪のエースを見てれば分かるんだが。
「今、噛み砕いて話そう、古代の遺物【ブラックボックス】の何たるかを。・・・ズバリ、【ブラックボックス】というのは・・・」
俺は唾を呑み込んだ。そして何を言われるかと言えば、こう。
「───何なのか、分からない。」
「あ?」
「分からないんだ、何も。何と説明したらいいか全く分からない。・・・ただ、【何か黒い箱】というだけなんだ、だけなんだがね。その【何か】が、気が付くと目の前に在るんだ。」
空気がひりつく。一瞬、景色が湾曲したように思えた。
「掴んでみると、何故かな、使い方が解るんだ。その用途が、内容が、本質が、手に取るように。それがどういうものか全く解らないのに、理解できるんだ。自分の内側に、別次元の活力を感じ取るんだよ。それがあの兵器たちを動かす『フォトン』と同じものだという事も、どうしてか解る。【ブラックボックス】というのは、そういうものだよ。」
「はー、それで【ブラックボックス】ね。」
合点がいった。つまるところ【ブラックボックス】は、『ブラックボックス』って意味なわけである。分からないまま使える装置、開ける必要のない黒い箱。見えなくても『在る』と分かる力を、俺たちは自然本性的に信用しているのである。
「なんとなく分かるのは、『フォトン』が精神を強め、そして精神が『フォトン』を強めること。『フォトン』は精神力と平行な代物なんだ。だから君の役割は、シアの精神に刺激を与えてやること。精神がどうしたらどうなるかというのは、本当に分からないからね。」
「なるほどな、まあなんとなく分かった。・・・ただ。」
「ただ?」
「俺が適任かどうかが疑問だ。運び屋兼デートの相手ってんでも、他にごまんといると思うんだが。」
医務室の鏡には、だらしない学生服が映っている。白衣のツナミ先生は覗き込んで、可笑しそうに笑った。
「何を心配するのかと思ったら。大丈夫、私は君ほど面白いやつを見たことがないよ。ああ見たことないとも。」
「はっ、さいですかね」
「引き受けてくれるだろ?塩川君。」
「あぁ分かった。せいぜい頑張ってお相手致しますよ、俺なりに。・・・あんた、なんか俺の知り合いに似てきたか?」
「眼鏡の教官なら知らないよ、『塩川君の弱点』も聞いてない」
ツナミ先生は、クールなドヤ顔というやつを披露する。
「っはは、冗談きついぜ」
俺は部屋のドアを引いて、待合室に向かって歩き出したのだった。
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「信じてもいいんだろ。」
女医は月を見て、一人呟いた。
「うん、きっと辿り着く。・・・君ならきっと、彼女を止められる。」
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