52話 目も当てられねぇや
騒がしい金髪が去ったあと、俺は食パンと缶コーヒーを買った。
(・・・単なる悪趣味ってこた、無さそうだしな。美人局、何かの復讐、それか上層部の陰謀とか。・・・だめだな、虚しい考え事だ。)
ベンチから駅を向いて、夕方の噴水を眺めている。水が舞う様は綺麗だ。しかし眺める俺の心は、少しだけ用意が足りないような気がしている。コーヒーを一口飲んで、袋の封を開け、俺はコーヒーの二口目を飲んだ。
「・・・食べないんですか?」
そこで、一人のサラリーマンが話しかけてくる。典型的な髪型、俺のよりシャバシャバしてそうなシャツと、くたびれたネクタイだ。しおれたサンドウィッチを両手にひとつずつ持っていることを除けば、休憩中の営業と同様の姿貌である。
「あんたの方はよく食べる。」
「疲れましたからね。そちらは?」
サラリーマンというのは訂正しようか。夕方に噴水広場に座っている黒縁メガネが『疲れた』と口にしたものだから、俺はその場で遠慮なくため息をついた。
「今日告ってきた女の子に、今さっき逃げられた。」
「それはそれは。」
「そっちのは聞きたくもねぇな。そのたまごサンド、自分で作ったのか?」
「低血圧な妻が作ってくれたものです。早起きして。・・・私のために。」
「そりゃ痛々しいや、マヨとレタスでパンがびちゃびちゃ。・・・粗熱も冷まさなかったんだな。」
「サンドウィッチの粗熱も冷まさないでくれますよ。もう少し器用に料理してくれても、こちらは喜ぶに決まっているんですけどね。・・・おかげでもう、泣きそうだ。」
「サンドウィッチに粗熱があんのか?」
「君が言ったんでしょうに。・・・ありますよ、だからこんなに、熱くて痛いんだ。」
メガネが光って声は震える。リクルートスーツは格好良くも弱々しくも見える。
「料理のできない奥さんは嫌いか?」
「冗談でも嫌いと言いたくはない。愛してますよ、愛せてるかは知らないですが。・・・一方で、仕事のできない夫は嫌われて仕方ない。」
「おいおい、いい夫婦なんじゃないか。料理のできない妻に、仕事のできない夫ときた。」
「言ってくれるね。彼女は料理こそ苦手なものの、他は何でもできるスーパーウーマンなんですよ?本当に僕なんかには不相応な・・・っと、噂をすれば。」
着信音が鳴るが、男は動作を焦らない。空のバスケットにちゃんと手を合わせてお辞儀なぞしてから、おもむろに電話に出た。
「もしもし、うん、僕だよ。それで、今日の結果なんだけど、さ。・・・はは、僕ってだめだめだな。どうにかして君の力になりたいのに。うん・・・うん。───え、僕は仕事なんかしなくていいって・・・・・・?」
表情を曇らせるリクルートスーツ。成人男性の泣きそうな眉、俺は祈るように目を閉じる。
(・・・心配すんな、優男。あんたは必ず、大丈夫になる)
「───あ、気持ちだけでうれしい?・・・いやでも、君だって毎朝僕にお弁当を作ってくれるじゃないか!僕はへっぽこでも『一級調理師免許』持ちのシェフで、いやっ、気持ちはもの凄く嬉しいんだけど!!」
俺はコーヒーを吹き出した。その名札をよく見れば吃驚、証明写真の彼はよく見るシェフの格好をしていた。堂々の赤を飾るスカーフとまっさらなコックコート、スーツの彼と同一人物だが、それはどう見ても別人の顔つきだった。
(レストラン=サルビア・・・五つ星ホテルのコック長ってな、おう・・・。)
「分かった、分かったよ。君を目指すのはやめる!でも僕だって格好良くなりたいんだ、分かるだろ?・・・いや、よしてくれよ。僕なんかより君の方がずっと素敵だ。君がそんなに可愛いのに格好良くも振舞うから、僕は眩しくて居ても立っても居られないんじゃ・・・・・・あ。っはは、切られてしまった。」
男は端末を眺めて眉を下げた。これだから締まりのない僕はどうこうと語る超一流シェフの前で、俺は額を覆っていく手をどかせなかった。
「あんたそら、目も当てられねぇや。」
「でしょう?僕はなよなよしてるし、仕事だってろくにできない。」
「いやそれはそうなんだろうが、そっちじゃあない。・・・そのパンがちょっと羨ましいよ俺は。ダメなとこはちゃんと見えてんのに、その上で美味いって言うんだろ?」
「一口食べますか?」
「俺のもやるよ、今ちょうど美味くなったとこだ。今日の耳はいっそう美味い。」
「それは高架下の工房で焼いている食パンでしょう?あそこの酵母は遊びがありますからね、嗅いだだけで分かる。・・・慎んで、頂きましょう。」
俺とシェフ男はパンを交換して食べた。それから礼を言って、各々反対の改札へと歩いて行った。
───そして帰りの電車にて、俺は当然のように例のパーカーを発見するのである。
東防衛区方面の単軌鉄道、七号車。俺と彼女の他に人はいない。西日が差した車内で、対岸にいる彼女は茶色のパーカーの局所を鮮やかに染めあげている。それは白っぽい睫毛の長い、印象的なパーカー美人だった。
今日もフードは外していなかった。
「───その人、私のお姉ちゃんだよ。」
楓からそう聞いたのは、夕食のラタトゥイユを食べ終えた後だった。




