53話 九つ数えろ
「・・・あ?」
「言ったら会えなくなるかもって心配してたけど、今日鉢合わせたなら大丈夫。」
あまり焦らない様子で、淡々と、楓はありもしないはずの話を吹っ掛けてきている。
「うーむ、そいつぁどういう」
「・・・よく分かんないんだけど、亮ならお姉ちゃん見つけられるみたい。」
俺がたまたま何度も遭遇していたパーカー美人が、俺の捜し求めている人物だった。妥当な線を手繰ったなら、思考の片隅にも入ってこない命題だ。
「それに、私の勘を歪ませる力もある。」
「お前の勘を歪ませるって・・・俺が?」
「うん。亮に関わることだけなんか、ブレる?」
オカルトじみてくる。俺はもちろん言及したが、楓はどうしてかそれ以上答えなかった。どうやら本人もふわふわした感覚らしいものを、俺は執拗に問い詰めようとも至らない。
ちなみに会話の最中に行われていたババ抜きは流れるように負けた。
しかし要するに、『理沙』の事などさっさと忘れて仕事学業に没頭すればいいのだ。俺が稲佐姉を見つけられるというのなら、習うより見つければよかろう。寂寥云々は忙殺できるのである。
(明日は井口の誕生日だったかな。・・・即席珈琲でも買ってくか。)
して、翌日。俺は駅まで走っていって、ホームに双つ並ぶ車両、その速い方に乗る。
学生は避けがちの、朝の通勤用特急の車内。俺はそろそろ都心に近づいてすし詰めの満員電車をてきとうに見渡し、どこかしらにパーカー美人の面影がありはしないかとかく探し始めた。
(ふむ。汗かきでも駆け込む中年、実は酔ってるハイヒール、満員の特急に乗ったくせ譲ってほしそうな風呂敷ばあさんに、本当は譲ってあげたいモヒカン彼氏さん・・・・・・角際の黒い大鞄。鞄で塞いだ角奥は・・・、人が一人分。)
込み入って窮屈な車内と言えばそれまで。他人の背と背を縫って、既に俺の足は這い寄っている。結構あることだ。流動的に身体を動かして移動するのも慣れる。艶の良い靴を踏みさえしなければ、満員電車の住民は大抵の接触を気にもかけない。
(ビンゴ)
異性同性問わず距離が近い、まあこの感覚のゆるみが命取りになることもあるわけだが。どういうことか説明しよう、そういう事である。一人分の隙間には、案の定というべきか、ミニスカート。鞄を押し付けつつ、どさくさで何でもかんでも触るのである。最も忌むべきは、閉鎖空間と大きな圧で被害者の思考がショートしてしまう点にある。
(『平』でいきやがったな、気の毒野郎)
踵から割り込ませて、止まったように滑って、並んだ。大男の耳元で、しかし奥にいる女子高生にも聞こえるよう尖らせて、口に出す。
「───〈九つ数えろ〉。現行犯で捕える」
「ッ・・・!!?」
一、二、三、四。大男の息遣いが荒くなっていく。
五、六、七、八、九。
(・・・パニクって動けもしない感覚、少しは味わえたかよ。)
次に車両のドアが開いた時、俺はそいつをホームに突き飛ばした。
「待て、誤解だ!!」
「被害者の供述と目撃者の証言で十分だ、『誤解』じゃ乗り切れないな。・・・なんなら『押さえ』も此処にあったりするんだけど。」
俺はスマホを揺らして見せる。ちなみに『押さえ』というのは俺による答弁の自信のことだ。何もスマホに証拠写真が入ってるとは言ってないが、被疑者の自白は証拠になる。録音機能付きの防犯カメラが健康に赤光してる様を、俺は横目で労わるように見た。
「・・・けしからん格好で誘ってくる方が悪い!!」
「悪党の往生際が悪い。誰かしら誘ってたとしても、自制の効かない下衆じゃねぇだろうよ。」
そこで、大男の目が変わる。
「ッ、このクソガキがぁぁぁぁぁあッ!!」
突っ込んできた。距離は近い。やたらデカい拳を振りかぶっている。背後には人の乗った車両。
「ったくしゃーねぇ奴だな。」
俺は言って、避けない。
「っ───」
前頭部が鈍い音を鳴らす。俺は一歩退いて、二歩目も後ずさる。
「ッ・・・!!?」
大男は困惑する。殴った自分自身の拳面がはがれていたこと、俺の額から良い量の血液が垂れていたことにビビるのである。
「頭を殴ると血が出るってな、知らなかったんだろ。」
振りかぶる時点で分かっていたことだ、こいつはデカい体躯をハリボテ程度にしか扱っていなかった。成人男性の拳というものを持っている自覚は、これっぽちも感じられなかった。こいつ自身は全く理解できていないのだ。自分が脅しに使っているものが、どんだけの凶器なのか。だから避けなかった。
「よく覚えとけよこの野郎」
背後のミニスカートがどんな奴で、実際どれくらい傷ついてたとかいうのは俺には分からない。けどこいつは、確実に言えることだ。
「───てめえの軽率な行動一つで、人間ってな随分簡単に死ぬんだぞ。」
「ひッ・・・!!」
流れる血が命を嘆いている。分からないならそれでもいいが、日常の失敗に譲歩があるのは特別な事だ。失敗をしてること、その上で多くを許されてること、二つ同時に飲み込んで慎ましく生きやがれ。逃げ出した大男の行く先は、どうあがいてもフロリスの問注所だった。
「・・・さて、一件落着・・・っと、はは。」
俺が振り向いた矢先、特急電車のドアは音を立ててしまった。その境のこっち側、既にホームへ降りて傍に立っていた、スカート丈のやけに短い女子高生。
「馬鹿じゃないの。」
無愛想にポケットティッシュを差し出したのは、理沙だった。




