55話 頑張って叶えるから
「私、ちょっと脅されてるんだよね。」
「・・・友達に?」
「ヤクザに。」
「そいつは。」
申し訳なさそうに言った彼女、初めて見た表情だ。泣くでもなく、それが一番きつく困っている顔。
「要求に応じないと、妹が殺されちゃうんだって。」
「へぇ、戦力の規模は。」
「・・・要求の内容とか聞くと思ってた」
「聞くかよ、聞いたらお前泣くだろ。」
「泣かないし。・・・・・・っ」
「あら聞いてないのに泣いた。早起きなんてするから涙が出てくるんじゃないのか。」
ぼろぼろ涙が落ちていく。簡単に泣くくせ、重そうな涙である。
「たくさんいて、銃も持ってるって。」
「フロリスに協力を仰げないのか?」
「銃はフロリスから買ったって、通報したら即殺すって言われたからさ、私、誰にも頼れなくて・・・っ!」
「それでよーく恋人ごっこなんかしてたよ、仮に男一匹味方したとしてなーんも出来ねぇだろうに」
「だってしょうがないじゃん!!」
鳥が飛んでいく。
「妹のために身体売れって言われてもさ!・・・私、恋人も居たことないし、中高で女子校だし!!男の人との話し方だって、全然分かんなかったのにさ・・・っ!!」
「ッ!?」
ブランコに座った膝に手をついて、理沙は泣く。彼女が男と縁遠い、信じがたいことだ、ことだが、本当らしい。
多少衝撃的な告白だった。何しろ彼女の髪の色は金で、睫毛は横から見るのに許可が必要かと思うほど程長い。朝の青い空気の中で、その瞳は紅い。しかし、そうだというのだ。驚きは飲み込んで、まっすぐ見た。
「それで、俺相手で実験してたのか。」
「うん。でも一番の目的は『妹を護ってもらう』こと。あの子を助け出した時、私は近くにいないかもしれないから。」
「正気かよ。知らない男子高校生に大事な妹を明け渡して心配じゃないのかね。」
「それは大丈夫。・・・塩川、あの子の好みそのものだから。その辺の養母さんよりずっといいはず。」
「うん、正気かよ、妹の方も。」
「正気。明日の昼、中央駅前の噴水広場で待っててほしいの。家出したり捕まったりで疲れ切ってると思うから、私の代わりに抱きしめてあげて。」
あららと言うべきか、理沙の目は本気だ。俺は身寄りのない妹を保護させたい旨を聞いて、先日から理沙が取っていた行動に芯が通っていくのを感じた。
(・・・なるほどな)
───【私ただ、塩川君なら護ってくれるかもって・・・!!】
(この前のアレは妹を護るって意味だったわけだ、自分の身を犠牲にしてでも助け出した後の、妹を。・・・自分はそんだけ初心な泣き虫でも、妹の事だけってな。見直すぜ、理沙。)
「それが、お前の望みなのか?」
「うん、そうだよ。・・・そう。」
理沙はブランコを発って言った。
「お願い。」
俺は柵を立って答えた。
「・・・うし。聞き入れた。頑張って叶えるから、安心してくれ。」
「やった。・・・よろしくね、塩川。」
「・・・、ああ。」
それが、その日の朝の事。俺たちは公園を出てすぐ、反対方向に歩いて行った。別れの挨拶が軽かったのは、互いに覚悟を決めるので精一杯だったからだと思う。
──────
俺の足は学校に着いて、ホームルームが始まる。時間がすっと流れる。気がつくと、帰りのホームルームが終わっていた。朝方の空気を呑み込めないまま、夕方が光らせた机の眩しさにやられそうになった。俺は家に帰って、制服を脱がないままベッドに横たわった。それでしばらく、時間が経つのを待った。
「・・・ちょっと散歩してくる。」
翌日の、午前二時だった。俺は音が無くなった街を歩いて、土管のあった公園に向かった。
深夜、コンクリートの土管。俺は外側にもたれかかって、土の上に座っていた。女子高生は土管の内側で、体育座りに顔を埋めていた。すすり泣く彼女に、俺は声をかけられなかった。
【それが、お前の望みなのか?】
【うん、そうだよ。・・・そう。】
頭の中を、朝のことが回っていた。
俺たちはコンクリ越しの背中合わせで、俯いていた。
──────
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翌日、見知らぬ男の人、見知らぬ男の人。少女の周りを囲むのは暗いコンクリートの壁で、変わっていなかった。灰色の背景は、なんにも変わっていなかった。
「ようやくその気になったかなぁ、理沙ちゃん。」
「・・・大の大人が、こんな事していいと思ってるの。」
女子高生は言うが、ソファの甚兵衛姿はその手の震えを嗤う。
「───あれぇ、妹さん返してほしくないの。」
「っ──!!」
「素晴らしい表情だぁ。その顔を恥辱と恐怖で染め上げたいって客が、わんさか駄金を落としていくことだろうねぇ。嗜虐心の強い客、案外いっぱいいるんだよね、知ってる?良いんだぁ背徳が。ヒトってみんな大好きなの、背徳。」
震えは全身に伝わっていく。嫌でも涙が滲んできて、平常でいることに耐えられなくなって、心臓が委縮する。痛くなるまで締まる。
「じゃあこの契約書にサインして。」
女子高生は言いなりになる。物騒だが本当の事だ。泣きながらペンを取る。
「偉いねぇ、妹想いなおねぇさんだ。家出した馬鹿妹なんか切り捨てちゃえば良かったのに。・・・まぁ君にはそれが出来ない、だから脅しに使ってるんだしね。ちゃんと書いてよ、『私はこの組の奴隷になります』っていう意思のこもった直筆署名なんだから。」
(元気でいてね・・・お姉ちゃん、頑張るから・・・。だから、元気でいてね・・・っ!!)
祈るように書き切った署名、誤魔化しようのない黒インクは強く染みている。
「これで、妹にはもう・・・」
泣きながらでも、彼女は揺れない光を眼に宿している。大好きな妹を護り切る意志だけが、弱い彼女をどこまでも強くしていた。妹が健やかに生きてくれさえすればいいと、他はどうでもいいと本気で思っていた。望みはそこにあった。
「───妹ちゃんなら、もういないよ?」
一言で、目の光は絶えた。




